悲愴感を漂わせたら大体負けます。③
2023年12月17日
続きです。
言うまでもありませんが、相当な時間を費やして学習しないと中学受験は成功しません。そしてそれだけでなく努力や才能や熱意や運なども満たさないと成功は勝ち取れません。当日の体調、問題傾向などもあるでしょう。こういう複数の変数が複雑に絡み合う中で「やっとの思い」で合格は得られるのです。しかしそういう条件がすべて満たされていたとしても必ず合格できるというものではない、そこが中学受験の怖さであり非情なところです。
第一志望合格率は30%と言われます。しかし指導してきた中での私の体感では20%以下のような気がします。それは第一志望に設定するのは概ね「身の丈にあった学校ではなく、少し無理をした高みの学校」なので、ただでさえ厳しい合格難度がより高まるからです。ですから第一志望校に合格するというのは「よく頑張ったね」と受かったお子さんの総合力を称えるべき結果なのです。
では、第一志望校に受からなかったら失敗なのか?私は全くそうは思いません。「置かれた場所が自分にとって最適な場所、そこで花を咲かせよう」と思考できる子は必ず「運」を呼び寄せるからです。当塾の生徒さんでもかつて「開成落ち巣鴨進学」「早実落ち城北進学」「聖光落ち浅野進学」などいましたが、結果的に全員東大に進学しました。腐ることなくそこでできる限りのことをした、勉強だけでなく部活も友だち付き合いも目一杯やった。つまり何事にも全力投球しようと意識できる子は時間の効率化に優れていて、それが勉強にも応用できるのでタイパ良く学習できるのです。彼らの大学入試の結果はたぶんそういうことなのではないでしょうか。
そもそも競争が伴う物事において成功する(合格する)こと自体がすごいのです。何年か前に1月受験全敗、2月1、2、3日全敗、全敗のまま5日の受験で第2志望校に受かった生徒もいます。結局1勝10敗でフィニッシュ、ものすごい精神力の持ち主です。こういう修羅場を経験した子は「火事場の〇〇力」を発揮する経験を得ていますから、その後直面する困難な状況下でもパフォーマンス良く結果を出せるのです(成城中高→慶応商)。何事においても「無駄な経験」はないのです。
こういった事例は枚挙にいとまがありません。
前回も申しましたが「不本意な結果」とは主観にすぎません。大事なのはその「不本意な結果」が「明るい未来への扉」だと思えるかどうか、信じられるかどうかなのです。