中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

ホーム > 最新情報&代表ブログ
国語対策法を伝授

算数の勉強法。⑤

2018年9月25日

 ※(今年は既に満席でご新規様の受け入れが難しいため)来期の予約を承っていますが、こちらもそろそろ満席に近づいてきました。ご了承ください。

 続きです。

 当塾生の第3回の四谷大塚合判テストの結果が出揃いましたが、算数で一つ特筆すべきことがあります。それは当塾6年生全員が偏差値45を下回ることはなかったということです。また国理社の平均偏差値も45を超えてきました。
 私は指導に当たりこの「四谷大塚偏差値45」を一つの目安・目標値にしています。一つ目の理由は偏差値45で入れる中高一貫校のMARKH以上の大学進学実績が優れており、そこに入れれば中学受験で一応の成果が得られたと判断できるという点で、もう一つの理由は「受験生として頑張っているね」が認められる最低基準が偏差値45だから、という点でです。中学受験に詳しくない方は「いや、偏差値50が基準だろ」とおっしゃるかもしれませんが、中学受験専門塾内での偏差値50は「優秀な生徒が切磋琢磨しながら学ぶ中で得た数字」(特にサピックス)ですので、公立校の偏差値50とは意味合いが全く違います。ですから(その中で全員が偏差値45以上取れた)というのは私の中で喜ばしいことなのです。
 (当塾でも)上は70近辺の生徒もいます。50台、60台もいます。しかし大事なことは塾を「一将功成りて万骨枯る」という状態にすることではありません。お預かりしたお子さん全員を底上げするのが塾の本来のお仕事なのです。「御三家に一人受かりました。その他は知りません」は塾のやることではありません。できる子は勝手に成績を伸ばします。放っておいても勝手にやるからです。そんな子が御三家に受かってもそれは「塾のお蔭」などという烏滸がましいものではなく、本人が頑張ったという話に過ぎないのです。塾の講師はそんな優秀な子の資質に頼るだけの楽な仕事をしてはいけないのです。
 しかし現実はそうでない子が圧倒的多数です。中には偏差値20台からスタート、やる気も何もなく、どこの大手塾も拾ってくれないような生徒さんもいました。そんな生徒さんたちが平均偏差値50を超えたという現実を目の当たりにすると、人の持つ可能性を信じざるを得ません。今年も偏差値30未満から城北合格、去年も同じく30台から鴎友合格と毎年「奇跡を起こす子」はいるのですが、本当に子どもの伸びしろには驚異を感じます。
 さて、算数で偏差値45以上を確実に取る方法は「皆が取れる問題で落とさない」。これに尽きると思います。これは国理社にも言えることです。「正答率50%は超えるであろう」と見込める問題で確実に得点する。これだけで偏差値45以上の確保は容易くなります。そして少し頑張れば50は取れる、そこで得られた「勝ち癖」を積み重ねていき、自分の力を信じられるようになった生徒は(すごい勢いで)伸びていきます。唯々無計画にがむしゃらにやる、ではなく「この問題は落としていいけど、この問題は確実に取ろう」という計画を徹底遂行する。これだけでいいのです。これはそのまま入試必勝法でもあるのです。
 次回はその方法の一部をお話しいたします。
 

算数の勉強法。④

2018年9月18日

※ 今月16日に四谷合判テストが行われました。国語は少し難、その他は標準という印象でした。

 続きです。
 当塾は個別指導です。個別ですので生徒の動きは逐一わかります。
 さて、生徒を横に置いた授業をしていて毎回思うことがあります。それは、「できない生徒ほど手を動かさない」ということです。算数でも国語でも理科でも問題をじっと見ているだけ。設問を穴の開くほどじっと見つめていればそこから「ひらめき」や「思いがけない発想」が浮かんでくる、とでも思っているのでしょうか?
 前回も申し上げましたが算数は国語と同じ論理的思考で解く科目です。つまり、筋道を立てて思考を展開させ、結論に辿り着く作業を求める科目なのです。筋道を立てて思考するには前後の因果関係をきちんと掴み、それを可視化させることで理解度をより深めていくことが必要です。それにはつまり「図を描くこと」が有効なのです。
 例えば「1.8キロ離れた家と学校の間を太郎君が分速〇メートルで・・」という文章題であれば、まずダイヤグラムを用い、家・学校・1.8キロ・分速〇メートルなどそれぞれのキーワードを「出てきた順に素直にそのままを描いていく」作業を行うのです。そして図案化された諸条件を俯瞰しながら状況の的確な把握に努めるのです。
 図形問題もそうです。よく補助線が引けない、という生徒がいますが、引いたとしても「全く見当違いの線」を引きます。こういう生徒に欠けているのは「そもそも補助線は自分を有利にするためのもの」という視点・理屈です。例えば「図形の比」と言えば「二子山」「クロス」「ピラミッド」(知らない人はごめんなさい)ですが、その形に持ち込めれば解けるはず、未完成図に線を加えその形にしていく、こうやって自分に有利な展開に持ち込むのが「補助線」を引く目的なのです。
 このように有効な「図にする作業」ですが、しかし、いくら促しても描こうとしない子がいます。「どうして手を動かそうとしないの?描くのがめんどくさいから?描けないから?シャーペンの芯を節約したいから?まさか「閃きで一発で解けるカッコいい俺」を目指しているとか?」と聞くと「描けないから」と答えます。しかし、私は生徒さんに絵心が必要だとか、お絵かき教室レベルの絵を描けとか、そういうことを求めているのではありません。「素直に描きましょう」というだけなのです。絵描き歌に従って絵を描くように、問題で出てきたキーワードを順に素直に描いていくイメージでいいのです。(ここから言えることは「できないのに講師の指示に従わない・そのように実行しない素直さに欠けた頑固な子」というのが一番受験に向かないということです)
 また、理科の(特に水溶液・物の燃焼などの計算問題)が苦手な生徒も似たような傾向にあります。国語のできない子もそう。基本的に中学受験の科目のほとんどが論理的思考で解けますので、それなら手を動かしながらの思考をすべきなのです。頭の中での思考だけでもいいのですが、それを可視化させることでより鮮明に、より答えを導きやすくなるのであればそうすべきなのです。手だけでなく、毛穴まで使って解く・全身を使って解くというイメージなのが受験勉強です。そういう意味でこれはスポーツに近いものがあります。
 「自分に有利な展開になることを積極的に行う」、これは言い換えれば「どうしても合格したい」という意欲の表れでもあります。ですから図を描くことを億劫がる生徒は合格への意欲が薄いのかな・・合格するよりも面倒くささを避ける方を優先する気かな・・と思います。しかし、このような合格への意欲が薄い生徒・必要な学習から逃げたり面倒くさがったりする生徒さんは(意欲の強い子に負けますので)申し訳ないが(必然的に)受かりませんね。
 勉強すること、(今回お話ししたように)論理的思考をすること・それを図案化すること、これらは「自分を有利にすること」につながります。確かにこういう作業は面倒かもしれません、ですがこの面倒な作業が結局は自分をより良くしてくれるのです。

 何事も「短気は損気」「急がば回れ」ですね。
 
 次回に続きます。

 
 
  

算数の勉強法。③

2018年9月03日

 続きです。
 算数が苦手だ、できないというお子さんの多くは「自分は理系でないから」と思い込んでいるようです。また、本人だけでなく親御さんの中にも「私も算数が苦手だったから」「パソコンの操作が苦手だから」と、「親の私が理系ではないから、きっと遺伝で子供にも・・」みたいに考える方が意外と多く、親がそのように思い込んでいるから、お子さんにもそれが伝わってしまうのかな?と感じたりします。しかし、そもそも小学生が扱う算数は本当に「理系科目」なのでしょうか?
 私も大手塾の算数の講師を何名か知っていますが、不思議と大学時代は文学部・法学部・経済学部出身の方が多く、一方「バリバリの理系学部」出身の方は意外に少なく、しかも(わかりやすい授業をするという点で)人気のある講師・上位校担当講師は前者であることが多いのです。このことからも算数が本当に「理系科目」なのか?と感じてしまうのです。
 私は「小学生が習う算数は文系科目である」と考えています。つまり国語と同類だということです。国語と同類だということは、元々この両科目間の親和性は高く、ゆえに思考方法が同じであろうという点で、国語の講師が算数を教えるのはそれほど難儀なことではない、むしろ教えやすい科目だと思えるのです。その点は生徒さんも同様で、ですから「国語得意、だけど算数が苦手」というお子さんには「国語ができるということは算数もできるということなんだよ」という話をし、自信を持たせるようにしています。
 文系科目(国語)が得意な生徒は論理的思考に秀でています。「こうだからこう、こうだからこう、よって答えはこう」みたいな思考ですね。ですが「ん?これって算数の証明問題の手順じゃん」と気づいた方は「算数と国語は思考方法が同じ」ということにも気づかれると思います。
 この両科目に共通しているのは「まず、答えありき」です。つまりゴールはすでに設定されていますので、いかに矛盾なく、いかに効率的かつ合理的にそこにたどり着くか、その手順を求められているのだ、と考えたとき、論理的思考能力に優れた生徒がその答えを得やすいのです。
 逆に本当の「理系の頭」とは「まず、答えありき」でなく、「ゼロから答えをから作り出す」能力のことです。初期の段階では論理的思考がベースですが、それ以降は「ある種のひらめき」が大事になります。
 しかし、「文系科目である算数」に「ひらめき」は必要ありません。答えはすでに決まっており、改めて答えを作り出すことを求める科目ではないからです。一見、ひらめきで解けたように思える問題も、実は過去の経験が顕在化して、あたかも「ひらめき」で解けたと錯覚しているに過ぎないのです。
 バリバリの理系の人が小学生の算数を教えるときにご注意いただきたいのは「自分のひらめきを生徒に押し付けない」ということです。こどもは納得できる説明(論理的な説明)を「わかりやすい授業」として受け入れます。かつて選手時代に動物的勘で活躍した方が監督になって打撃指導したとき「バットをこうやってバーンとボールにぶつければ、ブーンと飛んでいく、わかった?」みたいに擬態語擬声語を多用したという話を聞いたことがありますが、それでは聞き手にはチンプンカンプンです。「あの先生はいきなり聞いたことがない数字を出してきて、こうだからこう、分かった?!を強引に進め、且つ早口大声でそれを強要する」と思われたら、講師としては失格なのです。その尻ぬぐいをするのがここ数年の永田の役割になりつつあります。(算国の指導比が7:3になってるのもその表れ)ですので、その点はよろしくお願いします(笑)。(必要以上の大声・早口・怒鳴る・授業時間の半分はウケ狙い、などは自分の指導力の無さをごまかしたり力づくで納得させようとしたりする表れですので、その傾向が見受けられる講師は二流だと思って間違いありません)

 次回に続きます。
 
 
 
 

算数の勉強法。➁

2018年8月28日

※ 既報通り現在は満席ですので、来期のご予約のみ承っております。

 続きです。

 算数ができない子は何も生まれた時から苦手だったわけではありません。学校教育を受けていく過程で、また、その延長である塾での中学受験用の高度な算数を受けていく過程で「できる子」「できない子」「得意な子」「苦手な子」「好きな子」「嫌いな子」に分かれていくのです。どの科目もそうかもしれませんが、このようになるのは「子どもが勝手にそうなった」というより「関わる時間・接し方が長く深い指導者の影響でそうなった」と考えるのが自然かと思います。つまり、良い指導に巡り合えば生徒はその科目の面白さに目覚め、好循環を生むきっかけとなるのですが、その逆になれば悲劇だということです。いくら面白い科目であっても、それに気づかず学生時代を過ごしてしまう、それどころか毛嫌いするようになる、なら本当に悲劇です。このように他者(講師)との巡り逢いは人(生徒)の人生に大きな影響を与えます。問題は影響を与える側に人間(講師)がそのことを自覚し、適切な指導をしているかどうかです。
 私の算数の授業はいわば「尻ぬぐい」です。理科もそういう感じですね。大手塾の授業で分からなかった問題を永田がマンツーマンで解説するのです。本来なら塾のことは塾の授業内で解決してもらいたい、解決できない未消化の問題は担当講師にトコトン質問すればいい、ところが皆さんそうしない。全て永田に振るわけです(笑)。おかげで国語の授業が削られる~(泣)、そして「よくわかった」「スッキリした」という言葉をいただき、当方の算数の授業は終わるのですが、どうして塾の算数専門講師が未消化状態の生徒をそのまま帰してしまうのか本当に不思議です。と言いますか、何で理解させられないの?
 生徒の不満の一つに(算数で多いのですが)「講師の説明がよくわからない」というのがあります。だから(生徒曰く)質問しても意味がない、そうです。もう一つの不満として「解説書を読んでもわからない」「そこにいきなり見たことのない数字が出てくるのでわからない」というのもあります。さて、この両者の共通点は何でしょう?これが生徒を苦しめたり、算数を苦手にさせたりする原因になっているのです。
 それは「不親切さ」です。どうすれば痒いところに手が届くのか?それを考慮しない想像力の欠如、生徒が何が理解できず何を求めているのか、それを察することのできない想像力の欠如、これを「不親切さ」と定義します。
 これは講師の学歴の差とか、新人ベテランの差とか、文系理系の差とか、男女の差とかの話ではなく、「人間力の差」という話になるのです。
 (私の知る限り)教え方のうまい講師は何を教えてもうまいです、一方下手な講師は何を教えても下手です。
 その差は一言で言えば「想像力の有無」「生徒の心理を機敏に察する能力の有無」、つまり「講師として必要な人間力の有無」の差、これに尽きると思います。

 次回もこのお話の続きとなります。

 

算数の勉強法。

2018年8月19日

 少し算数のお話をしたいと思います。
 「アイスクールと言ったら国語だよね」ということで、当塾には国語から入られる方が多いです。地域柄、豊洲・有明・東雲・晴海・月島・勝どきなど湾岸東地区からのご依頼が多いですね。しかし、国語が安定してくると「次は算数、その次は理科を・・」とご希望される方が多く、結果的に「四教科お任せコース」になる方が多いです。事実、今年の生徒さんの半分強が他の大手塾に通わない当塾オンリーの「お任せコース生」です。
 そのような事情もあり、ここ数年の永田の授業は、本来メインであるはずの国語より算理の授業の方が多くなっています。この夏も算数と理科ばかりやっていた感があります。和食の専門家が毎日フレンチやイタリアンばかり作っているが如くです(笑)。夏期講習期間中、1日8時間授業がまるまる算数だったという日も少なくありません。やはり入試の要は算数だと認識されている方がそれだけ多いということなのかもしれません。その傾向が顕著なのか当塾でも「算数・理科だけを受講する生徒さん」が増えています。そういう生徒さんから見れば「アイスクールと言ったら算数と理科の塾だよね」ということになるのでしょう。
 大事なのは算数、しかし、その算数で点が取れない、という生徒さんが(男女・学年・時代を問わず)相変わらず多いようです。国語も大事だが、算数で点が取れないと入試で成功しない、とお考えのようです。それは事実ですし、お子さん・親御さんがそこに不安を感じるのは理解できます。私も「中学受験生の父」を経験していますからね。その点はおおいに共感できます。
 さて、ならばその算数の学習を日々一生懸命にやっているのですか?と生徒さんに問えば、「もちろん、むしろ家庭学習は算数しかやっていないに等しいくらいですよ」という返答をいただきます。
 なのに、どうしてこんなに算数のできない生徒が多いのでしょう?
 次回はその解決策を考えていきたいと思います。

国語の勉強法。④

2018年8月13日

続きです。
「遅読を勧める」と言っても、実際、試験中にどのくらい時間をかけて読めばいいのでしょうか?限度がありますよね。
一般的な国語の入試問題は大問2題で50分です。つまり大問1題の持ち時間は25分。そこに抜出3題、記述2題、選択7題(これが平均)があるとするなら、抜出は(当塾の2分ルールに従い)2分×2題で5分程度、記述は1題5分で×2題=10分、選択は30秒×7題=4分弱、そこに22分費やすことになります。そして、残りは3分しかない、え?3分で文章を読まなければいけないの?だったら「速読」になってしまうではないか?とお考えになるかもしれません。
文章を一読してから解く、だとそうなるかもしれません。しかし、当塾ではそのような読み方は推奨していません。「読みながら解く」のです。つまり「解き終わるのと同時に読み終わるようにする」「読み終わりと解き終わりが同時になるようにする」そのような指導をしています。これですと読む時間は実質15分くらい得られますので「遅読」が実現できるのです。(端的に言えばそうなのですが、具体的なノウハウについては秘伝の策ということで授業時にお伝えしています)
本当は最後まで一読してから解くのがセオリーですし、それが正当なやり方だとは思います。しかし理想通りにいかないのが入試の国語です。無駄なく時間を最大限に有効活用するにはこの方法しかありません。「出会った問題から解く」が(実践的には)正しい解き方なのです。(これも具体的にどうするかは授業時にお伝えしています)
「一読してから解く」の欠点は、読み進めていく間に前半に書かれた内容を忘れてしまうことです。焦って一度読んだところを再度読み返すと「二重読み」してしまうことになり、この時間はロスタイムでしかなくなります。これこそ無駄というものです。ですので、「読み時間と解く時間を極力等しくしていく」工夫が大事なのです。国語のできる生徒はそのように「工夫しながら」解いていきます。(全教科そうですが、他人に教わる前に自分から工夫する作業をすることは大事です)
また、読みの工夫について一部お話しすると、当塾では「手と目と心の音読」の3点セットを用いた「読み方」を勧めています。「手」というのは、手(ペン)を一行一行に沿わせ動かしながら読んでいくという意味です。これは飛ばし読みを防ぐためです。「心の音読」とは、心が発した音声を自分の耳で聞き取ることにより、文章を立体的に映像化させ、よりリアルに内容を理解するためです。ぼーっと何気なく文章を読むのではなく、計画的に丁寧に正確に内容を掴むべく(全身を使い、脳に刺激を与えつつ)読むことの効果を実感していただきたいのです。
このように読みの工夫、また、選択・抜出・記述など個々の問題につきましてもそれぞれ「解き方」がある(それは授業時にお教えします)のですが、それに従うことで国語の成績はびっくりするほど上がります。こんなに楽して簡単に上がっていいのかしら?と罪悪感さえ持ってしまいます(笑)。残念ながらこれ以上のノウハウはこの紙面では語れませんが、これらを全て身につけたとき、国語は「苦手科目」から「点の取れる科目」「得意科目」へと変身します。算数と同じく入試での配点が高い国語で安定して高得点が取れるようになると、自分を取り巻く環境は一変し、見える景色が違ってきます。ただし、当塾の「国語の正しい接し方」を素直に取り入れ実行することが諸々の実利を得られる最低条件とはなりますが。
そんな劇的な変化を実感してみませんか?(今年は満席ですので、そのような変化をご希望の方は来期お待ちしています)

次回に続きます。

国語の勉強法。③

2018年8月04日

 続きです。
 国語の出来不出来は「丁寧に読めたかどうか」「正確に文章を捉えることができたかどうか」で決まります。何度も言いますが、国語の入試では受験生のセンスが問われているのではありません、また、頭の良し悪しを問うているわけでもないのです。
 「文章を丁寧に読み、正確に内容を捉える」には、読み方は必然的に「遅読」になります。「うちの子は読書が好きで文章慣れしているはずなのに国語で点が取れない」のは「楽しむ趣味の読書」と「入試の国語の文章」の読み方をごちゃ混ぜにしているからです。趣味の読書は責任を伴いません。飛ばし読みしたければいくらでも飛ばし読みしていい、一字一句を頭に入れる読み方を強要されるわけでもない。つまり自由な読み方をしていいのです。しかし、その読み方は入試では通用しません。「丁寧な読み方・掴みの正確さ」を出題者が受験生に希望しているのです。その意に反したことをすれば、いくら文章慣れしている生徒と言えど、結果が出ないのは当然なのです。
 さて、にもかかわらず「速読力」を鍛えようとする生徒がいます。大体国語のできない生徒ほど「速読」に憧れますし、親御さんもそれを求めます。「速読」自体はいいのですよ。でも、それで文章を正確に捉えられるなら・・という条件付きです。しかし、「速読しつつ文章を正確に取らえることのできる器用な生徒」は少数です、小学生ですからね。だから、文章の内容を正確に掴みたいなら結果的に「遅読」になってしまうのは仕方のないことなのです。ですが、むしろ、私はそういう読み方を皆さんにお勧めしたいのです。「きちんと読む」という国語の基本中の基本姿勢を全うしてもらいたいからです。
 「テストで時間がない」という生徒は「僕は読むのが遅いから・・」と言います。ですがそれは違います。テストで時間が無くなるのは「読むのが遅いから」ではなく「解くのが遅いから」です。なぜ解くのが遅いのか?と言えば、それは選択問題であれこれ迷うからです。当方は個別授業ですので、横で生徒さんの様子を観察していていろいろ気づくことが多いのですが、できない子は選択の際、あれやこれやと5分以上迷い、挙句の果てに「エイヤー」とばかり(結果的に勘で)間違った答えを選んでしまいます。その理由は「文章を正確に掴んでいないので、あやふやな情報しか頭に入っていないので、その限られた情報の中で無理やり正答を探し出そうとするから」なのです。「この答えは納得できないな」と思いながらも「それしかないから仕方なく選ぶ」のです。国語のできない生徒はいつもそういう解き方をしてしまいます。必死に解いている本人は選択問題で5分以上費やしてしまっていることに気づいていません。これが5問であれば25分も費やすことになり、記述問題にまで手を伸ばす余裕はなくなる。そんな自分の姿を客観的に捉えていないので、そこがわかっていないので「速読できなくては・・」と思い込んでしまうのです。もう一度言いますが「無理な速読をするから問題を解くのが却って遅くなる」のです。逆説的ではありますが、読みに時間をかけたほうが結果的に速く解けるのです。
 だから「遅読」をお勧めするのです。
 かつての私の教え子にUさんという生徒(桜蔭中→高→東大法)がいまして、その子は国語の四谷偏差値が70を下回ることがほとんどなかったのですが、その読み方はまさに私がお勧めする「遅読」そのもの、速読とは真逆の読み方をしていました。この読み方をしていたからこそ「選択問題を1問30秒程度で解く。3分あれば5問程度は解ける、だから時間的余裕をもって記述問題を解くことができる」という必勝パターンを確立することができたのです。そういう私も国語ではそうしていましたし、彼女にもその方法を伝授していました。

 当塾の生徒が国語で伸びるのは「まず自己流を捨てていただく、そして国語の成績を上げる的確な方法を体得させ、実行させる」からなのです。これに従う素直な生徒さんは飛躍的に伸びます。一方、素直にそうしない生徒は何時までたっても伸びません。当塾は「これで国語ができるようにならなければおかしい」と思える指導(国語に限らずですが)を全員に対し平等に伝授していますので、テストの結果、入試の結果は「授業の受け方次第・受けた後の実行力次第」ということになるのです。

 次回はそのノウハウについて(一部)お話させていただきます。 

特記 夏期講習の空きコマ。

2018年7月22日

 当塾の夏期講習が始まりましたが、既に授業数が100コマに達しましたので(内部生の追加授業の空きが辛うじてあるくらいで)空きはございません。外部からのお問い合わせが多くお断りすることは心苦しいのですが、現在はそのような状況になっておりますので、(本当に)新規での受け入れが難しいのです。申し訳ございません。
 今年はレギュラー授業を含め満席状態が続いていますので、来期の予約のみの受付とさせていただいています。御了承ください。

※ ブログの更新も多忙につき頻繁にできなくなります。これも併せて御了承くださいませ。

国語の勉強法。②

2018年7月18日

※ 当塾は「通塾にかかる時間ロス・安全面」を考慮し、「家庭訪問型の個別指導」に切り替えた塾ですが、暑い盛りに、熱中症のリスクを抱えながら塾に通うタイプの夏講はどうなのでしょう?行くのにぐったり授業中は居眠り、帰りもぐったりその後は疲れて家庭学習が軌道に乗らない、など、却って学習が非効率的になってしまうのではないかと心配するのは私だけでしょうか?貴重な夏休みを使うのですから、体を労わりつつ「通うだけで満足・やった気だけの講習」にならないようにしたいものです。

 前回の続きです。中学入試の国語は何のためにあるのでしょう?それは文学的センスを見るためではありません。「文章に集中し、且つ丁寧に読む進めることで、如何して正確な情報を手に入れることができるか」その能力を見たいのです。集中力・丁寧な処理・正確な情報入手、この能力に長けている生徒か否かを見るのに最適なのが「国語の試験」なのです。社会に出て「集中力がなく処理の仕方が雑で、判断及びやることなすこと正確さに欠け、会社や同僚に損害を与えたり迷惑をかけたりする社員」そんな人要りますか?将来そういう人になるか否かを見極めるために、中学入試の時点で篩にかけ、有能な生徒を受け入れ、社会に出ても活躍できる人材を輩出したいという願いが学校側にあるなら、「国語のできる子を優先的に入学させたい、そうでない子を落としたい」と考えるのは至極当然のことです。私立中学も営利目的である以上、学校の評判は落としたくありませんからね。
 国語の試験のそういう本質を知っているか知らないかでその学習への取り組み方はまるで違ってきます。国語のできない子、国語で間違った指導をしてしまう講師はそれをご存知ない。先ずは「国語の本質」「中学側の意図」を理解し、それに沿った指導をし、生徒はそれを素直に受け入れるべきなのです。「公立小学校で行う国語の授業」と「中学受験向けの国語の授業」とは手段も目的も全く違う。そこを理解し、ごっちゃにしないことも大切です。
 さて、これまでのお話しの中から、前回申し上げた「国語は記述問題より、まずは選択問題を重視すべきだ」「選択問題で得点できるようになってから記述問題に取り組むべきだ」の意図にお気づきいただけたでしょうか?そうです。国語で最も重要なことは「正確な情報入手」です。そのために「集中力・丁寧な読み込み」が必要です。「丁寧な読み込み・集中力」は手段です、目的はあくまでも「正確な情報を入手すること」です。そこを違えないでください。
 私が記述問題の本格的指導を行うのは6年になってからです。うちの子も中学受験経験者で、今通っている学校の入試問題は毎年100%記述問題なのですが、それでも5年生の間はひたすら選択問題、記述問題に取り組み始めたのは6年になってからです。しかし、なぜそこまで選択問題重視なのか?と聞かれれば、選択問題は文章を100%理解していなければ選べない、丁寧且つ正確に物事を処理し、正確な情報を得ることの大切さを年少児から身に付けさせておきたかったから、とお答えします。「選択問題は勘でも解けるから楽」とバカげたことをいう人もいますが、そんな当てにならない超能力を使って解くのではなく、「集中して丁寧に読んでやっと正確な答えを得られる」というセオリーに従うのが選択問題の在り方なら、つまり「中学側が望む国語の本質」に一番近い問題傾向が選択問題であるなら、その正答率がイコール本当の国語力であるなら、国語の問題の中で選択問題を最重視するのは当然のことです。ですから、選択問題で外さない生徒が「中学側が望む国語のできる生徒」、外しまくる子は「そうでない子」と判断することは理にかなっているのです。
 選択問題で外す子は、その前段階で文章を正しく読めていない、故に正確な情報を掴んでいないからそうなるのです。
 そこを正すだけでも偏差値はあっという間に10上がります。本当にびっくりするくらい簡単に・・です。
 それ以上は企業秘密なので詳細はお伝え出来ませんが(笑)、確実に選択問題で満点を取る方法は他にもあります。それで偏差値20アップ。今年も生徒さんから国語の成績が安定し、サピでのクラスがαになった、などの朗報をいただいています。いきなり国語の偏差値が15上がり大手塾の先生から「一体どうしてしまったんだ!」と驚かれた生徒もいます。ですが不思議なことでも何でもありません。「間違った学習を捨てた、正しい学習方法を取り入れ、淡々とそれを素直に実行した」ただそれだけのことなのです。
 体験授業後「確かに国語が一番得点しやすい教科かもしれない」とご納得いただき、喜ぶお子さん・驚かれる親御さんもいらっしゃいますが、国語に限らず「本質に沿った学習」をするのが一番効率が良いのです。塾で缶詰になって「頑張っている俺、かっこいい」という自己満足だけでは何の進歩もありません。
 このお話は次回に続きます。
 
 

国語の勉強法。

2018年7月13日

 ※ 夏期講習は定員に達しましたので受付を終了させていただきます。

 第2回四谷合判が終わりました。生徒の皆さん、お疲れ様でした。各科目の講評ですが

算・・計算・一行問題が比較的容易でした。ここまでは満点ペースが理想です。~大問6までを取りこぼすことなく得点できたかどうかで明暗が分かれたようです。印象はやや易です。
理・・理科の王道問題を集めた感がありました。植物などの暗記系、てこなどの物理系、多岐にわたる総合理解ができていたかどうかで明暗が分かれたようです。印象は普通です。
社会・・当塾でも9割得点した生徒がいます。覚えるべきものをきちんと覚えればそれくらい得点できても不思議ではありません。ただ覚えることを妥協してしまった生徒さんはそれなりの点数しか取れなかったのではないでしょうか?当塾生はほぼ全員7割以上取れていました。印象はやや易~普通です。

  今回のテーマの国語ですが、合判の印象はやや難です。大問2が難しかったようです。
 「他の科目は何とかなるが、国語だけはそうならない」このような印象をお持ちの方が多いです。そういう方が当塾に「まずは国語の指導を・・」というご希望で入塾され、国語で自信が持てるようになった後、「算理社の指導も・・」という流れにつながり、結果的に「四教科お任せコース」を受講される生徒さんが多いのですが、元々は「国語を何とかしたい」と願う生徒さんが多く集う塾なのです。今はどちらかと言えば算理メインの塾になりつつありますが(笑)。
 当塾の指導通りに国語の学習を行えば確実に成績は伸びます。しかし、自己流から脱却できない生徒はその恩恵を受けることはありません。大事なことは今まで足を引っ張ってきた自己流を捨てる勇気を持ち、捨てた後「正しい解き方」を素直に吸収し実施することです。それができれば国語は誰でも成績を上げられる科目なのです。やり方さえ間違わなければ、国語は算数以上に得点しやすい科目だと思います。そのことに気付いていない方は多いです。みんなが気付いていないことを自分だけが知り、ひそやかに国語の成績を伸ばす。この快感はなかなかのものです(笑)。そういう点で国語は「何とかなる科目」であると同時に「おいしい科目」でもあるのです。また、国語に限らず伸びる生徒は「素直で真面目な子」であることもお忘れなく。
 さて、そもそも国語とはどういう科目なのでしょう?なぜ日本人に日本語のテストをやらせるのでしょう?「日本人なら国語ができて当然だろう」確かにそうなのですが、だとすれば、日本語のベテランであるはずのご高齢の方が難関校の問題で満点を取るのは当然だと感じますが、実際はそうはなりません。つまり「日本語ができる日本人」という理由だけでは入試の国語には対処できないのです。
 「日本語力」=「国語力」ではないのです。国語が伸びない生徒さんは皆そのように勘違いしています。
 「うちの子は本を読まないので国語ができない」、はい、これも勘違い。
 「速読できないから時間が足りない。その力をを鍛えたい」、はい、これも勘違い。
 「人の感情を理解できないから物語文が解けない」「行間を読む力が無いので国語ができない」はい、全て間違い勘違いです。
 更に「国語ができません。記述力の強化を・・」と、真っ先にそれを求める方も多いのですが、これなども国語ができない方特有の勘違いです。
 国語でまず強化すべきなのは記述問題ではなく、選択問題なのです。知っていましたか?本当の国語力は選択問題の出来不出来を見ればわかるのです。
 次回はそのお話をさせていただきます。
 
 
 



豊洲事務所外観
トップページ 当社の理念 無料体験授業 入会手続き及び
入会金・指導料金
指導スケジュール 人材募集