中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

15日後には2月入試が到来します。

2019年1月17日

 続きです。
 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉は受験生にも当てはまります。前もって受験生としてやるべきことを全て行った後、試験当日は全力で挑み、そして結果を天に任せる、ということです。
 毎年のことですが、受験合格者は「強気」で「楽観的」な子が多いです。なぜそうなるか?と言えば、上記のような過程を確実に歩んできたという自負があるからです。こういう子は真っ当な努力を重ねてきたので塾でも必然的に上位生でいることが多いです。ですから「こんな自分が落ちるわけがない、受かって当然」という根拠がありますので、当日も落ち着いて全力を出し切ることができるのです。そして受かる。
 一方で強気を「装う」子もいます。それは上の子のような過程を歩んできたという認識がなく、塾での位置も当然下位。かと言って自信喪失のまま受験に臨むわけにもいかないので、できる限りのカラ元気で自分を取り繕い「強気」をアピールしますが、同じ強気の姿勢でも前者とは大違いです。実体がない根拠に乏しい強気は「自信のなさ」「緊張・不安」の裏返しであり、「僕はできる❗️」のカラ元気は同時にマイナス思考をもアピールしてしまう結果を生むので、入試会場でもその「マイナス思考」の方が前面に出てしまい、緊張と不安と自信のなさが思わぬケアレスミスを呼び込んでしまい、結果も「自信のなさ・緊張・不安」通りのものになってしまうのです。
 毎回同じことを言いますが、受験で「あわよくば」「もしかすると」「奇跡が起きて」「下克上が」はありません。真っ当な過程を経てきたか否かだけが合否に関係するのです。子供の性格が明るいとか暗いとか、騒がしいとか大人しいとかは関係ありません。要は真面目な子(真面目の定義は「受験生として行うべき本分を全うできた子」)が受かり不真面目な子が落ちるのです。
 奇跡は起きません、しかし、奇跡を起こすことは不可能ではありません。奇跡を起こすのは「親が・・」「講師が・・」ではありません。「奇跡を起こしたい」と願う自分が奇跡を起こすのです。
 1月受験で散々失敗してきた生徒さんは「なぜそうなったのか?」「どうすれば良かったのか?」を考える時間を得たこと、トライアンドエラーの繰り返しが2月受験の糧になるのであれば、「今回の失敗が2月受験成功の源だった」と後々振り返ることができ、笑い話にもなるのです。
 残り15日もあれば「奇跡を起こす」ことは十分に可能です。しかし、それができるできないか、起こしたいか起こしたくないかは、全て受験生であるあなたの心と行動力次第です。
 頑張っていきましょう。
 

20日後には2月受験が到来します。

2019年1月12日

 
※ 当方は1月は31日まで連日9:00〜21:00で入試対策を行っている関係上、なかなか外部の方と連絡がつきづらい状況にあります。ご了承ください。(22: 00~23:00辺りでしたらつながりやすくなります)


 20日後には2月入試が到来します。1月受験は既に始まっており、結果もボチボチ出ていますが、「お試し受験」と評しつつも、やはり結果を出しておきたいというのが受験生および親御さんの本音ではないでしょうか?
 「栄東の前と後」という塾用語があります。結果はどうあれ、栄東受験の前と後とでは「生徒は様変わりする」「栄東入試後に化ける生徒が出てくる」という意味です。2月受験の前哨戦でもある1月受験で「リアルな入試の結果を知ること」は、我々が想像する以上に、生徒さんにとって衝撃的な出来事なのかもしれません。このショックが化けるきっかけを作るのです。
 事実、去年も「栄東連戦連敗」だった生徒が「第一志望校合格を含め2月受験全て成功した」という例があります。私は毎年のようにこのような経験しています。逆に1月受験での成功が気の緩みを生み、2月受験が不本意のまま終わってしまった、という例もあります。
 1月受験はまさに「禍福は糾える縄の如し」「塞翁が馬」であり、受かったことを弾みにできるかできないか、落ちたことを糧にできるかできないか、いずれにせよ「1月の合否の結果で、更に大きな成功を引き寄せることができるかどうか?」が2月受験を占う上でのポイントとなります。1月受験の意義はそこにあるのであり、以降の結果は生徒さん一人一人の心の有り様、取り組みの有り様に委ねられます。親や講師がどうこう働きかけるのではなく、今後はそれぞれの生徒さん次第、自分で考え自分で行動を起こしていくのです。そして「栄東入試〜1月31日」の間でお子さんは「一皮向けて成長した我が子」になっているはずです。そうなれば2月受験は期待できます。
 さて、毎年言えることは、入試は「日頃からの上位生が受かりやすく、下位生が落ちやすい」という傾向(というより事実)にある、ということです。ドラマチックな下克上・奇跡というのはなかなか起きない、結局、順当な結果に終わる可能性が高いのが中学入試というものです。ではなぜ、上位生は上位生のままでいられたのか、下位生は下位生のままに甘んじてしまったのか?
 その辺りを紐解くことで、今後中学受験を目指す後輩方に少しでも役に立てればと思います。
 以降はこの話をさせていただきます。
 

特記 「1月特別講座」につきまして。

2018年12月24日

 冬期講習は(年末年始含め)既に満席となりました。また、受験生を対象とした冬期講習明けの「1月特別講座」も午前の部・午後の部・夜の部、全て満席となりました。ご了承ください。

新規の入塾お申し込みにつきましては、既報通り1月8日以降でお願いいたします。(できましたらTELで)

「勝つ」という気迫が希薄?③

2018年12月17日

 ※ (お受け入れ人数調整のため)長らく新規募集を停止していましたが、来月1月より再開いたします(1月8日〜31日・先着順)。しかし、ほぼ埋まっていますので若干名の募集に限らせていただきます。ご注意ください。
 ※ 来週から冬期講習が始まります(レギュラー生で既に満席ですが、夕方以降で空きが出るかもしれません)。そのためブログの更新も頻繁にできなくなりますのでご了承ください。
 ※四谷合判テストが終わりました。最終回でしたが過去最高成績を収めた生徒さんが多数出ました。前回比算数偏差値23アップ、総合偏差値15アップなどなど。「不思議なことが起こる」「なぜそうなるのか?」それには「仕組み」があるのです。その「仕組み」を知れば、必然的に誰だって奇跡は起こせますね。要はそれを活用するかしないかだけの話なのです。

 「勉強は目的ではなく手段」、このことをよく覚えておいてください。なのに「勉強を目的にしてしまう」生徒さんが多いというお話を前回申し上げました。そして大人になってもそのような勘違いを引きずる方が多いです。例えば「労働は稼ぐための行為」これは紛れもない事実ですね。ここでの「労働」は手段であり、「稼ぐ」は目的のはずです。目的を達せられない手段に意味はありません。つまり、稼げない労働に意味はないのです。なのに、頑張ってもスズメの涙ほどの残業代しか出ないのに、頑張っても役職が上がる保証もないのに、上がったとしても賃金のベースアップ率が昇進前と比べ、さほど変わらないかもしれないのに、昇給してもそれが却って所得税など様々な税負担増を招くかもしれないのに(日本は累進課税制ですからね)、それで実質手取り額が減るかもしれないのに・・などなどの思考を棚上げし、「深夜まで残業して頑張っている俺エラい」と自己満足・自画自賛する方がいます。何の疑問も持たずこのような本末転倒な行為を定年までお続けになるつもりですか?と思ってしまいます。大事なのは稼ぐ量です。そこを勘違いしてはいけません。「子どもの偏差値は学力で決まる、大人の偏差値は経済力で決まる」と言われますが、さらに言えば「楽して稼ぐ」が最上なのです。勉強も同じく「楽して受かる」が最上なのです。その「最も効率の良い受かり方、稼ぎ方」に頭を使い追求できる子ども・大人が「最も賢い」のです。一事が万事、勘違いされる方は何においても勘違いしてしまう。そのリスクを回避する策をそろそろ講じていかなければいけません。
 さて、最も効率の良い行為を追求するには頭を使います。「仕方なく流されるままに」「皆がそうだから」「常識だから」と、一つ一つに疑問を持たない思考停止状態の継続は何の益も生み出さず、リスクでしかありません。本当に老若男女問わず、日々頭を使い勉強しなければいけないと思います。
 まず考えるべきことは「手段を積み重ねて目的を達成する」というより「目標を達成する為、どのような手段を講じるか?」です。「手段を積み重ねて・・」のリスクは、その手段そのものが間違いであった場合、頑張っても(逆に頑張った分だけ)結果が(必然的に)ポシャってしまうことです。
 そうならないためにも、まずは「目的を達成する」つまり「受かる」という大前提を揺るがせないことが大事です。この大前提を揺るがせないために最も重要な要素は(タイトルにあるように)「勝つという気迫」なのです。例えば「御三家絶対合格」と言っていたのに次第に「偏差値60くらいで・・」さらに「実力相応校でいいや」と平気でランクを下げる子がいます。こういう子は現実的な選択ができる子、というより、目先の苦労に負けてしまう子なのです。だから、いともあっさりそうなってしまうのです。誰も志望校を変えろとは言っていないはずなのに、自分から底へ流れたいだけなのです。楽ですからね。ですが、すぐに変更するなら「絶対」などという言葉は使わないで欲しいですね。
 「エベレスト登山に成功する人は能力・体力が優れていた、というより、山頂を目指したいと最後まで考え続けられてきた人だ」という話を聞いたことがありますが、この「最後まで」がポイント。これこそ「気迫が呼び寄せた勝利」ということになります。「気迫が希薄」だと落ちるところまで滑り落ちる、これは子どもも大人も同じこと。やはり気力の強い人間が勝ちを手繰り寄せるのだと思います。何事もそうですが「諦めの悪い人」が最後には勝ちます。
 「必ず勝つ」「必ず〜に受かる」ことを大前提とした後、では、どうすれば効率良くそうなれるのか?次にやるべきは逆算して対処策を練ることです。
例えば国語で記述問題しか出さない志望校なら、年少児から作文に親しむこと・構成力・表現力・帰納法・演繹法などの研究、練習に充てる時間を誰よりも多く取る、算数で立体図形の配点が高いなら、立体の切り取りのパターン、サイコロの展開図11のパターン、粘土を買ってきて実際に切り取りの練習をするなど、「・・先生が言うからやる」とか「塾でやらなくてもいいと言われたからやらない」とか、そういうことではなく、「本気で効率良く受かりたい」なら、自分から自分の意志と考えに基づいた行動を起こし「合格に近づくことなら何だってやる」という鬼のような気迫が欲しいのです。入試の合否は他人事ではなく、まさに自分の運命を決める自分だけの出来事なのです。
 その辺りをよくよく考え、残りの50日弱をお過ごしください。

 次回に続きます。

 

「勝つ」という気迫が希薄?②

2018年12月11日

※ 入試まで残り50日です。その間で得意科目には確実に点数化できる策を、苦手科目には「点数が取れない」という事実を直視し、毎回の失点箇所を逆に得点源にしていく策を講じて行きましょう。
※ 最後の追い込み、ということで毎年恒例の「1月特別講座」を開講します(先着順)。詳しくは当塾にお問い合わせください。

 さて、毎年のことですが受かる生徒とは「受かるための勉強を継続してきた子」です。「そんなこと当たり前だよ」と言われるかもしれません。しかし、そうなっていない現状があります。勉強自体を目的にしてしまっている子が多いからです。合格ための手段にしか過ぎない勉強をそのように考えてしまっている。どうして「勉強に対する考え方のとり違え」が起こるのでしょう?
 それは「勉強すると褒められる」「勉強しないと叱られる」という不思議なことが学校でも家庭でも「当たり前のように」行われているからです。
「〜すると・・・になる」は置き換えても「・・・のために〜する」となりますので、本来・・・が目的語扱いされるはずなのに、〜のインパクトの方が強いと、(錯覚からなのか)そちらが目的語扱いされてしまうことが多い、また、他者からの評価の対象にもなりやすいので、益々目的語化されやすくなる、そのようになってしまっているのです。そうなると「〜さえしておけばいい」と狭義な思考しかできなくなり、受験で言うなら「勉強さえしておけばいい」で思考が停止し、その先にある「入試に受かる」という目的をすっかり忘れてしまうのです。それに陥った子が落ちる、「勉強はあくまでも受かるためのツールに過ぎない」に徹した子が受かるのです。
 例を挙げますと「答えを丸写しにして勉強ができた風を装う」「宿題を一気に仕上げ、あとは遊ぶ」「勉強している自分への承認欲求度が高い」など、そういうことを習慣化してきた子はだいたい落ちます。
 理由はその行為・その考えが入試合格に何の役にも立っていないからです。前回申し上げた「頑張っているのに落ちる」のは「他者からの評価だけを意識した勉強とは名ばかりの自己保身行為」しかやってこなかったからそうなるのです。表面上の『勉強しました❗️」のメリットを敢えて言うなら「先生に褒められる」「親に叱られない」ということくらいでしょうか?しかし、それは何の実利も得ていない時間の浪費でしかありません。
 「勉強するしないが毀誉褒貶の対象となる」こと自体がおかしいのです。皆さん「勉強するのは偉い❗️」を言い過ぎなのです。所詮、勉強は合格のための手段です。合格も(ここでは目的扱いですが)長期的は「自分の人生を優位に進めるための手段」に過ぎません。つまり「勉強も入試も自分の為のもの」、何も「人類の平和」のためにやっているわけではないのです。要は「極めて自己中心的な行い」なのが勉強であり、その先の入試合格なのです。その自分の為の勉強・入試合格なのに、なぜ(親・講師を含めた)他者がその行いをいちいち褒めたり貶したりする必要があるのでしょう?受かりたい子は受かるようにすればいい、そうしたくない子は落ちればいい、ただそれだけのことなのです。個人の合否が社会を揺るがすような大事件になることはないのです。
 (大変失礼な物言いですが)上記のように「勉強を目的にしてしまっている、且つできない子」をお持ちの親御さん(特にお母様)に共通しているのは、中学受験の経験がなく、学歴も・・であることが多いという点です。つまり、自分自身が勉強嫌い、だから親御さん(生徒さんから見れば祖父母)から「勉強しなさい」と言われ続けてきたであろうと想像できる方が、今度は息子さんや娘さんに対し同じことを繰り返してしまうのです。つまり「勉強とは何か?」について(ご自身の体験を活かすことなく)根本理解・総括しないまま、ただただ呪文のように「勉強しなさい」「すれば褒めるよ、しなければ叱るよ」を繰り返してきたのです。誰でもできる極めて楽な行為ですね。子どもに受験させる親自身が何も思考・勉強していないのです。家族が思考・勉強する習慣がない家庭環境で育てば、お子さんが「勉強さえしておけば文句は言われないんだ」と勘違いしてしまい、そこで親子共々思考停止してしまうのも無理はありません。入試は親の遺伝で決まることが少なくはないのですが、それ以上に「家庭環境」で決まることが多いのです。その事実を「受験に携わる親御さん(特にお子さんと接する機会の多いお母様)」は本当に真剣に考えなければなりません。そもそも年少時に勉強嫌いだった親御さんが、ご自身のことは棚に上げ、勉強のことでお子さんに(子は自分の所有物だという感覚だけで)とやかく言う資格・権利があるのか?ということもお考えいただきたい。子に勉強させるなら、親も親としてすべき勉強を併行するのが筋というものなのです。
  頑張るとか、努力するとか美化し過ぎです。手段は美化の対象にはならないのです。大事なのは結果。美化するなら「満足できる結果」に、そうすべきなのです。
  さらに言えば、頑張らずに受かる、ニコニコしながら受かる、が、時間効率上、精神衛生的上、最上の結果なのです。
  入試に受かる、その1点だけが大事なのです。この事実を認め、それに沿った動きをしなければ意味がありません。

 お子さんだけでなく、お子さんを取り巻く大人(親・講師)がそれら諸々を本当に理解出来ているかどうか?
 入試はその理解度で決まります。

 次回に続きます。
 
 
 
 
 

「勝つ」という気迫が希薄?

2018年12月04日

 2月入試まで残り60日を切りました。既に帰国枠の生徒さんの中から合格の喜びの声をいただいていますので、どうしても迫りくる次の1月受験、その先の2月受験に意識を向けざるを得ません。今は生徒さんにとっても親御さんにとっても、そして講師にとっても最もしんどい時期ですね。しかし、未来を不安がっていても仕方ありません。不安は自信によって緩和されるものです。その自信をつけるべく日々の研鑽が重要になるのです。ですから日々無駄なく過ごして行きましょう。
 合格のためには努力が欠かせません。しかし、努力したからといって必ずしも合格するとは限りません。しかし一方で、受かるのは努力してきた生徒であることも間違いありません。人の持ち時間は皆平等です。その平等であり限られた時間の中で同じように努力してきたはずなのに入試の結果で明暗が分れるのはなぜなのでしょう?
 まずは「努力の質」、ここに言及せざるを得ません。毎日通塾だけはする、四六時中机にだけは向かう、ことを「努力」と思っているなら、それは「独善的な頑張り」に過ぎず、傍目からも何ら評価できる努力とは見なされません。こういう生徒さんは(本当は努力ではないのですが)頑張っている風な自分を自分で評価したいだけなのです。努力を「自分の自己満足の対象」にしてしまっている。失敗する子は皆このような考え方をします。また、それを見ている親御さんもそれで良しとしてしまう。その勘違いのベクトルが合格をますます遠ざけてしまうのです。学校でも「努力は尊い」「結果よリも過程が大事」と教えますが、物事の本質から外れた教育が子どもを勘違いさせるのです。物事の本質を直視しない人は成功しません。「勝つことが尊い」「負けたらおしまい」が真実。物事の本質なのです。そこから目を背けてはいけない。努力は「勝つため負けないための過程・手段に過ぎず目的ではない」を徹底的に教えるべきなのです。
 「努力自体を目的にしてしまっている子は落ちる」ということなのです。本当は努力なしで合格するのが一番いいのです。(私もそうですが)合理的思考を重んじる人は努力とか頑張りとか、そのような過程は本当に「時間の無駄」だと考えています。できるだけそのような時間を短縮させ、その時間をもっと実利が得られることに使いたいと考える傾向にあります。そして手っ取り早く果実を手にすることを最重視します。
 ですが、中学入試では努力なしでの成功は考えられません。四教科概ね入試の範囲は決まっていますが、最低でもその習得に1〜2年の時間をかけざるを得ない現実があるからです。ですから「努力するのは時間の無駄だ」と言い切るつもりはありません。
 合格の為、その努力を重ねることは必要不可欠ですが、だからと言って(本来避けられるものなら避けたい時間の無駄使いである努力)を目的化することは
 本当にお止めいただきたいと思います。再度申し上げますが努力は目的ではなく、あくまで合格の為の手段なのです。その目的と手段の見分けがつかない、ごちゃ混ぜにしていることが「頑張っているのに落ちる」という不思議な現象を引き起こすのです。
 それはどういうことなのか?
 そのお話は次回とさせていただきます。
 
 
 

 

明日から12月、そして入試まで残り60日です。

2018年11月30日


※ パソコンの不具合が長引いたため、久しぶりの更新となります。ですので来期の入塾ご希望者はHPからお問い合わせいただくよりも直接TELでお問い合わせいただいた方が迅速に対処できると思います。よろしくお願い致します。

 さて、入試まで残り60日となりました。実は生徒さんが「本当に受験生として当事者意識を持つ」のは今の時期からなのです。子どもは長期的視野で逆算して物事に取り組むというのが本当に苦手です。というより、できないのかもしれません。冬になりカレンダーをめくればそこに入試日が記入されている、それを見てようやく「自分は受験するんだな」と心底実感するものなのです。
 ですが、当事者意識に芽生え、心から「自分は頑張らなくては」と決意した時の「火事場の何とか力」には驚くものがあります。
 特に男の子は今までの眠りから目覚めたかのように勢いよく学習に転じて行きます。

 ここで奇跡が起きます。毎年毎年私はこの経験をしています。

 残り60日ということは、1教科の持ち時間は15日です。私からすれば残り60日とは大逆転するのに十分過ぎるほどの猶予期間だと感じます。
 「あと60日しかない」で諦めるのか、「まだ60日もある」で懸命に頑張るのか、この期間の過ごし方で合否は決まります。

 体調に気遣いつつ、やれる努力の全てをここに注いで行きましょう。

 
 

 

なぜ本気になれないのか?④

2018年11月09日

※ (既報通りですが)今年は満席です。現在は来期のご予約のみを受け付けております。ご了承ください。

  前回のお話をまとめますと以下の通りになります。ご確認ください。
  
  1.子どもが本気で学習しないのは、勉強嫌いと言うより、そもそも中学受験にそれほどの価値を見出せていないから、ゆえに真剣になりようがないから。
  2.1のお子さんに無理して中学受験をさせる必要はない、というのが永田の考え。それでも受験する(させたい)場合は、明らかに親の都合による受験となりますので、「本人(自分・子ども)のため」という欺瞞に満ちた言い方をさせるのではなく、素直に「親のための受験」とさせ、結果的に「自分のためになっていた」という形にしていく。

 さて、入試まで三か月を切りました。毎年のことですが、秋から冬にかけてのこの時期が親子にとって肉体的に精神的に最もしんどいと思います。肉体的にしんどいのはお子さんの方でしょうが、親御さんは精神の方をやられてしまいます。その理由は一つしかありません。「落ちたらどうしよう?」という不安が頭から離れないからです。しかし、そういう親のイライラをお子さんにぶつけてみても何も解決しません。またぶつけられたお子さんも、ただでさえしんどいのに、親からのプレッシャーでますます意固地になります。双方にとっていいことは何一つないのに、ついつい、そのような衝動的な行動を取ってしまうのですね。しかし、賢いお宅ではそういう「害でしかない行動」を取ることはありません。戦略的に「冷静さに努める」行為に出ることが得策だということを知っているからです。
 誤解を恐れず申し上げるなら、不安と言うのは「エゴの産物、エゴの裏返し」です。「いい学校に受からせたい」は「いい学校に通っている子を見て安心したい親の欲」、「受かってほしい」は「受験に充てた教育費・時間・精神的肉体的負担を回収したい・いや、元以上を得たいという欲」、その諸々の欲を果たせない可能性が起きそうなとき、受験生の親は不安になるのです。
 しかし、そういうエゴを捨て仙人のような境地になれ、気持ちが楽になるぞ、というのは違うと思います。私はエゴがないと人は進化しないと考えていますので、エゴは大いに結構、ですが、理想・望みは高ければ高いほど、それと同時にリスクを伴うことも忘れてはいけません。「ハイリターンにはハイリスクが伴う」しかし「ハイリスクはハイリターンをもたらす」が世の基本だからです。ですから、ハイリスクを望まず気持ち穏やかに過ごしたい方は、ハイリターンを望むわけにはいきません。「ローリスクハイリターン」などという「虫のいい話」はこの世に存在しないと理解させているなら無難な人生である「ローリスクローリターン」を選べばいいのです、まあ、ですが、どちらが面白い人生か?と問われれば間違いなく前者ですね。私なら躊躇なくそちらを選びます。多分、中学受験を目指すお子さん、目指させたい親御さんもそのような「野心家」であることが多いのではないでしょうか?人生は一回、後悔なく生きるには「無難にやり過ごしてばかりの生き方」より「自分の力で自己完結する生き方」の方が楽しいと思います。
 しかし、そういう「高みを目指したい野心家」である皆さんなら、そうである以上、野心家に付きまとう「年がら年中不安である状況」を重々覚悟・承知していただきたいのです。耐えられないようでしたら今からでも人生を「ローリスクローリターン」に切り替え、やり直せばいいのです。ですが、その場合はハイリターンがないから、人生にワクワク感がないからつまらない、という理由で、それはそれでストレスを感じてしまうかもしれませんね(笑)。
 基本的に私は不安になることはありません。なぜなら未来のことは誰にもわからないし、その実体のない未来の不安をわざわざ現在に持ち込み、「あれやこれや」を考え、気持ちを暗くするのは、懸命に生きるべきであろう今現在を冒涜する行為だと思うからです。ミヒャエル・エンデの言葉に「今という貴重な時間を「過去の後悔」と「未来の不安」に充て浪費するのが最も愚かな行為である」というのがありますが、まさにその通りだと思います。
 また、マイナス思考の親を持つお子さんの受験成功率は低い、という「事実」も加えておきます。
 マイナス思考はそのまま現実化してしまうからです。
 なぜ、そうなるのか?そのお話は次回とさせていただきます。
 

 

 

なぜ本気になれないのか?③

2018年11月01日

 ※ 本日は11月1日、入試まで残り三か月です。風邪が流行るこの季節ですが、体調に気を配りつつ最後の追い込みに励んでください。

 前回の続きですが、塾は「やる気のない子をやる気にさせる道場」ではありません。「やる気はあります、自主的に頑張る気力も十分あります、だけど、合格するために何をどうすればいいのかよくわからないので、経験豊富な第三者にそのあたりの指導を仰ぎたいのです」というのが塾通いの目的でなければおかしいのです。ですので、そもそもやる気のない子は無理して受験しなくてもいいのです。何も突き放すつもりでそう言うのではないですよ。受験に価値を見出せないのであればやる必要はない、という話なのです。当方も「水を飲む気のない馬に無理やり水を飲ませること」に意味があるとは考えていません。そういうのは「虐待」と言うのではないでしょうか?
 遊びたい盛りの子が、将来のことを考え自分から学習する、というのは、余程達観した子でない限りあり得ない発想です。受験動機は要は「親の刷り込み」なのです。親御さんが受験させたい、それをあたかも「子どもが望んでいるのだ」に、すり替えてしまう。当の子どもも親の巧みな誘導で「僕は受験したいんだよね?」→「なんだかわからないけど、僕は受験したい人なんだ」→「そうだ、僕は受験を望んでいるんだ」になってしまうのです。生徒に「何のために受験するの?」と聞くと、判で押したように「自分のため」と答えます。いや、だけど本当に「自分のため」だと思っているなら、もっと自分から学習するよね?と改めて聞くと黙ってしまいます。当たり前です。本当は「自分のため」だなんて思っていないからです。この言葉は「自分のためだと思いなさい」と繰り返す親に、実は何の共感もなく、当事者意識もなく、腑に落ちることもなく、ただ「とりあえず親に忖度し、自分のために、ということにしておこう」という子どのも常套句に過ぎないのです。
 子どもは自分が心底納得しない学習を自主的に行うことはありません。人間は正直です。価値が見い出せないものに対しては本気になれないのです。
毎日のように塾に通っているのに成績が伸びない、家庭学習を促しても自分から動かない子は、はっきり言えば「受験の意味がわかっていない」からそうなるのです。頭の良し悪しが理由ではありません。学習する意味が分かっていないので動かないだけなのです。「自分の望みなのに、あたかも受験は子どもの望みであるかのようにすり替える親」「本当は受験の価値がわかっていないのに、物分かりの良いふりをして親に忖度する一方で、自分を押し殺し仕方なく学習する子」、この双方の「悪意のない騙し合い」の継続が何の生産性のない、百害あって一利無しの受験期間・日常生活にしてしまうのです。
 ここは双方本音で臨むべきなのです。毎度申し上げていますが、「受験は親のためにする」が正解なのです。回り回って最終的には「子ども本人のため」になりますが、それは後々気づくことで当面の動機は「親のため」が正解なのです。

 世の中の動機は全て不安から発生します。早起きするのは遅刻してクビにならないため、歯を磨くのは虫歯にならないため、学校で良い子にしているのは先生に叱られないため、友達とつるむのは一人ぼっちにならないため、など、「そうなったら困るな」を未然に防ぐためにそうするのです。動機の大元は不安解消を目的としたものなのです。

 受験も同じで、夢を叶えるというより、「子どもを路頭に迷わせたくない」「社会の底辺で過ごさせたくない」「経済的に不自由させたくない」などの、不安解消が目的なのです。そしてそれらは結局「そんな子どもの姿を見て自分(親)が辛い思いをしたくない」につながるのです。親自身が悲しみたくないから子どもに頑張らせるなら、受験はまさに「親のためのもの」ということになるのです。違いますか?

 だったら、率直にそう言えばいいのに、「勉強できない子を持つと苦労するのは親」と感じているのに、そんな本音をひた隠し、親御さんは「私のために頑張って」とは言いません。逆に「親のために受験する」と子が言おうものなら、「違うでしょ!自分のためでしょ!」と烈火の如く怒る親がいますが、子どもがそう言うなら「そうなのよ、だから受験に成功して私たち親を安心させてね」と言えばいいのです。なぜ否定するのでしょう?プライドの高さ故なのか、動機が不純だという後ろめたさからなのか、それだと自分のために子を犠牲にしてしてしまうのではないかという親としての申し訳なさなのか、そこはわかりませんが、本当ははっきりそのように本音を言ってしまった方がいいのです。(そもそも親子で忌憚なく本音が話せるかどうかは、日頃の親子関係の絆の濃淡のバロメーターでもあるのです。)

 なぜか?と申しますと、いつまでもグダグダしている生徒に「受験は自分のためではなく、親のためにしなさい。親を泣かせないよう安心させるために親孝行の一環として受験を成功させましょう」と呼びかけることがありますが、実はこれを機に様変わりする子が多いからです。「自分のため」という「自分でも納得していない訳の分からない動機」で動くより、「親のため」という、明確でわかりやすい動機の方が子は動きやすいのです。なぜ?それは子どもは皆親が好きだからです。誰だって親が悲しむ姿は見たくないからです。親を喜ばせたい、その気持ちが子を動かすのです。

 だから、そんな子を親は大事にしなくてはいけません。子は親に感謝の意を、親は子に愛情を。中学受験は「子どもが勝手にやるもの」ではありません。親子二人三脚なのです。
 受験成功は、本人の喜びはもとより、家族で喜びを分かち合うもの、絆を強めるもの、そういう副次的な価値も発生します。本当はこれこそが大事なのです。

 次回に続きます。

 

 
 
 


   

なぜ本気になれないのか?➁

2018年10月24日

 続きです。
 入試まで残り100日です。この先は「真剣に過ごす1日×100回」で乗り切っていきましょう。
 とは申しましても、真剣に学習している子はとっくにそのようにしています、反対に動かない子はギリギリまで動きません。この差は一体何なんでしょう?入試は目前に迫っているのに、なかなか本気を出さないお子さんを見て、ついイラッとしてしまう親御さんの姿が目に浮かびそうです。(ちなみに親御さんが心配するのはお子さんが落ちることではありません、落ちた我が子を見て自分が失望することです)
 さて、中学入試に向けた学習とは何でしょう?それを「公立小学校の勉強の延長上にある」と考えていませんか?
 中学入試を目指すお子さん・ご家庭は「基礎的な教養を身に付けるため」にそうするのではありません。(ステレオタイプな例で恐縮ですが)「いい中学に入り、そこからいい大学に入るため」なのです。なぜ?「いい企業に就職するため」なぜ?「安定した収入・福利厚生・年金を確保するため」、他に「自分の可能性を狭めたくないから」「なりたい自分になるための必要条件だから」「いい学校に入り自慢したいから」「結婚に有利だから」など、まぁ詰まるところ「自分の欲望を実現したいから」なのです。その実現を可能にするための手段が中学受験の本質、その現実から目をそらしてはいけません。中学受験で成功したいという願いは極めて「自己中心的な欲望」なのです。これは「必要最小限の教養を得る」ことを目的とした小学校の勉強とは似て非なるもの、中学受験の勉強とは「欲を満たすめの手段」なのです。
 話を戻しますが、未だに本気になれない子の理由は中学受験が自分の欲を満たすツールだと認識していないから、もしくはそもそも上記のような欲自体がないから、だと思います。例えば馬を水飲み場に連れていったとき、水を飲みたいという欲のある馬は勝手に飲みます、しかし、飲みたいという欲のない馬は飲みません。そんな時、馬主が水を飲まない馬に対して「もっと真面目に水を飲む努力をしろ」とか「熱心に水を飲め」とか言うでしょうか?
 受験もそうです。入試の目的が分かっている子、受かることを願う子は自分から勝手にやります。「できる子を持つ親は楽」という理由はそこにあります。しかし私はそういう生徒を褒めることはありません。彼らは自分の欲を満たしたい、を気の赴くままにやっているに過ぎないからです。「真面目に自己中しているね」「頑張って自己中しているね」とは言いませんよね。また彼らも褒められたいとは思っていないはずです。褒められることを目的としていません。だって自己中なことを自分の意志でやっているだけなのですから。
 学校の「嫌々義務でやる勉強」、本人が、と言うより「親主導の受験」なら「よく耐えている」という意味で、また社会貢献のための勉強なら「世の中の役に立っている」という意味で「真面目にやっている」「努力している」と褒めてあげてもいいかもしれません。しかし、中学受験の勉強は(何度も言いますが)「その本質は自己中」です。受かっても落ちても(自分と親御さん以外の周りに)影響を及ぼすことはない「極めて個人的なイベント」なのです。「極めて個人的なこと」ですので、正直「受かりたいと願う子は受かるようなことをやって受かればいい、受かりたいという欲の薄い子はそれほど熱心に勉強しないと思うから、そのまま受からないことがあっても甘受するしかない」でいいのです。また「あなたが受かろうが受かるまいが世間は関心がない」ということ、そう、中学入試は「コップの中での出来事」に過ぎないということもご認識ください。
 では、塾の役割は?やる気のない子をやる気にさせるのが塾なのでは?という「勘違い」について次回お話いたします。
 
 



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