中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

努力を出し惜しむ生徒は受からないことになっています。

2019年10月09日

 続きです。
 不思議だと思いませんか?
 自分のための、他ならぬ自身の人生を優位に展開させるための受験なのに、そういうビックチャンスにもかかわらず、合格に向けた努力を出し惜しむ生徒がいるということが。
 ですが、「受験したいし合格したい、だけど勉強したくない」という生徒の言い分を聞き取って行く中で、「なるほどな」と思えるとこともあります。
それは「頑張って勉強しても落ちたら、今までの努力が虚しく感じてしまう。そんなことになるくらいだったら、その間遊んでいた方余程が良かったのでは・・と後悔するかもしれない。だから、落ちても傷つかないよう目一杯頑張らないようにしている。だけど、そんなに頑張らなくても受かるんだったらそれはそれでラッキー」。この文言通りではありませんが、そういう主旨のことを彼らは異口同音に言っています。つまり「最低限の努力で受かればOK、たとえ落ちたとしてもそんなに頑張ってこなかったのだから、と納得できる」という考えなのです。
 計算しているのですね。一見合理的な発想かもしれません。しかし浅はかで小賢しいのも事実。ゆえにそういう子は残念ながら受かりません。なぜなら、努力を出し惜しみする生徒がいる一方で、信じられないくらい頑張る子がいるからです。出し惜しみする子はそこに気づいていません。そして「美味しいところ」は全て後者が掻っ攫って行くことになるのです。
 「全力尽くしても落ちたら・・」などと計算しない子が結局強いのです。目の前にある「すべきこと」に対し、その都度その都度全力を尽くせる「迷わない愚直な子」ですね。そういう子が一番強いのです。
 入試は頑張ったからといって必ず受かるというものではありません、ですが、頑張らなかった子は確実に落ちる。これは本当です。
「頑張らなかったから受からなかった、それで納得です」だと傷つかないかもしれません。ですが「受かるチャンス」を自ら捨ててしまったことも事実です。
 傷つかないことを優先するあまりチャレンジしない子、完全燃焼できない子は何も得られません。こういうことが習い性になっている人は大人になっても大きな失敗はしないかもしれませんが「何にもなれない人」「現状維持だけが大事な人」「底辺を底辺だと気づかないままの人」で終わってしまうのです。わたしはそういう生き方自体が「失敗」だと思っています。
 完全燃焼した先にあるのは「成功」だけではありません。たとえ「失敗」しても、ただただ順風満帆なだけでは見えなかった「それ以上に価値のある何か」つまり「自分でも気づかなかった成功へのベストの方向性」を知り、「当初見込んでいた成功以上に価値のある別の成功」をつかむことができるのです。
 成功者は「人生とはそういうもの」だと知っています。ですから、あえて苦難の道を選び、そこで躊躇なく一生懸命生きる生き方を選択するのです。こういうのが本当に「賢い」というのです。
 皆さんもそういう生き方をしてみてはいかがでしょう?
 中学受験はそれができる最初のチャンスなのです。

 次回に続きます。
 
 
 

受かる生徒は、まず間違いなくアレを優先しますね。

2019年9月26日

 続きです。
 受かる生徒の特徴の一つに、受験生としての当事者意識にブレがないことが挙げられます。中学受験を志望した当初から2月の受験当日ギリギリまで一貫してそれは続きます。自らの意志と責任で自主的に動くそういう生徒は、親がどうあれ、講師がどうあれ、塾がどうあれ、全く意に介することなく、自分の信じるままに行動し、そして勝手に受かります。本当に成功したい受かりたいと願う子は、「入試成功は自分のためである」ことをわかっていますから、他者や環境に関係なく自分のベストを尽くそうとします。そして受かる。しかしそれは本人にしてみれば極めて「当たり前の行為であり、その結果」なのです。
 さて、このように自主的に動く生徒さんは必ず「アレ」をやります。一方、合格への情熱が薄い生徒は自ら進んでそれをすることはありません。
 それは「テストの見直し」です。既報通りですが、受かるための現実策は「誰よりも多く得点し、誰よりも少ない失点に止める」です。それがわかっている生徒は模試の結果に一喜一憂するよりも、「自分のできなかった問題の確認」→「解き直し」→「次回の得点源にする」を重視します。「失敗こそ糧になる」を知っているのです。賢い子にとっての模試は「得点できたことを喜びつつ、見直しの機会を与えてくれた失点もまた歓迎」なのです。ですが、それがわかっていない生徒は目先の偏差値の上下にしか興味を示しません。また、模試を受ける意味をわかっていない親御さんも結果に一喜一憂するだけで終わります。そして、部屋に片隅に手付かずのままのテスト用紙を放りぱなしにしてお終いにするのです。前者と後者の違いは「模試を受けるたびに成長するのが前者であり、成長しないまま終わるのが後者である」ということです。こういう細かい作業の積み重ねをするかしないかの差が、後々大きな差を生むのです。
 また、模試を受けるための受験料も安いとは言えません。コンビニのバイト約5時間分に相当します。「テストの度、親に高額のお金を出してもらっている」という「経済的恩恵」を知った上で、元金以上の利益を得なければ・・と「タダでは起きないぞ」という意欲があれば、模試をトコトン利用し尽くすはずなのです。
 一つ言えることは そういうことに貪欲になれない生徒は合格にも貪欲になれない、合格への貪欲さに欠ける生徒はそれなりの結果に終わる、ということなのです。人生も貪欲さに欠ければ突き抜けた人生は歩めません。中学受験はその前哨戦みたいなものです。

 次回に続きます。


 

結局、本気だったかそうでなかったかの違いだけなんです。②

2019年9月13日

 続きです。
 「成績の伸びる子」「入試で成功する子」は、確かに能力のある子、努力する子なのですが、合格した受験生が共通して持っていた資質は「必ず成功させるという気力を最後まで継続させる心の強さ」だと思います。要は「諦めの悪い子」が受かるのです。そう言うと「精神論・根性論」みたいな話になりそうですが、もちろん心の有り様そのものに成績を上げる効力はありませんが、その心のあり方を行動に移したとき、生徒さんは大きく成長します。
 「必ず成功させる」には「誰よりも得点量を増やし、誰よりも失点量を減らす」という現実策があります。それをリアルに受け留め、日々その実現に向けて過ごせるかどうかが重要なのです。地頭、努力・勤勉さも大事ですが、それに沿ったものでなければ「宝の持ち腐れ」になってしまいます。「頑張っているのに成績が伸びない」とお悩みの方は「今まで自分が本当に正しい方向での努力をしてきたのか?」を今一度考えてみてもいいかもしれません。
 例えば「得意科目を伸ばし、それで苦手科目をカバーしていこう」という発想・指導は非現実的で無責任です。なぜなら普段の得点率8割の科目を1割伸ばし9割にするより、4割しか取れない科目を7〜8割にしたほうが「総合点で競う入試」では有利になるからです。受験生は「一教科オンリーの職人的なスペシャリスト」ではなく、「なんでもソコソコ平均以上取れるゼネラリスト」の方が有利なのです。苦手教科はやりたくない、と逃避するのではなく克服する勇気を持つ。これが大事です。また、配点の少ない理社を頑張るより(総合点で入試が決まるなら)算国の強化を図る方が、合格に近づくという点ではより現実的な策なのです。もし算国のどちらかが圧倒的に苦手なら、そこをスルーすると致命傷になりかねませんのでご注意ください。
 さて、「本気な子」は基本的にネガティヴで悲観主義者です。「絶対に受かりたい」の裏には「絶対に落ちたくない」気持ちがあります。この二つは表裏一体。本気で受かりたいと願う生徒さんは「落ちることへの恐怖」が尋常ではありません。ちなみに「受かりたい」という気持ちの薄い子は落ちることに対する想像力(恐怖)も薄いです。そして「根拠のないプラス思考」に身を潜め、現実逃避しまうことを「まずい」とは思わないのです。このような姿勢のままで入試当日まで迎える生徒は想定した通り「不本意な結果」しか得られません。ですので受かりたいなら、いち早く軌道修正することが求められます。しかし、それが無理なだと言うなら、もう受けないほうがいいですね。負けることがわかっている戦はしてはいけないのです。
 「落ちることへの恐怖が尋常ではない生徒」は「漢字を10個覚えよう」と、こちらが課題を与えても「11個目が入試に出たらどうしょう?」、「千葉県の農業を調べよう」という課題に対しては「農業ではなく工業が出たらどうしよう?」と考えます。そして自ら課題を増やしていきます。課題が増えるから必然的に学習時間が増えていく。学習量が増えるから知識も増える。これで合格に近づいていくのです。
 「受かる子は勉強量が多い」というより、あれこれアンテナを張ることが習慣化されている生徒さんは、結果的に自分から学習量を増やしてしまうのです。「手のかからない子ほど合格率が高い」というのは、お仕着せの課題をこなしている感覚で学習するのではなく、誰に言われるわけでもなく、彼らが自ら課題を作ろうとしているからなのです、そこには親や講師の叱咤激励など関係なく、能動的な自らの動きしかないのです。そう彼らは勝手に自分で動いているだけなのです。このような本気度の高い生徒は、言い換えれば「受験生としての当事者意識が強い生徒」とも言えます。過去を遡っても、難関校と言われる学校に入れた生徒のほとんどはこういうタイプの子です。その中に親や講師の鞭で渋々動いていた生徒を見つけることはありません。
 本気になれば、受かる甘い夢をみるより落ちる恐怖を先に感じる、その恐怖解消のため自主的に動く、必然的に学習量・それに伴う知識・対処するための知恵が増え、受験に必要な経験値の増加に比例して得点率も上がる、また、無知ゆえに生じたであろう失点量も減る・・その流れを築けるかどうか、築く意志があるかどうかが肝心なのです。合否はそれで決まるのです。
 9月も半ばです。残りの期間は入試に対する自らの意識を確認し、もし甘さがあるようなら、もし心が成功への道に繋がっていなければドラスチックに変えて行きましょう。
 
 
 

結局、本気だったかそうでなかったかの違いだけなんです。

2019年8月28日

 夏期講習が25日に終わりました(江東区)。
 長い期間での講習でしたが、講習前の「この夏休みは学力を伸ばことに力を注ごう」という初心は完結できましたか?そして実際に「学力を伸ばす」ことができそうですか?勉強は結果が出てこそ意味があるのです。
 「夏休みにあれだけ勉強したのに、9月最初のテストで思うような結果がでなかった」は、よくある話です。期待したいただけに不本意な結果に終わるとかなりショックを受けます。そうなると「他の生徒さんも同時期に頑張っていたので、差を埋めることができなかったのだろうか?それともその頑張りが本物の頑張りではなかったのだろうか?」など、あれこれ理由を考えてしまうのですが、一つだけ真実を言うなら、それは「本気だったかそうでなかったかの差」なのです。学習量とか講師の教え方とか本人の努力とか以上に、「自分は本気だったのか否か?」
これに尽きるのです。


 「どういうことなのか?」このお話は次回に続きます。

特記  夏休み以降の空き時間。

2019年8月09日

 既報通り、夏期講習はすでに満席ですが、9月以降で1コマ空きが出ます。

 日曜日16:00〜18:00前後

 今回の空きコマは、恐らく今年最後の
1コマになろうかと思います。

 応募条件は「豊洲・月島近辺在住の5〜6年生」とさせていただきます(先着順)。

 よろしくお願いいたします。

残念ですが夏を活かせない生徒に先はありません。

2019年7月16日

 午前の授業は全て満席となりました。
 午後〜夜もほぼ満席で、コマ数も100に近づいてきましたので、今年こそは「働き方改革」を実行したいと思います。ですので、そろそろ講習の受付を終了させていただきます。
 
 また、講習期間中は多忙につき、ブログの更新を頻繁に行うことが難しくなりますのでご了承ください。
 上記と併せ宜しくお願いいたします。

 ※当塾の社是は「結果がすべて」です。この方針は開校以来ブレることなく、マンツーマン指導の中で妥協とは無縁の授業を行ってまいりました。
「なぜアイスクールは出口が良いのか?」というお問い合わせをご父兄様、また近隣の個人塾様からいただくことがあります。こういうご質問には「それは私が結果が出ない、出せないことを異常に嫌う性格であり、だから必然的に妥協知らずの指導になり、その指導下では必然的に好結果を得られるようになるからです.」と説明しています。当塾の方針にしっかりついてきた素直な生徒さんは受かります。しかし素直さに欠け、自分に妥協する生徒さんは落ちます。物事の原理原則は極めてシンプルな理屈で成り立っているのです。受験を通してそこに気づていただきたいのです。

 さて、大手塾に「なんとなく通い、そこでなんとなく授業を聞いて、なんとなくボーッとして・・そして成績はそこそこ以下」を繰り返してきた生徒さん。それでもいい、自分はその程度の人間、と危機感を抱くこともなく日々無為に過ごしてきた皆さんは、いくら夏期講習で長時間缶詰になったとしても、そのマインドが変わらない限り、肝心の実利を得ることなく、得られるのは「忍耐力」「頑張ったという錯覚」「根拠のない自己満足感」だけということになるでしょう。実利とは受験生にとって成績向上、クラスアップ、最終章での中学入試成功という流れそのものです。要は成功体験を得ることが本当の実益なのです。それ以外は一切ありません。逆に言えばこの流れ(実益)を得られない塾通い・講習参加は本当に意味がないのです。実益を得ることがすべて。だからその実益とは関係ない副次的な「根性出しました、頑張りました、真面目にやりました」を声高にアピールするのは基本的にどうでもいい行為であり、むしろこういうのは成績が上がらない時の言い訳・免罪符に利用される「害」でしかありません。本物の「根性」「頑張り」「真面目さ」とは、「成功した今があるのはあの時はよく頑張ったからだ」と後々しみじみ振り返ればいい類のものなのです。
 そろそろ気づかなければなりません。「何のための塾通いなのか?」「何のための講習なのか?」「そもそも自分は何をしたいのか?何を求めているのか?」を。
 残念ですがそれに気づかなければ全ては「❌ゼロ」なのです。気づけない生徒さんは「講習に参加している俺は偉い」「遊びを我慢している俺は素晴らしい」という自己満足の中で何の益も得られずひたすら時間を浪費することになるのです。しかし、そうなったとしてもそれは誰のせいでもない。変わろうとする気概のない自分、此の期に及んでも現状維持したがる甘い自分、現実を直視しようとしない弱い自分、全部自分のせいなのです。

 覚醒ください。「茹で蛙」に成功は訪れません。そして夏期講習では「本当の実益」を得られるよう自分のマインドを変えていきましょう。
 
 

入試には「これがないと受からない」というのがあるんです。

2019年7月10日

※ (外部の方向けの)夏期講習の募集ですが、空きが少なくなりましたので、そろそろ終了させていただきます。毎年のように「今年こそ仕事量をセーブしたい」と願い、あれこれ試みるのですが、本年の夏も「働き方改革」とは無縁になりそうです。まあ、仕方ないですね。皆さん頑張りましょう。

 四谷大塚の第2回合判テストが終わりました。夏休み直前の模試でしたので「このテストで1学期の学習成果を見てみたい」という理由で受験された方も多かったと思います。そして夏休み直後の第3回模試では「夏休みの成果を総括したい」という意図で受験されると思います。そういう訳で夏休み前後の模試は気合いが入るのですが、その気合い通りシナリオ通りの展開になることはまずありません。おそらく失望されることの方が多いと思います。そしてその都度「このままで本当に大丈夫なのか?」と疑心暗鬼になり、『うちの子の成績を上げてくれる理想の環境はどこ?」とばかり、親御さんはアタフタして「青い鳥探し」を始めるのもこの夏休み前後なのです。本当のことを言いますが「青い鳥」は心の内に既に宿っているのです。それに気づかず、外部に求めようとしてあちこち動き回り時間を浪費し疲弊してしまうのは例年通りの「あるある」。よく見る光景です。
 さて、真面目に塾に通っている、家庭学習もやっている、なのに成果が出ない、には理由があります。
 これは非常に根本的な理由であり、(毎年言えることですが)この要素の有無で入試の合否が決まります。
 当塾はそこに着目し、伸ばすなり矯正したりするなどして成果を上げています。本当にしつこくそうします。
 これは集団塾ではなかなかできません。無理なのです。また、いちいち指摘してくれたり触れたりしてもらえる類のものでもありません、が、一番重要且つ根本的なことですので、「本当に生徒を受からせたいと願う塾」ならそこに関わらないわけにはいかないのです。
 「当塾おまかせ生徒」さんの入試結果が良い(5年連続第1志望校合格率100%)のは「外部(集団塾)からの余計な雑音が入らない環境下で、そのことに集中できるから」なのです。何事にも「根本原理」があります。ですから「合格への根本原理」を知らずして受かることはないのです。

 それがないと「全ては✖️ゼロ」になります。しかしこれにつきましては、ほとんどの方がわかっていません。
 詳細はお伝えできないのですが、本当ならできる早く気づき、解決していただきたいことなのです。

 次回に続きます。
  



「物事の根本原理の理解」 成功の源は全てここにある。

2019年6月26日

 続きです。
 前回も少し触れましたが、本日は「公式」のお話をします。「公式を当てはめてチャチャッと解くのが算数という科目」と、「算数のできない生徒」に限ってそういう勘違いをしがちです。ドラえもんのポケットに頼るのび太の如く「公式さえ覚えていれば大丈夫」とばかりに。しかし裏を返せば「公式を忘れてしまったら、もう算数の問題は解けない」と早々に匙を投げてしまうのです。しかしそういう生徒さんは、そもそも公式の成り立ちを理解しているのでしょうか?そこを追求したことがあるのでしょうか?何の疑問も抱かず思考停止のまま「覚えろと言われたから覚える」で真の思考力が鍛えられるのでしょうか?
 例えば「円の面積は半径✖️半径✖️円周率」「円周は直径✖️円周率」で求められるのですが、どうしてこれで円の面積や円周が求められるのか?「半径✖️半径✖️円周率」と「直径✖️円周率」は一見似ているのに、どうして答えがそれぞれ面積になったり円周になったりするのか?そのあたりの疑問をですね、追求しようと試みるのか、それともスルーしてしまうかが、「算数の根本原理の理解」ができるか否か、ひいては算数の成績が伸びるか否かを決定づける要因になってしまうことを、もう少し真剣に考えてみてもいいのかな?と思うのです。
 また、社会にも「公式」があります。例えば「法律案の再可決には衆議院議員の出席人数✖️3分の2以上の賛同が必要」というものがあります。生徒さんは前回の「カンノワノナノコクオウ」のようにひたすらその暗記に努め覚えたとしても「衆議院の定数は(  )人です。定足数は(  )人ですので、法律案の再可決には最低(  )人の賛同が必要になります」みたいな「変化球問題」になると途端に固まってしまいます(笑)。自分が覚えた公式を活用できない。こういう事態に陥る生徒さんは本当に多いです。つまり「自分が覚えた公式は一体何なのか?」その理解を算数でも社会でもできていない生徒が多いのです。だから活用できないし使えない。これでは「柔軟に頭を使うことが求められる中学受験」では太刀打ちできません。
 「公式を使ってチャラッと解く」「暗記したことを吐き出す」これで済むような問題を、そもそも優秀な生徒を集めたい中学側が作成するわけがない、という想像力をお持ちください。
 中学受験云々に限らず、自分で頭を使おうとしない人は不本意な人生を歩むことになります。考えることを億劫がり、自分の人生を他人任せにしてしまうことが多いからです。自分の無知につけ込む他人の言動やメディアの情報を信じ切って、いいように操られてしまうからなのです。例えば今話題の年金問題にしても、(誰もそんなことは言っていないのに)「年金さえあれば100年安心して暮らせるはずではないのか?政治家は嘘をついているのか❗️」と批判をしている人は、年金の仕組みについてきちんと勉強していないからそのような的外れな発言をしてしまうのです。年金はあくまでセーフティネットの一部としての役割でしかありません。自分で考えられる人は「老後資金はキャッシュとフォローのバランス次第」を意識しつつ、まず自分への年金支給額を明らかにします。そして老後に不安を覚えるなら、貯蓄したり(株式・投信・不動産など)に投資しキャピタルゲインを得たり、自分なりのポートフォリオを計画的に作成していくのです。しかしその程度のことは(諸々の仕組みがわかっている人は)とっくの昔からやっているのです。浪費を控え、貯蓄率を高めようとする日本人の国民性はどこからくるのか?それはこういう国だから、、、だということをよくよくお考えください。人生にも「公式」はあります。ですが、それを鵜呑みにせず「考える・疑う・検証する」と、自分なりに消化していかないと「こんなはずではなかった」ということが起こり得るのです。
 「自分で考え自分で工夫し自分で理解し自分でそれを活用する」そして「自分の人生を優位に展開していく」。これが本当に頭のいい人の生き方なのです。東大を出ているから「頭がいい」ではないのです。生き方の上手い人を「頭がいい」というのです。
 合格を目指すための中学受験の準備は「賢い生き方を構築するための下地作り」をも兼ねている、そのようにご理解ください。
 次回に続きます。

「社会は暗記科目」とは いつの時代の話ですか?②

2019年6月15日

※ (外部者向けの)夏期講習の募集を開始します。ただし(毎年のことですが)レギュラー生でほぼ埋まってしまいますので、その点はご了承ください。

 さて、「温故知新」「歴史から学ぶ」「歴史は繰り返す」という言葉にもあるように、社会科学習の本来の意図は「そこで得た知識から因果関係を学び、それを今に生かす」にあると思うのです。ただ、そのようなことを考える余裕がないくらい、社会は学ぶことが多いので、結果的に「ひたすら暗記科目」になってしまいます。それは仕方のないことかもしれません。
 確かに暗記力がそのまま社会の成績につながることもありますが、それでどうにかなる、という入試問題は近年減りつつあります。社会もその他科目と同様「考える科目」なのです。暗記したものを吐き出して済む科目ではなくなったのです。「考えて覚える」これが大事ですね。
 例えば「後漢書東夷伝」にある「漢委奴国王」。これを覚えるとき、生徒さんは「ゴカンジョトオイデンカンノワノナノコクオウ」をひたすら繰り返し覚えようとします。暗記することに精一杯、「後漢」「東夷」「倭」「奴」の意味を確認せず、そもそも自分が何を覚えようとしているのかさえ知ることもなく、ただただ呪文・暗号を記憶するが如く「無味乾燥な暗記」を繰り返す、これが社会の勉強だと勘違いしている生徒も非常に多いです。ですから「「○書」に記された小野妹子は・・」という問題が出たとき、「そういえば漢書地理志ってやったな」と覚えていた子は、それを頼りに○の中に「漢」を入れてしまうでしょうし、そもそも「漢」が国名だということすら知らない子もします。しかし、この問題は後に小野妹子が出ていますので、○には「隋」が入ることくらい、歴史を理解して覚えている生徒にとっては何てことはない問題のはずです。また、「漢委奴国王」を覚えられない生徒も理屈で覚えようとしないから記憶できないのです。これはつまり「中国(漢)に属する日本(倭)の中にある奴国の国王、つまり大国から小国に順に記した「漢側からの上から目線の表記」だと理解して覚えれば「漢奴委国王」みたいに間違って覚えることはないのです。
 それは地理も公民も同じこと。「なぜそうなのか?」を理屈で覚える。このように「なぜ?」という疑問を持ち、学習して行くのが本来の勉強なのです。
「暗記する」「公式に当てはめる」「講師の指導を鵜呑みにする」そのような手段頼りの「思考停止の学習」、また「まだ習っていないからできない」「教えてもらっていないからわからない」という、「自分で考えることを放棄したような他人依存型の甘えん坊学習」では、「答えがわからないことを解決しなくてはならない状況」に陥ったとき、為す術もなくお手上げになってしまいます。
 世の中は答えのわからないことに満ち溢れています。そのようなときにでも自分で思考し、自分で打開し、自分で行動する力を身につけておくことが大事なのです。それができない大人は大人ではありません。それは単に「年を重ねただけの人」「尊敬の対象にならない人」でしかないのです。
 「ゼロから1を導き出す」「自分の人生は自分で構築する」ことが尊いのです。年少時の勉強はそのための訓練なのです。そこを違えず学習して行きましょう。

「社会は暗記科目」とは いつの時代の話ですか?

2019年6月03日

※ 既報通り今年はすでに満席、なのですが、それでも頻繁にお問い合わせをいただいています。ありがたいことなのですが、レギュラー授業は本当に空きがなく、その都度お断りすることを大変心苦しく、また申し訳なく思っています。以降、もしまとまった授業をご希望でしたら、それは「夏休み」などの長期休暇・祝日です。外部の方にはなるべく時間をお取りするようにしますので、そこで学力を一気に上げる計画を立ててみてください。効果は期待できます。よろしくお願いします。(スポット授業・来期のレギュラー授業ご予約は可能です)

 さて、今回は社会のお話ですが、昔から「暗記中心の楽勝科目」「追い込み可能な科目」と言われています。そして、ガムシャラに闇雲に覚えさえすれば、それだけで点数が取れる、と思われている科目でもあります。「自力で何とかなるはず」というイメージの強い社会。そのせいか当塾でも「社会単品受講」を希望する方はいらっしゃらず、算数国語理科と比べると何となく脇役感のある科目だという印象です。しかし、本当に「楽勝科目」「舐めていい科目」なのでしょうか?
 上記のように社会が暗記重視の科目なら「暗記能力」つまり「一度覚えたことをどれだけ忘れずに保てるか?」「脳という引き出しに、どれだけ多くの知識を詰め込むことができるか?」その優劣を競うような、まるで「自分の頭をコンピューターにどのくらい近づけられるか?」を目指すだけの科目になってしまいます。だとしたら、本当につまらないですね。「社会がつまらない」と思っている生徒さんはこういう方向での学習をしてしまっているので、無味乾燥に感じてしまうのかもしれません。だとしたら、本当に勿体無いですね。
 「暗記科目」という一面を社会が持っていることは事実なのですが、本当は「暗記自体を目指す科目」ではなく、「学ぶうえで暗記は必要最低条件に過ぎず、大事なことは覚えた先にある個々の事例についての思考、更にそれぞれの因果関係を深く追求していくことを目指す、それが社会という科目の本質だ、という認識」がないと、昨今の入試問題の傾向に太刀打ちできないのです(特に上位校)。昔のように「暗記したものを只々吐き出すだけのテスト」はもはや存在しないと思ってください。社会も他と同様「考える力が求められる科目」なのです。
 次回はこのお話につきまして詳細を述べさせていただきます。

 
 

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