中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

 学習から逃げれば逃げるほど人生が辛くなる理由。

2021年4月16日

 ※ 平日は満席。土日に一部空きがありますが、今年はあまり仕事量を増やしたくないという本音もあります(笑)。

  新テーマです。

 生徒から「なぜ勉強が必要なのか?」と問われれば、私は「よりよく生きていくため」と答えています。勉強は子どもだけのものではありません。大人になっても延々と続きます。もちろん年老いてまで算数国語を学べという意味ではありません。例えば生きていく過程で「これは今知っておかなければならないこと」に出会ったとします。それを知り、知るだけでなく幅広く活用できる人は社会的信用が高く頼りにされます、頼りにされる人は価値が希少ですので世間から一目置かれます、これが自己肯定感、および自信を持ちながら人生を歩む元となります。社会と自分がwin-winの関係を築けくことを理想とするなら、その実現に必要な学習は「よりよく生きていくため」に欠かせないものとなります。
 人生には数多くのチャンスが転がっています。それを拾い上げ活かす人がいる一方、気づかない人もいます。機会は平等に与えられているはずなのに、それを活かせる人と見過ごしてしまう人に分かれてしまうのは、「学習は自分のため」と考えてきたか「学習から逃げることで精一杯」だったかの差だと思います。どういうことかと申しますと、
 算数国語理科社会、この四教科に共通しているのは「論理的思考を基にして考える」という点です。何事も筋道を立てて検証していく必要がある、何事にもそうなる根拠がある、という思考ですね。この四教科を「自分のため」と考え学習することで知らず知らずのうちにその思考が養われていきます。しかし「学習から逃げたい子」は避けることに一生懸命なので身につくには至りません。
 また「学習から逃げたい子」にとって四教科は苦痛の種でしかありませんが、「学習は自分のため」と考えられる子にとってそれは「雑学の宝庫」「役立つ情報源」「何かしら気づかせてくれるもの」となります。そこから得た幅広い知識と興味、それに論理的思考を掛け合わせることで、誰も気づかなかった「新たな需要」や「解決策」生み出すことが可能になります。それが社会にとっても自分にとってもプラスになるなら、「社会への貢献」が「充実した自分の人生を歩む」に繋がっていくのです。
 ですが、学習から逃げ回ってばかりいるとどうなるでしょう?思考も根拠に乏しい独善的で刹那的なもの、知識の幅も狭いままですので「誰でも思いつくレベル」の発想しかできず、そこから「需要がなく社会に不要なもの」しか生み出せないとするなら、自信を失い自己否定感が強くならないでしょうか?これでは文頭の「よりよく生きる」に繋がらないと思います。
  「勉強しなくても、自己肯定感が低くても今のままで十分満足」という時代ではなくなってきたようです。日進月歩しつつも先の見えない不安定なこの時代において「平穏時には通用したかもしれない現状維持思考」はリスクそのものになる可能性があります。
 受験成功云々の話だけでなく、学ぶこと考えることの習慣化は、子どものみならず生きている全ての人に生きるうえで不可欠だと考えます。
 
  
 次回に続きます。

勝ち方を知らなければ受からない。⑥

2021年4月07日

※ 平日授業は現状満席ですが、時間調整が可能な曜日もあります。

 続きです。
 本日は「家庭学習」のお話です。ですが既報通りそこには塾の宿題は含みません。「自分の意志で学習したもの」のみをカウントしてください。しかし、毎日のように塾に通っている→平日は宿題に追われ家庭学習を行う時間がない、でお悩みの方には「土日の集中家庭学習」をお勧めします。受験生であるなら「休日10時間家庭学習」は当たり前だと思ってください。根性出して10時間、というより、やることが多いとどうしても結果的に10時間くらいは費やしてしまうのです。ですから「どうしても塾を辞められない」「平日の空き時間のほとんどが宿題に消える」のであれば、土日それぞれ10時間ずつの「家庭学習」をお取りください。
 個人的には「疲れてまでして通わなければいけない塾」に意義が見出せません。学校で疲労困憊→疲れている頭では塾で教わった内容の半分も理解できない→家庭で復習する時間も取れない→できない問題が蓄積される→入試直前になっても漏れが大量に残ったままで不安がいっぱい、だと受かるわけがないからです。この流れは労力と時間とお金の無駄で決して有効ではないのに、どうして「意味のない茨の道」を選択するのかよくわかりません。「みんなもそうしているから」でしょうか?
「赤信号みんなで渡れば怖くない」。渡っている途中は「みんなと同じ」で安心なのですが、渡りきれないとわかった時には個々の自己責任となりますので後悔することになるのです。
 もう一つ忘れてはならないことがあります。それは「塾で教わったことが完璧に頭に入っていたとしても受かるとは限らない」という事実です。模試はそれで対処できるかもしれません。しかしそれでも受かるとは限らないというのは「入試には塾に忖度なしで学校独自の問題が出題される」からです。「こんな問題見たこともない」「塾で教わったこともない」そういう問題が平気で出題されますので、「模試は上出来、されど入試で失敗」という現象が起こるのです。模試で「志望校合格率〇〇%」に一喜一憂しても、肝心なのは「本当に志望校に受かる力が身についているのか?」です。そこを意識した取り組みが肝要ですね。
 塾で教わる内容は「これさえ知っておけば受かる」というものではなく、「入試で必要な最低レベルの知識」に過ぎません。たかがその程度のことにアップアップしている生徒が、更に追加で「学校独自の問題傾向」にまで手を伸ばす余裕があるでしょうか?これができないから「入試で落ちる」ということが起こるのですが、ほとんどの方がそこに無関心で、特に打開策を見出そうとせず盲目的に塾のカリキュラムに従っているだけなのです。
 私なら塾で教わることを把握したいなら(例えば)ネットで「予習シリーズ」などの教材を購入します。それを平日3時間、土日10時間の家庭学習で夏休みまでに5〜6年の範囲を仕上げます。夏休みからは「過去問中心」です。学校独自の問題傾向を探るため「過去問10〜15年分」を丹念に解き進めます。(具体的な方法についてお知りになりたい方はお問い合わせください)
 「塾で教わる内容」+「学校独自の問題傾向」の確認に平日3時間、土日それぞれ10時間ずつ充てれば、一年後には「受かる」のです。これを早い段階からやるに越したことはないのですが、どうしてこのような単純且つ合理的な選択をなさらないのか不思議でなりません。
 
 ですがこの方式がうまくいくためには、テーマの初期から申し上げていますが

1 ご家庭で親御さんがお子さんとの相互信頼関係が根付くような教育を継続してきた
2 その結果、入試を自分事として考え、自主的に学習できる子になっている

が必要最低条件です。

 入試を自分事として考えられる子は自分の人生を大事に考えているからです。自分の人生を大事に考えられる子は親から「かけがえのない大事な子」として手厚く育てられてきたからです。根底に「大事な子」という気持ちがない教育は教育とは言えないのです。

 上記2点が欠けていますと「家庭学習」は期待できません。自主的な家庭学習が期待できないということは入試の結果も期待できない、ということになります。
 そのように御認識ください。

 次回からは新テーマです。

 
 
 
 
 
 

勝ち方を知らなければ受からない。⑤

2021年4月01日

 本日から4月入りです。つまり来年の2月入試まで残り10ヶ月ということになります。しかし10ヶ月はあっという間に過ぎますから、まだまだ先の話、とのんびりはできません。ギリギリになって慌てるのではなく、今から逆算して「その日にやるべきことを確実に積み重ねる」という日々にしていきましょう。
 
 続きです。

 1 年少時から重ねられてきた親御さんからお子さんへの教育の質の優劣
 2 塾を有効活用してきたか否か
 3 空き時間をきちんと作れてきたか否か

 勝てる受験にするには1〜3がどうであったか? がポイントになるというお話をしてまいりました。

 本日は「家庭学習時間」をしっかり取りましょう、というお話です。上記3の空き時間を家庭学習時間にするのです。どんなに素晴らしい塾に通っていても、どんなに素晴らしい講師に巡り会えても、この「家庭学習」を無に等しくするようであれば、いかに外部環境から恩恵を受けたとしても全ては「✖️ゼロ」となります。そもそも肝心の受験当事者が家庭学習を疎かにするようなグダグダであるなら成功するはずはないという当たり前のお話なのです。受験失敗者は例外なく家庭学習を真面目に行っていません。「入試は家庭学習に費やした時間と質と意欲で決まる」。前述の1〜2以上に入試の鍵を握っているのがそこなのです。
 中には「家庭学習はしっかりやっている、例えば宿題とか・・」「親がやれというから頑張って・・」という生徒さんもいると思いますが、ここで言う家庭学習とはあくまでも「自主的なもの」でなければなりません。強制されたものではなく、自分の意思で机に向い、意欲をもって計画的に学習するのでなければ、「家庭学習」にカウントしてはいけないのです。
 その「自主的な家庭学習」ですが、実はほとんどの生徒ができていません。できていないから入試で苦労する生徒が多いのです。
 それは「塾に通い過ぎ」から生じます。皮肉なことですが頑張って塾に通えば通うほど、成績向上から遠ざかります。塾に通う子どもの日常を見ればわかることです。

 そもそも塾に行く前に学校で7時間ほど過ごしているという前提を忘れてはいけません。そこから直行で塾に向かいます。交通機関を使う生徒にとっては向かうことさえ一苦労です。そして学校で蓄積された疲労が解消されないまま、毎日のように夜遅くまで塾で授業を受ける状況を考えると「塾では終始集中していろ」と命じるのは酷だと思います。疲労困憊の中での授業では、教わったことの半分程度(半分残っていればむしろ上出来)の記憶しか残っておらず、かと言って帰宅後に復習する気力体力が残っているわけではないので、その日の勉強は終わります。塾のない日に家庭学習しようとするのですが、その時間のほとんどを塾から与えられた宿題に費やすのです。基本的に宿題は強要です。強要されたと感じている子どもは宿題を「自分の血となり肉となるありがたいもの」という捉え方をせず「早く終わらせたい」「めんどくさい」「勉強はこんなに辛いのか」という不平タラタラで宿題をこなします。ですが「仕方なくいやいやこなした宿題」が本当に身につくのでしょうか?人の脳は興味のないもの、嫌なものに対しては記憶が残らないよう作られています。つまり宿題は「やっても残らない極めて非効率な学習」(夏休みに大量の宿題をこなしたからと言って2学期の成績が急に伸びるわけではないのと同じ)と言えるのですが、こなしている本人は「頑張っている自分」を認めたいし、それを見ている親は「頑張っている我が子」に満足しているのです。宿題はやっているが成績が上がらない状況なのに・・です。授業で教わったことの半分も記憶に残っていない、宿題もイヤイヤ、だとすれば実質的な勉強はほとんどできていないということになり、このように時間・費用対効果の少ない日々を積み重ねているだけの現実なのですが、ほとんどの方はそこにメスを入れようともせず現状維持で良し、としています。
 「効果がないにも関わらず現状維持」なぜそこに疑問を持たず、軌道修正のため動こうとしないのでしょう?実利を得られていないのに、「真面目に塾に通っていることが大事」「結果以上に過程・頑張りが大事」という思考停止と言いますか、本末転倒な思考のまま入試日まで過ごすとするなら、合否はどうなってしまうのか、という想像力をお持ちいただければと思います。
 親御さんもお子さんもいろいろなことに疑問を持たなければならないのです。「どうして塾に通っているのに成績が上がらない?」「どうして宿題を真面目にやっているのにテストで結果が出ない?」など。そしてそれを不思議に感じるなら「どうすればいいのか?」と常日頃から考え実行しなければならないのです。
 マスコミや権威者、声の大きい人の発言を盲目的に信じたり、他者の思考を先取りしそれに合わせたり、他人の顔色で自分の行動を決めたりする方が多いように思います。それは一種の自己防衛なのですが、その度合いが過ぎると結果的に自分を捨て付和雷同的な生き方をしてしまうのですが、それだと受験で成功を勝ち取ることはできません。なぜなら自分の人生を自分の考えで歩もうとしていない「安全志向」の方は、腹を括る経験に乏しくリスクを取る機会を逃し続けてきたので、肝心なところで「目の前のチャンスをものにできない勝負弱さ」が露呈してしまうからです。例えば自転車も初心者ほどコケないようにゆっくり加速しますね。でもフラフラ安定しないので逆に転びやすくなる。それと同じで「安全志向」な人ほど(逆説的ですが)ピンチを招きやすいのです。

 何事に対しても自分で考え自分で工夫し自分で行動を起こす。そういうことができているお子さんなのか親御さんなのかで入試の合否は決まります。「一生は一度きり」その貴重な自分の人生を自分で構築するのは当たり前だという基本を大事にしたいですね。
 
 次回はその「家庭学習」についてお話してまいります。

 
 

勝ち方を知らなければ受からない。④

2021年3月24日



 続きです。
 「年少時から引き継がれている親御さんのお子さんへの接し方」で入試の結果はほぼ決まります。「中学入試では親力が見られている」は大げさでも何でもなく、「親御さんの教育の蓄積が現在のお子さんを作り出した」のは事実であり、そのお子さんの力・有様がストレートに結果に反映されるのが中学入試ですから、本当にその通りなのです。
 次に「塾の活用の仕方」。これも違えると合格から遠ざかります。「塾に通っていれば安心」だけで受かるはずもありません。「なぜ通うのか?」「塾をどう活用すべきなのか?」そこを無理解のままでの通塾は時間と労力とお金の無駄で意味がありません。「何となく塾に通っているだけ」「通っているのに成績はいつも低迷」のお子さんに共通しているのは「受験生としての当事者意識のなさ」です。そこをどうするかが大事です。
 以上が前回までのお話でした。
 
 今回はその「受験生としての当事者意識のなさ」を生み出す弊害を取り除く方法についてのお話です。それができるかどうかが大事なのですが、ほとんどの方がそれをしません。いや、できないと言った方が正確なのかもしれません。
 それは「時間を作る」ということです。勝てるお子さんはそれができている。しかし、それをするもしないも親御さん次第なのです。
 かつて当塾生の中に「筑駒・灘・開成」の受験に成功した(その後筑駒→東大)生徒がいましたが、この生徒に限らず上位難関校に受かった生徒さん(受からせた親御さん)は「時間を作る」ことに熱心だったと思います。東大生へのインタビューでも不思議と多いのは「勉強のことで親からは何も言われなかった」「勉強よりも外で遊ぶ方が大事と言われた」などのコメントです。それを聞くとみなさんは「それは綺麗事で本当は違うでしょう」「元々できるお子さんだったんでしょう」と疑ってしまいがちですが、本当にそうなのです。私は塾に通った経験がありません。それは私が賢かったからとかそういう話ではなく(中学受験とは無縁の田舎で育ったという理由に加え)「疲れて学校から帰った後で、また別の場所へ拘束されに行くのが死んでも嫌」だったからです。ちなみに私の子の塾通いもトータル半年足らずでしたので、我が家では中学受験〜大学受験まで「塾代」とはほとんど縁のないまま受験を終了しました(笑)。
 私に限らず大抵のお子さんがそうだと思います。親御さんもどうでしょう?例えば定時で会社から帰宅できたのに、くつろいでいる最中に残業要請のTELがかかってきて再び会社に出向かなければならなくなった場合、嬉々として再出勤できるでしょうか?そのモヤモヤ感を家族に理解してもらえず「残業代のために頑張って行くんですよ」とハッパかけられて嬉しいでしょうか?毎日塾に通うお子さんもそれと同じような立場だとご理解いただければと思います。「疲れているのに(それを表に出せず)仕方なく塾に行く→塾で時間を潰すことが目的となる→受験生としての当事者意識をもつ余裕・気力・意欲は失せたままである」その結果、成績は低迷します。その状況を親御さんは叱り、さらに(成績低迷の原因はサボっているからだと考え)土日もオプション授業に参加させる。それで子どもはますます疲弊する→やる気を失う、という繰り返しが延々と続くのです。
 このように縛りつければつけるほどお子さんは疲弊し、パフォーマンスが落ち成績は下がります。当たり前の話です。事実、できない生徒ほど授業数が多く休みが少ないです。また「習い事」が多いのもそういう生徒さんの特徴です。それは親御さんが「暇を作らせない、習い事で毎日を埋め尽くすことが最上の教育」「そうしている自分は教育熱心な素晴らしい親」と(勘違しているのですが)そうすることで自分を安心させたい、自己満足したいからなのです。しかし、親の気持ちが平穏になることと引き換えにお子さんが辛くなるようでしたら、それは果たして教育と言えるのでしょうか?
 「時間を作る」ことが入試で勝つ最も重要なポイント、と私はそのように考えお勧めしているのですが、「暇を与えると子どもはろくなことをしない」「どうせ勉強しない」と考える親御さんが多いので、その実現はなかなか難しいのです、が、「忙しい」の「忙」は「心が亡ぶ」です。その状態で受験生としての当事者意識がお子さんに芽生える→頑張れる、かといえば、「無理」であることは誰の目にも明らかだと思うのです。
 時間を作れない(作らない・作らせない)のは一言でいえば「子どもを信用していない」からです。しかし、それだとまた今回のテーマの初期に逆戻りしてしまい、堂々巡りの話になってしまいます。

 では、どうすればいいか?
 次回に続きます。
 
 

勝ち方を知らなければ受からない。③

2021年3月14日

 

 続きです。
 中学入試で勝つ(成功する)には「先ず子を信じる→過干渉しない→親から信頼され自信を得た子は自分で考え自分で動くようになる→当事者意識を持って学習するようになる」という流れを築くことが肝要、以上が前回までのお話のまとめです。親の忍耐力の欠如によって「過干渉」は起こります。それは子育てでは百害あって一利なし。幼児期からそれが根付いてしまうと後々苦労するのは目に見えてますので、やらないことを意識した計画的な子育てを実行していただければと思います。
 さて、今回のテーマは「塾通い」です。上記のように自主的に動ける子にとっての塾通いは有効です。塾の活用の仕方を知っているのでますます成績は上がっていくはずです。
 ところで、塾に通う目的は何でしょう? それは志望校に受かるため。それしかありません。では、志望校に受かるにはどうすればいいのでしょう?
 受かるには

 1 みんなができない問題、知らない問題(正答率30%以下)でできるだけ得点する。
 2 みんなができる問題、知っている問題(正答率50%以上)で失点しない。
 3 1.2を組み合わせ、トータルで得点率65%を目指す


 この3つができれば受かる可能性が高くなる。これは当塾が行っている学習計画なのですがとてもシンプルです。成績が上がらないのは、シンプルなはずの対処法を何故か複雑に考えてしまい「本質を見失った無駄な努力」に固執してしまうからです。このような方向性を違えた学習では何も得られません。大事なのは上記のシンプルな学習を本当に実行する意思があるのかどうか、本当に実行しているかどうか、なのです。合否はそれで決まります。そしてこの3点を叶えるために塾に通うのです。で、塾(授業時)および家庭ですべきことは

 1 できない問題の解き方を知る。この1点に集中する。それでも理解が難しければ講師に質問する。 →その後家庭で復習する→次回の得点源とする
 2 1で得た解法・知識を元に確実に得点できるか、塾の週テスト・模試で試す。 →失点部分を家庭で解き直す→次回の得点源とする

 なのです。

 1、2の意識を持って塾に通い家庭学習するなら何も問題はありません。しかし下位クラスにいる生徒さんのほとんどはそれができていません。それができていない状況での塾通いは本当に時間と労力とお金の無駄なのですが、そういう生徒さん(親御さん)の発想(言い分)は

 1 授業を聞こうが聞くまいが、活用しようがしまいが塾に通っていること自体に意義がある。
 2 みんなが大手塾に通っているので(根拠はないが)何となく安心。
 3 家にいても勉強しないのでとりあえず塾に通う、通わせておけば安心。(結果的に塾を有料の学童・託児所にしてしまっている)
 4 自主的な家庭学習をしないので当然復習もしない(だから定着しない、故にいつまで経っても下位生なのですが)、そうであっても塾には毎日真面目に通っているので、それは充分頑張っていることの証しになるから。

 なのです。

 1〜4では中学受験成功のための実利は何も得られないのですが、下位に定着してしまうと「利を得よう」「上を目指そう」という初心・貪欲さを忘れてしまい、いつの間にか「安心感を得るためだけの塾通いで満足」になってしまうのです。しかし、塾には通ってますので本人は「毎日私は頑張っている」と勘違いしてしまう。勘違いなのですが「頑張っている自分」を認めることで安心したいのです。ですが「実利を得られていない似非真面目・似非努力・似非頑張り』「騙し騙しで得られる心の平安」で受かるほど中学入試は甘くありません。落ちれば「かりそめの心の平安」は、「その日から始まる苦難」を導いてしまうのです。ですから、そういう事態に陥らないように、早め早めの自己(意識)改革を行わなければならないのです。

 にもかかわらず、この状態を放置し、だけど志望校にだけは受かりたいというのであれば、それは「虫のいい非現実的な夢の実現を願っているだけ」になるのですが、このように現実を直視せず「根拠もなく自分にだけは奇跡が起きると信じている甘々な受験生」「どうでもいいことで厳しく肝心なところで緩い親御さん」が多いことに(毎年)驚かされます。

 では、どうすればいいのか?
 そのお話は次回に続きます。
 
 


 

 

勝ち方を知らなければ受からない。②

2021年3月09日

 ※ 平日の早い時間帯での授業は満席となりました。遅い時間帯もそろそろとなりますのでご了承ください。
 
 続きです。 

 中学受験を成功に導くのは能力・学習量なのかもしれません。しかし、最も大切な要素は「意志」。どうしても成功させたいという強固な意志を最後まで継続できたかどうかで決まります。事実それができたお子さんが受かっています。
 ある登山家が「エベレスト登頂を成功させた人間全てに共通しているのは、制するという気持ちを最後まで捨てなかったことだ」と話していましたが、「奇跡的な合格」(これは今年も見られました)を勝ち得た生徒さんはこの意志の強さ=最後まで勝負を捨てない心の強さ、を持ち合わせていたように思います。
 受験の動機はなんでもいいのです。「将来のため」「自分のため」または「親のため」「我が子のため」「親自身のため」。しかし、動機はちょっとしたことでブレます。ブレたが最後そのまま諦め・挫折に繋がっていきます。「サッカー選手になりたい」と夢見る男子は多いのですが、そのほとんどが挫折します。ちょっとでも辛くなると「自分にはフィジカルな能力がない」「ライバルの能力が自分より格段に優っている」と、逃げる理由・言い訳を山のように築き「これじゃ無理だよ」と自分の諦めを正当化することに精を出し次の夢を探します、が、また同じことを繰り返しますから、結局最終的にたどり着く「夢」は「誰にでもできるようなもの」なってしまうのです。
 では、強固な意志を保ちつつ諦めずに成功を導く生徒とはどのような子なのでしょう?
 それは自分を信じている子、自己有能感に満ちた子と言い換えてもいいかもしれません。自分を有能だと思っていますから上記の挫折などにいちいち悩みません。挫折=成功者の辿る当然の道、くらいしか思っていません。「自分はできる人」と思っていますから全てを「成功の糧」と認識しているのです。こういう子は「勝つ」ことを前提として受験に臨みますので「諦める」「落ち込む」「苛立つ」というマイナス心理に陥ることがあまりないのです。ですから「最後まで勝負を諦めない子」になることが可能なのです。
 ですがこういう子はあまり多くはありません。なぜなら幼少期にそれ(自己有能感)を身につけさせようとする親があまりに少ないからです。
 「できないお子さん」を持つ親御さんには共通点があります。それは「無駄に厳しい」という点です。
 会話からして否定語が多すぎます。「〜しなさい」「早く〜して」「ダメ」「〜しないで」など。一見子どもの為の言葉ですが、その根は全て「親の都合」です。要は親の都合に応えられない子の愚鈍さに苛立っているのです。
 しかしこんな言葉のシャワーを浴びせられている子は溜まったものではありません。四六時中上司に監視されている平社員の如く辛いものがあります。こんなシャワーを毎日浴びせお子さんを否定・洗脳しているのに、入試のときだけ「自分に自信を持て」とか、そういう矛盾したことを平気で言っている時点で子育てが下手、だと自覚されたほうがいいと思います。
 子どもは親の都合どおり動くロボットではありません。
また、子育ては感情任せではなく、計画的に行うものなのです。
 お子さんを信じていないから否定語を使うのです。そして親がそれを使えば使うほど「親から信じてもらえないお子さん」は「自分に自信がなく人の目ばかり気にする子」になってしまうのです。当たり前の話ですが自分に自信のない子が強固な意志など持てるはずもなく、決局受験に成功することもないのです。
 
 中学受験は親で決まる、とは言い古された言葉ですが、その真意をよくお考えいただければ自ずとどうすれば良いかが見えてきます。

 


 


 

勝ち方を知らなければ受からない。

2021年3月04日

 さて、意外と見落とされがちな話ですが、公立高校出身の親御さんと比較して、中学受験成功体験のある親を持つお子さんの中学受験成功率は高いです。要は親子して成功するというパターンが多いということですね。なぜでしょう?
 中学受験は公立高校受験と比べ桁違いに厳しく、その過程で相当鍛えられる、ゆえに両者の見てきた世界はまるで違うからです。その厳しさは例えば小学校年少時からの土日も関係ない塾通い、過酷な競争、容赦ないクラス分け、親子の葛藤、長時間の学習、受験の結果に対する悲喜こもごもなど。このような体験を経て、その凝縮した子供時代を過ごした先に成功を勝ち取った親御さんの「体験者のみが知るシビアな一言一句・アドバイス」は受験を目指すお子さんにとっては至極的確、金言そのものなのです。日頃よりそういう話を聞いて(聞かされて)きたお子さんの受験に対する心構えや覚悟は、やはり他の子とは格段に違う。そのブレない姿勢が成功を招くのです。
 そういうシビアな経験をしていない親御さんは(子育て全般で)「どうでもいいことに厳しく、肝心なところで甘い」という特徴があります。また、中学受験に対して楽観的すぎるという傾向もあります。ですから、中学受験で勝つお子さんを育てるという点で言えばイマイチ上手くはありません。ご本人が中学受験未体験なので、どうしても試行錯誤しながらのお子さんへの指導になってしまうので、そうなってしまうのは仕方ないかもしれません、が、しかし、試行錯誤のままでは効率の悪い接し方の継続につながり、気がついたら受かるはずの子を落としてしまった、ということになりかねません。

 それを踏まえて、次回からは「勝つにはどうすればいいか?」についてお話ししてまいります。


受かるのはこういうお子さんです。

2021年2月26日

 「合格する生徒の特徴は?」この質問は毎年必ず1回は聞かれます。親御さんは私の答えとお子さんの現状を比較したいからだと思います。そしてそこには、もし改善すべき点があれば改善し、入試成功につなげたいという願いも感じ取れます。
 「頭の良い子である」はその回答の一つですが、これでは身も蓋もありません。しかし現実はやはり「できる子」が受かりますから、そうなる過程を積み上げてきたかどうかが重視されます。「遺伝」とか「先天的な能力」もあるでしょうが、それ以上に大事なのはやはり「努力」「環境」ではないかと思います。
 まず「努力」ですが、「困難に立ち向かい・・」みたいな悲壮感漂う努力では長続きしません。そもそも勉強を「困難」「苦行」だと認識している時点でダメなのです。「勉強が好き、だから努力を継続できる子」が合格する生徒の特徴の一つです。
 勉強が嫌い、という人から見れば勉強好きな子は奇異に映るでしょう。ガリ勉くん?みたいに色眼鏡でみる人もいるでしょう。しかし、勉強好きな生徒の見える景色は(嫌いな生徒とのそれとは)まるで違うのです。まず知識欲と言いますか、勉強を通じて「知らなかったことがわかった」「できたことに喜びを感じる」「覚えることが好きだ」などに快感を得ている当事者は無理して学習している意識はないので、見える景色はバラ色に近いのです。ゲームが好き、スマホいじりが好きと同じレベルで「勉強を好きでやっている」のです。好きでやってますから長続きする。そういう子に「努力しているね」と褒めても本人はピンとこないはずです。だけど褒めてもらえること自体は嬉しく、承認欲求も満たされますので、ますます調子に乗って学習していくのです。「悲壮感のない努力」が大事ですね。
 次ですが、「勉強は楽しいからする」=「悲壮感のない努力を重ねる」になるもならないも「環境」次第です。ご存知かと思いますが、灘、麻布、JGなどの上位校は私服通学です。校則もほとんどありません。これは甘いのではなく、子どもの自主性を重んじている=子どもを信じている、からです。自由に振舞いつつも自分に規律を課すというバランス、そういう自主自立を重んじているのですね。反面、そうでない学校は髪の毛の長さ一つにも厳しい規則を課しています。生徒を信じていない、ほっておいたら何をしでかすかわからない連中、と思っているからです。
 「家庭環境」はどうでしょう。ご家庭でもそういう「締めつけ学校」と同じことやっていませんか?「勉強しないと叱る」「宿題が終わるまで遊びに行ってはいけません」みたいに、学習すること=罰ゲームにしてしまっているご家庭ですね。罰ゲームを進んで喜んでする子がいるのかな?と疑問に思った方がいいと思います。これはお子さんの自主自立を信じていないからです。親から信じてもらえない子が進んで喜んで勉強するのかな?これも疑問に思ったほうがいですね。
 親は不安なのです。勉強しない子が。勉強しない子が将来どうなってしまうのか不安で不安で、その解消のために厳しくしたり、学習を強制したりするのです。だけどされる側はたまったものではありません。親の不安が子の学習意欲を遠ざけ、重圧逃避のためゲーム、スマホに向かわせる要因となっているのです。
 親御さんは「我が子を信じる」という勇気と言いますか、自信を持った方がいいです。うちの子も大学生ですが、 幼少期より親子喧嘩は皆無に等しいです。基本何をするのも自由だからです。お互いの自由を尊重すると諍いが起こることはありません。お子さんに構い過ぎる過干渉の親御さんは子に失敗させたくないから予防線を張りまくるのですが、失敗を恐れすぎです。別に失敗してもいいのです。なぜなら失敗からは必ず何か得られる=少し遠回りの成功になるが、それを得るための糧になる、からです。その発想が大事。「成功は良し、失敗も良し」というおおらかさをご家庭ではお持ちください。家庭はマイナス査定重視の会社ではありません。なのに親が上司、子が部下という関係を持ち込む家が多いです。これでは誰もリラックスできません。「親から信頼を得た子が自主的に学習していく」これが合格する生徒の特徴の二つ目です。
 「家庭環境」の次は「学習環境」です。もともと子どもは知識欲があります。わかることは楽しい、逆にわからないと急につまらなくなります。自分で工夫し粘って理解しようとしても、どうしてもわからないものは質問すればいいのです。それで解決すれば学習の面白さ=知識欲は継続されますが、問題は「受けた質問をわかりやすく返す力が大人(親・学校の先生・塾の講師)に備わっているか、です。「こんなこともわからないのか」と怒声を浴びせたり、「ダメだな君は」と自尊心を傷つけたり、そもそもわかりやすく説明する能力に欠けていたり、そういう大人が相手ではお子さんは勉強が嫌になっていきます。どういう大人に関わったか=学習環境が良かったか、でも諸々左右されます。要するに当たり外れがあるとお子さんの人生に影響が出てしまうということですね。大人はその点に細心の注意を払うべきです。
 大人から適切且つ丁寧な指示を受けたなら、生徒さんはそれを最大限に吸収し、活かすことが大事です。合格する子の三つ目の特徴は「素直で真面目である」です。自分の足りないことを自覚し、スポンジのごとく吸収していく。そして活用する。算数のプロ講師に教わったなら、その思考方法を自分の脳に刻み込もうとする素直さが大事です。間違っているのに頑なに自己流を貫こうとする人は進歩しません。
 「努力」「家庭環境」「学習環境」が満たされた条件で、「自主的に学習する素直で真面目な子」が受かるということですね。そういう子にするもしないも親次第、周りの大人次第だということです。
 当たり前の話です、が、なかなかそうならないのが現実ですね。ですが、その現実に近づいていくことは大事です。

 


 
 

やっぱり国語の強い子が入試では有利かな、という感。

2021年2月23日

 四教科の入試科目で最優先されるのが「算数」。おそらく多くのお子さんが算数中心の家庭学習に励んでいると思います。中には「今は算数だけ頑張りなさい。。理科社会は暗記科目だから後半の追い上げれば十分間に合うから」と「大胆な学習計画」を子に与えてしまい、結局二教科の追い上げが間に合わず入試で憂き目を見ることがあります。理社が暗記科目とは遠い昔の話。今は分析力と総合的な論理的思考、それに記述力がないと解けない作りになっているのです。覚えたことを吐き出せばいい、では通用しないのです。
 理社以上に「酷い扱い」を受けているのが「国語」。算数と同じ高配点。だから国語も算数同様に頑張るべきだし、その出来が合否を左右するにもかかわらず「算理社が仕上がった後の余り時間で国語をやる」というおまけ扱い。この軽さは如何なものかと思います。「文章題を解いている時間が勿体無い。国語は漢字と言葉の知識をチャチャとやっておけば十分」ということなんですかねえ。
 はっきり申し上げましょう。入試で失敗するのは国語ができなかったからです。本当にそうなのです。逆に国語が高値安定している子は志望校に受かりやすいのです。なぜでしょう?
 算数のできない子は基本問題で一杯一杯ですがなんとか解けます。できる子は基本問題はラクラク解けますが応用問題は完璧でなく発展問題はほぼ解けない。つまり想像以上に両者間で点差は開かないのです。一方国語のできない子は本当に得点できませんが、できる子はほぼ解ける。つまり算数以上に点差が開くのが国語なのです。たまにまぐれでうまくいく(算数はそうではない)のも国語の特徴ですが、できない子の国語の得点力は当てにならない。そこが国語の弱い生徒の怖いところです。
 国語のできる子はどんな文章題でも安定して解けます。解き方を知っているからです。しかし、算数はどんなに得意だと言っている子でも例えば灘、渋幕あたりで出題される「超難問」はお手上げなのです。そういう場合「万が一に備えて予め安定して高得点を見込める科目を一つでも作っておく」ことが必要なのではないでしょうか?
 国語と社会がその候補です。特に配点の高い国語に(算数でコケた場合に備え)セイフティーネットとしての役割を担わせることが大事なのです。
 だから国語の学習はすべきなのですが、とは言え・国語のできない子が自己流で努力したとしてもますます方向がズレてしまい、却って傷口を広げてしまうことになりかねません。なまじ国語は日本人全てが「中途半端にできる」ので、自己流でも通用するだろうと高を括ってしまうのです。ですが、現実は違う。国語の学習はしなければいけないのは間違いないのですが、しかし、やっても自己流なら効果を得にくい。おそらく「国語の文章題はやるだけ時間の無駄」という親御さんはその辺りが分かっているからだと思います。しかし、放置しても好転することはないのです。
 国語の正しい解き方をマスターすべきなのです。しかしそれが難しい。私も四教科指導していますが、やはり国語の指導が一番難しいな、と常々感じます。
教える側に力量がないと、また受け手に情熱がないと国語は本当に伸びない伸ばせない科目なのです。
 
 もし「国語が致命的にできない」とお悩みでしたら解決に向けたお手伝いは可能です。
 国語は「正しい解き方のマスター」と「マスターした正しい解き方を素直に実践する」で間違いなく伸びます。
 国語で悶々としている方はお問い合わせください。そして国語が上達し、得意科目になったならそれを武器にして入試に臨めば、成功は必然的なものになるでしょう。

 もちろん他の科目の強化が大事なのは言わずもがなですが(笑)。

 
 

受験を終えて。②

2021年2月17日

 続きです。

 例えば「御三家」ですが、受かる子はどこの塾に通っていても受かる、一方で有名大手塾に通っていても受からない子は滑り止めすら受かりません。外部環境はあまり関係ないのではないか、というのが長年受験に携わる中で得られた感想です。
 その理由は「資質」。天分が備わっているという意味の資質ももちろんありますが、この資質は「心」という意味です。この「心」が受験の合否を決定づけると思います。ですからそれが備わっていない生徒は受験での成功を勝ち取ることは難しいと思いますが、しかし、その「心」をお子さんに植え付けるのは親御さんの役目です。物心ついたときから備えるべき「心」の教育を怠ると、その蓄積が取り返しのつかない状況を生んでしまいます。毎回申し上げていますが、子どもを産んだ以上は計画的に育てなければいけない。勉強とか習い事をさせる以前に「心を育てる」に重きをおくべきだと思います。その「心」は前回申し上げた3つの「受験成功を妨げるもの」を阻止するのです。
 その一つである「ハングリー精神がない」ですが、不思議なのがどうしてお金の出どころ、お金の稼ぎ方、みたいなことを親子話の中で出てこないかな、ということです。例えば父親(母親)が自分の給与明細を見せる、時間あたりの賃金を教える、子供が強請るスマホの値段を教え、その値段が時給何時間分に当たるか、そして塾代・受験料、学費なら何時間分に当たるのか、家のローンはどうなのか、という話ですね。ことあるごとにそういう話をし、「お金は天から降ってきてこの生活はいつまでも続く」と勘違いしている子に現実を見せておく、ということですね。なぜこれをやらないのでしょう。
 「中学受験の意味を理解していない」という能天気な頭をガツンと覚醒させるのも上記のような「現実社会の話」です。稼がなければ生きていけない、例えば年収1000万円は何の努力も積み重ねてこなかった者が得られる額ではない、という現実。それを得るための大手企業就職には一定水準以上の大学を卒業してることが最低条件である、という現実。選択肢に高学歴→大企業だけしかないわけではありません。学歴に関係なくスポーツ界、芸能界、もしくは実業家の方で高収入を得ている人はもちろんいますが、際立った才能、商才がないのであれば失敗するリスクは高いです。そういう稀有な成功事例を横に置けば、中学受験を「受験したいな」「受かったらいいな」という希望・憧れの対象にするのでなく、平凡な人間がそれなりに満ちた人生を過ごすための必須条件の一つである、とお子さんに伝えるべきなのです。脅すのではなく、現実を教えるのです。入試は身分、家柄、容姿、貧富の差で決まるものではなく、努力した者が勝つという極めてシンプル且つ平等なシステムなのです。これもお伝えいただきたいですね。
 「自分に自信がない」お子さんにしたのは間違いなく親御さんです。とにかくダメ出しが多い。「早く」「駄目」「〜しなさい」「〜しないで』と年中金切り声をあげている親御さんは子どもを萎縮させるだけです。しかも上記の4語は全て親御さんの都合によるものです。他に「人に迷惑をかけない」「嘘をつかない」なども道徳教育を施しているように見えますが「人に迷惑をかけている子の代わりに親である自分が責められるのが嫌」「嘘をつかれてショックを受ける自分が嫌」という、これまた自己都合なのです。子どもだって好き好んでそうしているわけではないのです。早くできない理由、他者に迷惑をかけることになった理由、嘘をついた理由、それぞれに事情があるのです。親御さんがその理由を親身になって冷静に聞き取ろうともせず、頭ごなしに責めるのであるならそれは子育てでなく独裁です。独裁を強いる親御さんのいうことを子が聞くはずもありません。「親への信頼度が低い』=「親のいうことを聞かない子」=「勉強しない子」というのはそういう家庭環境がそうさせているのです。
 子どもを思いやれる親=受験を成功させる親、であることは間違いありません。お子さんと距離感の近いふわふわとしたお友達のような親でも悪くは無いのですが、時には現実も見せる。ただし、その見せ方があまりにもシビアだとお子さんはその話題を避けてしまいますので、そこは「演者」としての親御さんの伝え方が重要になるのです。真正面から生真面目に理詰めで説得するような親は(たとえ正論を言っていても)子どもから煙たがられます。聞いてもらえないなら何もしていないのと同じなのです。子育てをする上で必要なのは親御さんの「伝える力(プレゼン能力)」と「ユーモア精神」です。事実、受験を成功させた親御さんの話し方は筋道が明確で面白い。
 最後に(これが一番大事なのですが)お子さんを最後まで信じられるかどうかです。そして開花するまで忍耐強く待てるかどうかです。子どもは親の分身です。よって子どもを信じることは自分を信じることにつながるのです。逆に言えば自分に自信がない自分を信じていないと、写鏡である子に対してもそういう目線、接し方になるのです。

 その点もご理解ください。
 
 
 

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