中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

「勝ちたい」という意欲は人間力・生命力そのものです。②

2020年9月24日

 続きです。
 成功する子=野心のある子に育てるには、自己肯定感を持たせることが何より大切です。しかし、一般的な親御さんの対応を拝見していますとほとんどの方がその真逆である否定から入ります。例えばお子さんが100点満点のテストで90点を取ったときでさえ、失点した10点をねちっこく責めたり、偏差値が1下がっただけでこの世の終わりみたいなことを言ったり、その他何かにつけて「うちの子のダメっぷり」をまるで自慢するかのように辺りに吹聴したり、それが謙虚なお母さんアピールなのか保身なのかはわかりませんが、「本当はできない子になることを望んでいるのではないか?」と疑ってしまうくらいこの手のことが大好きです。しかし、それを聞かされているお子さんには何のメリットもありません。否定され負けん気から奮起する劇画調のシナリオを期待しての叱咤でしたら、その効果は何もないとご理解ください。効果がないどころかお子さんの心には「自分はダメなやつだ」だけが浸透し、本当にそうなってしまうのです。デメリットしかありません。前回も申し上げましたが「思考は現実化」します。そのことを本当に知っていただきたいと思います。
 それなら、「すごい、偉い」の連発で子どもを褒めさえすればいいのか?についても否定します。根拠があるならともかく、口先だけの白々しい文言だけでお子さんの自己肯定感は育つはずもなく、その前に「親が僕にやる気を起こさせようとしているな」と見抜かれてしまっています。お子さんが渇望するのはそういうことではなく、親の贔屓目みたいなものではなく、「この先本当に自分は大丈夫なのだろうか?」という客観的で確実な証なのです。
 さて、高学歴の方(例えば東大王とか)の年少時には不思議と共通点があります。例えば「親に勉強しろと言われたことがない」「図鑑を飽きるほど読んだ」(読書が趣味)などです。自分のための学習だとわかっていますから親がそこに関与する必要がない、知的好奇心が強いので読み物が大好き、ということだと思います。もう一つ挙げるならそれは「伝記が好き」ということです。自己肯定感を持たせる・野心家を育てるという意味でこれほど有効なものはありません。やはり上を目指す人・それを達成した人は「年少時に伝記に触れる」という過程を経ています。
 伝記は偉人たちの立身出世の道のりを描いたお話ですが、彼らの生い立ちは様々です。「貧しい家庭に育った」「子どもの頃は勉強ができなかった」「肉体的ハンデを背負っていた」「裕福な家庭で育った」など、「自分と同じだ」と共感できる人物を見つけたなら、まさに自分に出会ったような親しみを感じるでしょうし、次に「では、そこからどうやって成功したのか?」「同じように頑張ればこんな自分でも道が開けるのではないか?」という興味も湧き、一気に読み進んでいくことになるでしょう。そして読後に「そういう成功例に沿うなら自分の人生も可能性がある、まだまだこれからだ、いくらでも挽回できる」としみじみ感じ、勇気を得ることになるのではないでしょうか?
 高学歴の人には三国志・大河ドラマなど歴史物が好きだという人も多いです。伝記同様、登場人物に自分を投影させ読んだり見たりしているのでしょう。こういう子は知らず知らずのうちに「上を目指そう」という野心を育みますので、日々そんなことを沸々考えていれば、思考したことが現実になる流れが築け、結果的に「知らん間に成功していた」となっていくのです。また、伝記・歴史物は実話ですので、説得力があり、お子さんの心にも入っていきやすいのです。
 ゲームをしている暇があるのなら、その時間で伝記を読むことをお勧めしたいのですが、これも親が強制しては意味がありません。
 そこが難しいところで、読書につきましては「我が家では物心ついたときから一家揃って読書する習慣が根付いている」という環境が整っていないと困難かもしれません。
 言い換えれば、子どもはゲーム、親はテレビ、という習慣が長年続いてきた環境は「上を目指すための子育て」には向かないということです。
 毎回申し上げますが、子どもを産んだときから「計画的な子育て」を実行しないと「既に手遅れ」になる恐れがあります。
 子を産んだ以上は、独身時のマインドそのままとか、夫婦二人暮らし時の習慣そのままとか、そういうものを一度壊さなくてはいけません。親になるにはそういう「過去の自分を捨てる覚悟と勇気」が必要なのです。しかし、その「覚悟と勇気」は「単に年をとっただけの大人」から「人間的に成長した大人」へと劇的に変化させます。見える世界が違ってくるのです。子を産み育てる過程は、子が成長する以上に、夫婦が人間的に成熟していく過程でもあるのです。
 特に父親となった夫の自覚が家庭のあり方を決定します。そういう意味でイクメンを有り難がっているような家庭はまだまだ未熟です。「仕事をしているうえに子育てまでしている俺偉い」とは何のアピールでしょう? 仕事なんて家庭人ならやって当然なのですよ。子育ては夫婦で行うもの。そこに父親が介在するのは、当たり前中の当たり前のことなのです。家事などもそうですね。テレワークの環境下なら尚更のことです。

 そういうことを「当たり前」のこととして実行できる家庭にのみ、それにふさわしい子が育ちます。
 何も言わずとも、子は親(特に父親)の背中・有り様を見て育ちます。これは間違いないですね。

 次回に続きます。
 
 
 

「勝ちたい」という意欲は人間力・生命力そのものです。

2020年9月16日

 前回「野心家が中学入試を成功させる」というお話をしましたが、ジャンルを問わず成功するのはこの資質の持ち主です。そもそも上を目指したいという意思がなければ上には行けないのです。ですから野心家が上に到達できるのは必然なのですが、さて、その野心家は、どうして野心を持つに至ったのでしょう?「三つ子の魂・・」とはよくいったもので、これが形成されるか否かは幼少期〜思春期の体験、及び事象の受け止め方次第なのです。その体験をどう受け止めたか、また、親がどう受け止めさせたかで、その子が野心家になれるかどうかが決まるのです。
 野心家になれそうな子は概ね2パターンあるように思います。一つは立場が弱かった子、もう一つは満たされた子です。対極的な二人ですが、例えば幸せの基準をプラス10と数値化してみましょう。
 立場が弱かった子(例えば、いじめを受けている子・家庭が貧しい子・親から見放された子)はマイナス10からのスタートです。ここで「自分は将来に渡ってずっとマイナス10のままだ」と人生を投げ出し自暴自棄になる人がいます。大半の方はそうでしょうね、たとえどん底であっても現状維持の方が楽なので、ズルズルとマイナスがマイナスを生み続けるというパターンになることは本当に多いです。しかし中には「みんなが幸せなのにどうして自分だけこんな環境にいるんだ、と疑問を持ち、必ずプラス10の水準に、いや今までの不幸を取り戻すためにもプラス20にしなくては」と自分を鼓舞し、勉強に勉強を重ね一角の人物になっていく子もいます。同窓会のメンバーの中で一番の出世頭が、かつてクラスでいじめられていた目立たない子だった、というのはよくある話です。マイナスからスタートした人のエネルギーには凄まじいものがあります。しかし一方で、過去の流れのまま人生を諦めて過ごす人はそのまま地を這いずり回ることになります。そういうパターンも多い。要はマイナススタートをどう受け止めるか、プラスにしようという意欲が強いかどうかという話なのです。
 次は満たされた子ですが、こういう子は自分が幸せだと自覚しています。プラス10からのスタートだという認識を持っているのです。ですが、幸せは天から降ってくるものだとし、ノホホンと思考停止のままに生きている子はプラス10止まり、もしくは油断しているとそれ以下になる可能性があります。
 満たされた子が更に飛躍していくのは2パターンあります。それは「現状を不安がること」と「揺るぎない自信を持っていること」です。
 前者はこの幸せがもしポシャってしまったらどうしよう、超お金持ちにならないまでも貧乏になるのは嫌だ、とにかく落ちぶれた未来にしたくない、という考えから「プラス10は最低水準でこれ以下に落としたくない、保険をかけるためにプラス20くらいにしておきたい」という理由で日々励みます。また後者は「自分が満たされた人生を歩むのは至極当然のことなのだ」という意識に満ちていますので、何をやってもうまくいくと考えています。中学受験も然り。失敗を考えていませんから自信が自信を呼び、自信が成功を呼び、結果的にプラス20くらいの水準に持っていけるのです。
 ちなみに満たされたご家庭をお築きの親御さんはどのようにお子さんと接すればよいのでしょうか?
 よくある接し方に「お金の有り難みを知ってもらうため、我慢強さを身につけさせるため、子には贅沢させない」というのがありますが、これは間違いです。なぜなら(言い換えれば)「贅沢しなければお金の有り難みを知ることができ、我慢強さも得られる」というのは論理が破綻(お金を使わないとお金の有り難みがわかるという根拠は? 裕福なのに我慢するメリットは何?)しており、そこに何の説得力もないからです。かつて「人命は地球より重い」と一見素晴らしげなことを言った政治家がいましたが、これなども論理が破綻しており(人が一人死んだら地球崩壊?)、美化された文言の羅列で愚民をケムに巻く手法としては上出来ですが、賢い人は騙せない。「ご飯を残すとお百姓さんが悲しむ」なども同様で、農家が悲しいのはお米が売れず現金が手に入らないことであり、売った後の米の行方、消費のされ方まで心配したり関心を広げたり追跡調査したりする農業従事者はほとんどいない(聞いたことがない)のです。両者とも普通に「命は大切に」「食べ物は大事に」と伝えればいいだけのことなのです。
 美辞麗句満載文言には何か裏があると疑い、また、根拠に乏しいことも疑う。賢い子はそういうことに敏感ですので、親や教師の言うことを鵜呑みにしません。子に見透かされる前に親は「受け売りの子育て情報」を無批判に受け入れ垂れ流すのではなく、諸々消化したうえで自身の子育て哲学を確立してください。そのために日々考え勉強してください。親は子供以上の勉強が必要なのです。
 裕福なご家庭では親御さんがお子さんにそれを認識させるのが正しい接し方、一番の教育なのです。例えば欲しいと言われれば買ってあげる、子が食べたいものは可能な限り食べさせてあげる、お年玉も子が驚くくらい与える、行きたいところにはあちこち連れて行く、教育にお金を惜しまない、なぜそれが可能なの? 裕福だからよ、を繰り返し教えるのです。そうしてもらうことで子は「お金の有り難みを忘れる」どころか「お金がないと今の幸せな生活が維持できない」と、お金の価値を怖いくらい知ることになるのです。そして「この生活水準を維持できなければ」という不安、または「私はこれ以上の生活水準を得たい」という欲望が野心家を作るのです。そもそも「この家庭に生まれてきてよかったな」「毎日楽しいな」を子に与えること自体が親の責任・努めなのです。毎回言いますが「子は好き好んで生まれてきたわけではない」のです。この事実を真正面から捉えたうえでの子育てでなくてはなりません。

 しかし、同じような環境下でも(上記でもお話ししましたが)成功する子とそうでない子が生じます。成功する子=野心ある子にするにはどうすればいいのでしょう?  次回はそのお話をしたいと思います。
 

 

中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。⑥

2020年9月08日

※ 既に何件かの来期ご予約のお問い合わせをいただいており、その大半の方が今年のスポット授業を希望されています。ありがたく、しかし心苦しいのですが、ここ数年永田の休みはほとんどなく、毎年念仏のように唱えている「今年こそは働き方改革を」の実現が本当に遠い状況です。「お引き受けした以上は必ず責任を果たしたい」が当塾のモットーでそれは変わらないのですが、そのモットーの継続と同時にそろそろ本気で「体に無理のない仕事の仕方」を構築しなければ、と考えております。退塾者がほとんど出ない塾ですので空きは滅多に出ません。たまにスポットで時間が空くことがあっても、その大半がレギュラー生の補習で埋まってしまい、外部の方が入りづらい環境下にあります。などの諸事情があり、外部の方は大変申し訳ございませんが、来期までお待ちいただければ幸いです。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 さて、この章の最終話です。
 中学受験に限らず成功する人ってどんな人? やはり頭の良い人?それだけでなく運も良い人? その通りなのですが、成功者は野心家であること、これが成功するための大前提であり最も大事な要素だと考えます。逆に野心のない人は(頭や運の良さで)そこそこの成功(例えば年収1000万とか)は収められても、人生を満喫できるほどの大成功は収められません。「突き抜けた成功」を目指すのであれば、野心は不可欠ですね。
 野心という言葉には何かギラギラした下克上的な雰囲気を醸し出すところがあり、そういう負の印象のためか、このような空気をタブー視する「平和第一主義のご家庭」も多くあります。曰く「ハイリターンであってもハイリスクなことは避けなさい」「安定した生き方を目指しなさい」「大それたことを考えるのではなく、そこそこの幸せを掴みなさい」「人を踏み躙ってまでして上に立とうとするな」「他者のことを第一に考え自分は二の次、常に謙虚でありなさい」を、お子さんに求めたり教育したりするのです。「小さく謙虚に生きていれば杭は出ることなく打たれる心配はない、これが無事に生きるための処世術」ということなのでしょうか?
 さて、上記の「謙虚」ですが、これは卑下そのものであり、自分を下に置いて他者を上に置くことで、相手の警戒心を解き、人間関係を平穏に保とうとする日本人独特のコミュニケーション手段ですので、保身であっても美徳ではないのです。しかしそれに洗脳され(たとえ形だけそう振る舞っていたとしても)自分を下に置くという行為を無自覚無警戒に習慣化すると、それはその人の潜在意識に多大な悪影響を与えます。「私なんで大したことはない」とか「うちの子は何をやってもダメで」とか、この世で一番大事な自分と我が子にマイナス思考を刷り込むことを繰り返したとします。その結果はどうなるのでしょう? 前回「思考は現実化する」というお話をしましたが、心に思ったこと、言葉に出したことはそのまま実現されることになるのです。「私なんぞ凡人です」「うちの子はバカなんで〜」と言うのが口癖なら、「この人は大したことができない平凡な自分になることを望んでいるのだな」ということでその通りの人になり、「この親は子がバカである状況が好きなんだな」ということで本当にそんな子になってしまうのです。後で「それは謙遜のつもりだった」と言い訳しても、言霊はそんなことは忖度しません。思ったこと・口に出したことを「これがその人の望んでいることなんだ、だったらその通りにしてあげよう」という「親切心」でそうしてしまうのです。悪意はないのです。怖いですねー(笑)。
 野心、つまり「自分が一番だ」「うちの子は素晴らしい」でないと、結果的に自分を大事にできない子ども、子どもを大切にできない親になってしまうのです。長年の洗脳から、自分を大事にできない子→自分の将来を明るく捉えられない子は、目の前のことが楽しければそれでいい、将来のこと?知らん、という刹那的な人生を歩むことになります。生産性ゼロのゲームで1日無為に過ごす、なんていう子はその典型ですね。ですから受験や勉強を「将来の自分の幸せ・自己実現のための手段」とは考えられないのです。自分のためだと思っていませんので、「親が受験しろと言うから』「親に叱られるから」とかそんなショボい理由でしか勉強しないのです。これではたとえ多くの時間を学習・通塾に費やしたとしても、「自分の野心実現のための勉強」という意識がないから、伸びに限界があるのは当たり前なのです。長年塾に通っているのに伸びない子は自分をダメ人間だと思っているか、親が我が子をダメと思っているか、もしくはその両方、ということになります。
 「親力」「家庭力」とはそういうことなのです。ただただ子どもに勉強させる習い事をさせるだけがそうではないのです。「僕が一番すごいんだ、だから将来も大成功する運命にある」という野心を日頃よりお子さんに刷り込み、「将来大成功するであろう自分のために中学受験を成功させる。これが栄光への道の一歩だ」という信念に至らせるような接し方を日々重ねる、のが本当の「親力」「家庭力」なのです。そして受かることにより「ほら、やっぱり自分はすごいんだ」を実証させる。これが「勝ちぐせ人生」の契機となります。できないお子さんをお持ちの親御さんは、自分から勉強する子の存在を不思議がり、また羨ましく思ったりするのでしょうが、こういう子どもを育てているご家庭はそのような接し方を日々習慣的に行っているのです。「自分の子を手放しに褒めたりするのは恥ずかしい」などと考えているうちは成功とはほど遠いところを歩くことになります。毎年色々なご家庭に接しますが、中学受験成功者は間違いなく野心家で、そういう野心家を育てているご家庭は一定数存在し、そこはやはり「親力」「家庭力」が優れているのです。このような家庭は非常に計画的で緻密な子育てをします。子は敗者を養分にして育ち、そして自力で実らせた果実(成功)を総取りします。怖い話ですが、世の中というのはそういうものです。そして成功者が築く家庭は次の成功者を生み出し易い、も「あるある」で、ある種の「勝ち遺伝」みたいなものが脈々と受け継がれていきます。それを可能にするくらい「できる親」というのは子ども以上に様々なことを学びます。その学習量は半端ではない。本当にいろいろなことを吸収し、有効と思えることを貪欲に実行しています。それが子にも子孫にも好影響を与えているのでしょうね。この影響力が=「家庭力」です。ですから、偉そうに子に指示する親自身の学ぶ意欲が我が子以下なら「親力」「家庭力」という点では話にならん=成功する家系にならない、のです。
 繰り返しますが、謙遜は美しいものでも何でもなく、他者の目を気にする自己保身のための卑しい手段だとお考えください。そして卑下したことはその通りになっていくというというリスクも覚えてください。親が保身のために我が子を利用し卑下すると「お望み通り」子どもは地面を這うような人生を歩むことになります。
 自分を幸せにする、が第一です。子どもを幸せにする、が親の務めです。子を幸せにするために親が第一支援者になり自信を持たせる、これが「親力」であり、その密度が「家庭力」です。親からの影響で自分に自信を持てた子が、今度は自分の意志で受験を成功させ、自分の自信を確信へと実証し、その揺るぎない確信の下で、おそらく自分以下であろう他者の戯言・影響を受けない高みの環境下で、誰にも邪魔されず自分らしい生き方を構築し、思う存分幸せを勝ち取っていく。このように「親力」「家庭力」は「お子さんの自分力・人間力」へと繋がっていきます。

 次回は新テーマとなります。

 


中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。⑤

2020年8月31日

 ※ 明日から9月です。5ヶ月後には入試です。今年は色々ありましたが、入試は間違いなく来ます。準備は万全に。

 続きです。
 中学受験に成功することと「孤独に強い子になる」→「自分に忠実に素直に生きられる子になる」→「人生で成功を収め、自信に満ちた人生を歩める人になる」にどのような関係があるのかをご説明します。
 始めに、中学受験に成功→大学への進学(首都圏の国立なら例えば東大・一橋・東工大。私学なら可能なら早慶上理ICU。なるべくGMARCH以上)だけでは不十分だとお伝えします。中学受験〜大学受験は投資です。元本はいうまでもなく、それ以上のプラスαを回収してこそ、ですので、それが可能な職種に就かなければならないのです。つまり「将来において持続可能な経済力が伴わない受験成功には意味がない」のです。そこまで成し遂げて初めて「成功」と言えるのです。ですから受験後に燃え尽き症候群に陥るようではダメで、大学に入っても勉強中心の生活を送り、社会人としての準備を怠りなく、というのが真っ当な学生の過ごし方なのです。(大変だと思います。ですが、成功者のほとんどは側からは気づかないようなものも含め、地道な努力を継続しています)
 中学受験を始めとした成功体験を積み重ね、経済的に優位な立場を得られると、自分自身に対する圧倒的信頼を勝ち得ることができます。「自分が一番信用できる人間」この境地に立つことが大事なのです。経済力を含めた圧倒的優位からの「自分が一番である」という自信家は、裏を返すと「他者の発言には耳を傾けるほどの価値がないと考える人、なぜなら自分が一番だから」→「他者のことは眼中にない人」→「孤独に強い人」なのです。また、自分に自信があり、しかも孤立に強く他者に影響されず我が道を進みますので、これが「自分に忠実に素直に生きる」に繋がるのです。もちろん失敗することもあるでしょうが、自分が納得して選んだ道を進み、尚且つ自分に自信がありますので「深い谷はむしろ更なる飛躍のためのワンクション」くらいの前向きさで物事を捉えますから復帰が容易、成功を収めることもまた容易なのです。他者からは「協調性がない変わり者」に見えるかもしれませんが、大事なことは「自分が納得して生きる」ことです。ご都合で評価を二転三転させる他人に自分の人生を委ねる必要はないのです。
 自信が自信を呼ぶ、その自信が成功を呼び込む。「思考は現実化する」という書物があり、私自身もその愛読者・実践者ですが、不思議な話ですが本当にその通りになります。当塾ではこの方法を取り入れてますが、毎年奇跡みたいな有り得ない合格もあったりして、なんか知らんが勝手に良い結果を得られるのもそのせいかな、と思ったりもします。(この話の詳細をお知りになりたい方はお問い合わせください)
 「金持ち喧嘩せず」という言葉がありますが、まさにその通りで、余裕のある人にとっての外野の言葉は、聞く必要はなく、さりとて反発する必要もなく「超然とやり過ごす」ものなのです。そして他者無視で好きに生き、結果(金銭的果実)は総取りする。この状況に立つことが「究極の成功」であり、中学受験を目指し、それに成功した全員がそうなれる可能性があるのです。
 前回もお話ししましたが、子どもは好き好んで生まれてきたわけではなく、親の命令に従うために生きているわけでも、世間に迎合するために生きているわけでもありません。子は幸せになるために生まれてきた、親は子を幸せにするために産んだ、でなければいけないのです。
 中学受験は自分らしく生きるため、成功者になるため、幸福に生きるため、の前哨戦です。
 そして幸せには経済力(できれば圧倒的な)が伴うことが条件となります。なぜなら経済的に不自由だと(いまのポジションを失ったら立ち行かなくなる。それにしがみつくために)周りからの理不尽な要求も受け入れなくてはならない=自分に忠実で素直でない生き方を強要される、ことになるからです。
 「お金の話をするのは下品だ」「お金で幸せは買えない」「金持ちはだいたい汚いことをしている」「清貧は尊い」などと「間違った価値観」を信じている限り幸福は訪れません。資本主義国日本に身を置く立場にありながら、その価値観の真逆であろうこの種の発言は「社会を直視せず、資本主義の恩恵を享受できない(享受する努力をしない)負け犬の遠吠え」だとお思いください。お金がないことは間違いなく不幸、この現実から目を背けてはいけないのです。
 そういう雑音をシャットアウトできるほどの自信をわが身に植え付ける。まずは自分が幸福になることを第一に考える。自分が幸福でもないのに、他者を幸福にしようという発想はおこがましい。諸々への貢献・・は、余裕が生まれた後でも十分間に合います。
 そういう方向で人生を歩んでみてください。

 次回に続きます。
 
 

中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。④

2020年8月25日

 ※ 今年はすでに満席です。来期のご予約受付は承ります。 

  続きです。
 「自分に忠実に素直に生きるため」。中学受験を成功させる目的は文頭の、前回申し上げた言葉の通りだと考えています。
  「自分に忠実に素直に生きる」しかしこれは「理想だと思うが、現実は難しい」というのが一般認識ではないでしょうか? 事実、書店の自己啓発コーナーには「他人の目を気にしないで生きる」「自分は自分らしくていい」という類の本が数多く陳列されています。これはつまり自分らしく生きるのは難しいから本を参考にしたい、と考える人が多いことの表れなのでしょう。ですが、そういう本を何冊も読んで見たところで自分自身が変われた、という人は少ないのではないか思います。
 不思議な話です。合法的に行動する、という条件付きで、一度しかない人生を思うがまま生きるのは生まれ出でた者の権利であり、これは基本的人権として憲法でも保障されているはずなのに「自分らしく生きる」という当たり前のことが実現できないのです。もしそれを阻むものがあるとすればそれは「生きるというのはどういうことなのか?」を自分自身で真剣に考える意識の希薄さ、つまり「自分の生き方を他人に決めてもらう生き方をしている」ことが原因ではないかと思います。今はコロナの時期でありますが、今年はそれがきっかけで日本人特有の思考・生き方が露呈されたように思います。戦後75年経つのに戦時中の日本人の意識と何ら変わっていないこともわかりました。「テレビ・新聞で偉い人がこう言っている」から、そうしたり、日頃政治に無関心で投票率も低いのにこんな時だけ「お上がきちんと指示してくれないからどう動いていいか分からない」と政治に頼ったり不満を漏らしたり、逆に「お上がいうなら間違いない、従わない者は非国民だ」みたいに盲目的に信じたり、こういう人たちは身近では「会社が」とか「学校が」とか「先生が」とか「親が」とか「世間様が」とか、とにかく自分とは別の他者に依存し、「同調圧力」の中に自分を埋没させることにむしろ安心感を得、その中で生きようとする傾向にあります。ある学者が「世界中で自ら進んで社会主義者になりたがるのは日本人だけだ」と言っていましたが、わかるような気がします。
 このように同調圧力をむしろ歓迎し、他者からの承認を求めたがる要因は何か?と考えてみると、日本人は「孤立に弱い」「喧嘩(暴力という意味ではない)慣れしていない」からではないかと思います。
 「孤立に弱い」これは学校教育が主な原因だと思いますが、同じ地域から集められた見ず知らずの子供たちが一つの教室に集い、そこで早速「さあ、お友だちをいっぱい作りましょう」(そもそも友達って何なんでしょう?) 「ひとりぼっちの子がいたら声かけしてね」など「友だちが多いことが人として素晴らしく、一人でいる子は可哀想な子」がクラス内で浸透し、無理してでもどこかのグループに所属しておかないと可哀想な子になる、という強迫観念が年少時から同調圧力の基礎を育み、それが孤独を極端に恐れる子にするのです。(学校は勉強だけ教え、他は各自に任せるではダメなんでしょうかね?)
 また「喧嘩慣れしていない」も、友だち同士の争いごとを(クラス内のゴタゴタを避けたい先生による喧嘩両成敗ということで)無理矢理仲直りさせられたり、「お友だちと喧嘩するのは良くありません」(喧嘩され面倒に巻き込まれると担任の私が困る)と忠告されたり、そうこうする中で「喧嘩は思慮の足りない者のする野蛮な行為」「たとえ理不尽なことされてもニコニコ笑ってやり過ごすのが正しいことであり大人の振る舞いなのだ」が浸透した結果、喧嘩慣れしない子=争いが怖くて避けたい子=他者からの承認を受けた範囲で行動し、余計な揉め事を起こしたくない対立を避けたい大人、になるのです。意見の相違からくる議論さえ「喧嘩」=「大人気ない」=「やってはいけない』と考えてしまうのです。逆に喧嘩慣れしていませんから議論中にエキサイトし過ぎ、完膚無きまでに相手を打ち負かそうとしてしまうのも日本人特有のことです。押したり引いたり、折衷案を出したりするという交渉能力にも慣れていないのです。すぐに白か黒かの結論を出したがる。このように極端になりやすいのです。
 日本人は表では礼儀正しく穏やか、ですが、それは他者の目を気にするから、トラブルを避けたいからそうしているのであり、一方裏では、例えば匿名性の高いネット上では同じ人間の所業とは思えないほどの罵詈雑言を呟くこともあり得るのです。日本人は民度が高い、と言った政治家もいますが過大評価ですね。民度が高いのではなく、他者の目を異常に気にするから結果的に行動・主張が抑制されているだけであって、それを「規律正しい国民」「感情的にならない冷静な国民」と評するのは違うかな、と思います。
 このような日本だからこそ「個々の生き方はつまらなくなるが、その分、社会が平和に営まれている」のだと思います。それは否定しません。
 痛し痒しですね。ですが、各自が素直な生き方をする中で、同時に社会秩序・平和が保たれる道もあるなら、そちらを探ることもアリかもしれません。

 話を戻しますが、「自分に忠実に素直に生きる」は同調圧力・承認要求と距離をおかなくては実現できません。そのためにはお子さんを「孤独に強い人間」に育てることが大事です。
 育て方は大事です。しかも幸福にするための育て方です。なぜなら子どもは自分の意志で生まれたのはなく、「産まされた」という背景があるからです。なので、産んだ以上は子どもを幸せにするのは親の責任であり、子どもは堂々とそれを享受すれば良く、親に対しての遠慮・気遣い・恩返し・孝行は不要なのです(したい人はすればいい)。逆に子に遠慮させたり気遣いさせたりする親は自分が未熟だと思わなければいけません。子どもに「せっかく育ててやっているのに、その恩を忘れて・・」が口癖になっている親(こういうのを毒親と言います)も問題です。「子育てする親は偉い」「イクメンパパはすごい」ではありません。きちんと育てないと「保護責任者遺棄罪」に抵触することもありますので、「子育てはそもそも親の義務」=「当たり前のこと』なのです。また、お子さんを幸福から遠ざける「体罰」「暴言」なども論外。それを忘れてはいけません。

 「親力」「家庭力」とは「我が子を幸福にする能力」です。中学受験成功もその一環です。
  次回は「孤独に強い子」=「「自分に忠実に素直に生きる子」と「中学受験の成功」との結びつきについて述べさせていただきます。
 

 
 

中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。③

2020年8月14日

 続きです。
 中学受験を将来への投資として始め、元本(時間・金銭・労力)をそこに注ぎ、最終的に元本回収、そしてそれ以上の成果を上げることを目的とした場合、仮に中学受験・大学受験に成功しても、回収できるだけの給与を得られる職に就けなければ意味がありません。また、安定した人生を過ごせなければ中学受験で頑張った甲斐がありません、と、考えるのが中学受験への「一般的な何となくのイメージ」です。しかし、そうであるなら生きることは本当に大変。気の休まる間も無く、あくせくしたままで人生終わってしまうかもしれません。それを思うと現在という貴重な時間を未来の不安の解消、過去の後悔の挽回に費やしてしまって本当にいいのか、という疑問が湧くのです。真面目に人生設計を立て、忠実にそれを実行することは素晴らしいのですが、それで雁字搦めになってしまっては「世間体の良いきちんとした人生」は過ごせても「心から楽しめる人生」は過ごせなくなってしまう、それでいいのかと思ってしまうのです。
 私は我が子の受験の際には「安定した人生を過ごすため」という話をしたことがありません。なぜなら私個人が「安定」「無難」「分相応」という言葉に魅力を感じず、一度きりの人生なら「チャレンジ精神」で臨まないとつまらない、と考える立場にあるからです。一種のギャンブラーみたいな生き方を目指す自身が、子に安定を勧めるのは変な話ですからそうしないのですが、「あえてリスクを取る」という選択を優先することが、飛躍的な伸びをもたらすことをここ数年で気づいていますし、逆に安易な安定志向は最終的には先細り・尻すぼみをもたらす=安定が不安定を呼び込む、こともこの何年かの体験で確信しています。「世間様から後ろ指を指されない」「他人に迷惑をかけない」「真面目に生きる」は崇高な理念ですが、これで自分を抑制し過ぎてしまい「自分らしい生き方ができなかった」では、他者評価は確かに「人畜無害の人」「無難で良い人」であっても、結局「せっかくいただいた生を活かせず、自分自身に忠実でなかった人」で終わってしまいます。「自身に忠実でない生き方は、生を授けてくれた神への冒涜」=「良かれと思って選んだ生き方が実は罪深いものであった」とさえ思ってしまうのです。
 私は中学受験をする目的は「自分に素直に忠実に生きる」その実現のためだと思っています。ですが、このことを親御さん・先生・その他大人たちが子どもたちに積極的に話しているのをあまり見たことがありません。

 しかし、本当にそうなのです。
 この話は次回は詳しく説明させていただきます。
 
 

中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。②

2020年8月07日

※ 夏期講習期間中は朝〜夜まで授業となりますので、ブログの更新を頻繁に行うことが難しくなります。ご了承ください。

 続きです。
 中学受験を行う目的(漠然としたステレオタイプのものですが)に「将来名の通った大学に進み、安定した企業に就職するため」というのがあります。中学受験にかかる1年間の費用(塾代)は平均100万円と言われています。これは一部上場企業の夏のボーナスほぼ1回分に相当します。つまり、投入資金はワンチャンスで回収でき、後は利鞘を積み重ねることになります。そういう意味で中学受験は(大手企業に就職できる条件で)非常に効率の良い投資と言えます。ですので、ほとんどの親御さんはその辺りの事情を知っていますので、中学受験を子に勧めるのです。
 しかし、そのような「お得な説明」をしても、また「将来の夢を叶えるために」を熱く語ったとしても、お子さんは親御さんの言葉に素直に耳を傾けるでしょうか? 過去を知る年配者は自分の体験と照らし合わせた具体的な忠告はできます。が、未来を想像できない年少者はそれを聞いたとしても、それを忠実に実行するとは限らないのです。例えば過去を知る現代人がタイムスリップし織田信長に出会い、「本能寺に行くのは危険です」と忠告しても、未来を知らない信長は一笑に付しそのまま本能寺に向かうでしょう、最悪「無礼者」ということで切られてしまう可能性もありますね。ですから親御さんが熱心に勧めれば勧めるほど、お子さんの意欲は遠のいてしまうだけでなく、逆に反発されてしまう恐れもあるのです。
 そもそも(前述を覆すようで恐縮ですが)「良い進学先→良い就職先⇨幸福な人生」という図式自体が怪しいと疑わなければなりません。
 良い進学先で得た知識がそのまま社会で通用するわけではなく、予め決められていた答えを導き出す能力に優れていたとしても、未知の答えを見つけ出さなければいけない社会ではその能力は使えず、また柔軟性・人間性・独自性・社会性に優れた人の方が学力・知識のある人以上に重宝されるのが会社組織というものなら、良い学校に行けた、というだけでは心許ないと思います。
 また、良い就職先、と言っても、例えば大企業に就職し、役職に就いて年収1000万になったとしても、(社会保険料・税金など諸々差っ引くと)手取りだと700万がいいところではないでしょうか? 残業も厳しく、なのに時給に換算すれば本当はたいしてもらっていないはずなのに、従順な企業戦士はそれに異を唱えることもなく黙々粛々と任務に励むのです。一馬力700万だとすれば、家族を養っていくのにそれほど余裕はあるとは言えないかもしれません。受験で散々苦労してたどり着いた先が「手取り700万」なら、投資効率はどうなんだろう? 会社の仕事にやりがい生きがいを感じ、社会貢献しているという自負があれば誇りを持って働くことはできますが、そうでなければなかなか辛いのでは、と思ってしまうのです。
 「え? とは言っても、いいところに就職したり、士業についたりするために、手始めに中学受験に励むのでは?」とお感じの方は、そもそも給与と言われるものが「会社の売り上げー内部留保ー法人税ー借入金返済ーその他諸々経費」の後に残った「おこぼれ」を社員にほぼ比例配分したに過ぎないという現実を考えなくてはいけません。つまり個人の努力で「頑張った」「会社に貢献した」としても昇給額・臨時ボーナスがそれに見合わないほどの微々たるものであるとすれば、会社がそういうシステムで成り立っているからそうなるのです。会社が儲けを出す目的は自らの存続、および配当などによる株主還元であり、社員を太らせるボランティアのためではなのです。最近は士業も経営手腕に優れていないと『〜先生」だけで終わってしまい実利を得るに至りません。このように「何かの職に就いたから一生安泰」ということはないのです。
 大企業への就職は安定をもたらし、老後の不安解消など、ある程度は満たしてくれますが、「やりがいを感じる」「実利を得る」という点ではやや弱いかな、という印象です。
 だとすれば、中学受験を目指す意味は?となるのですが、次回でその辺りについて触れていきたいと思います。
 
 

 

中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。

2020年8月03日

※ 夏期講習は満席となりました。

 「何のために中学受験するの?」このような疑問を持つ子の多くは、四六時中学習を強制させ、我が楽しみを奪おうとする親や講師を「ひどい人」に見立て、それに抗えない自分を「被害者」「悲劇の子」と考えてしまう傾向にあります。勉強する目的、ひいては中学受験をする目的が不明確な子が、このようにいろいろな不満を持つもの当然で、人は「何のためにそうしているか?」がわからないことには熱意を示せないのです。
 しかし、一方で中学受験を自分事として捉え、自分の意志で学習する子もいます。この両者の結果は言わずもがな、なのですが、どうしてこのような違いが出てしまうのでしょう?学習量も脳の構造もほぼ同じ、同じ塾に通っていて同い講師から授業を受けていても結果に違いが出るのであれば、その原因は必然的におお子さんが日常最も影響を受ける「家庭の在り方」でしかないのです。
 冒頭の「何のために中学受験するの?」という問いに対して。親御さんがその理由を明確に応えられないなら、お子さんは中学受験日ギリギリまでこの疑問を持ち続けるでしょう。そして受験は「親のために渋々やるもの」という「他人事」として臨むのです。これでは仮に成功したとしても、その後「燃え尽き症候群」に陥り、こんなことになるのなら・・と後悔することになるのです。そのような事態を避けるにはどうすればいいのでしょう? 家族の皆がベクトルを揃え受験に臨むにはどうしたら良いのでしょう?

 次回はその辺りをお話ししてまいります。

勉強が原因で親子ゲンカしている時点で負け確定。

2020年7月21日

※ 夏期講習(8月8日〜22日)は午前〜17:00で満席となりました。17:00〜以降で多少の空きはございますが、タイトになり過ぎますと今年も「働き方改革」が未達のままで終わってしまいそうですので、よほどの事情がない限り一旦閉めさせていただきます。

 長らくパソコンの不具合が続いていましたので投稿も久しぶりです。

 さて、長年この仕事をしていると(現時点でも)受かる生徒とそうでない生徒というのは概ね予測できます。そして、怖いことにその予測は大抵当たります。
 何を根拠に、なのか? 生徒の自頭?遺伝?学習量? もちろんそういう要素も関わりますが、要は「意欲がどうか?」「本気で成功させたいかどうか?」ということなのです。勉強しているはずなのに成績が伸びない生徒はそれが欠如しているからなのですが、目標が曖昧なのに努力する、なんてことは(受験生のみならず)無理なのです。逆に「どうしてもこの学校に入りたい」と、切に願う生徒は周りが何と言おうが勝手に学習します。成績上位の生徒のほとんどはこういうお子さんで占められています。
 上位の子は顔つきが違います。教育雑誌に載っている御三家合格者の写真を見ればお気づきかと思いますが、男女問わず「いかにも賢そうな顔」をしています。例えば(頭脳を使う)将棋の棋士の顔つきと上位生のそれを見比べてみると「賢そうな」に加え「老成感」みたいなものが共通して見えてきます。「大人の顔」ですね。西日暮里や水道橋で開成や桜蔭の生徒を観察すれば本当にそれを実感できます。制服ではなく、スーツを着せたらホント「新入社員」でないかと思われるくらい大人っぽいのです。
 その顔つきは「子どの頃から老けていた」ということではなく、幼少期からの養われし培われし作られし顔なのです。「顔を見ればその人の過去がわかる」「自分の顔に責任を持て」と言われますが、本当にその通りで、では、どうしてそういう賢そうな顔になるのか?を考えますと、棋士もそうですが、先を見通す才能があり、それを基にして今をどう生きるかを真剣に考えることが習慣化されている、その真摯さが顔に現れているのではないかと思うのです。棋士も上位生も「まず先がありきで、それに基づいて今の行動を選ぶ」のです。普通の生徒は「今努力を重ねて、将来の夢を実現する」と考えますが、できる子は「将来の夢を実現するために、今努力を重ねる」のです。同じように聞こえますが、前者は努力が挫折しそうになれば、いつでも将来の目標設定を変えられる、つまり逃げ道が用意されている→いつでも努力を中断できる、ですが、後者は将来が確定していますので逃げられないのです。逃げられないから今頑張れるのです。しかも将来の夢を叶えたい一心なので今の努力にストレスを感じていません。自分でドンドン進めますし、親だろうが講師だろうが、そこに他者は介在しないのです。
 合格体験談にある「うちでは勉強しろと言われたことがない」という子、「うちでは勉強しろと言ったことがことがない」という親。年中勉強のことで揉めているご家庭から見れば「嘘だろ〜」「綺麗事言って」「それはお子さんが優秀だから」となりそうですが、これは本当です。勉強に他者を介在させる必要がないからです。私的な話ですが、うちでも勉強のことで親子喧嘩したことはありませんでした。なぜなら子が「勝手にやっていたから」です。ですが、私もそうなるよう幼少期からから念入りに計画はしてきました。
 勉強のことでの親子喧嘩は「なぜ勉強するのかわからない、今を楽しみたい」というお子さんと、「勉強しないまま成長し将来苦労するであろう子を見たくない日々不安な」親御さんとの、(悪く言えば)「双方のエゴのぶつかり合い」が原因で起きます。
平たく言えば、勉強したくない、自分の将来さえ見通せないようなパッパラパーでピノキオ的な子どもと、バカな子どもは見たくない、そんな子どもの面倒を今後も見なければならないのは憂鬱だと悲観する子育て下手な親との「レベルの低いぶつかり合い」が親子喧嘩の原因であり、ならば、そのようなご家庭に将来はないということなのです。
 お互いにマイナスのオーラを出し合って揉めている間は、その家庭には「受験成功」などという希望は実現しないのです。そこには幸運をもたらす受験の神様は寄り付きもしないのです。マイナスの環境下では自己都合のいいことは起こらず、マイナスの事象しか起きないのです。

 文頭で述べた「受かる生徒とそうでない生徒」の予測は、上記のような親子喧嘩の回数・頻繁さでだいたい可能です。
こういう揉め事が多いご家庭を見ると「あ、やばいな」と、つい心の中で思ってしまうのです。しかも当たってしまう(笑)。

 次回は別のテーマでこのお話を続けてまいります。


 

特記 空きコマにつきましてのお知らせ。

2020年6月27日

来週29日〜夏休みまでの公立小学校のスケジュールは通常通りになります。
当塾もそれに合わせ、通常時間での授業に戻します。

空きコマにつきましては、平日は満席ですが、

土曜日の17:00〜19:00前後(豊洲近辺限定)
日曜日 5日、19日の15:00〜17:00(日曜日の他の時間帯は満席)

が空いています。受講ご希望の方はお問い合わせください。  ※ 本日6月30日時点で日曜日の分は満席となりました


※ 夏休みはレギュラー生でほぼ埋まる見込みです。新規での受講ご希望の方はご了承ください。

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