中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

なぜ本気になれないのか?④

2018年11月09日

※ (既報通りですが)今年は満席です。現在は来期のご予約のみを受け付けております。ご了承ください。

  前回のお話をまとめますと以下の通りになります。ご確認ください。
  
  1.子どもが本気で学習しないのは、勉強嫌いと言うより、そもそも中学受験にそれほどの価値を見出せていないから、ゆえに真剣になりようがないから。
  2.1のお子さんに無理して中学受験をさせる必要はない、というのが永田の考え。それでも受験する(させたい)場合は、明らかに親の都合による受験となりますので、「本人(自分・子ども)のため」という欺瞞に満ちた言い方をさせるのではなく、素直に「親のための受験」とさせ、結果的に「自分のためになっていた」という形にしていく。

 さて、入試まで三か月を切りました。毎年のことですが、秋から冬にかけてのこの時期が親子にとって肉体的に精神的に最もしんどいと思います。肉体的にしんどいのはお子さんの方でしょうが、親御さんは精神の方をやられてしまいます。その理由は一つしかありません。「落ちたらどうしよう?」という不安が頭から離れないからです。しかし、そういう親のイライラをお子さんにぶつけてみても何も解決しません。またぶつけられたお子さんも、ただでさえしんどいのに、親からのプレッシャーでますます意固地になります。双方にとっていいことは何一つないのに、ついつい、そのような衝動的な行動を取ってしまうのですね。しかし、賢いお宅ではそういう「害でしかない行動」を取ることはありません。戦略的に「冷静さに努める」行為に出ることが得策だということを知っているからです。
 誤解を恐れず申し上げるなら、不安と言うのは「エゴの産物、エゴの裏返し」です。「いい学校に受からせたい」は「いい学校に通っている子を見て安心したい親の欲」、「受かってほしい」は「受験に充てた教育費・時間・精神的肉体的負担を回収したい・いや、元以上を得たいという欲」、その諸々の欲を果たせない可能性が起きそうなとき、受験生の親は不安になるのです。
 しかし、そういうエゴを捨て仙人のような境地になれ、気持ちが楽になるぞ、というのは違うと思います。私はエゴがないと人は進化しないと考えていますので、エゴは大いに結構、ですが、理想・望みは高ければ高いほど、それと同時にリスクを伴うことも忘れてはいけません。「ハイリターンにはハイリスクが伴う」しかし「ハイリスクはハイリターンをもたらす」が世の基本だからです。ですから、ハイリスクを望まず気持ち穏やかに過ごしたい方は、ハイリターンを望むわけにはいきません。「ローリスクハイリターン」などという「虫のいい話」はこの世に存在しないと理解させているなら無難な人生である「ローリスクローリターン」を選べばいいのです、まあ、ですが、どちらが面白い人生か?と問われれば間違いなく前者ですね。私なら躊躇なくそちらを選びます。多分、中学受験を目指すお子さん、目指させたい親御さんもそのような「野心家」であることが多いのではないでしょうか?人生は一回、後悔なく生きるには「無難にやり過ごしてばかりの生き方」より「自分の力で自己完結する生き方」の方が楽しいと思います。
 しかし、そういう「高みを目指したい野心家」である皆さんなら、そうである以上、野心家に付きまとう「年がら年中不安である状況」を重々覚悟・承知していただきたいのです。耐えられないようでしたら今からでも人生を「ローリスクローリターン」に切り替え、やり直せばいいのです。ですが、その場合はハイリターンがないから、人生にワクワク感がないからつまらない、という理由で、それはそれでストレスを感じてしまうかもしれませんね(笑)。
 基本的に私は不安になることはありません。なぜなら未来のことは誰にもわからないし、その実体のない未来の不安をわざわざ現在に持ち込み、「あれやこれや」を考え、気持ちを暗くするのは、懸命に生きるべきであろう今現在を冒涜する行為だと思うからです。ミヒャエル・エンデの言葉に「今という貴重な時間を「過去の後悔」と「未来の不安」に充て浪費するのが最も愚かな行為である」というのがありますが、まさにその通りだと思います。
 また、マイナス思考の親を持つお子さんの受験成功率は低い、という「事実」も加えておきます。
 マイナス思考はそのまま現実化してしまうからです。
 なぜ、そうなるのか?そのお話は次回とさせていただきます。
 

 

 

なぜ本気になれないのか?③

2018年11月01日

 ※ 本日は11月1日、入試まで残り三か月です。風邪が流行るこの季節ですが、体調に気を配りつつ最後の追い込みに励んでください。

 前回の続きですが、塾は「やる気のない子をやる気にさせる道場」ではありません。「やる気はあります、自主的に頑張る気力も十分あります、だけど、合格するために何をどうすればいいのかよくわからないので、経験豊富な第三者にそのあたりの指導を仰ぎたいのです」というのが塾通いの目的でなければおかしいのです。ですので、そもそもやる気のない子は無理して受験しなくてもいいのです。何も突き放すつもりでそう言うのではないですよ。受験に価値を見出せないのであればやる必要はない、という話なのです。当方も「水を飲む気のない馬に無理やり水を飲ませること」に意味があるとは考えていません。そういうのは「虐待」と言うのではないでしょうか?
 遊びたい盛りの子が、将来のことを考え自分から学習する、というのは、余程達観した子でない限りあり得ない発想です。受験動機は要は「親の刷り込み」なのです。親御さんが受験させたい、それをあたかも「子どもが望んでいるのだ」に、すり替えてしまう。当の子どもも親の巧みな誘導で「僕は受験したいんだよね?」→「なんだかわからないけど、僕は受験したい人なんだ」→「そうだ、僕は受験を望んでいるんだ」になってしまうのです。生徒に「何のために受験するの?」と聞くと、判で押したように「自分のため」と答えます。いや、だけど本当に「自分のため」だと思っているなら、もっと自分から学習するよね?と改めて聞くと黙ってしまいます。当たり前です。本当は「自分のため」だなんて思っていないからです。この言葉は「自分のためだと思いなさい」と繰り返す親に、実は何の共感もなく、当事者意識もなく、腑に落ちることもなく、ただ「とりあえず親に忖度し、自分のために、ということにしておこう」という子どのも常套句に過ぎないのです。
 子どもは自分が心底納得しない学習を自主的に行うことはありません。人間は正直です。価値が見い出せないものに対しては本気になれないのです。
毎日のように塾に通っているのに成績が伸びない、家庭学習を促しても自分から動かない子は、はっきり言えば「受験の意味がわかっていない」からそうなるのです。頭の良し悪しが理由ではありません。学習する意味が分かっていないので動かないだけなのです。「自分の望みなのに、あたかも受験は子どもの望みであるかのようにすり替える親」「本当は受験の価値がわかっていないのに、物分かりの良いふりをして親に忖度する一方で、自分を押し殺し仕方なく学習する子」、この双方の「悪意のない騙し合い」の継続が何の生産性のない、百害あって一利無しの受験期間・日常生活にしてしまうのです。
 ここは双方本音で臨むべきなのです。毎度申し上げていますが、「受験は親のためにする」が正解なのです。回り回って最終的には「子ども本人のため」になりますが、それは後々気づくことで当面の動機は「親のため」が正解なのです。

 世の中の動機は全て不安から発生します。早起きするのは遅刻してクビにならないため、歯を磨くのは虫歯にならないため、学校で良い子にしているのは先生に叱られないため、友達とつるむのは一人ぼっちにならないため、など、「そうなったら困るな」を未然に防ぐためにそうするのです。動機の大元は不安解消を目的としたものなのです。

 受験も同じで、夢を叶えるというより、「子どもを路頭に迷わせたくない」「社会の底辺で過ごさせたくない」「経済的に不自由させたくない」などの、不安解消が目的なのです。そしてそれらは結局「そんな子どもの姿を見て自分(親)が辛い思いをしたくない」につながるのです。親自身が悲しみたくないから子どもに頑張らせるなら、受験はまさに「親のためのもの」ということになるのです。違いますか?

 だったら、率直にそう言えばいいのに、「勉強できない子を持つと苦労するのは親」と感じているのに、そんな本音をひた隠し、親御さんは「私のために頑張って」とは言いません。逆に「親のために受験する」と子が言おうものなら、「違うでしょ!自分のためでしょ!」と烈火の如く怒る親がいますが、子どもがそう言うなら「そうなのよ、だから受験に成功して私たち親を安心させてね」と言えばいいのです。なぜ否定するのでしょう?プライドの高さ故なのか、動機が不純だという後ろめたさからなのか、それだと自分のために子を犠牲にしてしてしまうのではないかという親としての申し訳なさなのか、そこはわかりませんが、本当ははっきりそのように本音を言ってしまった方がいいのです。(そもそも親子で忌憚なく本音が話せるかどうかは、日頃の親子関係の絆の濃淡のバロメーターでもあるのです。)

 なぜか?と申しますと、いつまでもグダグダしている生徒に「受験は自分のためではなく、親のためにしなさい。親を泣かせないよう安心させるために親孝行の一環として受験を成功させましょう」と呼びかけることがありますが、実はこれを機に様変わりする子が多いからです。「自分のため」という「自分でも納得していない訳の分からない動機」で動くより、「親のため」という、明確でわかりやすい動機の方が子は動きやすいのです。なぜ?それは子どもは皆親が好きだからです。誰だって親が悲しむ姿は見たくないからです。親を喜ばせたい、その気持ちが子を動かすのです。

 だから、そんな子を親は大事にしなくてはいけません。子は親に感謝の意を、親は子に愛情を。中学受験は「子どもが勝手にやるもの」ではありません。親子二人三脚なのです。
 受験成功は、本人の喜びはもとより、家族で喜びを分かち合うもの、絆を強めるもの、そういう副次的な価値も発生します。本当はこれこそが大事なのです。

 次回に続きます。

 

 
 
 


   

なぜ本気になれないのか?➁

2018年10月24日

 続きです。
 入試まで残り100日です。この先は「真剣に過ごす1日×100回」で乗り切っていきましょう。
 とは申しましても、真剣に学習している子はとっくにそのようにしています、反対に動かない子はギリギリまで動きません。この差は一体何なんでしょう?入試は目前に迫っているのに、なかなか本気を出さないお子さんを見て、ついイラッとしてしまう親御さんの姿が目に浮かびそうです。(ちなみに親御さんが心配するのはお子さんが落ちることではありません、落ちた我が子を見て自分が失望することです)
 さて、中学入試に向けた学習とは何でしょう?それを「公立小学校の勉強の延長上にある」と考えていませんか?
 中学入試を目指すお子さん・ご家庭は「基礎的な教養を身に付けるため」にそうするのではありません。(ステレオタイプな例で恐縮ですが)「いい中学に入り、そこからいい大学に入るため」なのです。なぜ?「いい企業に就職するため」なぜ?「安定した収入・福利厚生・年金を確保するため」、他に「自分の可能性を狭めたくないから」「なりたい自分になるための必要条件だから」「いい学校に入り自慢したいから」「結婚に有利だから」など、まぁ詰まるところ「自分の欲望を実現したいから」なのです。その実現を可能にするための手段が中学受験の本質、その現実から目をそらしてはいけません。中学受験で成功したいという願いは極めて「自己中心的な欲望」なのです。これは「必要最小限の教養を得る」ことを目的とした小学校の勉強とは似て非なるもの、中学受験の勉強とは「欲を満たすめの手段」なのです。
 話を戻しますが、未だに本気になれない子の理由は中学受験が自分の欲を満たすツールだと認識していないから、もしくはそもそも上記のような欲自体がないから、だと思います。例えば馬を水飲み場に連れていったとき、水を飲みたいという欲のある馬は勝手に飲みます、しかし、飲みたいという欲のない馬は飲みません。そんな時、馬主が水を飲まない馬に対して「もっと真面目に水を飲む努力をしろ」とか「熱心に水を飲め」とか言うでしょうか?
 受験もそうです。入試の目的が分かっている子、受かることを願う子は自分から勝手にやります。「できる子を持つ親は楽」という理由はそこにあります。しかし私はそういう生徒を褒めることはありません。彼らは自分の欲を満たしたい、を気の赴くままにやっているに過ぎないからです。「真面目に自己中しているね」「頑張って自己中しているね」とは言いませんよね。また彼らも褒められたいとは思っていないはずです。褒められることを目的としていません。だって自己中なことを自分の意志でやっているだけなのですから。
 学校の「嫌々義務でやる勉強」、本人が、と言うより「親主導の受験」なら「よく耐えている」という意味で、また社会貢献のための勉強なら「世の中の役に立っている」という意味で「真面目にやっている」「努力している」と褒めてあげてもいいかもしれません。しかし、中学受験の勉強は(何度も言いますが)「その本質は自己中」です。受かっても落ちても(自分と親御さん以外の周りに)影響を及ぼすことはない「極めて個人的なイベント」なのです。「極めて個人的なこと」ですので、正直「受かりたいと願う子は受かるようなことをやって受かればいい、受かりたいという欲の薄い子はそれほど熱心に勉強しないと思うから、そのまま受からないことがあっても甘受するしかない」でいいのです。また「あなたが受かろうが受かるまいが世間は関心がない」ということ、そう、中学入試は「コップの中での出来事」に過ぎないということもご認識ください。
 では、塾の役割は?やる気のない子をやる気にさせるのが塾なのでは?という「勘違い」について次回お話いたします。
 
 



なぜ本気になれないのか?

2018年10月17日

 ※ 第4回四谷の合判が終わりました。今回は算数は標準、国語標準、理科やや難、社会標準という印象でした。理科は電流スイッチ問題、ミョウバンの結晶、ボーリング調査など、当塾が予想した通りの問題が出ましたね。ここを重点的に学習された方は有利だったと思います。
 ※ 既報通り来期の募集は(現状は体験授業もできないくらい混んでいますので)来年1月~あたりで再度お問い合わせください。ですが、メールでのお問い合わせにつきましては、その記録を残すことは可能です。(入塾が先着順であることに変わりありません)

 さて、入試まで残り110日強ですが、本気で学習していれば(今回の合判では)各教科7割は取れたはず、という感想です。なぜかと申しますと算社で出題された問題の7割近くの問題が「予習シリーズ+副教材」の中で見られるからです。理科につきましてはテストでは初見の問題もあり、戸惑う生徒さんも多かったかと思いますが、それでも問題文を精読すれば解ける問題がほとんどでした。どうも最近は「問題文を正確に読もうとせず、理科の問題を解こうとする生徒さん」が増えてきてるように思います。そして、その初見の問題を除けば、やはり理科の問題の7割近くはテキスト内で見つけることは可能でした。

 何が言いたいかと申しますと、この時期になってもまだ本気になれない生徒の何と多いことか・・ということです。四谷の教材は「予習シリーズ」「演習問題集」「実力完成問題集」「入試実戦問題集」「四科のまとめ」程度です。受験の準備に何年もかけているのに、その間でこの程度の量を制覇できないのは、私から見れば「怠慢」でしかありません。以前受け持った生徒さん(駒場東邦中高⇒一橋大)は諸事情あり5年末からの入塾でしたが、その生徒さん曰く「この量なら半年あれば十分」と言っていたのを記憶しています。確かに熱意と集中力があった生徒さんではありました。

 しかし、(理解力の有無ではなく)本気になれないことが原因で学習の進捗が遅いのだとすれば、生徒の中に「本気になれない何か」があると考え、そこに焦点を当てなければ何の解決にもならないのでは・・と感じます。なぜなら受験当事者が本気にならない限り、(たとえ親・講師であっても)他者が「本気を出せ」「熱心にやれ」と呼びかけても(瞬間的には動くかもしれませんが)結局継続的な学習につながらないからです。

次回からはこのお話をしてまいります。
 

 

算数の勉強法。⑥

2018年10月07日

※ 来期の予約が混み合い、体験授業のお時間を取ることすらままならぬ状況になっています。ですので、今年分の体験授業は一旦停止させていただきます。先の話になりますが来年1~2月あたりで改めてお申し込みください。(来期ご予約の案内は今回の投稿で一旦終了させてせていただきます)

 続きです。
 中学入試は概ね「65%の得点率」で受かります。「結局受かればいい」これは当塾の社是のようなものであり、毎年「当塾お任せコース」の合格率の高さはこの考えを徹底させた指導ゆえの結果です。ですから模試でもこの近辺の数字を意識した取り方を目指すのががいいと思います。合格最低点ギリギリでも受かればいいのです。「満点取れなければ許さない」「空欄があることを許さない」など、お子さんに完璧を求める親御さんもいらっしゃいますが、満点だろうが65%だろうが合格は合格、入試では完膚なきまでに他の生徒をやっつけるような完全試合を目指す必要はないのです。65%を確実に取る、どの科目でも目指すべきはそこです。算数が満点で国語は0点、というような取り方ではなく、全ての教科で均等に65%を取る、これは決して難しい話ではありません。 難しくはありませんが、かと言ってそう容易くもありません。ですが、これが一番現実的な最善策だと思います。今回は算数を例に挙げて説明いたします。
 算数で25問あるなら、そのうち計算問題は5問、一行問題は5~6問、基本問題は(1)(2)でそれぞれ5問ずつ、応用問題は(1)(2)でそれぞれ2問ずつという構成が多く(40校ほどの入試問題を平均化するとこのような形になります)、まずはこれをざっと見通して「取るべき問題」(正答率80%以上)「取れる問題」(正答率60%以上)「取れるはずの問題」(正答率40~60%)で65%を取り「取れないかもしれない問題」(正答率40%以下)「取れるはずがない問題(正答率20%以下)」を「安心して」落す。そのような策に出ます。
 まず「取るべき問題」・・これは計算問題です。正答率80%を超えると推定される問題では絶対に落とさない、これには集中力・日々の練習が欠かせません。計算問題で落とす=落ちる、とお考え下さい。
 次に「取れる問題」・・これは一行問題です。ここでは8割は取りましょう。一行問題は「予習シリーズ」の基本問題レベルです。日々弛まぬ学習をしているかどうか生徒さんの「真面目さ・熱意」がそのまま得点になりますので、ここも取りたいですね。
  さらに「取れるはずの問題」・・これも「予習シリーズ」の後半に出てくる基本問題レベル。(1)(2)がありますが、(2)は(1)の答えをヒントにして解けますので「(1)が解ければ(2)も解ける」というパターンが多いです。両方得点できる可能性が高いので、ここでの取りこぼしは避けましょう。
  以上で65%が取れます。もっと簡単に「正答率40%以上の問題で自身は80%以上取る」と言い換えてもいいかもしれません。
「取れないかもしれない問題」は基本と応用の間のレベル、「予習シリーズ」で言えば練習問題レベルですが、これは(1)と(2)の関連性が薄く、この両者の難易度には差があります。ここでは無理をせず、「(1)狙い」で対処してください。「取れるはずがない問題」は応用問題。中学側が受験生にチャレンジさせることが目的の問題ですので、まず解けません。その前に時間切れになっているはずです。ですから無理をせず、空き時間があれば先に解いた問題の見直しにそれを費やしてください。

 算数に限らず「取り方」というものがあります。
 その取り方=自分の得点法、を確立するのが過去問を解く目的です。
 この時期は皆さん過去問対策ですね。
 頑張っていきましょう。

 

 

算数の勉強法。⑤

2018年9月25日

 ※(今年は既に満席でご新規様の受け入れが難しいため)来期の予約のみ承っていますが、こちらもそろそろ満席に近づいてきました。ご了承ください。

 続きです。

 当塾生の第3回の四谷大塚合判テストの結果が出揃いましたが、算数で一つ特筆すべきことがあります。それは当塾6年生全員が偏差値45を下回らなかったということです。また国理社の平均偏差値も45を超えてきました。
 私は指導に当たり、この「四谷大塚偏差値45」を一つの目安・目標値としています。一つ目の理由は偏差値45で入れる中高一貫校のGMARCH以上の大学進学実績が優れており、そこに入れれば中学受験をしておいて良かった、と一応の成果・満足が得られたと判断できる点で、もう一つの理由は「受験生として頑張っているね」が認められる最低基準が偏差値45だから、という点でです。中学受験に詳しくない方は「いや、偏差値は50が基準だろ」とおっしゃるかもしれませんが、中学受験専門塾内での偏差値50は「優秀な生徒が切磋琢磨しながら学ぶ中で得た数字」(特にサピックス)ですので、公立校の偏差値50とは意味合いが全く違うのです。ですから(その環境下で全員が偏差値45以上を取れた)というのは私の中で喜ばしいことなのです。
 (当塾でも)上は70近辺の生徒もいます。50台、60台もいます。しかし大事なのは塾を「一将功成りて万骨枯る」という状態にしないことです。お預かりしたお子さん全員を底上げするのが塾本来のお仕事なのです。「御三家に一人受かりました。その他は知りません」は塾のやることではないのです。できる子は勝手に成績を伸ばしていきます。放っておいても勝手にやるからです。そんな子が御三家に受かってもそれは「塾のお蔭」などという偉そうなものではなく、本人が頑張ったというだけの話なのです。塾の講師はそんな優秀な子の資質に頼るような楽な仕事をしてはいけないのです。
 しかし現実はそうでない子が圧倒的多数です。当塾には偏差値20台からスタート、やる気も何もなく、どこの大手塾も拾ってくれそうもない生徒さんもいました。そんな生徒さんたちが平均偏差値50を超えたという現実を目の当たりにすると、人の持つ可能性を信じざるを得ません。今年も偏差値30未満から城北合格、去年も同じく30台から鴎友合格と毎年「奇跡を起こす子」はいるのですが、本当に子どもの伸びしろには驚異を感じます。
 さて、算数で偏差値45以上を確実に取る方法は「皆が取れる問題で落とさない」。これに尽きると思います。これは国理社にも言えることです。「正答率50%は超えるであろう」と見込める問題で確実に得点する。それだけで偏差値45以上の確保は容易くなります。そして少し頑張れば50は取れる、そこで得られた「勝ち癖」を積み重ね、自分の力を信じられるようになった生徒は(すごい勢いで)伸びていきます。唯々無計画にがむしゃらにやる、ではなく「この問題は落としていいけど、この問題は確実に取ろう」という計画を徹底遂行する。それだけでいいのです。これはそのまま入試必勝法でもあるのです。
 次回はその方法の一部をお話しいたします。
 

算数の勉強法。④

2018年9月18日

※ 今月16日に四谷合判テストが行われました。国語は少し難、その他は標準という印象でした。

 続きです。
 当塾は個別指導です。個別ですので生徒の動きは逐一わかります。
 さて、生徒を横に置いた授業をしていて毎回思うことがあります。それは、「できない生徒ほど手を動かさない」ということです。算数でも国語でも理科でも問題をじっと見ているだけ。設問を穴の開くほどじっと見つめていればそこから「ひらめき」や「思いがけない発想」が浮かんでくる、とでも思っているのでしょうか?
 前回も申し上げましたが算数は国語と同じ論理的思考で解く科目です。つまり、筋道を立てて思考を展開させ、結論に辿り着く作業を求める科目なのです。筋道を立てて思考するには前後の因果関係をきちんと掴み、それを可視化させることで理解度をより深めていくことが必要です。それにはつまり「図を描くこと」が有効なのです。
 例えば「1.8キロ離れた家と学校の間を太郎君が分速〇メートルで・・」という文章題であれば、まずダイヤグラムを用い、家・学校・1.8キロ・分速〇メートルなどそれぞれのキーワードを「出てきた順に素直にそのままを描いていく」作業を行うのです。そして図案化された諸条件を俯瞰しながら状況の的確な把握に努めるのです。
 図形問題もそうです。よく補助線が引けない、という生徒がいますが、引いたとしても「全く見当違いの線」を引きます。こういう生徒に欠けているのは「そもそも補助線は自分を有利にするためのもの」という視点・理屈です。例えば「図形の比」と言えば「二子山」「クロス」「ピラミッド」(知らない人はごめんなさい)ですが、その形に持ち込めれば解けるはず、未完成図に線を加えその形にしていく、こうやって自分に有利な展開に持ち込むのが「補助線」を引く目的なのです。
 このように有効な「図にする作業」ですが、しかし、いくら促しても描こうとしない子がいます。「どうして手を動かそうとしないの?描くのがめんどくさいから?描けないから?シャーペンの芯を節約したいから?まさか「閃きで一発で解けるカッコいい俺」を目指しているとか?」と聞くと「描けないから」と答えます。しかし、私は生徒さんに絵心が必要だとか、お絵かき教室レベルの絵を描けとか、そういうことを求めているのではありません。「素直に描きましょう」というだけなのです。絵描き歌に従って絵を描くように、問題で出てきたキーワードを順に素直に描いていくイメージでいいのです。(ここから言えることは「できないのに講師の指示に従わない・そのように実行しない素直さに欠けた頑固な子」というのが一番受験に向かないということです)
 また、理科の(特に水溶液・物の燃焼などの計算問題)が苦手な生徒も似たような傾向にあります。国語のできない子もそう。基本的に中学受験の科目のほとんどが論理的思考で解けますので、それなら手を動かしながらの思考をすべきなのです。頭の中での思考だけでもいいのですが、それを可視化させることでより鮮明に、より答えを導きやすくなるのであればそうすべきなのです。手だけでなく、毛穴まで使って解く・全身を使って解くというイメージなのが受験勉強です。そういう意味でこれはスポーツに近いものがあります。
 「自分に有利な展開になることを積極的に行う」、これは言い換えれば「どうしても合格したい」という意欲の表れでもあります。ですから図を描くことを億劫がる生徒は合格への意欲が薄いのかな・・合格するよりも面倒くささを避ける方を優先する気かな・・と思います。しかし、このような合格への意欲が薄い生徒・必要な学習から逃げたり面倒くさがったりする生徒さんは(意欲の強い子に負けますので)申し訳ないが(必然的に)受かりませんね。
 勉強すること、(今回お話ししたように)論理的思考をすること・それを図案化すること、これらは「自分を有利にすること」につながります。確かにこういう作業は面倒かもしれません、ですがこの面倒な作業が結局は自分をより良くしてくれるのです。

 何事も「短気は損気」「急がば回れ」ですね。
 
 次回に続きます。

 
 
  

算数の勉強法。③

2018年9月03日

 続きです。
 算数が苦手だ、できないというお子さんの多くは「自分は理系でないから」と思い込んでいるようです。また、本人だけでなく親御さんの中にも「私も算数が苦手だったから」「パソコンの操作が苦手だから」と、「親の私が理系ではないから、きっと遺伝で子供にも・・」みたいに考える方が意外と多く、親がそのように思い込んでいるから、お子さんにもそれが伝わってしまうのかな?と感じたりします。しかし、そもそも小学生が扱う算数は本当に「理系科目」なのでしょうか?
 私も大手塾の算数の講師を何名か知っていますが、不思議と大学時代は文学部・法学部・経済学部出身の方が多く、一方「バリバリの理系学部」出身の方は意外に少なく、しかも(わかりやすい授業をするという点で)人気のある講師・上位校担当講師は前者であることが多いのです。このことからも算数が本当に「理系科目」なのか?と感じてしまうのです。
 私は「小学生が習う算数は文系科目である」と考えています。つまり国語と同類だということです。国語と同類だということは、元々この両科目間の親和性は高く、ゆえに思考方法が同じであろうという点で、国語の講師が算数を教えるのはそれほど難儀なことではない、むしろ教えやすい科目だと思えるのです。その点は生徒さんも同様で、ですから「国語得意、だけど算数が苦手」というお子さんには「国語ができるということは算数もできるということなんだよ」という話をし、自信を持たせるようにしています。
 文系科目(国語)が得意な生徒は論理的思考に秀でています。「こうだからこう、こうだからこう、よって答えはこう」みたいな思考ですね。ですが「ん?これって算数の証明問題の手順じゃん」と気づいた方は「算数と国語は思考方法が同じ」ということにも気づかれると思います。
 この両科目に共通しているのは「まず、答えありき」です。つまりゴールはすでに設定されていますので、いかに矛盾なく、いかに効率的かつ合理的にそこにたどり着くか、その手順を求められているのだ、と考えたとき、論理的思考能力に優れた生徒がその答えを得やすいのです。
 逆に本当の「理系の頭」とは「まず、答えありき」でなく、「ゼロから答えをから作り出す」能力のことです。初期の段階では論理的思考がベースですが、それ以降は「ある種のひらめき」が大事になります。
 しかし、「文系科目である算数」に「ひらめき」は必要ありません。答えはすでに決まっており、改めて答えを作り出すことを求める科目ではないからです。一見、ひらめきで解けたように思える問題も、実は過去の経験が顕在化して、あたかも「ひらめき」で解けたと錯覚しているに過ぎないのです。
 バリバリの理系の人が小学生の算数を教えるときにご注意いただきたいのは「自分のひらめきを生徒に押し付けない」ということです。こどもは納得できる説明(論理的な説明)を「わかりやすい授業」として受け入れます。かつて選手時代に動物的勘で活躍した方が監督になって打撃指導したとき「バットをこうやってバーンとボールにぶつければ、ブーンと飛んでいく、わかった?」みたいに擬態語擬声語を多用したという話を聞いたことがありますが、それでは聞き手にはチンプンカンプンです。「あの先生はいきなり聞いたことがない数字を出してきて、こうだからこう、分かった?!を強引に進め、且つ早口大声でそれを強要する」と思われたら、講師としては失格なのです。その尻ぬぐいをするのがここ数年の永田の役割になりつつあります。(算国の指導比が7:3になってるのもその表れ)ですので、その点はよろしくお願いします(笑)。(必要以上の大声・早口・怒鳴る・授業時間の半分はウケ狙い、などは自分の指導力の無さをごまかしたり力づくで納得させようとしたりする表れですので、その傾向が見受けられる講師は二流だと思って間違いありません)

 次回に続きます。
 
 
 
 

算数の勉強法。➁

2018年8月28日

※ 既報通り現在は満席ですので、来期のご予約のみ承っております。

 続きです。

 算数ができない子は何も生まれた時から苦手だったわけではありません。学校教育を受けていく過程で、また、その延長である塾での中学受験用の高度な算数を受けていく過程で「できる子」「できない子」「得意な子」「苦手な子」「好きな子」「嫌いな子」に分かれていくのです。どの科目もそうかもしれませんが、このようになるのは「子どもが勝手にそうなった」というより「関わる時間・接し方が長く深い指導者の影響でそうなった」と考えるのが自然かと思います。つまり、良い指導に巡り合えば生徒はその科目の面白さに目覚め、好循環を生むきっかけとなるのですが、その逆になれば悲劇だということです。いくら面白い科目であっても、それに気づかず学生時代を過ごしてしまう、それどころか毛嫌いするようになる、なら本当に悲劇です。このように他者(講師)との巡り逢いは人(生徒)の人生に大きな影響を与えます。問題は影響を与える側に人間(講師)がそのことを自覚し、適切な指導をしているかどうかです。
 私の算数の授業はいわば「尻ぬぐい」です。理科もそういう感じですね。大手塾の授業で分からなかった問題を永田がマンツーマンで解説するのです。本来なら塾のことは塾の授業内で解決してもらいたい、解決できない未消化の問題は担当講師にトコトン質問すればいい、ところが皆さんそうしない。全て永田に振るわけです(笑)。おかげで国語の授業が削られる~(泣)、そして「よくわかった」「スッキリした」という言葉をいただき、当方の算数の授業は終わるのですが、どうして塾の算数専門講師が未消化状態の生徒をそのまま帰してしまうのか本当に不思議です。と言いますか、何で理解させられないの?
 生徒の不満の一つに(算数で多いのですが)「講師の説明がよくわからない」というのがあります。だから(生徒曰く)質問しても意味がない、そうです。もう一つの不満として「解説書を読んでもわからない」「そこにいきなり見たことのない数字が出てくるのでわからない」というのもあります。さて、この両者の共通点は何でしょう?これが生徒を苦しめたり、算数を苦手にさせたりする原因になっているのです。
 それは「不親切さ」です。どうすれば痒いところに手が届くのか?それを考慮しない想像力の欠如、生徒が何が理解できず何を求めているのか、それを察することのできない想像力の欠如、これを「不親切さ」と定義します。
 これは講師の学歴の差とか、新人ベテランの差とか、文系理系の差とか、男女の差とかの話ではなく、「人間力の差」という話になるのです。
 (私の知る限り)教え方のうまい講師は何を教えてもうまいです、一方下手な講師は何を教えても下手です。
 その差は一言で言えば「想像力の有無」「生徒の心理を機敏に察する能力の有無」、つまり「講師として必要な人間力の有無」の差、これに尽きると思います。

 次回もこのお話の続きとなります。

 

算数の勉強法。

2018年8月19日

 少し算数のお話をしたいと思います。
 「アイスクールと言ったら国語だよね」ということで、当塾には国語から入られる方が多いです。地域柄、豊洲・有明・東雲・晴海・月島・勝どきなど湾岸東地区からのご依頼が多いですね。しかし、国語が安定してくると「次は算数、その次は理科を・・」とご希望される方が多く、結果的に「四教科お任せコース」になる方が多いです。事実、今年の生徒さんの半分強が他の大手塾に通わない当塾オンリーの「お任せコース生」です。
 そのような事情もあり、ここ数年の永田の授業は、本来メインであるはずの国語より算理の授業の方が多くなっています。この夏も算数と理科ばかりやっていた感があります。和食の専門家が毎日フレンチやイタリアンばかり作っているが如くです(笑)。夏期講習期間中、1日8時間授業がまるまる算数だったという日も少なくありません。やはり入試の要は算数だと認識されている方がそれだけ多いということなのかもしれません。その傾向が顕著なのか当塾でも「算数・理科だけを受講する生徒さん」が増えています。そういう生徒さんから見れば「アイスクールと言ったら算数と理科の塾だよね」ということになるのでしょう。
 大事なのは算数、しかし、その算数で点が取れない、という生徒さんが(男女・学年・時代を問わず)相変わらず多いようです。国語も大事だが、算数で点が取れないと入試で成功しない、とお考えのようです。それは事実ですし、お子さん・親御さんがそこに不安を感じるのは理解できます。私も「中学受験生の父」を経験していますからね。その点はおおいに共感できます。
 さて、ならばその算数の学習を日々一生懸命にやっているのですか?と生徒さんに問えば、「もちろん、むしろ家庭学習は算数しかやっていないに等しいくらいですよ」という返答をいただきます。
 なのに、どうしてこんなに算数のできない生徒が多いのでしょう?
 次回はその解決策を考えていきたいと思います。

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