中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

自分の人生は自分で構築するもの。

2022年6月21日

※ 日々お問い合わせいただくことが多いのですが、(既報通り)あいにく平日および土曜日は全て満席となっております。日曜日に何とか授業時間を作れるかどうか、、空くとすれば夏休みか、、という状況です。ご了承くださいませ。

 現在、湾岸東地区(豊洲・東雲・有明・晴海・月島・勝どきなど)にお住まいの生徒さんを中心に指導しておりますが、ほとんどの子が「タワマンの住民」です。昨今のこの近辺の不動産の値幅変動率を見ますと、諸々事情で値上がりが続き、90平米を超える広さの物件であれば、それはまず間違いなく「億ション」と言える状況です。「パワーカップル」という言葉がありますが、「東京一工早慶」に代表されるような一流大学出身者→誰でも知っているような大企業にお勤めのご夫婦が上記地区にはワンサカいらしゃいます。そこそこの収入がないとこの地域でマンションを購入するなんて無理な話ですからですね。そして綺麗な街並み、商業施設も充実、経済的な困窮とは無縁の都心生活、非常に恵まれた環境で生活されていく中で、当然のようにお子さん方もそのような恵まれた生活を享受しています。

 なぜこのような話をするかと申しますと、(この地域にお住いの方の特徴として)経済的に恵まれた環境にいる→中学受験の重要性を親御さんがきちんと理解されている→同時に中学受験を投資と捉えているので教育資金を惜しまない→子どもは安心して学習できる、など外部条件が十分満たされている、その条件だけでも中学受験成功を導くことは可能なのですが、肝心要の「中学受験をどう思っているのか?」そして「自分はどうしたい?どうなりたい?」と言う思考が抜けていそうなタイプの子が多いような気がし、それはつまり、恵まれ過ぎていて、自分の人生をそう真剣に考えなくても何とかなると思っている子が多いからではないか?と映るからです。

 「真面目に塾に通っていたから入試に成功しました」「親の言うことを素直に聞いてきたから入試で成功しました」このようにとても「素直で真面目で良い子」が多いのもこの地域の特徴であり、それは恵まれていて枯渇感がないから「良い子」「反抗しない子」で居られるのだと思いますが、本来中学入試は「自分自身に革命を起こす」「他者そして自分との戦い」ですので、自分の内部から醸し出される「負けん気」みたいなエネルギーが不可欠なのですが、「恵まれ過ぎていてだいたいのことは叶っている」=「勝ち負けにこだわる必要はない」環境で育ってきたので、「負けん気」や「競争心」などは無縁なのかもしれません。「現状維持のまま過ごせればなあ」が本音なのかもしれません(実際にそういうことを言う子もいる)。

 外部環境が充実しているので、確かにこの地区に住むお子さんの平均学力は高いと思います。

 しかし、やはりそれだけでは足りない。なぜなら中学入試で成功しても人生そのものを成功させなければ意味がなく、そうなるためには、やはり「内部から醸し出される何かしら」が必要だからです。

 次回はそのお話をします。

いつまでたっても国語ができない理由。③

2022年6月13日

 このテーマの最終話です。

 国語力はまさに「家庭力」です。「ゲームより読書」。幼少時から安易にゲームを与えず、子どもの読書時間をきちんと確保するのは親の義務(あえて言いますが義務です)ですが、幼児は親が「楽しそうだな」と思うことに反応しますから、親自身に読書の習慣がなければ、子どものそれは根付きません。親が本を読まない家庭では、いくらお尻を叩いたところで子どもが自分から動くことはありません。

 では、どのような大人・子どもが読書好きなのでしょう? 私は「自分の人生を大事にしたい人」だと思います。より良く生きたい、迷いなく生きたい、できれば成功したい。しかし、そのためには自分の判断に頼るだけでは心許なく、優れた誰かに教えを請わなければならないのですが、個人がそのような人に出会える機会には限りがあります。そこで多くの優れた先人・偉人・成功者の教え・言葉・エピソードを身に纏い、より強固な自分にしていく過程をワクワクしながら体感できるのが読書の効能なのです。だから「自分を大切にしたい人の読書のきっかけは「偉人伝」だった」というケースは多いのです。そして、もし偉人伝で夏目漱石・芥川龍之介に触れたなら、次は作家別・ジャンル別の読書へと興味の幅を広げていきます。また、「偉人」の多くは過去の人物ですので、興味の範囲は「読書」と同時進行で「大河ドラマ」「歴史漫画」に広がり、結果的に国語も社会(歴史)も併せて好きになるのです。こういう「国語社会同時進行型」の子は本当に多いです。

 「自分の人生を大事にしたい子」「自己肯定感の強い子」のほとんどは親からの惜しみない愛情が注がれてきた子です。自己肯定感が強いから上昇志向なのです。上昇志向が強い子は読書を通じて更なる高みを目指そうとします。「国語力」=「親力」「家庭力」というのはそういうことでもあるのです。

 興味を持って本を読み進める。しかし、その途中でわからない漢字・語句・言い回しが出てきたとしても読書好きな子は親に質問するなり、自分で調べるなりします。そうしなければ楽しい読書が前に進まないからです。ですから「漢字1日〜個書きなさい」「〜ページまで慣用句を覚えなさい」みたいな強制的課題を与えられなくてもこういう子は勝手に自分から知ろうとします。落語の好きな子に「寿限無」を暗記しろ、なんて言わなくても、彼らは勝手に記憶する、また、鉄道の好きな子が車両の種類や路線図(要は地理)を楽しんで覚えようとする姿とも似ていますね。

 さて、国語は算数と同じく中学入試の合否を決定づける最重要科目です。

 算数は2年の学習の積み重ねで何とかなりますし、事実、当塾でも2年あれば算数は何とかものにさせることは可能です。しかし、国語は( 幼児期から現在に至るまで読書習慣をないがしろにしていた月日をカバーするのに)数年かけないと、入試レベルの国語に耐え得る力を身につけることはできません。ですから「散々サボってきた読書・国語であるが、数ヶ月でチャチャっと何とかしてほしい」という親御さん(国語のできない子の親もなぜか短気で忍耐力がない)の「都合のいい要望」に応えられる塾はほんのわずかであり、そういう「虫のいい要望」の受け入れを拒否する塾さえあります。それは国語のできない子は「集中力がない」「忍耐力がない」など「ないない尽くし」であることが多く、この性格のままでは成績の向上が(科目問わず)見込めないことが多いからです(実績を出したい塾からすれば、その足を引っ張るような生徒は受け入れたくない、という本音もあるのでしょう)つまり「国語力のアップを考えるより前にすべきは性格を変えること」ということになるのですが、「親の尻拭いまで塾ではできないよ、躾は家庭でやってよ、そこまで塾は関与できないよ」と言う塾があることも事実なのです(成績を決めるのは頭の良し悪しではなく、受験に合う性格の良し悪しです)。

 当塾は1〜2年の期間で国語の指導をすることが多く、結果的にものになることが多いのですが、くれぐれもお願いしたいのは「ドラえもんの道具のようにチャチャっとうまくいく」みたいな「都合の良さ」「虫の良さ」を一旦横に置いていただき、前述のように「できる限り家庭内で変えられる悪しき習慣を変える」「習慣を変えることで子どもの性格を変えることに極力努力する」つまりできるだけ「家庭力」を強化していただきたいということです。

 「集中力のない子」「忍耐力のない子」「面倒くさがる子」「素直でない子」「真面目さに欠ける子」「自主性のない子」「短気な子」「親依存の子」これらは全て中学入試成功を妨げる性格です。中学受験どころか人生にも支障を生じさせるかもしれません。しかし、これらは生まれながらに持った性格ではありません。この性格にしたのはほかでもない「親御さん・家庭環境」なのです。

 厳しいことを羅列しましたが事実ですので仕方ありません。

 「子どもが素直になった」「面倒くさがらず何事にも意欲を示すようになった」からが、本当の中学入試に向けた学習のスタートだと思ってください。

 何事も遅すぎることはありません。子どもが変われば、加速度的に成績も向上します。そうなれば国語は何年もかけずとも、ものになっていきます。1年で偏差値20アップなど(本気で取り組んでくれれば)絵空事ではなく、現実となるのです。

 親も子も変わりましょう。そして先ずは親が変わりましょう。
 始まりはそこからです。

 次回は新テーマです。

 

 





 

いつまでたっても国語ができない理由。②

2022年6月06日

 続きです。

 「国語のできない子は理科もできない、逆もまたそう」

 これだけ見ると「あれ?算数理科が得意で国語が苦手だというならわかるけど」と疑問に思われる方も多いと思います。「理系が得意だと文系科目は苦手のはず、逆もまたそう」という考えですね。しかし、国語ができない子は理科もできない、というのには理由があります。この二教科には共通点があります。

 それは両者とも「じっくり対峙しなければならない科目」だということです。
言い換えると「根気よく集中して取り組まないと点が取れない科目」となりましょうか。しかし、最近のお子さんはこの「根気」と「集中力」が著しく欠けています。ですから国語と理科を苦手にする子は増えることはあっても減ることはないのです。(どうして根気・集中力のない子が増えたのかは以下で少し触れておきます)

 算数は公式を多用し解くことが多いです。社会は暗記した知識で解くことが多いです。つまり、算数社会は「出題パターン、解法パターンがわかりやすい」のです。簡単に言えば「コツさえ覚えていれば比較的チャチャっと解ける科目」なのです。だから、めんどくさいことが嫌いな現代っ子は「ササっと解ける」算数社会が好きなのです。

 しかし、理科は公式に当てはめて解く、というより(理科という名前だけあって)理屈で考えて解く問題の方が多いのです。実際の入試・模試でも「考えて解かせる問題」が多い。例えば「ワクチン注射は静脈注射ですか?筋肉注射ですか?、また、ワクチン注射を打つときどうして針を垂直に立てるのでしょうか?それぞれ理由を答えなさい。」という問題が出題されたなら、「公式に当てはめる」とか「暗記したものを吐き出す」とかではなく、理屈で考えて解かなければならないのです。現代っ子はこういう「頭を使って理屈で考える問題」が本当に苦手です。これは「速くササっと解きなさい」を言い過ぎている家庭や塾、そのように洗脳され「速くササっと解けることに価値がある」と思い込んでいる子ども、そういう教育の弊害が如実に現れた例だと思います。

 いつでもどこでも「どうして〜なんだろう?」と考えさせる時間と余裕を与えない環境が良くないと思いますね。子どもが考えている時間を「無駄な時間」「ぼーっとしている時間」と勘違いするひどい親・教師も多いですからね(笑)。毎日毎日何かしら問題意識を持って生きている子、考える習慣を持った子・与えられた子がこういう問題では本領を発揮します。

 国語もそうですね。「解くのが遅い子」に対しては「文章を速読しろ」と皆さんおっしゃいます。学校でも塾でも同じような指導をします。しかし、「脳が未熟な子に速読を強いたら読み方が雑になり、その読み方では文章の真意や細部がつかめなくなくなる」のは紛れもない事実であり理屈です。その理屈がわかっていれば速読なんてリスクが高過ぎて軽々に勧められないはずですが、その理屈を無視して速読に精を出そうとしますから「頑張れば頑張るほど成績が落ちる」ことになるのです。「大人と子どもの歩幅はまるで違う」「大人と比べ背が低く視界が狭い子どもはサッサと歩けない」という理屈がわかっていれば、ノロノロ歩みの遅い幼子に「早く早く」と急かす親はいないはずです。下手に急がせると転んで怪我をしてしまうというリスクを負うことになるからです。これと同じ理屈ですね。

 国語のできない子は理科ができない、の決定的理由は「文章がきちんと読めていない」からです。両科目とも「きちんと読まないと解けない科目」なのです。最近の理科の実験問題は「実験1から実験5までを読んで・・」みたいな条件付きのものが多いです。この「大事な大事な条件」を「読まない」「読めない」「読むのをめんどくさがる」「読まなくても解けると思い込む」で、スルーして問題を解こうとするのです。例えるなら「この橋は紙でできています」の「紙」という条件を無視し「橋は石やコンクリートでできているはずだ」という思い込みで8トントラックで渡ろうとするようなものです。こんな「通常ありえないこと」をして理科を解こうとする子が本当に多いのです。

 国語理科のできない子はきちんと読めない。とにかく文章を読むのがめんどくさがる。めんどくさいから端折りたがる。その結果「何も理解できていない子」になる。「ササっと効率良く手っ取り早く」ばかり追求する子は結論を早く求めようとし過ぎますので、「根気よく集中してじっくりと」の習慣を年少時から身につける機会がなかったのです。親が結論を急がせ過ぎますからね。だから国語と理科ができないのです。

 拙速の弊害を知ってか知らずか「早く早く」を言い過ぎる「理屈で物事を考えられない親」「短気な親」に育てられた子ほどこの傾向が強いです。親と同じように「理屈で物事を考えられない」子、「遅いのはダメ、速いことは素晴らしい」という価値観を持った子、短気な子、こういう子はたいてい成績が悪いのです。

 口を開けば年中「遅い遅い」「早く早く」「急いで急いで」と、子を急かし叱咤している気短な親御さんは、自分が子どもの足を引っ張っていることに気づかれた方がいいかもしれません。

 現在の我が子の姿は、親が今まで施してきた教育の集大成そのものなのですから、子育ては本当に慎重に行っていただきたいと願います。

 次回に続きます。

 

いつまでたっても国語ができない理由。

2022年5月30日

 新テーマです。

 おかげさまで湾岸地区では「国語のアイスクール 」ということでご認識いただけています。「国語の成績が上がったから次は算数を」「理科も苦手ですのでこちらも」という感じで、国語のみ受講→四教科おまかせ→合格率をぐっとあげる、という流れになることは多いです。しかし、肝心要の「国語」の成績が上がらないとその流れは築けません。ですが、築けているということは「国語の指導に信頼がある」のだと自負しております。

 「どうしても国語の成績をあげたい」という方は、まず「素直に真面目に熱心に」であってください。これは国語に限らず、何事に対しても必要な心構えです。同じ授業をしていても成果が出る生徒と出ない生徒との差はこの「心構え」の有無の差でしかありません。

 「国語の成績が伸びていないのに頑なに自己流にこだわる子」は基本的にめんどくさがりやで頑固です。この「めんどくさがりや」「頑固」は(悪い意味で)現状維持派です。自分を変えないと成績が上がらないのに、成績を上げることよりめんどくさいことを避けたい、を優先する子です。これではうまくいきません。数多くの受験生を見てきましたが、失敗する子は頭が悪いとかそういう理由ではなく、上記通り「素直さや真面目さや熱意に欠け、現状が低迷しているにも関わらず、自己流にこだわる頑固でめんどくさがりやさん」なのです。 大事なことは「成績のことで悩む前に、まず性格を変えましょう」なのです。自己改革する必要が迫っているのに、積極的な自己改革をためらう子が中学受験に成功するはずはありません。こういう習慣から抜け出せない子は人生をも多難なものにしてしまいます。「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、小学生のうちから「成功するためには、まず自分を変える」を実行してみましょう。

 さて、昔でしたら「算数理科は得意だけど、国語社会が苦手」というように「理系・文系」で得意不得意が別れる傾向にありましたが、今時の子どもは「算数社会が得意で、国語理科が苦手」という子が増えています。本当にびっくりするくらいこの傾向が強いのです。

 しかし「国語と理科」。何の関係もなさそうなこの2科目には共通点があるのです。そして、この共通点は「今時の子ども」が抱える欠点が如実に現れているのです。

 そのお話は次回とさせていただきます。


 

強要すればするほど、子は学習から遠ざかる。④

2022年5月23日

 このテーマの最終話です。

 中学受験は四教科受験が主流ですが、私はこのうち「算数理科は自分力」「国語社会は家庭力」と捉えています。

 「中学受験の算数と理科」につきましては上位校レベルの問題になりますと(正直なところ)中学受験経験のない親御さんでは解けないし指導できない内容となります。「子どもの算数と理科」とは言え、中学受験のそれは公立小学校で習うものとは全く別物ですので、(仮に親御さんが解けたとしても)うまくお子さんに説明できないことも多いです。ここはプロに頼るべきなのですが、それ以前に子ども自らの「自分で考え工夫する意欲」がないと何も始まらない科目なのです。

 考えたり工夫したりする労力を厭い、公式に当てはめてチャチャっと楽に解くことばかりを求めたがるお子さんは「算数理科の本質」を知ろうとしません。自分が使おうとしている公式の成り立ちがどのようなものであるかも考えず、「訳がわからない魔法の道具」であっても、それを使って解ければいいんじゃないの、という考え方をします。ですから、例えば「先生できました、自転車の速度は分速5メートルです」なんて答えを平気で出すのです。ここで怖いのが「1分かけて5メートルしか進まない自転車の存在」に疑問を持たず、公式に当てはめて解いたのだから合ってるに決まっている、と、信じて疑わない子どもの感覚です。本当にこういう子が増えています。大人になった時どうなるのだろう、と時々心配になります。

 算数理科は論理的思考に基づき「物事の根本理解」を深める教科です。筋道を立てて理に沿って考える、世の中に存在するほとんどが理屈で成り立っています。その「算数理科の本質」を理解した上で問題に対峙することが大事です。この能力が欠けていると、物事を理で考える力を養えず、諸々判断を間違えることになりかねません。ですから算数理科は「自分でよくよく考え工夫して向き合う力」つまり「自分力」が問われている科目なのです。

 一方、国語社会は「家庭力」の影響を受けます。「地理が苦手だ」という子は親子で出かける機会を設けていません。「歴史が嫌いだ」という子は親子で大河ドラマを楽しむことをしていません。「公民が嫌いだ」という子は親子でニュースを見ることをしません。つまり「家庭単位でやっておくべき肝心な行動・会話ができていない」ことが原因で社会ができない子に育ってしまうのです。別にお金をかけて旅行に行かなくてもいいのです。今時はパソコンやスマホでいくらでも動画や映像を見る機会がありますから、例えば「天橋立」を知らなければ検索して画像を見せればいいのです。映像から入る記憶は定着しやすいのです。この程度の工夫や手間さえ家庭でおざなりにしているのであれば、「親力・家庭力がない」と思われても仕方ありません。

 また、「うちの子は語句が苦手で」「語彙が少なくて」「漢字が書けなくて」というご家庭は問題集や参考書を使って「毎日ことわざ10ずつ個覚えましょう」みたいなことをやりがちですが、本来そのようなことは「家庭内の会話」「家庭内での読書の時間」で十分できること、いやそうすべき類のものなのです。「その手は〇〇の焼き蛤の〇〇に当てはまる地名を答えなさい」という問題が以前出題されましたが、これなども「桑名」を覚えましょう、ではなく、親子の会話の中で自然と出てくるべきものなのです。要は「家庭会話力」の低下が、そのまま国語社会の学力低下を生んでいるのです。

 でも、こういうことは「急に」「付け焼き刃的に」では無理なのです。

 「自分で考え工夫させる」「家庭会話力を高める」は、子どもが生まれた時点で「どのような子育てをすべきか、どのような家庭にすべきか」を前もって計画しておかないと難しいのです。

 前回お話しした「英才教育」というのはそういうことなのです。「教育ママゴンが金切り声を上げて子どもを叱ったり、物心ついたばかりの子どもを我先にと塾に放り込んだりすること」ではないのです。

 家庭内の学習環境を充実させ、親子の会話が滞りなく進むようお互いの信頼関係を築くことに努める。

 これこそが英才教育の基盤、それができていて、初めて中学入試のスタートラインに立てるのです。

 「すべて塾にお任せ」ではありません。肝心要なのは「家庭はどうか・家庭をどうしたいか」なのです。

 何度も繰り返しますが、中学入試は「家庭力」が問われているのです。

 次回は新テーマです。

強要すればするほど、子は学習から遠ざかる。③

2022年5月19日

 続きです。

 本人の決めた中学受験なら、最後まで頑張るべきだし、頑張らせた方がいいと思います。
 しかし、「自分で決めた受験」「自分のための受験」であっても、高い学習意欲を継続できるとは限りません。そこが子どもたる所以で、その幼さが中学受験成功の妨げになることもあります。「もうめんどくさくなった、辛くなったからやーめた」と簡単に投げ出すのが子どもというものです。

 言葉に責任を持たせることが大事です。よくよく考えて決意したことは安易に覆せるものではないと覚悟を決めさせることが大切なのです。「すぐ諦める」「すぐ投げ出す」「三日坊主が日常茶飯事」な人は大成できません。どんな辛い状況であっても、我慢強く前に進むという経験を経ないと、どの分野に置いても成功しません。それを分からしめるのが中学受験です。年少時に苦労して成功を勝ち取る体験は、勉強もせず無為に日常を過ごしている小学生には得られません。この経験が人生を大きく変えます。だから、中学受験は「小学生時代にやっておくべきイベント」なのです。

 さて、話を戻しますが、自分で決意したはずの中学受験なのになかなか学習意欲を見せない我が子に対し、親御さんはどう接すべきなのでしょうか?

 多くの親は「自分で決めたんでしょ、やりなさい」と叱りつけ無理に机に向かわせようとします。また、少数派ではありますが「自分で決めたことすらできないなんて、もう中学受験なんてやめなさい」と諦めさせようとする親もいます。ですが、どちらも正解ではありません。

 正解は「放っておく」です。しかし、ただただ放置するのではありません。子が机に向かわないのは「家庭が学習する空気になっていないから」なのです。つまり親が家庭内に学習意欲を醸し出させるような雰囲気を作っていないから子どもが勉強しないのです。親が家庭を変えることにより、放っておかれた子は自分から動くようになります。

 それがうまく機能しているが上位校に受かる生徒の家庭です。このような家庭の多くは「弁護士、医師、会社経営者」など、俗に言う「成功者」のそれであることが多いです。「成功者なんでしょ?そりゃ教育費たっぷりかけているから・・」ではありません。そういう意味ではなく、このような職種についている親御さんは、ぼーっとテレビを見ているとか、ゲームに興じているとか、そのような時間の使い方とは無縁なのです。大体の時間を読書や仕事に充てています。そのため家庭内が静かです。ま、図書館のような環境ですね。今の地位を保つため勉強しなければいけない、それがわかっている親御さんですから、必然的に家庭が憩いの場である以上に自己研鑽の場となっているのです。

 毎日そのような環境下にいる子どもは「勉強するのが当たり前」と考えており、親の成功例・後ろ姿を見て「勉強しなくちゃいけないな」を物心がついた頃から身に沁みてわかっているのです。

 これこそが本当の英才教育なのです。2〜3歳の頃からどこかの塾に入れることが英才教育ではないのです。年少時からの通塾で「塾は勉強する場」「塾の先生は教えてくれる人」「それ以外の時間は遊び」という認識が固定化した子は「塾以外の場所では勉強しなくてよい」「教えてくれる先生がいなければ勉強できないし、しなくていい」という子になってしまいます。勉強はどこででもできるし、本来勉強は自分でするもの、という当たり前の意識が欠如した子になるのです。

 塾に何年も通っているのに成績が・・というお子さんのほとんどは、幼い頃から塾に通い過ぎているからそうなるのです。「勉強は塾でやるものだ」という認識が浸透した子は、塾以外の「その他空き時間」を思った以上に活用することなく過ごしています。これでは学習の絶対量が少なく、入試でも不本意な結果に終わるのは必定なのです。

「勉強は外注でOK」という方は「家庭がどうであるべきか?」「親に何かできることはないか?」ということにあまり注意を払っていません。しかし「中学受験は家庭力」である以上「家庭力の弱さはそのまま受験の弱さ」であると御認識ください。

 子どもが勉強している横で親が

1 テレビに夢中
2 ゲーム・スマホに夢中
3 飲酒喫煙に夢中
4 大声を出すことに夢中

ではいけません。「子どもが頑張っている時、親が緩んでいる」ではダメなのです。こういうことが日常化しているご家庭は、親御さん自身がお子さんの足を引っ張っているとお考えください。永田も子どもの受験年には1〜4とは無縁の生活を送っていました。

 次回に続きます。

強要すればするほど、子は学習から遠ざかる。②

2022年5月13日

 続きです。

 「将来が見える親」と「将来が見えない子」の間にある思考のギャップはそう簡単に埋まるものではありません。相容れない思考と思考のぶつかり合いの中で、親が無理矢理やらせようとしても、子どもは頑なに学習を拒否しようとします。そして双方がヘトヘトになるのであれば、学習は家庭内の平穏を乱す害悪でしかなくなります。現実問題として受験をきっかけに家族がおかしくなったという話もよく耳にします。

 そもそも中学受験は(動機がどうあれ)子どもの意志で決めたことなのか?ここが最重要です。もし、親の意志で「中学受験することにしたよ」(従いなさいね)ならば、やめたほうがいいです。

 いくら親御さんが中学受験の必要性がわかっていたとしても、お子さんの将来が心配だとしても、幼い子はピンとこないからです。ピンとこないことに対しては誰も情熱など持てないのです。親主導の中学受験は「我が子の将来が心配」というより「子の将来を心配したくない親の都合」が見え隠れします。だから中学受験の準備に情熱を燃やさず、のほほんとしている子が許せない、親の都合に逆らうことをしている子を見るとイライラしてつい怒鳴ってしまうのです。しかし、自分の意にそぐわないからといって、子どもを責めるのは決して好ましいことではありません。

 「中学受験に向かない家庭」というのがあります。それはお子さんの能力どうこうという話ではなく、「親子の信頼関係が築けていない家庭」です。私はこういうことが感じ取れるご家庭の親御さんには意識改革を、それを躊躇されるのであれば受験断念をお勧めしています。こういう基盤の弱い家庭のお子さんは間違いなく受験に失敗し(私も含め)誰も得しないからです。中学受験では「人間力」「家庭力」が見られているのです。

 もう一度言います。

 子どもが決めた中学受験でなければやめましょう。
 何もわからない子に「中学受験は誰のため?」「自分のため」と言わせるような受験ならやめましょう。
 親のエゴが前面に出過ぎた中学受験になっている、中学受験が家庭をおかしくしてしまっている、という自覚があるならやめましょう。
 受かって親が自慢したいだけの受験ならやめましょう。
 落ちた我が子を責める受験になりそうならやめましょう。


 そうではなく「子どもが(親に気を遣うとかではなく)本当に自分の意志で中学受験を望んでいる」のであれば、話は別です。もしくは親主導型の受験であっても

 1 親子で意思の疎通がきちんとできている、つまり日頃から親子関係がいい。
 2 子どもが親の後ろ姿を見て育っており親を尊敬している、且つ、親の生き様・価値観を子が十分理解している。

 ならば、受験資格はあろうかと思います。

 次回に続きます。

 
 

 

 

 

強要すればするほど、子は学習から遠ざかる。

2022年5月10日

 これは不思議なことであり、また親御さんには胸に手をおいて考えていただきたいことでもあるのですが、「どうして親は子どもに学習を強要してしまうのか?」についてですね。一体その心理の本質とは何なのでしょう。
 
 親御さんの回答の多くは「子どもの将来を考えて」だと思います。長年「学歴社会なんて時代遅れ」と揶揄されても未だにそれが幅をきかすのは、学歴の高さと社会的信頼の高さは概ね比例するからです。その理由として、地頭の良い人には安心して物事を託すことができるから、得難いであろう高学歴を確保した実績の根底にある人間的強さが認められるから、などが考えられますが、確かにその通りだと思います。そして我が子をその軌道に乗せるには年少時から学習させておく必要があり、その努力はバラ色の将来につながるかもしれない、という考えですね。

 人生経験の豊富な大人は「過去に何をすれば将来につながるか」が見えています。しかしそれを実感できるほど人生経験を積んでいない子どもには見えません。その結果、目の前の刹那的な事象にしか興味を持てない子と、将来が予測できてしまう大人(親)との間で考え方や価値観のギャップが起こるのは仕方ないことで、その代表事例が「勉強」だろうと思います。端的に言えば「勉強しなさい」「いやだ」の親子の応酬ですね。多くの家庭はこの繰り返しが日常化しています。

 上記を踏まえて、改めて最初に提示した疑問「どうして親は子どもに学習を強要するのか?」を再考しますと、「将来が見えてしまう親」は、その親の意に反して「何も動こうとしない子ども」に不安とフラストレーションを抱えており、その親が「子どもの将来を考えて」という表向きの理由以上に、実は自分の不安とイライラを解消するため子どもに学習を強要している、というのが見えてきます。勉強とは本来叱りながら叱られながら行う類のものではないのにも関わらず、勉強のこととなると大抵のご家庭が修羅場化するのは、「不安を解消したい親」と、親の心子知らずで「テコでも勉強したくない子」の「お互いの自己主張」が激しくぶつかり合うからではないでしょうか?

 これを解決するにはどうすれば良いのか。

 次回に続きます。

 

 

 

 

特記 アイスクール は「質問塾」だと御理解ください。

2022年4月28日

※ 今年はすでに満席ですが、土日でたまに空くこともありますので(スポット授業限定で)可能な限りお受けします。

 入試まで残り9ヶ月、GWにオプション授業をご希望の外部生の方も多数いらっしゃいますので、今回は当塾の立ち位置を理解した上でご利用いただきたいと考え、特記として以下を掲載します。

 決して大手塾を貶すわけではないのですが、「何年も通っているのになぜ成績が伸びない」一つの理由として私は「質問できる環境が不十分」だからなのではないか、と考えています。

 テストで得点できるのはなぜでしょう?それは「知っていたから」「解き方を理解できていたから」ではないでしょうか?言い換えれば「知らなかったこと」「解き方が理解できていないもの」が出題されると間違いなく失点します。

 「知らなかったこと」は知れば済む話ですが「解き方」については頭をひねっても調べてみてもわからなければわからないのです。ですからその分野に精通した人に直接教わるのが一番効率的なのです。簡単にいえば講師に質問すればいいのです。問題はその機会を得ることが大手塾では難しいということです。

 「わからないことは講師に質問する」。一見簡単なことのようですが、お子さんにとってはなかなかハードルが高いのです。まず質問する時間がない。講師も忙しいからですね。だから質問しても端折った説明しかしてくれない。これでは生徒は理解できません。「どう、理解できた?」と言われても、わかっていないのに「はい、わかりました」と言わざるを得ない。そして致命的なことに「教え方そのものがうまくない講師」もそこそこ多い。これではどんなに時間をかけて説明してもらっても時間の無駄、意味がないのです。

 また、「簡単に質問しにくるな」と圧をかける講師もいる。「そんなこともわからないの?」と呆れる講師もいる。こんな講師がいる環境で質問したくてもできない気弱な生徒はどうするか? 諦めてもう質問しなくなるんですね。わからない問題をわからないまま放置し、なかったことにして誤魔化してやり過ごすんですね。ですがそれが積もりに積もると、その先に待っているのは「学力低下」と「不合格」です。これが「塾に通っているのに成績が伸びない理由」なのです。

 塾に通っているのに、長年わからないことがわからないまま放置されている。このことにもう少し恐怖を感じてもいいのではないでしょうか。

 当塾は「おまかせ生」と「大手塾併用生」がいますが、「おまかせ生」の方が入試結果を牽引しています。

 そのおまかせ生には二つの約束をしてもらっています。一つは「自分のための入試なのだから自分で計画し自分で意欲的に学習すること」これは当たり前。それが守れない・できないと言うなら「自分のための受験」とは程遠い考えですから、受験を止めればいいし、落ちればいいんです。そして落ちたことを今後の人生の戒めとして活かせばいいのです。

 もう一つは「自主学習でわからない問題が出てきたら、まず自分で考え自分で調べること、それでもわからない問題は必ず質問し定着させ得点化させること」。四教科問わずどんな質問に対しても永田は真摯に答える準備ができています。授業料をいただいている以上、ご要望に応えるのは塾講師として当然の誠意だと思うからです。

 当塾は「やらせる塾」「導く塾」ではありません。「勉強とは本来自分でやるものだ」を徹底させる塾です。最近「教えない塾」というのがありますが、それと同じようなニュアンスだと思います。「何でも手取り足取り塾」「面倒見が良いというキャッチフレーズを売りにしているが、却って自主性を損なわせてしまう塾」にはしたくないのです。

 自分で学習して理解し、覚えたことは得点源になります。「どうしてもわからなかった問題」は当塾で質問し解決しこれまた得点源にすればいいのです。
 
 ですから当塾は「質問塾」なのだろうと思います。

 わからない問題がなくなれば受かる、という入試のシンプルな仕組みを理解すれば、そのわからない問題をなくすには、質問することが最重要行為であることがわかります。

 ですから「わからない問題」を徹底的に減らすことに努めた「おまかせ生」の入試結果がいいのは、当たり前といえば当たり前の話なのです。

 「入試は誰のため」「自分のため」と心底本当に感じているなら、何をすべきか自ずとわかるはずです。






 

塾への依存度が高い子は(まず間違いなく)受かりません。

2022年4月24日

※ 毎年恒例の「GW苦手分野克服授業」。「目からウロコが落ちた」「長年苦手だった分野が得意科目になった」と評判をいただいているオプション授業ですが、今年も満席を迎えようとしています。今回を最終案内とさせていただきます。

 中学受験を目指すご家庭は条件反射的に「じゃあ、塾はどこにしようか?」と迷われます。このように「塾ありきの中学受験」が当たり前になっていますが、どうして「塾なしで中学受験を目指す」という発想が出てこないのか? 塾というものに通った経験がない私は不思議でなりません。

 「みんなが通うから塾に行く」。まあ「みんながマスクしたりワクチン打ったりするから自分もそうする」みたいな安心感に近いものを得られるからそうするのかもしれませんが、せめて我が子の将来を決める入試くらいは自分の頭で考え判断されたほうがいいと思います。

 塾でいろいろ教わります→家庭でその単元を復習します→単元の定着度確認のため週テストを受けます、という流れを入試直前まで続ける。この間、何の疑問を持たずベルトコンベアに乗せられたように流れていく、のではなく、親御さんは「うちの子は大丈夫なのだろうか?」を常日頃考えるべきなのです。「塾できちんと授業を聞いているのかな?」「家庭学習は捗っているのかな?」「週テストの見直しをして定着を図ろうとしているかな?」と。

 授業中ぼーっとしていて授業を聞いていない、授業を聞いていなかったから何がわからないのかもわからないので、復讐のやりようがない。復習していないから週テストの結果も悪い、結果が悪かったのに見直そうともしないからますます学力が落ちる、この「成長の兆しがまるで見えない無意味な365日」を何年も繰り返すのです。そして言うのです。「うちの子にこの塾は合わない」「成績が伸びないのは講師の教え方が悪い」と。そして転塾、で、転塾した先でもきっと同じようなことを言うのです(笑)。

 もし「講師が悪い」のであれば、そのクラスの生徒全員が不本意な受験をする羽目になります。ですが現実はそんなことはないのです。同じクラスで上位校に受かる子もいれば、下位校にすら受からない生徒いる。前者にとってはその講師は「恩人」ですが、同じ講師なのに後者にとっては「極悪人」。いやいや同じ講師にそんな真反対の評価が下されるわけがない、そこは常識で考えてくださいね。

 「受かるも落ちるも原因は100%自分(子ども)の側にある、そのように育てた親にある」が真実です。
つまり「全ては受け手側の問題」。これを真摯に受け止め、では、どうすべきなのか?を真剣に模索していかなくてなならないのです。

 長年塾に通っているのに成績が伸びない、のはお子さんの能力云々というより、お子さんに学習意欲がないから。そして今回のテーマである「塾への依存度が高い」から。


 



 

 

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