中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

この冬も開催します。

2019年12月19日

 毎年恒例の「外部者向け最後の追い込み授業」を1月8日〜31日で開催します。(先着順・詳細につきましてはお問い合わせください、なお冬期講習は既報通り満席です)

 「残り30日で奇跡は起きるのか?」に対しては「はい」とお答えします。
 「時間的に無理、能力的に無理なのでは?」に対しては「いいえ」とお答えします。

 小学生の受験力は(大人の常識を覆すのですが)入試当日まで伸びます。それも驚くくらい・あり得ないくらい伸びます。「臥龍鳳雛」とは正にこのこと。今までは単なる雌伏期間に過ぎなかったでは、と感じてしまうほど凄まじく伸びます。しかし長年この仕事に従事してきた私に言わせれば、そうなるのはむしろ普通であり、別段驚きはしません。過去にも「1月校受験全落ち、2月1日、2日も連続落ち、しかし3日の第一志望校のみ合格した」という生徒は多数いました。そんな「漫画みたいな話」が現実に起こるのです。これを実現させたのは「2月に入ってから伸びた生徒」「伸ばしたい気持ちを最後まで諦めなかった生徒」です。こういう「奇跡のようなこと」が本当に毎年のように起きます。子供はそういう可能性を秘めています。それに加え、正しい方向性で学習すれば「さらにアッと驚くような結果」を招くことは可能ですが、それもそう難しいことではありません。

 中学受験の合否は人生そのものの結論ではありませんが、間違いなく今後の人生に影響を与えます。影響しないなら誰も中学受験などしません(笑)。
「チャンスの女神には前髪しかない。それを掴むも掴まないも自分次第」
 是非この機会をご利用ください。
 

なぜ最終的に個別塾を選ぶ人が増えているのか?

2019年11月30日

 明日から12月です。2月の入試まで残り60日。最後の追い込みです。風邪に気をつけて頑張ってください。

※今期は満席ですので、来期入塾ご希望の方のお問い合わせを始めようと思います。すでに7割程度の御予約が入っていますのでその点はご了承ください。
※冬期講習も満席となりました。併せてご了承ください。

 当塾のような個別指導塾を選ぶ方が年々増えています。最初は大手塾との併用で苦手教科のみの受講を目的とした入塾、だったのがいつの間にか、大手塾を辞め個別指導塾オンリーの四教科お任せ生になっている、という方も増えています。個別塾の費用は確かに大手塾に比べ高い、高いが「実は割安だった」と合格後に気づかれることになるのです。これはどういうことなのでしょう?
 私も大手塾出身ですが、例えば「正味1時間の授業の1分1秒を無駄なく指導に費やすことができたか?」と問われればそうとも言えず、また生徒さんに「最初から最後まで時間を無駄にすることなく授業に集中していたか?」と問えば「はい」と答えられる生徒さんは少数だと思います。「寝ている生徒・ぼーっとしている生徒」「授業無視の生徒間の私語」「そういう生徒を注意することに時間を奪われる講師」「講師自らが率先して行う授業脱線の無駄話」そんなことに時間を奪われれば1時間の授業時間も実質30分弱のものになってしまうのです。そうなると授業料は安いどころか、時間で割ればむしろ「割高」になってしまうのです。
 また、大手塾と個別塾を併用している生徒さんがよく不満を漏らすのですが、それは「授業がわからない」ということです。その理由が授業展開能力に欠ける講師(学歴とプレゼン能力は本当に別物である、とつくづく感じます)であるなら論外ですが、そうではなく、講師も生徒も一生懸命なのに成績が伸びないのは「テキストの解説の説明不足・不親切さ」が原因であることが多いです。塾に言わせればその理由が「生徒の考える機会を奪わないよう敢えて過保護な作りにしていない」らしいのですが、解説を読んでも理解できない、どうして突然「この数字」が出てくるのかわからない、わからないから講師に質問しようにも「時間がない」と言われ躊躇してしまう。聞けたとしても説明が稚拙でわからない、そしてわかった体で帰宅し、それなら家庭学習で解決しようとしてもやはり自力ではできない、で、そのうち「やーめた」になってしまい、そのような未消化が溜まりに溜まって結局「算数ができない子」になってしまうのです。家庭で何もできないまま、先に進めないまま終わってしまうのです。塾が意図した「過保護にしない」という親心が「単に冷たいだけじゃん」になってしまっているのです。生徒さんは「勉強しないしたくない」のではなく「否応なく学習意欲が奪われた」→「脳活動がリセットされた」なのです。ですから「サボっているお子さん」に関わる大人の方は事情を知らないまま頭ごなしに子どもを叱るわけにはいかないのです。
 その補助(悪く言えば「尻拭い」)をするのが個別指導の主たる仕事なのです。「突然出てきたわけのわからない数字」の出元を教える。たったそれだけで「脳活動が再起動する」のです。「入試は家庭学習の量と質で決まる」のであれば、そしてそれが成果を生むのであれば、学習が動くだけでも生徒さんのメリットは計り知れません。学習がスムーズに展開するようになった→学習意欲が湧いてきた→合格できた、なら、この好循環を生み出すきっかけとなった「個別指導」は割高どころか割安であった、と後々お気づきになるのです。
 例えば1000円で買った包丁がすぐにダメになった。代わりに頑張って30000円の包丁を購入たら切れ味が何年も変わることなく使えた。そんな時「30000円も払って包丁を買うのは馬鹿らしい」と感じるでしょうか?コスパを考えるのであれば30000円の包丁の方が圧倒的に割安なのです。良い料理人は安い道具は使いません。高くても良い道具を使う→調理の技が光る→料理の評判の良さで多くの客を呼べる。このように30000円の出費などあっという間に回収できるから、それを知っているから、「できるだけ良いものを使おう」となるのです。回収後は利益を生み続けて行く。その流れもわかっているのです。

 手前味噌な話に終始した感はありますが、「投資の評価は回収率・利益率で決まる」。何事もそうだと思います。そして日頃の行動にその意識を付随させることは肝要かと思います。

 次回に続きます。

 


 
 

「できない子」「受験に向かない子」の共通点。

2019年11月05日

  続きです。
 「進み方は遅いが毎日漢字を10個覚える子」と「サボる日は多いが、やるときには漢字30個を覚える子」がいるとするなら、さて、成果を上げられるのはどちらの生徒でしょう、また、どちらが受験に向くのでしょう、と問われれば、間違いなく前者だとお答えします。なぜなら前者は学習を「習慣として」捉え、後者は「気分・ノリでやるものとして」捉えているからです。前者にとっての学習は習慣であり「やらないと気持ち悪いもの」なので「怠ることが考えられない持続可能な学習習慣」を彼らは既に構築しているからです。一方後者は「調子が乗らないとやらない→その状態が続くなら一生やらない」と言って憚らないようなタイプで「親の心配を他所に自分の都合を優先する子」です。これでは安定的な学習が期待できないので、当然学力は低迷しますし、その幼稚な精神状況からして「競争力を伴う受験には向かない子」とも言えるのです。
 「できない子」「受験に向かない子」に共通するのは勉強を「日常の習慣」にしていないことです。しかしそれはそうさせてこなかった親の責任でもあります。
「勉強したら褒める」「しなかったら叱る」、このような感情を伴った接し方をしていること自体、親御さん自身が「勉強とは日常習慣の一部である」と認識していないか、またはご自身が「勉強は気分でやるもの」という認識で過ごしてきた、という証でもあるのです。「トイレに行ったから褒める」「歯を磨いたから褒める」ことはないですよね。「学習」もこれらと同等の日常習慣なのです。ですから「受験向きの家庭」はいちいちお子さんを褒めたり叱ったりしません。「日常習慣だからやって当たり前」だと思っているからです。
 そもそも学力の劣る子は基本的日常習慣すらも怪しいところがあります。「朝は一人で起きられない」「促されないと歯を磨かない」「勝手にゲーム時間を延長する」「夜中までスマホをいじっている」などなど、要は自分を律することができない弱い子なのです。日頃から自分を律することができない子どもが、どうして厳しい受験を勝ち抜くことができるのでしょう?残念ながらそういう生徒は淘汰され、望むような「都合のいい結果」は得られないのです。中学側も「きちんとした子」が欲しい、だから試験で選別する。この当たり前の理屈がわかっていれば、自ら「おもちゃが欲しいのに買ってもらえず、人目を憚らず泣き喚く子」になろうはずもありませんし、親御さんもそういう子に育てることはありません。
 中学受験はまず「きちんとした親御さん」ありきなのです。その「きちんとした親御さん」が「きちんとした振る舞い・きちんとした日常習慣」をお子さんに伝え、「学習も生活習慣の一部なのだ」ということも自然な形でお子さんに浸透させていく。しかもそれを幼児期から根気よく噛んで含めるように教え込んでいくことが大事で、それでもわかってくれないなら、わかるまで根気よく教え込んでいく。
 子育てとは要は「忍耐力」なのです。そしてその「忍耐力」=「親御さんの人間力」こそが、お子さんに「本当の愛情」を伝える源であると思うのです。
 子育てで無駄な忍耐はありません。「中学受験成功日」は親御さんにとって「忍耐力の開花日」でもある、とお考えください。

 次回に続きます。


 

中学受験では国語も算数も「文系科目」です。

2019年10月24日

 ※ 今年は夏休み前からすでに満席状態が続いています。諸々ご了承ください。
  ですが、来期以降での入塾は可能です。

 続きです。
 中学受験に関わる方の多くは「国語社会は文系科目」「算数理科は理系科目」と考えがちですが、本当は「すべての科目は文系科目」とお考え頂いた方がいいかもしれません。
 私の考える「純粋な理系分野」とは「発明」「発見」のように、「0から1を作り出す」とか「未知だったものを探り当て可視化させる」など「答えがわかっていないものを見出したり作り出したりしていくのに必要な思考を要する分野」です。一方、中学受験の算数理科は始めから答えが用意されています。国語社会もそう。つまり、どの科目にも重要なことは「答えに行き着く」ことで、その答えに行き着くためには「逆算して思考する」「筋道を立てて考える」という「論理的思考」が求められるのです。ですから、すべての科目が同じ思考法で解けるという点で考えると、中学受験の四教科全ては「論理的思考重視の文系科目」と言えなくはないのです。ちなみに「理系」とは「思考の論理性」に「ヒラメキ」などその他が付随され昇華されたものをだと思います。しかし、中学受験はそこまで求めていませんから「論理的思考重視」を究極まで高めていく方向性でいいと思います。
 私がこのように言えるのは四教科全てを指導しているからです。おそらく国語専門の職人・算数の指導一辺倒だったら気づかなかったと思います。そして指導していてわかったのは「どの科目も結局思考の仕方は同じ」ということです。ですから「算数のできる子は国語ができない」「理科の苦手な子は社会が得意」などというのは都市伝説みたいなもので、結論を言えば「算数のできる子は国語も理科も社会もできる」ということなのです。「どの科目も思考方法は同じだ」と、それに気づいた生徒は成績を上げやすい、しかし「うちの子は理系だから算数はできても国語が・・」という「何の根拠もない色眼鏡」でお子さんを見ているうちは伸ばせる才能も伸びない。その辺りを早々にお気づきいただきたいと思います。
 さて、論理的思考には「演繹法」と「帰納法」がありますが、私はどちらが重要、ではなく、一つの事象に対しては「どちらも用いて思考し精度を上げる」」ことをお勧めします。ですが小学生にこういう話をしても混乱しますので、授業ではそれとなくわかりやすい事例を挙げて説明しています。
 小学生向けには「物事はすべて理屈で成り立っている」と言い換えて上記を説明しています。例えば「じゃんけんで五連敗した。ありえない。俺は運が悪い。」と嘆く人は「五連敗などするはずはない」という勝手な線引き・先入観があるから「そんなことはありえない」と考えるのです。そして何か邪気に取り付かれているのでは・・と思い、神社での神頼み・お祓いをするのです。しかし勝ち負けは50%50%の確率です。つまり2分の1の一方が5回続くことは日常的に珍しいことではなく、また、神頼みをしても「訪れた参拝客分の1」の確率しか当てにできないので、「自分の願いだけは叶えてもらえる」というのは「自分に都合のいい妄想」でしかなく、確率的にもあり得ないのです。ですから生徒さんには「理屈で考えておかしいことには手を出さない」と戒め、各科目そういう思考で臨む、を徹底するよう指導しています。この世に「運」「不運」などないのです。「どの確率の中に自分がハマってしまったかその連続の長短」だけの話なのです。
 閑話休題。国語の話をしますが「国語の問題・解答は文章をもとにして作られている」という理屈を考えてみましょう。この理屈がわかってないと選択問題を選ぶ際に「自分の心に湧いてきた想像」を根拠にして、それと一致する選択肢を選んでしまいます。選択問題は「あなたの考えと同じものを選びなさい」ではないのです。「問題作成者が文章をもとに問題と解答を作った」のであれば、その理屈で考えれば選択問題で正答を得るには「文章の内容のみを頼りに考える」→「だとしたら文章の中身を正確に把握する」→「そのためには集中して丁寧な読み取りをする」が必要だというのが必然的にわかるはずなのです。
 反対に「主観的見地」「想像力」「自己流の行間の読み取り術」は国語力向上の妨げでしかありませんので、極力排除してください。国語のテストではそのような力の有無・程度を問うているわけではないのです。「正確に事を処理する」「理で物事を考える」これができるかどうかと問うているのです。これは科目問わずですね。
 国語は「そういうベクトルでの学習をする気があるのかないのか?やるのかやらないのか?」で成績が決まります。
 事実、素直にそうする生徒は「国語偏差値45→65」を数ヶ月で簡単に達成してしまうのです。

 その思考での学習は算数でも同様に使えます。
 次回はその他科目についての「論理的に考える」「理屈重視で考える」につきましては次回お話しいたします。
 

努力を出し惜しむ生徒は受からないことになっています。

2019年10月09日

 続きです。
 不思議だと思いませんか?
 自分のための、他ならぬ自身の人生を優位に展開させるための受験なのに、そういうビックチャンスにもかかわらず、合格に向けた努力を出し惜しむ生徒がいるということが。
 ですが、「受験したいし合格したい、だけど勉強したくない」という生徒の言い分を聞き取って行く中で、「なるほどな」と思えるとこともあります。
それは「頑張って勉強しても落ちたら、今までの努力が虚しく感じてしまう。そんなことになるくらいだったら、その間遊んでいた方余程が良かったのでは・・と後悔するかもしれない。だから、落ちても傷つかないよう目一杯頑張らないようにしている。だけど、そんなに頑張らなくても受かるんだったらそれはそれでラッキー」。この文言通りではありませんが、そういう主旨のことを彼らは異口同音に言っています。つまり「最低限の努力で受かればOK、たとえ落ちたとしてもそんなに頑張ってこなかったのだから、と納得できる」という考えなのです。
 計算しているのですね。一見合理的な発想かもしれません。しかし浅はかで小賢しいのも事実。ゆえにそういう子は残念ながら受かりません。なぜなら、努力を出し惜しみする生徒がいる一方で、信じられないくらい頑張る子がいるからです。出し惜しみする子はそこに気づいていません。そして「美味しいところ」は全て後者が掻っ攫って行くことになるのです。
 「全力尽くしても落ちたら・・」などと計算しない子が結局強いのです。目の前にある「すべきこと」に対し、その都度その都度全力を尽くせる「迷わない愚直な子」ですね。そういう子が一番強いのです。
 入試は頑張ったからといって必ず受かるというものではありません、ですが、頑張らなかった子は確実に落ちる。これは本当です。
「頑張らなかったから受からなかった、それで納得です」だと傷つかないかもしれません。ですが「受かるチャンス」を自ら捨ててしまったことも事実です。
 傷つかないことを優先するあまりチャレンジしない子、完全燃焼できない子は何も得られません。こういうことが習い性になっている人は大人になっても大きな失敗はしないかもしれませんが「何にもなれない人」「現状維持だけが大事な人」「底辺を底辺だと気づかないままの人」で終わってしまうのです。わたしはそういう生き方自体が「失敗」だと思っています。
 完全燃焼した先にあるのは「成功」だけではありません。たとえ「失敗」しても、ただただ順風満帆なだけでは見えなかった「それ以上に価値のある何か」つまり「自分でも気づかなかった成功へのベストの方向性」を知り、「当初見込んでいた成功以上に価値のある別の成功」をつかむことができるのです。
 成功者は「人生とはそういうもの」だと知っています。ですから、あえて苦難の道を選び、そこで躊躇なく一生懸命生きる生き方を選択するのです。こういうのが本当に「賢い」というのです。
 皆さんもそういう生き方をしてみてはいかがでしょう?
 中学受験はそれができる最初のチャンスなのです。

 次回に続きます。
 
 
 

受かる生徒は、まず間違いなくアレを優先しますね。

2019年9月26日

 続きです。
 受かる生徒の特徴の一つに、受験生としての当事者意識にブレがないことが挙げられます。中学受験を志望した当初から2月の受験当日ギリギリまで一貫してそれは続きます。自らの意志と責任で自主的に動くそういう生徒は、親がどうあれ、講師がどうあれ、塾がどうあれ、全く意に介することなく、自分の信じるままに行動し、そして勝手に受かります。本当に成功したい受かりたいと願う子は、「入試成功は自分のためである」ことをわかっていますから、他者や環境に関係なく自分のベストを尽くそうとします。そして受かる。しかしそれは本人にしてみれば極めて「当たり前の行為であり、その結果」なのです。
 さて、このように自主的に動く生徒さんは必ず「アレ」をやります。一方、合格への情熱が薄い生徒は自ら進んでそれをすることはありません。
 それは「テストの見直し」です。既報通りですが、受かるための現実策は「誰よりも多く得点し、誰よりも少ない失点に止める」です。それがわかっている生徒は模試の結果に一喜一憂するよりも、「自分のできなかった問題の確認」→「解き直し」→「次回の得点源にする」を重視します。「失敗こそ糧になる」を知っているのです。賢い子にとっての模試は「得点できたことを喜びつつ、見直しの機会を与えてくれた失点もまた歓迎」なのです。ですが、それがわかっていない生徒は目先の偏差値の上下にしか興味を示しません。また、模試を受ける意味をわかっていない親御さんも結果に一喜一憂するだけで終わります。そして、部屋に片隅に手付かずのままのテスト用紙を放りぱなしにしてお終いにするのです。前者と後者の違いは「模試を受けるたびに成長するのが前者であり、成長しないまま終わるのが後者である」ということです。こういう細かい作業の積み重ねをするかしないかの差が、後々大きな差を生むのです。
 また、模試を受けるための受験料も安いとは言えません。コンビニのバイト約5時間分に相当します。「テストの度、親に高額のお金を出してもらっている」という「経済的恩恵」を知った上で、元金以上の利益を得なければ・・と「タダでは起きないぞ」という意欲があれば、模試をトコトン利用し尽くすはずなのです。
 一つ言えることは そういうことに貪欲になれない生徒は合格にも貪欲になれない、合格への貪欲さに欠ける生徒はそれなりの結果に終わる、ということなのです。人生も貪欲さに欠ければ突き抜けた人生は歩めません。中学受験はその前哨戦みたいなものです。

 次回に続きます。


 

結局、本気だったかそうでなかったかだけの違いなんです。②

2019年9月13日

 続きです。
 「成績の伸びる子」「入試で成功する子」は、確かに能力のある子、努力する子なのですが、合格した受験生が共通して持っていた資質は「必ず成功させるという気力を最後まで継続させる心の強さ」だと思います。要は「諦めの悪い子」が受かるのです。そう言うと「精神論・根性論」みたいな話になりそうですが、もちろん心の有り様そのものに成績を上げる効力はありませんが、その心のあり方を行動に移したとき、生徒さんは大きく成長します。
 「必ず成功させる」には「誰よりも得点量を増やし、誰よりも失点量を減らす」という現実策があります。それをリアルに受け留め、日々その実現に向けて過ごせるかどうかが重要なのです。地頭、努力・勤勉さも大事ですが、それに沿ったものでなければ「宝の持ち腐れ」になってしまいます。「頑張っているのに成績が伸びない」とお悩みの方は「今まで自分が本当に正しい方向での努力をしてきたのか?」を今一度考えてみてもいいかもしれません。
 例えば「得意科目を伸ばし、それで苦手科目をカバーしていこう」という発想・指導は非現実的で無責任です。なぜなら普段の得点率8割の科目を1割伸ばし9割にするより、4割しか取れない科目を7〜8割にしたほうが「総合点で競う入試」では有利になるからです。受験生は「一教科オンリーの職人的なスペシャリスト」ではなく、「なんでもソコソコ平均以上取れるゼネラリスト」の方が有利なのです。苦手教科はやりたくない、と逃避するのではなく克服する勇気を持つ。これが大事です。また、配点の少ない理社を頑張るより(総合点で入試が決まるなら)算国の強化を図る方が、合格に近づくという点ではより現実的な策なのです。もし算国のどちらかが圧倒的に苦手なら、そこをスルーすると致命傷になりかねませんのでご注意ください。
 さて、「本気な子」は基本的にネガティヴで悲観主義者です。「絶対に受かりたい」の裏には「絶対に落ちたくない」気持ちがあります。この二つは表裏一体。本気で受かりたいと願う生徒さんは「落ちることへの恐怖」が尋常ではありません。ちなみに「受かりたい」という気持ちの薄い子は落ちることに対する想像力(恐怖)も薄いです。そして「根拠のないプラス思考」に身を潜め、現実逃避しまうことを「まずい」とは思わないのです。このような姿勢のままで入試当日まで迎える生徒は想定した通り「不本意な結果」しか得られません。ですので受かりたいなら、いち早く軌道修正することが求められます。しかし、それが無理なだと言うなら、もう受けないほうがいいですね。負けることがわかっている戦はしてはいけないのです。
 「落ちることへの恐怖が尋常ではない生徒」は「漢字を10個覚えよう」と、こちらが課題を与えても「11個目が入試に出たらどうしょう?」、「千葉県の農業を調べよう」という課題に対しては「農業ではなく工業が出たらどうしよう?」と考えます。そして自ら課題を増やしていきます。課題が増えるから必然的に学習時間が増えていく。学習量が増えるから知識も増える。これで合格に近づいていくのです。
 「受かる子は勉強量が多い」というより、あれこれアンテナを張ることが習慣化されている生徒さんは、結果的に自分から学習量を増やしてしまうのです。「手のかからない子ほど合格率が高い」というのは、お仕着せの課題をこなしている感覚で学習するのではなく、誰に言われるわけでもなく、彼らが自ら課題を作ろうとしているからなのです、そこには親や講師の叱咤激励など関係なく、能動的な自らの動きしかないのです。そう彼らは勝手に自分で動いているだけなのです。このような本気度の高い生徒は、言い換えれば「受験生としての当事者意識が強い生徒」とも言えます。過去を遡っても、難関校と言われる学校に入れた生徒のほとんどはこういうタイプの子です。その中に親や講師の鞭で渋々動いていた生徒を見つけることはありません。
 本気になれば、受かる甘い夢をみるより落ちる恐怖を先に感じる、その恐怖解消のため自主的に動く、必然的に学習量・それに伴う知識・対処するための知恵が増え、受験に必要な経験値の増加に比例して得点率も上がる、また、無知ゆえに生じたであろう失点量も減る・・その流れを築けるかどうか、築く意志があるかどうかが肝心なのです。合否はそれで決まるのです。
 9月も半ばです。残りの期間は入試に対する自らの意識を確認し、もし甘さがあるようなら、もし心が成功への道に繋がっていなければドラスチックに変えて行きましょう。
 
 
 

結局、本気だったかそうでなかったかだけの違いなんです。

2019年8月28日

 夏期講習が25日に終わりました(江東区)。
 長い期間での講習でしたが、講習前の「この夏休みは学力を伸ばことに力を注ごう」という初心は完結できましたか?そして実際に「学力を伸ばす」ことができそうですか?勉強は結果が出てこそ意味があるのです。
 「夏休みにあれだけ勉強したのに、9月最初のテストで思うような結果がでなかった」は、よくある話です。期待したいただけに不本意な結果に終わるとかなりショックを受けます。そうなると「他の生徒さんも同時期に頑張っていたので、差を埋めることができなかったのだろうか?それともその頑張りが本物の頑張りではなかったのだろうか?」など、あれこれ理由を考えてしまうのですが、一つだけ真実を言うなら、それは「本気だったかそうでなかったかの差」なのです。学習量とか講師の教え方とか本人の努力とか以上に、「自分は本気だったのか否か?」
これに尽きるのです。


 「どういうことなのか?」このお話は次回に続きます。

特記  夏休み以降の空き時間。

2019年8月09日

 既報通り、夏期講習はすでに満席ですが、9月以降で1コマ空きが出ます。

 日曜日16:00〜18:00前後

 今回の空きコマは、恐らく今年最後の
1コマになろうかと思います。

 応募条件は「豊洲・月島近辺在住の5〜6年生」とさせていただきます(先着順)。

 よろしくお願いいたします。

残念ですが夏を活かせない生徒に先はありません。

2019年7月16日

 午前の授業は全て満席となりました。
 午後〜夜もほぼ満席で、コマ数も100に近づいてきましたので、今年こそは「働き方改革」を実行したいと思います。ですので、そろそろ講習の受付を終了させていただきます。
 
 また、講習期間中は多忙につき、ブログの更新を頻繁に行うことが難しくなりますのでご了承ください。
 上記と併せ宜しくお願いいたします。

 ※当塾の社是は「結果がすべて」です。この方針は開校以来ブレることなく、マンツーマン指導の中で妥協とは無縁の授業を行ってまいりました。
「なぜアイスクールは出口が良いのか?」というお問い合わせをご父兄様、また近隣の個人塾様からいただくことがあります。こういうご質問には「それは私が結果が出ない、出せないことを異常に嫌う性格であり、だから必然的に妥協知らずの指導になり、その指導下では必然的に好結果を得られるようになるからです.」と説明しています。当塾の方針にしっかりついてきた素直な生徒さんは受かります。しかし素直さに欠け、自分に妥協する生徒さんは落ちます。物事の原理原則は極めてシンプルな理屈で成り立っているのです。受験を通してそこに気づていただきたいのです。

 さて、大手塾に「なんとなく通い、そこでなんとなく授業を聞いて、なんとなくボーッとして・・そして成績はそこそこ以下」を繰り返してきた生徒さん。それでもいい、自分はその程度の人間、と危機感を抱くこともなく日々無為に過ごしてきた皆さんは、いくら夏期講習で長時間缶詰になったとしても、そのマインドが変わらない限り、肝心の実利を得ることなく、得られるのは「忍耐力」「頑張ったという錯覚」「根拠のない自己満足感」だけということになるでしょう。実利とは受験生にとって成績向上、クラスアップ、最終章での中学入試成功という流れそのものです。要は成功体験を得ることが本当の実益なのです。それ以外は一切ありません。逆に言えばこの流れ(実益)を得られない塾通い・講習参加は本当に意味がないのです。実益を得ることがすべて。だからその実益とは関係ない副次的な「根性出しました、頑張りました、真面目にやりました」を声高にアピールするのは基本的にどうでもいい行為であり、むしろこういうのは成績が上がらない時の言い訳・免罪符に利用される「害」でしかありません。本物の「根性」「頑張り」「真面目さ」とは、「成功した今があるのはあの時はよく頑張ったからだ」と後々しみじみ振り返ればいい類のものなのです。
 そろそろ気づかなければなりません。「何のための塾通いなのか?」「何のための講習なのか?」「そもそも自分は何をしたいのか?何を求めているのか?」を。
 残念ですがそれに気づかなければ全ては「❌ゼロ」なのです。気づけない生徒さんは「講習に参加している俺は偉い」「遊びを我慢している俺は素晴らしい」という自己満足の中で何の益も得られずひたすら時間を浪費することになるのです。しかし、そうなったとしてもそれは誰のせいでもない。変わろうとする気概のない自分、此の期に及んでも現状維持したがる甘い自分、現実を直視しようとしない弱い自分、全部自分のせいなのです。

 覚醒ください。「茹で蛙」に成功は訪れません。そして夏期講習では「本当の実益」を得られるよう自分のマインドを変えていきましょう。
 
 

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