中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

成績が伸びないのはおかしいことだと思ってください。

2023年10月01日

※ 10月に入りました。2月本番入試まで残り4ヶ月です。ここから先は無意味な過ごし方はできません。毎日毎日何かしらの成果を生み出し積み重ねていきましょう。

 さて、忙しく過ごした学校から帰宅した後、のんびりする間もなく軽く食事をとり塾に直行する、そして21:00ごろに帰宅。その後、再び食事をとり宿題を片付けて翌朝には再び学校へ・・みたいな生活をほぼ毎日何年も続けている子どもさんにはその努力に敬意を表します。このようにストレスフルな毎日を過ごすのは何のため?中学受験に合格したいから?なぜしたい?いい大学に・・いい企業に・・そして幸せになるために・・つまり前回のテーマである「苦しみの先には幸せが・・」を見込んでの現在の苦労だと思うのですが、勉強を苦労だと思わないようにするには(前回も触れましたが)「勉強する気になるまで放置する」「過干渉ではなく実が落ちるまで待つ」「親の背を見せ自分で考えさせる」がポイントだというお話をしました。自分からやる気になった勉強は苦しみではなく、自分を磨くための喜びである、つまり「自主的にやる勉強は苦労にならない」なのですが、ほとんどの親御さんは焦ったり諸々な情報に影響されたりしがちなので、「幼児期からの塾通い」「過干渉」「叱咤」(これらは私からすれば「やってはいけない三か条」みたいなものですが)を自分から進んでやってています。これはひとえに「我が子への不信」による行動に他なりません。自分の産んだ子を信じられない=自分の分身を信じられない=自分を信じられない、からは必然的に幸福が生み出されるわけはないのですが、なぜか不思議なことに「前へ倣え」とばかり皆さんこういうことをやってしまっています。

 どんなに楽しいことでも「他律的なもの」は苦痛です。「勉強をさせられている」と思った瞬間に、子どもは思考停止になるか逃避するかの2択になってしまうのです。これでは成績の伸ばしようがありません。

 こういう「うまくいかないこと」を繰り返していると悪循環に陥っていきます。早い時期から自由を奪われる(幼児期からの塾通い)→親が勉強のことでうるさい(過干渉)→点数のことで叱られる(叱咤)→もう勉強やりたくない、嫌だ→(最初に戻る)・・を受験期間中繰り返したところで何か光明が見えるという訳ではありません。

 私が親なら(とは言っても私自身もリアルな中学受験生の親を体験してますが)子に対して「幼児期から塾通いさせる」「過干渉」「叱咤」は絶対にやりません。これらはマイナスに作用する以外の何物でもないからです。

 タイトルにある「勉強しているのに成績が伸びないお子さん」は上記のようにして作られていきます。これはお子さん、というより親御さんの教育方針に原因があるのですが、もしこのような状態が長く続いていて諦めたり絶望したりしていても、起死回生策というのはあるのです。

 その「起死回生策」を取り入れるかスルーするかで今後の道筋が決まります。

 本当に不思議に思った方がいいです。「どうして成績が上がらないのか」について。そうなるのには必ず原因がある、何かが間違っているからそうなるのです。

 次回に続きます。

苦しみの先には喜びが・・という生き方はしない。④

2023年9月24日

 続きです。

 人間の幸不幸は、自分の行動が自律的なものか他律的なものかその量で決まるというのが私の考えです。例えばゲームに講じている子がいたとします、そしてある日ゲームが学校の授業で取り入れられ、クリアした数が成績に反映される、さらにゲームが毎日の宿題としてノルマ化される、なんてことになってもゲームを楽しく続けられるかという話なのです。海外旅行は好きだけど、同じヨーロッパに行くにしても会社の出張だとそれほど楽しくはないですね。つまり誰かに支配された他律的な行動はつまらなく、そればかりだと不幸だということなのです。

 学校においても家庭においても子どもは他者に縛られています。ちょっとした隙に・・とか、親の目を盗んで・・とかそんな時でないと自分の好きなことはできません。つまり毎日毎日がほぼストレス状態であり、そこに先生や親の叱咤が加わればもう地獄のような日々になります。

 私の体験で申しますと子育てで一番いいのは「放置」です。放任とか無責任とかそういう意味ではありません。「見てないフリをして遠くで見ているだけ」に留めておくのです。これは塾生に対しても同じです。そういうことを言いますと親は不安になります。「親が何も言わないと好き勝手して碌なことにはならない」「いつも監視していないと正しい方向に導けない」など。

 ですがそれはお子さんを信じていないからなのです。お子さんへの不信は親が作り出した妄想である、そこに気づいていない方が多いです。例えば、我が子が遊んでばかりいると「将来この子は苦労する」、楽しんでいる様子をみると「ここで気を引き締めないと後々大変だ」と勝手にマイナス解釈をします。そして子供が純粋に喜んでいることに水を差すそうとします。これは「先に楽しむと後で苦労する」という根拠なき呪縛(妄想)に囚われているからです。嬉しくてはしゃいでいる子に「いつまでも調子に乗ってるんじゃない」と叱咤しがちな親はまさにこのタイプです。「先に楽しむと後で苦労する」これと同義なのはタイトルの「苦しみの先には喜びが・・」なのですが、苦しんだ翌日に人は死ぬこともあります。未来のことはわからないし、苦しみの先に必ず喜びが訪れるという保証もないのに、こういう言葉に囚われて自分のみならず周りの人にまで悪影響を与えてしまうなら、それは不幸を撒き散らしているということに他なりません。

 お子さんが勉強したくないなら、それは勉強することの価値や意味がわかっていないからなのです。なのにほとんどの親御さんはわからせようとしてガチガチに説教したり強要したりします。ですが、そういている間、子どもはずっと不幸だということに気づいて欲しいのです。

 「先に苦労させて(勉強させる)その先の喜び(合格を勝ち取る)を・・」ではなく、そもそも勉強を苦労と考えさせないことが大事なのです。成績上位生のほとんどは(例えば東大王のタレントさんなどは)勉強を苦労とは考えていません。好きで取り組んでいるのです。こういう方は必ずこう言います、「親から勉強しろと言われたことは一度もない」と。

 できる子だから親は安心して何も言わない、ではないのです。それは親が前述のように「放置」してきたからです。そして勉強の必要性・面白さに気づくまで子どもを「泳がせてきた」からです。

 子どもは親の背を見て育つと言います。父親がテレワークで英語を駆使して仕事をしている様子、母親が楽しみながら読書している様子、そういうのを見ていれば子どもは「英語で仕事しているオヤジかっこいい」「読書って楽しんだ」自分もやってみよう、になるのです。「家族で大河ドラマを見ている家庭、旅行が好きな家庭で育った子は社会ができる」は半ば常識になっていますが、何も強要しなくても子どもは自分で考え自分で工夫し自分で成長しようとしていくものなのです。だって成長しないと生きていけませんから(笑)。これは本能のようなものです。

 その「子どもの本能」すら信じてあげられない親は「苦しみの先には喜びが・・」みたいな幻想を頼りに教育しようとします。これで成果は出るかもしれません。ですが強要されて得た成功は付け焼き刃に過ぎず、いずれメッキは剥がれます。「中学受験がゴールでした」になるのは、まさにこういう家庭で育った子です。

 柿の実を青い時に叩くのではなく色づくまで待つが如く、過干渉することなく子どもを見守るに留める。
 
 子育てとはそういうものです。

 次回は新テーマです。

 

特記 約4ヶ月で国語をモノにするのは十分可能。

2023年9月22日

 入試まで約4ヶ月です。算数・理科・社会・国語いよいよ追い込みの時期ですね。

 その中で国語はいかがでしょう? 国語は年少時からずっと苦手にしている、国語だけが毎回足を引っ張っている。本当はこういう方は早々に何とかすべきなのです。

 だけどそういう方のほとんどは、勉強の仕方がわからない、やるとすれば漢字・語句だけ、もう諦めているので他の三教科でカバーする、とお考えのようです、が、それは勿体ない話なのです。

 なぜなら国語は4教科の中で一番伸ばしやすい科目だからです。しかし残念なことにほとんどの方はそれに気づいていません。

 まずはそこに気づいて苦手だった国語を得意科目にしてみませんか? それだけで見える景色は180度変わります。

 興味のある方はご相談ください。しかし今年は「半分セミリタイア・半分FIRE」の身ですので、生徒数も制限しております。ですから本当にやる気のある方、指導されたことを素直に実行できる方のみお問い合わせください。

特記 お願いがあります。

2023年9月16日

 既報通り今年は授業数を極力セーブして「FIRE生活」を目指してきましたが、やはり毎年のごとく祝日(例えば明後日18日)などは朝から夜まで満席で、満席後に外部の方からお問い合わせいただきお断りするケースが増えています。非常に心苦しいです。

 なるべき早い時期からご予約いただければ何とか授業をお入れすることは可能かと思いますので、できればそのようにしていただければ幸いです。何卒よろしくお願いいたします。

苦しみの先には喜びが・・という生き方はしない。③

2023年9月14日

 続きです。

 勤勉さによって長年成功体験を積み上げてきた日本人は享楽的な生き方を本能的に避けているような気がします。しかしパラダイムの変化に伴い、各時代で求められてきた勤勉さは(現代においては)必ずしも「成功の素」と言い切れなくなってきた。その流れは薄々感じてはいるのですが、日本人のマインドはそう簡単に変わらないのではないかと思います。
 
 勤勉が楽しいものであり、その楽しい過程を経た先に成功(喜び)があるのなら問題ないと思います。しかし多くの日本人(今回は子どもを対象にしたお話にします)にとって勤勉は苦痛であることが多いのです。月曜日にはイヤイヤ学校に行く、帰宅後はイヤイヤ塾に行く、塾から帰ってきたらイヤイヤ宿題をする。なぜやる?やらないと未来が暗くなるから、だと思うのですが、未来を期待し1日の大半をイヤイヤで過ごし、だけどこれだと一生のほとんどをイヤイヤで終わらせてしまうのです。年金だけの生活は心配だから死ぬまでイヤイヤ働く、これではもう未来に期待するという話ではなくなってしまうのです。

 「勤勉」が苦痛なのは他律的だからです。学校に行かないと叱られる、塾に行かないと叱られる、宿題をやらないと叱られる、つまり人の目を気にして自分の意志でやっていると言い切れないことばかりやっているから苦痛なのです。遅刻しないのもだらしない人と思われたくないから、愛想笑いするのも敵意があると思われたくないから・・日常の何気無い行動も「・・だと思われたくないから」が基本にあり、生き方そのものが「ビクビク」なのです。毎日が他律的で、他人から攻撃されないための「ビクビク」の積み重ねだったらそれは「苦しみ」「ストレス」以外の何物でもありませんよね。こういう人が多いから「自分らしく正直に生きよう」なんて本が売れるんですね。だけど結局ほとんどの方はそんなことを夢見るだけで何もできないんですね。

 次回はこのテーマの最終話となります。

苦しみの先には喜びが・・という生き方はしない。②

2023年9月01日

 9月に入りました。1月入試まであと4ヶ月、2月本番入試まで残り5ヶ月です。毎日毎日指折り数えつつ「今日は何を達成できたのか?」その達成率を気に留めながらお過ごしください。無駄に過ごす日々はもうありません。

 前回の続きです。

 南国の島の住民みたいに未来を心配せずその場その場を刹那的に楽しみ過ごす、これは否定されるものではありませし、むしろ憧れではあります。しかし日本人がそのような生き方を夢見たとしてもなかなか実行できるものではありません、書店などでも「自分の人生だから好きに生きましょう」みたいなタイトルの本をよく見かけますが、実際その通りに動ける人は少数、これが現実ではないでしょうか? なぜでしょう?

 日本人は古来より農耕民族であり、農業に携わる人間は日々豊作凶作つまり未来を心配して生きてきました。そして農耕とは共同作業で成り立つものですから、自分本位な生き方をすればたちまち村八分にされてきた歴史的経緯があります。それはベクトルを乱すものがいては命に関わる農作業が非効率的なものになってしまうからです。「勤勉さ」「共同作業重視」日本人は根底にあるこのような思考や価値観を携えたまま、時代が変わっても信じられないスピードで文明開化→富国強兵→戦後焼け野原からの復活→高度経済成長をもたらしてきたのです。つまり刹那的享楽に溺れていては日本の成長期は築けなかった。その恩恵を享受しつつこの国で生きている以上は「その国の価値観」に沿ってで生きていくことが人生を花咲かせるうえで効率がいいのです。

 さて、文明開化〜高度経済成長の間は個人的な振る舞いに制限があったり同調圧力的なものもあったりしたかもしれません。「進め一億火の玉だ」みたいな感じでしょうか?しかし不自由な生き方ではあっても落伍者をあまり出すことなく突き進めたのは自分や国の未来を明るく描いていたからではないでしょうか?つまり(タイトルにもありますように)「苦しみの先には喜びが・・」ですね。みんなこれを信じてきて、その通りの成功体験を得てきましたから「昼間っから飲んで踊っている人」を日本で見ることは当時皆無に等しかったのです。

 しかし高度経済成長期も過ぎると(かつての大英帝国もそうでしたが)国は一旦退行期に入ります。バブル崩壊→平成大不況→東日本大震災→スマホ普及→SNSの発達などかつての価値観とは違ったベクトルで生きることを余儀無くされています。そうなると「今頑張って勉強していればいつか明るい未来が・・」という今までの価値観通りには行かなくなる可能性もあります。かと言って日本で「踊って遊んで暮らせ」も違うような気がします。パラダイムの変化を敏感に感じ取りながら生きていくことが今後求められるのではないでしょうか?

 次回はその辺りを詰めてお話しさせていただきます。

 

特記 夏休みいただきます。

2023年8月31日

9月5日〜13日で遅めの夏休みをいただきます。
今年の夏は暑く疲労の溜まった体を癒すために、この間は南半球で避暑させていただきますので、
お問い合わせはこの期間外(9月14日以降)でお願いいたします。

苦しみの先には喜びが・・という生き方はしない。

2023年8月29日

 人生の節目、そこをどう乗り越えるかでその後の方向が概ね決まってしまう、その節目とは中学受験であったり大学受験であったり就活だったりする訳です。この「三つの節目」が人生を決定づけることを多くの人は認識しているので、自分の知力体力時間金銭など多くのエネルギーをそこにブーストします。そしてエネルギーを注入するだけでなく、より良い人生を構築する上で妨げになるであろうあらゆる煩悩怠惰を打ち消そうと努力し自身のブラッシュアップに努めようとします。

 「三つの節目」で他者に差をつける。具体的には御三家に入り東大を卒業して商社に入るみたいな。これの何がいいのか?と問われれば、簡単に言えば皆から称賛されるから経済的余裕が生まれるから、とお答えになるのではないでしょうか?。「他者からの評価」「経済的な満足」この二つは人に自分の恵まれた現在位置を確認させ、自己肯定感を与え、高い満足感をもって生きさせるための指標みたいなものです。その「他者からの評価」「経済的な満足」を得るための過酷な競争は実は小学生時代から始まっています。過酷な競争は子どもにとって相当な負担です。ですが嫌々ながら苦しみながら勉強する子に向かい親は「今は大変かもしれないけど、頑張れば後々いい思いをするよ」と説得し、時には激励し時には叱咤し我が子を「節目節目での勝者」にしようと躍起になるのです。

 しかしこの生き方で本当にいいのか?と時折思うのです。 例えば、とある南国の住民は仕事量を必要最小限にとどめ、空いた時間は踊りと仲間内でのどんちゃん騒ぎに明け暮れています。確かに貧しいのですが、笑顔を絶やすことなく瞬間瞬間を楽しみ優先で生きています。「遊び呆けたりせず将来に備え・・」「老後の心配を極力減らすために・・」みたいな「後顧の憂いを断つ」といった感じで生きていないのです(見た感じでは)。

 「欲しがりません勝つまでは」は戦時中限定のスローガンではなく、現代日本でも色濃く残っている「美德」です。忍耐しました我慢しました、でもその先は・・「きっと薔薇色に違いない」という実現するかどうかの確証もない曖昧模糊な空想のために今を犠牲にしている、だとしたら今の犠牲になんの価値があるのか?そこを考えていかなくてはいけません。

 次回はこのお話の続きとなります。

 

特記 記述問題をなんとかしたい方。実はコツがあるんです。

2023年8月21日

 夏休みもそろそろ終了、同時に夏期講習も終わりを迎えようとしています。さて講習を通じて何かしらの成果を得られそうですか?一学期と比べ成績が様変わりしそうですか?まー期待通りにそうならないのが講習というものです。ですが「未だ顕在化しない吸収された何か」は入試直前にひょこっと顔を出すことがあり、それが合否を左右することもあります。すぐに成果が出ないからと言って失敗と断言するのではなく、真剣に真面目に講習を受講されていたなら、吸収したことは必ず「肝心要な時」に有効化します。それまで気長にお待ちいただき、且つ日々真剣に学習に取り組んでいきましょう。

 さて、国語で一番厄介な分野は?と聞かれ「記述問題」を挙げる方が多いです。とにかく「書けない」と。あまりにも書けなさ過ぎて「記述オンリーの志望校」を泣く泣く断念する人もいるほどです。

「書けない」にも色々種類があり「頭の中でまとめられない」「語句が不足しているので思うように表現できない」「そもそも何を聞かれているのかわからないので書けない」などなど「固まってしまいペンを動かせなくなる原因」は人それぞれですので、それを解決していかなくてはならないのですが、ただあまりガチガチに考えてしまうとますます書けなくなるのでもっと気楽に考えればいいと思うのです。

 私も長年難関校の記述対策で日曜授業に携わってきた経験があり、記述対策についてはそこそこ自信はあります。我が子の受験した学校も記述オンリーでしたが何とか半年でものになりました。記述対策は「高学年であれば半年程度」(真面目に取り組みという条件で)でマスターできるものだと確信しています。

 国語で本当に難しいのは「選択問題」なのです。イクラの粒を潰すことなくピンセットの先で運ぶくらいの慎重さが必要だからです。(どうすれば確実に正答を選べるの?についてお知りになりたい方、またはこの分野を何とかしたいとお考えの方はご相談ください)

 それはさておき、記述問題は「コツ+テクニック」で意外となんとかなるのもなのです。

 ここでは「コツ+テクニック」の詳細については語れませんが’(商売道具なので)、もし「どうすれば・・・?」に興味をお持ちの方はお問い合わせください。きっと「あーそうやってやるんだ」と少々驚きをもって受け止めていただけると思います。

成功を得るために最も必要な要素とは?⑤

2023年8月11日

続きです。

「失敗・挫折」これらを極端に嫌う人がいます。全てが順調に進まなければ気が済まない、まっすぐに敷かれたレールを全力で走り、そのままゴールにたどり着くのが最上であり、回り道したり立ち止まったりするのはタイパが悪い。こういう考えを自分に強いたり他人に強いたりする方がいます。「一度失敗するともうおしまい」こういう強迫観念に支配された方が本当に多いような気がします。

 勉強が嫌い、勉強が辛いというお子さんのほとんどは日頃からこのようなプレッシャーを受けています。勉強が自分を追い詰めるものなら、それを好きになれと言うのは無理なのではないでしょうか?知識欲を満たしたり向上心を高めたりする以前に心がこのような状態にあると肝心のポテンシャルは萎んでしまいます。親も学校も塾も子どもに厳し過ぎ、追い詰め過ぎなのです。子どもを取り巻く大人たちが失敗を許さないことに固執すれば、それが皆さんが子どもの可能性を奪い取ることになる、と気づいていただきたいのです。

 確かに失敗しないに越したことはないのですが、個人的に「失敗する」は「しゃがみ込む」と同義だと思っています。私の経験ですと失敗した後ほどジャンプ力が高まる(成功する)のです。失敗には原因があります。ヤケになったり嘆いたりする前に「なぜ失敗したんのか?」をじっくり検証してみる。そしてその理由がわかったなら「二度と同じことをしない」「成功するポイントを探り出す」を心に誓うのです。それだけで失敗は「成功への糧」へと昇華していきます。人は一度失敗したり挫折したりすると「今まで気づかなかった別の道」を発見できるようになります。つまり視野が広がるのです。「成功体験しかしていない人」の効率を追求することを最重視する生き方は、それはそれで素晴らしいのですが、残念なのはそれで視野が狭くなってしまい「自分の人生をさらに飛躍させる別の道」に気づかずじまいで終わってしまうことなのです。

 ある書物に書いてありましたが、天国というのはとても平和な世界なのだそうです。逆に言えば「障害のないモバゲー」みたいに何の刺激もない非常に退屈な世界だそうな。そこで「お前たち退屈で苦痛だろ?今から面白いゲームをさせてやる」ということで神様が人間を「障害だらけの生の世界」へ送り込んだそうなのです。「失敗や挫折だらけの生の世界を楽しんでこい」ということなのでしょう。つまり失敗・挫折は「ハラハラドキドキしながら生を楽しむための一種の仕掛け・エッセンス」のようなものなのです。ま、死んでしまえばこの世で経験した失敗や挫折なんか消えてしまい「どーでもよかったこと」扱いになりますからね。生きているうちはこういうものを「この世にしか存在しない幻想」として楽しめばいいのです。しかし転生した人間は記憶をなくした状態で生まれますから、天国にいた頃に神様から聞かされた意図をすっかり忘れてしまい「失敗や挫折なんかヤダー」と、それを避けることばかりするんですね。ジェットコースターに乗りたいと懇願しておきながら、そんなことはすっかり忘れ「こんなに怖い乗り物なんかヤダー 平坦にしてくれ」と言ってるようなもんですんね(笑)。

 失敗や挫折に出会うたびに「おーこれを乗り越えればポイントアップかー」くらいの軽いタッチで対峙すればいいのです。人生はゲームそのものですから。失敗や挫折を「ワクワクできるもの」として捉えるか、避けることばかりに神経を尖らせるか、要はどっちの生き方の方が楽しいのか?ということなのです。
人生では酸いも甘いも何でも楽しんでおかないと、せっかくこの世へ送り込んでくれた神様の厚意を無にすることになっちゃうんですね。

 成功は成功、失敗も楽しめたなら成功、こういう「無敵の人」になれば人生は怖いもの無しなんです。そして「運」というのはそういう人に宿るのです。

 今回のテーマは「成功を得るために最も必要な要素とは?」でしたが、人生そのものを楽しむ、受験生なら今置かれた現実そのものを楽しむ、失敗しても挫折してもそれ自体を楽しむ、こいう人に宿るのが「運」。この「運」が最終的に「自分の描いた理想的な人生」へと導いてくれるのです。おかげさまで私も現在「導かれている途上」にあります。

 次回は新テーマです。


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