中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

特記 空きコマにつきましてのお知らせ。

2020年6月27日

来週29日〜夏休みまでの公立小学校のスケジュールは通常通りになります。
当塾もそれに合わせ、通常時間での授業に戻します。

空きコマにつきましては、平日は満席ですが、

土曜日の17:00〜19:00前後(豊洲近辺限定)
日曜日 5日、19日の15:00〜17:00(日曜日の他の時間帯は満席)

が空いています。受講ご希望の方はお問い合わせください。  ※ 本日6月30日時点で日曜日の分は満席となりました


※ 夏休みはレギュラー生でほぼ埋まる見込みです。新規での受講ご希望の方はご了承ください。

宿題って、出されて嬉しいですか?出さないと不安ですか?②

2020年6月23日

 続きです。
 基本的に宿題を出さないのが当塾の方針です。そう言うと「熱意がない」「無責任だ」と言われそうですが、塾にとっての熱意・責任の結果とは「中学受験に合格させる」この1点しかありません。宿題を含めその過程は枝葉末節に過ぎませんし、そもそも大量の宿題をこなしたから成績が伸びた生徒、を見たことがない、だから出さないのです。例えば夏休みに膨大な宿題をこなしました、2学期は見違えるほど成績が伸びました、このような生徒がいたとしても、ほんのわずかでしかなく、私の周りではほとんど聞いたことがありません。また、缶詰状態の中での塾の合宿も同様、「朝から夜まで頑張りました」で、忍耐力と自己満足感は得られるかもしれませんが、休み明けに成績が飛躍的に伸びた生徒はどのくらいいるのでしょう?私の知る限りではあったとしてもごくわずか。当塾は「実利を得られる可能性の低い意味が無さげなこと」はやらないことにしています。
 出される側の生徒さんは「信頼されていない」、出す側の大人は「信頼していない」から宿題が存在するのです。相互不信が宿題という「歪んだ学習システム」を生み出しているのです。なぜ「歪み」なのか?それは誰も得しないからです。相互不信というマイナス思考からスタートしているのに、有益なことを生み出す、なんてことは(考えればわかることですが)あり得ないからです。
 「私はあなたのことを信用していませんよ、だから宿題出すのですよ」と暗に言われた子が嬉々として宿題をこなすでしょうか?勉強が好きだという子も宿題は嫌、と言います。嫌々からは何も産み出せないのです。それが証拠に宿題を大量に仕上げても成績が一向に上がらないことは「世の中のあるある」になっているくらいです。その仕組みに「おかしい」と思わなければいけないのです。「子供は宿題をやるもの」「学校・塾は宿題を出すところ」という固定概念に縛られ、思考停止のまま非生産的なことを黙々行使するのを「真面目」というなら、私はそういう真面目さは要らないと思うのです。
 私の知る中学・高校は、宿題なし、校則なし なのですが、それでも優秀な人材を多く輩出しています。不思議なことに進学校であればあるほどその傾向が強いのです。それは「生徒が賢くてしっかりしているから」ではなく、「大人が生徒を信頼しているから」というのが正しいのかもしれません。もっといえば「大人が子どもを信頼しているから、生徒の方も賢くしっかり育っていく」のかもしれません。
「子どもは放っておいたら悪さしかしない」という性悪説的な考え、それに基づく、だから宿題を出す、校則で縛る、では只々「勉強とはやはりつまらないもの、大人は子供の人権を奪う分からず屋」という思考を子供たちに植え付け、それを増大させるだけになってしまうのです。
 中学受験成功を本気で考える生徒は、その成功を確実にするため、そのために自分に足りないことを補うため、そもそも学習を通じて自分自身を成長させたいがため、誰かにとやかく言われるまでもなく、勝手に学習します。
 このような生徒は自分の人生を自分で考える時間をたっぷり持っています。時間がたっぷりあるのは、親や教師があれこれ言わず見守っているからです。そういう環境下で育ったお子さんは「自分が何をしたらいいか」を明確に持っています。やれ習い事だ、やれ塾だ、と「忙しくすることが時間効率が良いことだ」「子どもに暇を与えないことが真の教育」「ぼーっとしている時間は無駄な時間だ」と、それが良かれと思い、年中子どもを忙しくさせているご家庭のお子さんは、親の強制力で一時的には成長しますが、長期的には「思考できないロボトミー的な人間」になってしまうのです。(私は幼児期からの習い事(特に金銭的な実利を産まないもの)は百害あって一利なしと考えています)
 例えば「漢字1日20個ずつ書く」という、時間の無駄遣いでしかないと思われる宿題を出され「この宿題にどういう意味があるのかわからないが、やれと言われたからやる、みんなもやっているからやる、先生に叱られるからやる」という生徒、「どういう意味がある宿題かわからないが、昔からそういう宿題を踏襲しているから出す、自分だけはみ出すわけにはいかない、から出す」という教師。今ですと「学校ではマスクの色は白で統一」とか、双方が「?」と思いながらも出したり出されたりする宿題や校則。本当に思考が停止しています。同調圧力が過ぎます。一事が万事、日本という国はそういうシステムが多いのです。しかし、今まではこれで良かったのかもしれませんが、この先本当にこのままで良いのか?とも考えてしまいます。

「個性重視の教育」「一人一人自分らしく、でいいんだよ」という(胡散臭い)謳い文句と真逆の、現実世界での同調圧力。
 そもそも「個性」なんてあって当たり前、そのままでいいのです。

 それぞれが本当に自分で物事を判断し、自分の考えで行動できる世の中がくるといいですね。

次回に続きます。

 

宿題って、出されて嬉しいですか?出さないと不安ですか?

2020年6月12日

 来週あたりから小学校も徐々に授業数を増やし、原状回復に近づこうとしています。それはそれで良いことなのですが、コロナの影響で休校状態が長引き、やっと通学が再開され、子どもたちもきっと喜んで学校に行くに違いないと思いきや、生徒たちの話を集めてみると「本当は行きたくない、休めるものなら休みたいが、みんなが行くから自分も行く」という声が圧倒的に多いのです。「さぞ、お友達や先生方に会えるのを待ち望んでいたに違いない」というのは大人側の勝手な幻想で、子どもたちは「行かなくて済むものなら行かない」の立場であり、大人が考える「文科省推薦のような理想的な子ども像」とは真反対の本音に愕然としたのが先週のこと。
 時代・状況は違えど、元々学校に喜んで通う子はそう多くはないのです。その証拠に土日のお休み、天災による突然の休校(やったー、台風で明日学校休みだって❗️)は子どもにとって嬉しいことであり、「土日が休みでつまらない、台風で休校だなんて辛すぎる」と感じる子はごく少数なのです。
 これはですね。文科省も先生方も「おかしい」と思わなければいけないのです。「なぜ、生徒たちは学校に行きたがらないのか?そんなに魅力がないのか?」を真剣に考え、そう思われていることを恥ずかしく悲しく悔しく思い、改革していかなければならないのです。現状維持お大事で、その意識があまりにも欠けているのではないでしょうか?
 コロナ休みの期間、テレワークが浸透し会社も社員も働き方・価値観・考え方に対し「今までがおかしかった、変化しよう」という意識が芽生えています。学校も「今までのあり方の継続で本当にいいのだろうか?今が改革の時ではないか?」と考えていただきたいのです。もし、先生ご自身が小学生だったとして、今の学校に嬉々として通いますか?と問われ、 そうでもない、というお答えでしたら変えなくてはならないし、今、通っている生徒たちの想いを想像力を駆使して汲み上げ、適切な行動を取らなければならないのです。一介の塾講師ですら年中そういうことを考え行動していますので、学校の教師であるなら(公共の利益の増進に尽くすべき全体の奉仕者たる公務員であるなら)尚更そうすべきだと思うのです。
 (生徒の意見を集約すると)子どもは別に勉強が嫌いだから学校に行きたくないわけではないのです。また、学校をレジャーランドのようにして自分たちをお客様扱いして欲しいわけでも、媚を売って欲しいわけでもないのです。今時の子供たちは「物の道理」をよくわかっています。そこはバカにしない方がいいですね。
 学校の理不尽さ(意味のわからない規則など)が嫌なのです。同調圧力やクラス内のヒエラルキー、ひいてはそれが原因のいじめ・SNSによる中傷などが嫌なのです。要は友達・先生との人間関係の煩わしさが「学校に行きたくない」本当の理由らしいのです。例えば、夏休みに花壇の水やり当番を決め、たまたまその日が台風で大雨だったにもかかわらず、(今日は私が水やり当番の日だからという理由で)傘を差しながらジョウロで水をやっていた子(実話です)に対し、「よく規則を守りましたね」と褒めるような教師がいたり、一方で「台風の日でも規則だから水やりをサボってはいけません」と言うような教師がいたり、サボってみんなから(特にヒエラルキートップの子に)睨まれる(いじめられる)のを避けたい、と同調圧力に屈し、自分でも「私、何をやっているのだろう?」と疑問を感じつつも水やりをするような「自分で物事を考え判断できない子」がいたりする学校に魅力を感じない、という生徒がいるなら、私はそういう子の方がよほど正常な感性の持ち主だと思うのです。そういう子を救うような学校の体制になっているのか?そうなっていない学校だから子どもたちは通学に不安を感じているのです。学校がそういう現状ですから、もし親御さんがお子さんから「学校に行きたくない」と言われたなら、その子をダメな子として見るのではなく、マトモな神経で良かった〜、くらいに考えた方がいいと思います。
 さて、宿題もそうですね。
 「長い休みの期間があったから、その分宿題を大量に出そう」と、学校は相変わらずそういう脊髄反射的発想をします。もしくは「宿題を出さないと親御さんからやる気のない教師だと思われてしまう、から出す」と自分に保険をかけるとか「上からの指示だから出す」とか「出さないと宿題を多めに出す同僚とのバランスが悪くなる」とか、生徒と無関係のところでの忖度や同調圧力で宿題を決定するとか、そういうのはもうそろそろ止めてもいいのかな、と思います。 先生方も色々ご尽力なさっていることは十分に理解していますが、「やるべきことをやらない」「やらなくていいことをやる」では本末転倒ですので、その辺りをお考えいただければ、と思います。
 ちなみに私は基本的に宿題は出しません。元々同調圧力とは無縁の人間ですので、(ご意見は参考にしますが)そういうものにあまり左右されることなく私の考え・価値観で諸々を判断・決定しています。
 なぜ、宿題を出さないのか?につきましては次回とさせていただきます。
 

記述の空欄放置は「落ちてもいいです」と宣言するようなもの。

2020年6月04日

※ コロナの影響で学習の進捗が今一歩、という受験生も多いと思います。ですが、生徒の都合など関係なく受験の日は間違いなくやって来ます。今のままではいけない。今まで同じことをやっていてはいけない。自分を救う者は自分しかいないのです。
 そのためには自己改革が必要です。そのようにお感じの方はご相談ください。何かしらお力になれると思います。

 「記述問題は空欄にするもの」とでも言わんばかりに、マス目に何も書かず国語の答案用紙を提出する子がいます。 書けなかった理由が「時間がなかったから」でしたら、前回申し上げた通りの「正しい読み方」を参考にしてみてください。そうではなく、純粋に「難しかったから」でしたら、一つの思い込みを捨てることをお勧めします。
 それは「立派な文章に仕上げなければならない」という思い込みです。「記述は難しい」のではなく、生徒さんが勝手にハードルを高くしているだけなのです。出題者が求めているのは文豪並みの崇高な文章作成能力ではありません。あくまで「文章の理解能力と設問に沿った解答の作成能力」、つまり「正確なインプットと正確なアウトプットができているか?」を(選択問題同様)記述問題でも見たいのです。
 立派な文章を書こう、と気合が入り過ぎると、頭の中であれやこれやと考えてしまい、一方で体は緊張のあまり動かなくなります。文字一文字を書くという第一歩を躊躇してしまうのです。あれこれ考えて体が動かなくなるのは、例えるならプールに飛び込む前や、バンジージャンプをする前と同じだと思います。記述に関しては「考え終わってから書く」では時間的に手遅れになります。そうではなく、「考えながら書く」「書きながら考える」でいいのです。記述に関しては「拙速」の方が「考え過ぎて何もできずにサヨウナラ」より遙かにマシなのです。まずは思い切って「エイヤー」という感じで書いてみましょう。


 もう一つ思い込みがあるとすれば、それは「記述で◯をもらわなくてはいけない」です。記述一問の配点が10点なら、10点丸ごと満点をもらえなくてはいけない、という思い込みです。ですが、それを狙うあまり慎重になり過ぎて時間切れ→空欄提出→0点では意味がありません。本末転倒です。部分点狙いでいいのです。それを積み重ねることが最良の得点方法だとお思いください。
 かつて麻布中(国語は物語文の記述問題中心)の入試対策を任されたことがありますが、その際も生徒たちには「とにかく部分点を積み重ねることを意識しよう」を口酸っぱく言い続けてきました。そして、その作戦を実行できた生徒は合格に近づけたことと思います。(私の子が進学した学校の入試も国語は記述のみでしたので、この策はうまくいったと思います)。
 その部分点狙いの作戦ですが、「目から鱗」の方法があるのです。ここでは詳細は述べられませんが、興味のある方はお問い合わせください。
 
 いずれにせよ国語の記述問題の配点は高い設定のものが多く、一問空欄を作るか作らないかで、部分点を確保できるかできないかで合否が決まることが多いです。
 算数で必死になる気持ちもわかりますが、意外と入試の結果は国語が握っていることが多いのです。
 ですが、やはり算数が気になるのでしょう。私もここ最近は算数と理科ばかり指導しているような気がします(笑)。

 次回に続きます。
 

 
  

速読の呪縛から解放されない限り、国語は上達しません。③

2020年5月27日

※ 6月より学校再開です。しかし9ヶ月後は待った無しで受験です。塾休講期間中、進捗が思わしくなかった方、何とかしたい方(特に受験生)はご相談ください。可能な限りご協力いたします。
 続きです。
 「正確なインプット、正確なアウトプット」を最も重視するのが国語の入試なら、速読によるリスク、つまり「甘い読み」「飛ばし読み」は避けなければなりません。
 ところで「速読できない」とお悩みの生徒さんの様子を拝見すると(これが1:1の個別指導の良さで、個々の読み方・解き方の特徴・癖を一目で把握することができるのですが)そこで気づくのは「速読できないから時間がなくなる」のではなく、「解く時間がやたらと長いから時間がなくなる」ということです。本人は「速読できない」と思い込んでいるようですが、傍から見れば「頑張って速読しようとしているのは理解できるが、如何せん解くのに時間をかけ過ぎ」なのです。そのことに生徒さんは気づいていません。例えば1分そこらで解ける選択問題でさえ3分も5分もかけてしまっている、それで時間がなくなってしまい、記述が空欄になってしまうことを、どれくらいのお子さんが気づいているのか? そこが問題なのです。
 選択問題で時間がかかるのは迷うからです。なぜ迷うのか?精読できていないからです。なぜ精読できないのか?それは速読を重視し過ぎて、そこに全神経を傾けてしまい、無意識のうちに飛ばし読みをしているからです。肝心な情報を飛ばしてしまえば選択で迷いが生じてしまうのは当たり前で、そこで散々迷った挙句、外す。記述も空欄のままなので、結果は目も当てられないほど無残なものになってしまうのです。そして性懲りも無くその「必敗パターン」を繰り返す。この流れを早く断たなければ「国語の進歩」とは無縁のまま入試を迎えることになるのです。

 国語のできる生徒のほとんどが遅読なのは

1 ゆっくりでもいいので確実に情報を掴む。しかし「ゆっくり」がリスクなのはわかっているので、速く確実に正答を得ることを心に刻む。
2 確実な情報を得たので、選択問題で迷わない。1分以内で選択でき、しかも正答を得られる。(速い子は30秒くらいで選べます)
3 選択問題の処理がスムーズなので、じっくり記述問題に対峙することができる。しかも空欄のまま放置することなく、そこでも確実に得点できる。

と、いう流れ。つまり、「速読遅解」ではなく、「遅読速解」という流れを築くことが最も効率の良い得点法だということを熟知しているからです。それが「賢い」ということなのです。

 「急がば回れ」「短気は損気」は何も国語に限った話ではなく、どの科目にも当てはまります。例えば図を描かずにチャラっと計算だけで算数・理科を解こうとする生徒(こういう自己流から脱することのできない頑固な生徒は本当に伸びない)も速読重視派同様、「物事の本質を知る」「理屈で考える」ことの大切さがわかっていないのです。逆説的ですが、急がないことが結局一番速いのです。
 「丁寧かつ正確かつきちんとした正攻法で臨む」「基本に忠実・セオリー重視」が何よりも大切なのです。それに気づける本当の意味での「頭のいい子」になって欲しいと思います。

 次回に続きます。


 

速読の呪縛から解放されない限り、国語は上達しません。②

2020年5月20日

 続きです。
 入試科目に国語が組み入れられている理由は、学校側が「この受験生は物事を正確にインプットし、正確にアウトプットする力があるだろうか?」を判断するのに最適な教科が国語だと考えているからだ、とお思いください。当塾の生徒さんにもそのようにお話しをしています。決して「情感」や「文学的能力・センス」を見たいわけではないのです。
 入試の国語で「正確さ」が最重視されている以上、それと対極的な「想像力」は極力排除しなくてはなりません。「行間を読む」「主人公の気持ちになって考える」も同類です。これらを頼りに国語の問題を解いても、ハマるときはハマりますが、外す時には数珠つなぎで外します。「国語のいい時と悪い時の差が激しい」そういうお子さんはこの傾向にあります。
 算数がそうであるように国語も正答は一つしかないのです。ですから選択問題で「Aが本当の答えだがBでもいいよ」みたいにブレることがあってはならないのです。想像力に頼ることがなぜダメなのかと申しますと、想像は主観であり、しかも十人十色の性質のものだからです。例えば10人それぞれの想像から10通りの答えが出て「すべて良し」だと「出した答えが全て正解」になってしまうからです。厳正であるべき入試問題で、自由裁量で選んだ答すべてが可になるようなデタラメはあり得ませんし、そもそもそのような不完全な問題を作成し出題する学校などないのです。これは理屈・常識で考えてもわかることですよね。
 小学校の国語の授業は情操教育も兼ねる側面もありますので、生徒さん各自が意見を発表し、それぞれの考え方にそれぞれが講評を加える作業を行ったりします。ですが、入試の国語はそれとは全く別物であり、上記のように「正確なインプットと正確なアウトプットにより唯一正しい解答を導き出す作業」を受験生に求めているのであれば何をすればいいかは自ずと見えてくるはずです。物事を正確に処理できる集中力を伴った思慮深い生徒を集めたいのが中学側の意図なのです。ですから対峙する側も、それに沿った対処・学習を考え実行していかなくてはなりません。それが徹底できるかどうかで国語の力は決まってくるのです。
 当塾の生徒さんの国語の伸び幅が大きいのは、そこを徹底的に鍛えているからです。
 とは言っても、最近は算数ばかり指導していますが(笑)。

 次回に続きます。
 

速読の呪縛から解放されない限り、国語は上達しません。

2020年5月07日


 中学受験では四教科均一配点型の学校もありますが、多くは算国重視(配点が高い)です。ですからこの二科目のどちらも得意だというお子さんはそれだけでも有利なのですが、実際はこの両科目ともに得手だという子は少なく、どちらも不得意という子は(ほぼ同じ配点なのに)この二科目のうち、算数の学習を優先しがちです。現在、私の授業のほとんどは算数であり、国語の授業はどこか隅に追いやられてしまっている感があります。どちらも重要科目だとわかっているのに、なぜこのようなアンバランスが生じるのか、を考えてみますと、推測ですが

1 算数の難問が解けないと入試に受からないという不安
2 国語の学習法がわからないので、とりあえず算数でカバーしたいという消極策
3 国語は日本語だから特別な勉強をしなくてもいつかできるようになるという楽観

などが理由なのかな、と思います。

1につきましてはそんなことはありません。合格ラインを65%とした場合、そのほとんどを計算問題・一行問題それにやや難し目の基本問題の得点化でその程度はカバーできてしまいます。また。難問・応用問題と呼ばれるものはだいたい最後に残されており、解けるも解けないも時間的にそこに辿り着くことができないのが現実なのです。ですから「みんなが取れない問題を取る」ことよりも「みんなが解けるであろう問題、少し頑張れば何とかなるであろう問題」を確実に得点化させる方がよほど大事なのです。算数はミスをしない子が受かるのです。
2につきましてはなるほどそうかもしれません。自己流で行う文章題の演習ほど「労多くして益少なし」なものはありません。また、指導で一番難しいのは国語ではないかと思います。「正しい国語の指導、そこからの点が取れる指導」ができる講師は意外と少ないです。ですから、あてにならない国語をやるよりはつい算数を学習の中心においてしまうのもわからないではありません。私個人も文章題を家でやるくらいなら漢字・語句を国語の家庭学習の中心にした方がいいと考えます。そして国語の文章題は自己流ではなく、きちんとした指導の下で行うことをお勧めします。
3につきましては勘違いですね。中学入試レベルの国語は日常の読み書きができればよいというものではなく、得点化には論理的思考や丁寧な読み取りなどが不可欠であり、それらを鍛えることなしでの国語の上達はあり得ないのです。

 その国語ですが、できない生徒さん(もしくは親御さん)からのお悩み・ご質問で多いのが「読むのが遅いから問題が解けず空欄だらけになり点数が伸びない。速読力を鍛えるにはどうしたら良いか?」というものです。

 はて、本当に読むのが遅いから問題が解けない→得点化できないのでしょうか?
 過去、国語のできた生徒M 君(麻布→一橋)Sさん(豊島岡→慶應)Mさん(桜蔭→東大)を思い出してみても、彼ら彼女らはむしろ読む速度が遅く、それでも得点力に優れていたのですが、それは一体どうしてなのか?と考えてみると、遅読の方が優れている、と合理的に説明できるからです。なので、むしろ「速読信者」のまま思考が止まっている方が危険なのではないかと思うのです。

 その理由につきましては、次回のお話とさせていただきます。

今、楽な道を選ぶ方は、後の苦労を甘んじて受けてください。

2020年5月01日

 楽な生き方をする人は自分の人生を安くします。中学受験を成功させる目的は「人生を安いものにしないため」 この一言に尽きると思います。それ以外にどんな目的があるのでしょうか?
 安い人生とは(はっきり申し上げれば)「生涯収入が少ない人生を過ごす」=「安い人扱いされる』ということです。安い収入しか得られない理由はその人が携わる仕事が「スキルを必要としない誰にでもできるもの」だからです。誰にでもできますから、その価値は相対的に低くなります。価値の低い仕事は必然的に低賃金となります。また、誰にでもできるということは代わりがいくらでもいるということなので、変動期には不安定な立場を強いられることになります。つまり楽してきた分スキルアップを怠ってきた分弱者扱いされ、将来のリスクが高くなる。その当たり前の理屈を今の子どもたちは理解し適切な行動を取らなければいけません。
 具体的には言いませんが「年収が高そうな職種・低そうな職種」というのは何となく頭に浮かびます。多くの人は前者に憧れますが、憧れるものは総じて手が届きにくいものです。その高嶺の花を掴むには運や偶然ではなく、純粋に実力勝負となります。実力勝負なので競争を伴いますが、その「世の仕組み」がわかっている人は幼い時から他者以上に勉学に勤しみ、それなりの大学に入り、それなりの勤め先・職種を選ぶ(選べる)のです。「学歴なんて関係ない、人間力勝負だ」と粋がってみたところで学歴のない人は書類選考の段階で「人間力勝負とやら」さえさせてもらえないことが多いのです。ですが、これが現実であり、また「学歴での審査」は良い人材を確保するために最も効率の良い仕組みなので、現実を生きるなら近代国家成立以来変わることのない価値観からは目を背けてはならないのです。そもそも「学歴」=「総合的人間力」と判断されているかもしれないのです。
 一方、楽な生き方をする人、例えば「勉強はめんどくさいからしたくない」「ずっと遊んでいたい」人につきましては、生き方は個人の自由ですので、それを否定しませんが、その分代償は払うことになると思います。スキルを磨かず年齢を重ねた方は「単に年だけ取った人」=「敬老の対象外」なので、年少者に模範を示せるわけではなく、尊敬の対象にもならず、付き合っても無意味なので誰からも相手にされなくなります。スキルアップを重ねてこなかった故の低賃金に甘んじる中で「その日生きるため」だけに働き、金銭的余裕もなく家も持たず家庭も持たず相手にもされず寂しくつまらなく過ごすことになったとしても、弱者同士で傷を舐め合ったとしても、「こんな一生なんて」と社会や政治を恨んだところで嘆いたところで、もはや覆水盆に返らず、それは自己責任でしょ、と一蹴されて終わりなのです。
 今の受験生に言いたいのは「自分の人生は自分で構築してください」ということです。そして中学受験は「将来金銭的に困らない生き方をするための第一段階」だということも覚えておいてください。ゆるい生き方が許されるのは幼児のみ(最近の幼児も忙しいのですが)なのです。
 「世の中お金ではない」「お金よりやりがい」「お金より大事なのは人と人の絆だ」と言ったところで、「お金がないと死ぬ」のが現実です。またお金のない人は他者から救ってもらえません。人と人を結びつけるものは絆以上にお金です。他者もお金が必要だからです。そこから目を背けず、直視するなら必然的に「金銭的に不自由しない生き方をするためにはどうしたらいいか?」を最優先して考えなければならず、また、それを実現させる行動を取らなければならないのです。
 「自分らしい生き方」は金銭的時間的な余裕がなければ実現しません。一度しかない人生をそう過ごすことが幸福だと感じるならば、今から逆算し、それに近づくための行動をすべきだと思います。
 当塾のある地域はそれなりの学歴や地位、経済力がある方が比較的多いです。生徒さんは身近に親御さんという良いお手本がいます。その親御さんがどういう思考をしどういう生き方をしてきたか、コロナ休みでご家族の在宅期間が長い中、親子でそういう話をなさってみてはいかがでしょう?何か変わるかもしれません。

 次回に続きます。
 
 

時間はあるのだから言い訳できません。

2020年4月16日

 ※ 「塾が閉鎖され学習の進捗が心配」「ウェブ授業では物足りない」「受験生なのに家で遊んでばかりいる」「苦手分野が克服できず先に進めない」など
  お悩みを抱えている方はご相談ください。プロからの助言ですので、何かしらお役に立てるかと思います。

 コロナウイルスに因る緊急事態宣言を受け、学校だけでなく塾も閉鎖、また不要不急の外出も控えるようにというお達しの中で、受験生は1日の大半をご自宅で過ごしていると思います。
 さて、「受験に成功したいですか?」という問いには皆さんYESと答えるはずです。「成功するためには何が必要ですか?」については「学習をこなすための時間と努力」、「誰のための受験ですか?」についても「自分のため」、と判で押したように回答してくるはずです。それが本心なら今回の禍は受験生にとって明らかにチャンスです。なぜなら「自分のための受験を成功させるだけの豊富な学習量を確保でき、それをこなす努力を遺憾なく発揮できる時間が有り余るほどある」からです。しかし好条件が揃っているにも関わらず「学習しない」「努力しない」「成績が伸びない」のであれば、周りから「なぜ?」と思われても仕方ないのです。それは日頃から己を偽ってきたことの証なのです。本当はやる気ないんでしょ?言われないとやらないんでしょ?それはそれで自由ですが、その代わりそういう生徒は淘汰されますよ。自己責任ですが、それで納得ということでよろしいでしょうか?
 己を偽る生徒は、この機を最大限に利用する生徒に勝てるはずはなく、よって成功しません。皆に一律にもたらされた平等な条件下で失敗する者がいるとすれば、その原因は環境のせいでもなく、親のせいでもなく、塾のせいでもなく、「意欲の低さ」「自分の弱さ」以外ありません。語弊はあるかもしれませんが、「時間だけはたくさんある」という好条件に恵まれた今年は、受験生の言い訳は一切通用しないのです。「時間がないから」「忙しかったから」と、学習できない理由をそこに求めることはできないのです。そういう意味で来年は「本当に頑張った子しか受からない」という史上最もシビアで且つわかりやすい受験が待ち構えているのです。
 「今年の受験生は様々な不利益を被ったから、かわいそうだったから全員合格❗️」とはなりません。休業要請下でお店が閉鎖されても「かわいそうだから家賃も人件費も光熱費も税も全てチャラにしてあげるね」とはならないのです。
  世の中はシビアなのです。誰も助けちゃくれません。
  自分だけは誰かが助けてくれるだろう、世間がなんとかしてくれるだろう、という平和ボケ的な甘い期待ができない現実を体験した今回の騒動は、ある意味啓蒙なのかもしれません。「自分を守れるのは自分しかいない」その当たり前の理屈にやっと気づいたことを収穫だと考えなければいけません。日々何となく学校に行って、会社に行って、と流され、現状維持だけでも何とか生きてこれたこと自体が奇跡であり、しかしそれは逆に言えば認識の甘さでもあったのです。

  受験生に当てはめると、自分を救えるのは自分だけ、受験に成功するもしないもその結果は自分次第、という教えなのです。自分に甘い人・克己心のない人・他者依存の弱い人は老若男女問わず淘汰されるのです。周りに流されず自分の頭で考え、工夫することの大切さを身を以て知る機会だと思います。

  本当に努力する人間だけが救われ成功するのです。
  そういう点で今年ほど逃げ道がなく、生徒さんの学習量・意欲・努力がそのままストレートに合否に反映される年はないと思います。

  常に自分を律し精進していく心構えで日々お過ごしください。

  

このような時こそ極めることを試みる。

2020年4月07日

 
※ 学力の維持が難しい時期です。来年は維持できたお子さんだけが成功する受験となるでしょう。「時間は有り余っているのに何もできない・しない」でお悩みの親御さんはご相談ください。

 緊急事態宣言の報を受け、学校のみならず通塾も制限されるなど、ますます自宅で過ごす時間が多くなったお子さん、特に受験生に一つ考えていただきたいことがあります。もし「受験生にとって学習時間は必要ですか?」「学習量も必要ですか?」問われれば間違いなく「YES」と答えるはずです。
 今、それが実現できる状況なのです。「時間がないから」「忙しいから」と「できない言い訳」ができない環境にあります。言い訳できない絶好の環境下で何もしないのであれば、それはただのサボリ、受験への意欲がない・受験生の資格がない、と言われても仕方ありません。
 ですが、私の見る限りほとんどの生徒さんは有効活用する意欲はあるようです。
 そこで提案なのですが、せっかくこのような「受験生にとっての天与のチャンス」に恵まれた今であるなら、極めてみてはいかがでしょうか?
 「今まで怠けに怠けてこの体たらくだが、残り1年で大逆転してやろう」とか「算数が全然できなかったけど、残り1年でクラスでトップを目指そう」とか志を大きく持ち、「自分が本気で物事に取り組めば、どこまで化けられるのだろう?」と「壮大な実験」を試す機会なのが今なのです。生まれ変わるのです。
 今は磨く時期なのです。石を玉にできるか、それとも石のままで終わらせるか?
 そうするもしないも、できるもできないも自分次第。本当に言い訳ができないほど今は「恵まれた」時期なのです。
 こういうチャンスを逃す人、見極められない人は何をしても失敗します。目の前にそれが広がっているのに、いつも言い訳に終始し、底辺にいても「社会が悪い」「誰々が悪い』「政治が悪い」で陽の当たらない一生を終わらせるのです。他力本願で自分の人生を生きていない結果なのです。
 そうならない自分に生まれ変わるチャンスの今を最大限に利用しましょう。自分の手で実利を得るのです。

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