中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

講師が教えれば教えるほど、生徒の合格が遠ざかっていく理由。⑤

2019年5月23日

 前回の続きです。
 入試は「他者より一点でも多く得点し、他者より一点でも少ない失点に留めた生徒が受かる」が原則です。勘で得点した、という幸運もあれば、ケアレスミスで失点してしまった、という不運もそこに含まれ、そういう不確定要素も含めて「実力」というのでしょうが、基本的には「合格ライン突破に必要な点数を自力で稼げたかどうか」で勝負は決まります。
 「自力で得点できる子にする」のが塾の役割なら、「わかった」を「できた」に「昇格」させなければいけません。多くの塾は「生徒をわからせた」という水準で役目を果たせた、と考える傾向にありますが、そこから「できる」を達成させないと意味がないのです。
 例えば逆上がりのできない子に「逆上がりのノウハウビデオ」を見せたとします。生徒は「やり方がわかった」と感じ、いそいそと運動場に向かうのですが、実際に鉄棒を握ってトライしてみても「できる」には至らないはずです。何より実践が大事。最初は教師から手取り足取りの指導を受け、体を支えてもらいながら何とか成功するのですが、これも「できた」ではありません。誰もいないところで自力でくるくる回らないと「できた」とはならないのです。(いつも疑問なのは「なぜ学校の体育教師は生徒全員が逆上がりができるまで、泳げるようになるまで指導しないないのか?」ということです。職務怠慢では?指導工夫が足りないのでは?と考えてしまいます。)
 そうなるかならないかは自分次第なのですが、そこに至らせるため教師(講師)は手取り足取り面倒見よく・・ではなく、「放っておく」「自分で考え工夫する時間を与える」ことが大事なのです。
 「講師の予習禁止」の意図はそこにあり、簡単に言えば講師にとっても初見かもしれない問題を生徒と一緒に考えるため、ということなのです。「指導ではなく一緒に考える」「一緒に考えることで生徒の思考回路を知る」それに時間を使います。この授業方法は個別指導を行う当塾の特徴で、生徒さんの考える時間を何よりも重視する授業スタイルをとっています。そうすることで、生徒さんは自分で考え工夫する時間を多く使え、自分で考える習慣が身についていきます。講師も横で一緒に考えつつ(考えているふりをしつつ)、生徒さんの思考手順・工夫と自分のそれとをシンクロさせ、必要とあれば「適切且つ最小限のアドバイス」を提示します。これは「授業がわかりやすい」「先生の説明がわかった」など自己満足で終わらせるのではなく、「本番でも自力で考え解ける子、ひいては受かる子」を養成するためです。何度も言いますが「わかった」と「できた」はまるで違うのです。最終的に「自分でできる子・受かる力のついた子」にして入試会場に送り出すところまでが塾の役目なのです。
 当塾の「四教科お任せ生徒」の第一志望校合格率が高いのは、余計な雑音を入れずに、ひたすらこのような授業を継続してきた結果なのです。
 永田の授業はとにかくしつこく妥協しません。とことん追求します。生徒さんの「できた」を自分の目で確認するまで信じられないからです。ですから生徒さんの自己申告による「わかった・できた・頑張った」を聞いて褒めたり喜んだりすることはありません。講師は「生徒は自分にとって都合の良いことしか言わないものだ」という前提での「生徒に対しては疑心暗鬼で接する」くらいがちょうどいいのです。(そもそも中学入試は(悪く言えば)「他者を出し抜き、人生をより優位に展開させるための前哨戦」=「自己中心的な思考に基づくもの」ですので、その経過の「頑張り」「努力」はあくまでも「自分のため」もしくは「親のため」のものです。ですから講師とはいえ他人がいちいちその過程を褒める必要もなく、また褒める対象のものでもないと考えています。しかし「自力で考える」ことの大切さに目覚めた生徒さんは純粋に褒めたいと思います)
 私が直に確認し「これは大丈夫だ」と折り紙をつけた子は受かります。そしてそれ未満の子にはその水準に至ることをしつこく求めます。手取り足取り指導、面倒見の良さ、は一見良心的なのですが、「自分で考え自分で工夫する子を育てる」とは真反対のベクトルに向かわせてしまう危険性があるのです(それどころかベクトルさえ作れなくさせてしまう)。タイトルにもある「講師が教えれば教えるほど、生徒の合格が遠ざかって行く」というのはそういうことなのです。
 塾が「良いと思って信じて疑わない金科玉条的な指導法」が本当に生徒さんに実利をもたらせているのか?、を一度検証してみることも大事なのかもしれません。
 次回は新テーマです。

特記 今年の空き時間につきまして。

2019年5月16日

 既報通り、今年は既に満席ですが、唯一日曜日の16〜18時のみ空いています。
 本来、この時間帯は永田の休憩時間に取っておいたのですが、受講希望者が多いので開放することに致しました。
 学力の底上げ・苦手科目克服など、ご希望の方は上記時間でご利用が可能ですのでお問い合わせください。
 ただし、スポット授業・先着順、豊洲近辺(月島・晴海・東雲など)にお住まいの方に限らせていただきます。
 よろしくお願いいたします。

講師が教えれば教えるほど、生徒の合格が遠ざかっていく理由。④

2019年5月14日

 続きです。
 当塾が一貫して申し上げていることは「過程も大事だが、それ以上に大事なのは結果」、つまり「志望校に合格することが最重要」だということです。それは塾として当たり前の目標なのですが、「志望校に合格する」にはどうすれば?そこを(生徒も講師も親御さんも)真剣に突き詰めていかないと、望ましい結果を得ることは非常に困難になります。
 突き詰め方が甘いと、つい「頑張る」「一生懸命」「努力」など抽象的精神論でお茶を濁しがちになりますが、しかし、それらは受験生として備えておくべき大前提ですので、これらを目標にすること自体おかしいのです。そこはお気づきください。
 入試に成功したい、を真剣に考え、どうすればいいか?を真剣に突き詰めて考えるなら答えは一つしかないのです。それは「全ての問題で失点を無くし全ての問題を得点化することを目標にする」です。これを実現すれば落ちることはない。当たり前の話です。では、その実現するためにどうすればよいのか?これを実現させるもさせないも自分次第、「自分で何をすべきか考えられる能力、その考えたことを実行する能力」を身につけるしかないのです。これが受験生が最も優先すべきことであり、講師・親御さんはその実現に向けたサポートを第一に考えるべきなのです。
 「自分で考え自分で工夫し自分から行動する子(生徒)にする(になる)」この大前提がないと「失点皆無・全て得点化する作戦」は実現しません。試験会場には自分しかいない、頼れるのは自分しかいない、そして受からなければならない、そうであるなら、自分を「誰よりも頼りになる存在」に格上げするしかないからです。「自分の格上げ」は自分しかできないのです。
 しかし翻って現実はどうでしょう?子どもたちは親に叱られて仕方なく勉強し、塾での一方通行の授業では聞き手に徹し、それでいて(心にもない親からの受け売り言葉である)「受験は自分のためにする」を、しれっと言ってみたり・・など、「自分で考え自分で行動する」という理想とは逆の日々を過ごしているのです。入試では「これではいかん❗️」と気づき早めに自己改革した生徒が受かり、いつまでたっても「受け身のお客さん」のまま入試日まで過ごしてしまう生徒が落ちるのです。これは毎年変わらない真実なのです。
 ですが、「自分で考えない行動できない受け身の子(生徒)」にしたのは、紛れもなく大人です。親の過干渉、学校の命令・規則の過多、塾の面倒見の良すぎる手取り足取りの授業が、「大人の言うことに唯々従っていればそれでいいんだ」という思考停止の子を大量に生み出してしまうのです。思考停止の子は「解決策の全てを大人が提示してくれる」「大人の言うことを聞いていれば問題ない」と考えてしまいます。例えば校則。何の根拠も合理性も確認できない校則に、頭ごなしに慣習的に生徒に従わせる教師、それに何の疑問も持たず盲目的に従う生徒、複雑化していくグローバル社会に柔軟に対応していくことが求められる昨今なのに、学校というところはそれに欠かせない「自分で考え行動する能力」を育てる意思がないのではないか?と、疑問に感じてしまいます。ですから「真面目で大人しい子」と評されるなら、それは「大人にとって扱いやすく都合のいい子」に近い意味ですので、喜ぶのではなく、むしろ「バカにされている」と、危機感を持ったほうがいいと思います。(そもそも「真面目」と「大人しい」はまるで違う意味なのに、これらをセットにして人物を評することが多いのも疑問です)
 思考しないことに慣れきった子供は大人になっても状況に流される人間、そして保身第一の人間になっていきます。「会社では上司のいうことに従っていればいい、口答えすると自分が不利になるから」「自分は不本意だが親の期待に沿っていればいい、親不孝と罵られるのが嫌だから」「権威あるマスコミやSNS の情報は信じる、多数に合わせておけば無難だから」「みんながそう考えるなら私も賛同する、仲間外れにされたくないから」その結果、「どうぞ私の生き方を皆さんでご自由にお決めください」みたいな主体性のない、自分の可能性を自ら狭めてしまう大人を量産してしまうのです。保身を図ったつもりが却って一度しかない人生を台無しにしてしまう。生殺与奪権を他者に握らせてしまうくらい惨めな生き方はないのです。
 中学受験では志望校に受かることが大事、しかしそれが自分の考え・行動に基づいたものではなく、親の言いなりでどうにか実現してしまった、だけどそんな生き方をしてきたから大人になっても自分で物事を考えられませーん、それでは「学歴だけは素晴らしいバカ」と言われても仕方のない人間になってしまいます。

 前回の「講師の予習禁止」の話はここに絡んできます。
 前置きが長くなり、今回は説明できませんでしたが、次回はその説明をしてまいります。

 
 

講師が教えれば教えるほど、生徒の合格が遠ざかっていく理由。③

2019年5月07日

 続きです。
 大手塾では講師は授業前に職員室で予習しておくのが通常です。それは滞りなく授業を行うためなのですが、しかし、個別指導塾の講師は「前コマがサピックスに通う御三家志望の生徒、中コマが四谷に通う中堅校志望の生徒、後コマが当塾お任せコースの生徒、本日計3コマ」というように、志望校が一人一人違う、使用教材も毎回違う、質問される内容も違う、能力も違う、個性も違う、つまり毎日が「リハーサル無しのぶっつけ本番」、終日テレビで生放送をするようなもので、その日にどのような教材を使うのか、どのような質問があるのか、どの科目を中心に授業するのかは(特に四教科お任せ指導の場合)当日蓋を開けて見るまでわかりません。要は予習ができないのです。「四教科お任せの講師」は中堅校から御三家レベルに至る全ての科目においてノウハウを持ち、また一人一人の生徒の個性に合わせ授業を行わなければならない、という使命があるにもかかわらず、前述の通り予習できないという前提での授業となりますので、集団塾での指導の何倍もの緊張感・労力・知力を必要とします。ですので、個別授業の四科担当講師は全てにおいて水準以上のスキルがないとなかなかできる務まるものではないのです。
 さて、滞りなく授業を行うために講師が予習しておく、ことは必要かもしれません。しかし、塾にとって大事なことは「スムーズな授業」ではなく「生徒の学力を伸ばすこと」です。そのことを最優先した場合、前もって予習しておくことには弊害があるのです。それは「講師が生徒目線での授業を行えなくなる」ということです。実はそのことを講師自身が気づいていないことが多いのです。予習しておく、というのは(悪く言えば)「前もってなぞなぞの答えを知っていて問題を出すようなもの、はっきり言えばズルに近い行為」なのです。例えば、問題を解くのに生徒が時間をかけてあれこれ悩んでいるのを見て「どうしてできないの、さっさとやりなさい」とイライラする講師がいますが、それは自分が前もって予習していて答えを知っているからそう言えるのです。そのような「上から目線」になってしまうと、「生徒が何に悩んでいるのか」「どこがどうわからないのか」「どういう思考で解こうとしているのか」ということまで細かく分析・斟酌することなく、ひたすら「スムーズな授業」を行うことを重視するようになってしまうのです。「集団塾に通っているのに成績が伸びない」そのほとんどは生徒の聴き方自体に問題があるのですが、講師の側に責任がないというわけでもありません。生徒の思考方法に潜り込み、それに合わせ臨機応変に対処できる講師が「わかりやすい授業をする講師」と評されます。授業がわかる→授業が楽しい→これがきっかけで成績が伸びた、にしていくことが講師の務めですね。
 また、講師にとって当たり前のことが生徒にはわかっていないことが多い、そのことにも講師は気づかなければなりません。例えば理科のテコで使う「モーメント」、算数で使う「逆比」「三角数」などの専門用語。これはそれぞれの科目を担当する講師が授業時に頻繁に使う言葉ですが、そもそもそれは生徒が「モーメント」の意味を知っている、という前提で使っていると思うのですが、本当にわかっているのか?その基本中の基本から疑ってみる必要があります。何の前触れもなく、いきなり「専門用語」を多用したら生徒は混乱するのでは・・、これくらいの想像力は欲しいのです。以前当塾の生徒が「〇〇塾で理科の先生がモーメントモーメントと言っているが、何言っているのかわからないから、テコの授業そのものがわからなくなった」という例がありました。このように「講師にとっては当たり前」のことが「生徒の躓きの原因」になっていることも多いです。特に外来語を多用する講師の方は「この言葉の意味を生徒は本当に理解しているのだろうか?」と考え慎重に使うべきなのです。そういう細かいところまで留意しないと「客の性別や年齢層、その方々の思考回路に配慮することなく、ひたすら専門用語を使いまくり、訳の分からない説明を独善的且つ一方的に行う携帯ショップの担当者」と同レベルになってしまいます。そのレベルの授業では生徒はついてきません。集団授業では、わからない説明に対し、いちいち「先生、モーメントってなんですか?」「先生の授業はわかりませーん」などと大勢を前にして「親切な指摘」をしてくれる勇気ある生徒はいません。諦めるか、授業を無視するか、ぼーっとするかで対処するのです。静かな教室は「みんな集中しているから」ではなく、「みんなが授業を放棄しているから」かもしれないのです。そこに気づくか気づかないか、講師には感性が求められるのです。鈍い人は何をやってもダメですが、とりわけ教育業・講師業には向かないのです。「先生の説明はよくわからない」と言われる講師は先ほどの「携帯ショップの店員」と同レベルであることが多いので、生徒の「声なき声」に耳を傾け、今一度御自身を客観視し、真摯に研鑽を積まれることをお勧めします。
 ところで、当塾が前回申し上げた「講師の予習禁止」であるのは、そもそも予習できる授業形態ではないから、生徒目線での思考ができなくなるから、なのですが、もう一つ大事な理由があります。
 それにつきましては次回お話しさせていただきます。

速報  レギュラー授業の空きコマにつきまして。②

2019年4月27日

下記の日曜日の授業も埋まりましたので、今年は満席です。
ですが、祝日などで空くことがございます。そこでのスポット授業は可能です。
受講ご希望の方はお問い合わせください。

速報  レギュラー授業の空きコマにつきまして。

2019年4月24日

現時点で既に満席です。

ただ、夏以降で日曜日の午前に空きが出る予定です。(1名様のみの募集となります)

よろしくお願いいたします。

速報 GW講習につきまして。

2019年4月18日

 昨日で午前・午後・夕方・夜の部、全て満席となりました。
 受付は一旦終了させていただきます。
 ご理解の程、よろしくお願いします。

 ※ 急にキャンセルが出ることもあります。受講をご希望でしたらお手数ですが、その都度空き状況確認のTELをください。

講師が教えれば教えるほど、生徒の合格が遠ざかっていく理由。②

2019年4月16日

※ GW講習は午前の部、午後の部が既に満席となりました。夜の部は残り2コマです。
※ 思った以上にGWを学習に充てる生徒さんが多いです。どこに出かけても混んでますし、お金も(GW料金で)かかりますし、疲れますしね(笑)。休みことで却ってストレスを溜め込む、と考え、家でじっくり学習し、実利を得る方が得策だと判断したご家庭が多い、ということなのでしょう。事実そうだと思いますし、受験生を抱えたお家にとっては尚更これは賢明な判断だと考えます。このGW期間中で徹底的に学ぶか、もしくは遊び呆けるかで6年生の来年2月の合否が占えます。それだけこの10連休は重要であり、且つ「学力向上のための天与のチャンス」だということです。

 前回も申し上げましたが、塾のレベルがどうのこうの講師のレベルががどうのこうの、以上に重要なのは、生徒が「合格するにふさわしい学力を身につけているか?」「確実に合格する術を身につけているか?」です。
(当塾はその一点にしか興味がありません。また、「できる子をできる状態のままで預かってそのまま合格させる」ことには興味ありません。「できない子ができるようになり、合格不可能だと思われていた学校に受かる」これが当塾の最も関心のあることであり、塾の存在意義はそこにあると確信しています。)
生徒は一人で受験会場に向かい、一人で問題に立ち向かうのです。つまり合否を決めるのは生徒本人なのです。ならば、塾の役割は?と問われれば「預かった子を確実に合格する生徒にすることだ」とお答えします。それ以外はありません。
 その「確実に合格する子にする」には「自分で考え自分で工夫し試行錯誤を繰り返しながらも、自分の力で確実に進歩していく子にしていく」ことが大事です。塾はその後押しに徹すればいいのです。それは講師も同じことで「どうすればそういう子になれるか?」を日々考え生徒と接していかなければいけません。集団塾ではなかなか難しいかもしれませんが、もしマンツーマンの授業を行う個別塾の講師であれば、その考えで授業を行うことが最低必要条件となります。
 「淀みなく講義する講師」「何でも丁寧に解説してくれる講師」。側から見れば頼もしく見えるこのような講師は「わかりやすい先生」として重宝されます。
私もそのような評判をいただくことが多いのですが、それは講師として「当たり前」のことをしているだけで、ご評価いただく必要はないのですが、果たして「わかりやすい授業をする講師」が「自分で考え工夫する生徒」を生み出しているのか?その相関関係はどうなのか?といつも疑問に感じているのです。「入試に勝てる生徒」を育てるにはどうしたらいいのか?毎年考える中で得た結論は「教え過ぎない」「講師は予習禁止」ということです。
 この方法で生徒と接すれば間違いなく伸びていきます。当塾の実績はその集大成なのです。
 これは「秘中の秘」なのですが、次回その一部をお教えしたいと思います。
  



 

講師が教えれば教えるほど、生徒の合格が遠ざかっていく理由。

2019年4月09日

 
※ 4月27日〜5月6日で「GW講習」を行います。この10日間のお休みは受験生にとって「学力向上のための学習時間がたっぷり取れる今年前半の天与のチャンス」です。本気で受かりたいと願う生徒さんならこの機会を活用しないわけにはいきません。受講ご希望の方はご連絡ください。毎年レギュラー生でほぼ埋まる講習ですが、外部の方も一部の期間は受講可能にしておきます。お申し込みは先着順(満席になり次第受付終了)とさせていただきますが、ご希望の方はお早めにお問い合わせください。

 一般的に塾講師は「合格請負人」と呼ばれます。「合格させてくれる魔法使い」とも思われています。また、その講師の「学歴」「講師歴」「講義料」が高ければ高いほどいい講師だ、と思われたりもします。弁舌爽やかに立て板に水の如く、淀みなく指導している様子を見て「この先生に託してみよう」という気持ちが高まるのはよくわかります。確かに知識力・コミュニケーション力・プレゼン力の多少がそのまま講師の能力差に繋がることは事実ですのでそこは否定しません。
 しかし、一番肝心なことを忘れてはいけません。それは「入試に臨むのは生徒本人、合否は生徒さん次第だ」ということです。いくらカリスマ塾に通ったとしても・いくらカリスマ講師に頼ったとしても・たとえ高い授業料を払ったとしても、肝心の受験生本人に当事者意識が欠け自分から動かないのであれば、受かるわけがないのです。つまり外部に手取り足取り世話されても、当事者本人に入試合格への意欲が希薄で自分から学習しようとしないなら「全ては掛けるゼロ」になってしまうのです。ですから「いい塾に入っておけば必ず受かる」というものではないのです。事実、そういう「素晴らしい塾」に通えば伸びる子は伸びますが、それでも伸びない子は伸びない、受かる子もいますが受からない子もいる。塾の評判の良し悪し・規模の大小にかかわらず、どの塾でも一定比率でそうなるものです。つまり「受かる子はどんな環境でも受かる、受からない子はどんな環境でも受からない」のです。入試の結果は要は「自分がどうだったか?」という話なのです。
 ですが、「それだと塾の存在意味がないではないか?」と思われると思います。「塾の存在意味」、これにつきましては長年親御さんが勘違いしているだけでなく、当の塾自身も勘違いしているのかもしれません。その勘違いがお子さん生徒さんを間違ったベクトルへ導くのです。
 次回はその辺りについてお話しして参ります。
 

中学入試以前の話になりますが。

2019年3月30日

 なぜ子どもを産むのでしょう?まさか少子化対策で仕方なく・・ではありませんよね。日本国の年金受給への不安から・・でもなければ、老後に面倒を見てくれる要員を確保するために・・でもないはずです。「子どもが欲しい」「子どもは可愛い」からだと思うのです。中学入試以前の話となりますが、私は出産当初にお持ちいただいたこの親の本能とも言うべき「純粋な感情」を子育ての基軸にしていただきたいと思います。つまり愛すべき対象には素直に愛を注ぐ、これでいいと思うのです。
 中学受験を成功させている親御さんはこれを子育ての基本に据えています。なぜなら愛された子どもは安心して生きることができ、親への安心感が過酷な受験準備期間を乗り切る糧になることを知っているからです。こういう状況を作り上げることが親の役目だと思います。また、生まれた子には「生まれてきて良かった」「この親が自分の親であって本当に良かった」という思いを抱かせてあげる。これも親の役目であり、産んだ以上はそうすべきだと考えます。このような子育てを意識すると「叱る」「叩く」「泣かせる」という行為はとてもできるものではありません。「褒める」「抱きしめる」「ともに笑う」「ともに喜ぶ」こういうことに時間を使うべきなのです。親も子も人生は一度きりです。ともに暮らせる時間は無限ではないのです。それを常日頃より意識していれば、楽しい時間を親子でどれだけ共有できたか、大半をそのような時間で過ごせるのは何と幸せなことか、と実感できるはずです。人生を喜びに満ちたものにする、というのは我々を創生した神が望んでいることではないか?毎日を暗い気持ちで過ごすことは、せっかく我々を生かしてくれている神の御心を冒涜することになるのではないか?とも思うのです。
 しかし「厳しさこそが愛」とか「躾と称する体罰」とか「甘やかすと子どもが成長しない」とか、そういう「ひねくれた思想」が罷り通っているのが「日本の教育」なのです。因みに子が「成長しない・自立できない」のは逆に親の愛情不足が原因なのです。それに気づいていない方が多いのにも驚きます。私は中学受験を失敗させる家庭も知っていますが、その多くは「自分の生き方は緩いのに、子どもに厳しすぎる親のいる家庭」です。これは間違いありません。
 例えば「挨拶」。体験授業でモジモジしている子に対し「ほら、先生に挨拶は?」をきつく注意する親御さんがいますが、こういうのは危ないです(笑)。
子どもが初対面の大人に対し警戒心を持つのは当たり前のことだからです。生き物には防衛本能がありますからね。だから用心深そうにしている子の方がむしろ(人と言うか生物として考えた場合)生き方がしっかりしているのです。なのにそれを無視し、本人の意思とは関係ない「元気のいい大声の挨拶」をされても不自然すぎて私は引いてしまいます。私は「挨拶しない子=礼儀知らず」「挨拶させない親=躾ができていない親」とは考えていませんので、お子さんには無理させることはしないでくださいね(笑)。
 また、豊洲には有名な商業施設があり親子連れも多いのですが、「騒がない」「人に迷惑をかけない」と厳しく注意する親が多く、子どもが叱られて泣いたりするシーンをよく見かけるのですが、子どもは楽しい施設にきて楽しいからはしゃいでいるのです。嬉しいからはしゃいでいるのです。当たり前の話です。子は自分本位で動きますから不注意から他人にぶつかるのはよくあること。子どものその振る舞いが大人にとって未熟に見えるがゆえに「子ども」なのです。こういう場合は、子どもの行為が他者を傷つけることを目的とした振る舞いでない以上、一日の長たる大人の側が「子どもだからある程度は仕方ないよね」「楽しいからはしゃいでるんだよね、いい思い出ができて良かったね」と、彼らに温かい目を注ぎ、寛容な心を持ち合わせていれば済む話なのです。いちいち目くじらを立てない。それが「大人」の振る舞いなのです。だから厳しすぎる親を見ると、何で「子どもらしい行為」を無理やり止めて、いい思い出を白けるさせるようなことをするのかな?子どもが騒いだり他人にぶつかったりすると「子どもの躾ができていない未熟な親」と周りから白い目で見られるのが嫌だから、それを未然に防ぐために叱っているのかな?要は親は自己保身のために子どもを叱っているのかな?と邪推してしまうのです。そしてそう思うと私の気持ちは益々引いてしまうのです。
 さらに加えれば、少年野球の試合も豊洲ではよく見かけるのですが、監督が年中「大きな声を出していない」という理由で選手を叱ってる、大声を出せば得点率が高まるのかな?もしそうだとすればその科学的根拠は何なのかな?その方が子どもらしくスポーツマンらしく元気溌剌爽やかに「見える」のかもしれないが、その「装い」「不自然さ」に何の実利があるのでしょう?一方、子どもも子どもで思考停止なのか、何も疑問も持たずロボットの如く監督に従っているように見える。本当に何が何だかわかりません。スポーツクラブは人間形成に役立つ、学校や会社で使える人材を育てる・・のだそうですが、「忍耐力に富んだ思考停止の従順さ」を人間力と言うのなら、クリエイティブな思考が求められる昨今において、むしろそれは進歩の妨げになるのでは、と私は思うのです。
 私は自分の子や他人の子(つまり生徒さん)を叱ることはまずありません。なぜなら、そうしたりそうされたりしても誰も得しませんし、お互い嫌な気持ちになって過ごすことが時間の無駄だと感じているからです。貴重な人生で嫌な気持ちを増やすことは極力避けるべきだと思いますし、それが自分に素直な生き方だ考えるからです。例えば、叱った直後に事故に遭い帰らぬ人になった・・その時の嫌な思いが、相手若しくは自分にとって人生最後の思いだった、なんてことも起こるかもしれないのです。だとすれば、何のための叱咤だったのか?そういう他人から責められた声が自分が耳にした人生最後の言葉で、そのまま人生を締めくくってしまうことが果たして幸福なのか?と言いますか、間違いなく悔いることになると思うのです。
 いろいろ申し上げましたが、中学受験の成功不成功のカギを握るのは「親の子への接し方次第」だということです。子どもの幸福満足度を高められるような接し方を意識してやってきた親御さんは、厳しさを愛情だと勘違いしている親より、はるかに高い確率で中学受験の成功を導き寄せます。


 
 
 

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