中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

中学入試以前の話ではありますが。

2019年3月30日

 なぜ子どもを産むのでしょう?まさか少子化対策で仕方なく・・ではありませんよね。日本国の年金受給への不安から・・でもなければ、老後に面倒を見てくれる要員を確保するために・・でもないはずです。「子どもが欲しい」「子どもは可愛い」からだと思うのです。中学入試以前の話となりますが、私は出産当初にお持ちいただいたこの親の本能とも言うべき「純粋な感情」を子育ての基軸にしていただきたいと思います。つまり愛すべき対象には素直に愛を注ぐ、これでいいと思うのです。
 中学受験を成功させている親御さんはこれを子育ての基本に据えています。なぜなら愛された子どもは安心して生きることができ、親への安心感が過酷な受験準備期間を乗り切る糧になることを知っているからです。こういう状況を作り上げることが親の役目だと思います。また、生まれた子には「生まれてきて良かった」「この親が自分の親であって本当に良かった」という思いを抱かせてあげる。これも親の役目であり、産んだ以上はそうすべきだと考えます。このような子育てを意識すると「叱る」「叩く」「泣かせる」という行為はとてもできるものではありません。「褒める」「抱きしめる」「ともに笑う」「ともに喜ぶ」こういうことに時間を使うべきなのです。親も子も人生は一度きりです。ともに暮らせる時間は無限ではないのです。それを常日頃より意識していれば、楽しい時間を親子でどれだけ共有できたか、大半をそのような時間で過ごせるのは何と幸せなことか、と実感できるはずです。人生を喜びに満ちたものにする、というのは我々を創生した神が望んでいることではないか?毎日を暗い気持ちで過ごすことは、せっかく我々を生かしてくれている神の御心を冒涜することになるのではないか?とも思うのです。
 しかし「厳しさこそが愛」とか「躾と称する体罰」とか「甘やかすと子どもが成長しない」とか、そういう「ひねくれた思想」が罷り通っているのが「日本の教育」なのです。因みに子が「成長しない・自立できない」のは逆に親の愛情不足が原因なのです。それに気づいていない方が多いのにも驚きます。私は中学受験を失敗させる家庭も知っていますが、その多くは「自分の生き方は緩いのに、子どもに厳しすぎる親のいる家庭」です。これは間違いありません。
 例えば「挨拶」。体験授業でモジモジしている子に対し「ほら、先生に挨拶は?」をきつく注意する親御さんがいますが、こういうのは危ないです(笑)。
子どもが初対面の大人に対し警戒心を持つのは当たり前のことだからです。生き物には防衛本能がありますからね。だから用心深そうにしている子の方がむしろ(人と言うか生物として考えた場合)生き方がしっかりしているのです。なのにそれを無視し、本人の意思とは関係ない「元気のいい大声の挨拶」をされても不自然すぎて私は引いてしまいます。私は「挨拶しない子=礼儀知らず」「挨拶させない親=躾ができていない親」とは考えていませんので、お子さんには無理させることはしないでくださいね(笑)。
 また、豊洲には有名な商業施設があり親子連れも多いのですが、「騒がない」「人に迷惑をかけない」と厳しく注意する親が多く、子どもが叱られて泣いたりするシーンをよく見かけるのですが、子どもは楽しい施設にきて楽しいからはしゃいでいるのです。嬉しいからはしゃいでいるのです。当たり前の話です。子は自分本位で動きますから不注意から他人にぶつかるのはよくあること。子どものその振る舞いが大人にとって未熟に見えるがゆえに「子ども」なのです。こういう場合は、子どもの行為が他者を傷つけることを目的とした振る舞いでない以上、一日の長たる大人の側が「子どもだからある程度は仕方ないよね」「楽しいからはしゃいでるんだよね、いい思い出ができて良かったね」と、彼らに温かい目を注ぎ、寛容な心を持ち合わせていれば済む話なのです。いちいち目くじらを立てない。それが「大人」の振る舞いなのです。だから厳しすぎる親を見ると、何で「子どもらしい行為」を無理やり止めて、いい思い出を白けるさせるようなことをするのかな?子どもが騒いだり他人にぶつかったりすると「子どもの躾ができていない未熟な親」と周りから白い目で見られるのが嫌だから、それを未然に防ぐために叱っているのかな?要は親は自己保身のために子どもを叱っているのかな?と邪推してしまうのです。そしてそう思うと私の気持ちは益々引いてしまうのです。
 さらに加えれば、少年野球の試合も豊洲ではよく見かけるのですが、監督が年中「大きな声を出していない」という理由で選手を叱ってる、大声を出せば得点率が高まるのかな?もしそうだとすればその科学的根拠は何なのかな?その方が子どもらしくスポーツマンらしく元気溌剌爽やかに「見える」のかもしれないが、その「装い」「不自然さ」に何の実利があるのでしょう?一方、子どもも子どもで思考停止なのか、何も疑問も持たずロボットの如く監督に従っているように見える。本当に何が何だかわかりません。スポーツクラブは人間形成に役立つ、学校や会社で使える人材を育てる・・のだそうですが、「忍耐力に富んだ思考停止の従順さ」を人間力と言うのなら、クリエイティブな思考が求められる昨今において、むしろそれは進歩の妨げになるのでは、と私は思うのです。
 私は自分の子や他人の子(つまり生徒さん)を叱ることはまずありません。なぜなら、そうしたりそうされたりしても誰も得しませんし、お互い嫌な気持ちになって過ごすことが時間の無駄だと感じているからです。貴重な人生で嫌な気持ちを増やすことは極力避けるべきだと思いますし、それが自分に素直な生き方だ考えるからです。例えば、叱った直後に事故に遭い帰らぬ人になった・・その時の嫌な思いが、相手若しくは自分にとって人生最後の思いだった、なんてことも起こるかもしれないのです。だとすれば、何のための叱咤だったのか?そういう他人から責められた声が自分が耳にした人生最後の言葉で、そのまま人生を締めくくってしまうことが果たして幸福なのか?と言いますか、間違いなく悔いることになると思うのです。
 いろいろ申し上げましたが、中学受験の成功不成功のカギを握るのは「親の子への接し方次第」だということです。子どもの幸福満足度を高められるような接し方を意識してやってきた親御さんは、厳しさを愛情だと勘違いしている親より、はるかに高い確率で中学受験の成功を導き寄せます。


 
 
 

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