成績が伸びない本当の理由。①
2016年4月07日
本日から昨日の話題を引き継ぐようなお話しを何回かさせていただきます。ご了承ください。
「どんなに評判の良い塾であっても全生徒の成績を伸ばすことは難しい」「どんなに有能な講師が担当してもクラス全員の成績を伸ばせるわけではない」当たり前かもしれません。しかし、よく考えてみればこれはおかしな話です。お金を払って塾に通うのだから本当は全生徒の成績が上がっていなくてはならないはず、多少なりとも費用対効果があって当然と考えるからです。八百屋でお金を払ったのにダイコンが手に入らなかった・・なんてことがないようにですね。しかし塾ではお金を払ったのにそれに見合った成績を得られないことはあります。下がってしまうことだってある。これはどういうことでしょう?
「あの塾は良い塾ですよ。先生も優秀だし」こういうのはそこでお世話になり志望校に合格した親御さんの言葉です。「あそこは最悪。先生の面倒見も悪いし」これは不本意な入試結果に終わった親御さんの言葉。つまり、同じ塾に通い同じ講師が担当しても我が子の成績・入試結果により評価は二分されるのです。まあ、これは仕方がないことかもしれません。
しかし、ここで考えなくてはいけないのは「なぜ同じ講師から同じ授業を受けているのに伸びる生徒と伸びない生徒、受かる生徒と受からない生徒と明暗が分かれるのか?」ということです。まさか同じクラスのA君に対しては先生が特別手厚く指導し、一方B君に対しては冷たくあしらいなんてことが・・ですが、そういうことはないと思います。集団塾ではありえない。「贔屓指導」は大問題になるからです。
でも、なぜ?
こういうことを論じるときは塾・講師の責任を追及する形で話が進むことが多いのですが、落ちた生徒もいる一方で、成績を伸ばした生徒・きちんと受かった生徒もいるわけです。塾や講師に感謝する親御さんもいる。ですので、塾・講師が無力だと一方的に断罪するわけにはいかないのです。
では、合否は生徒の資質の差?しかし、同じクラスである場合、生徒間の学力差はほとんどありません。なのに、その中ででも入試結果で明暗が分かれることがある。
では、やる気の差?まあ、無いよりはあった方がいいでしょう。しかし「やる気」とは何でしょう?根性を指すのでしょうか?私が思うに「気」が学力に多大な影響を与えるというのであれば、少しオカルト的な感じがします。手を使わずして「スプーンよ曲がれ」といくら「気」を込めてもスプーンが曲がらないのと同じようにです。入試は「気」で受かるほど生易しいものではありません。
では、どこで差が生まれるのか?
この話は次回とさせていただきます。