テストの受け方。④
2015年9月01日
※ 本日は9月1日です。夏休みも終わり入試まで残り150日。ここからは一日一日が重要となります。毎日「何かしら」を達成できるような過ごし方をしていきましょう。
他者よりも無理解な箇所が多いと、入試では必然的に不合格となる。逆に他者よりも理解量が多く、且つケアレスミスをしないという条件が整えば必然的に受かります。当たり前のことです。そして、合格できるよう、そのために各単元の理解に努めようという目的で塾に通います。そこでノウハウを教わり理解を深め合格を勝ち取ろうという算段なのでしょうが、現実はどうでしょう?できる子はできる子のまま、できない子はできない子のまま、下剋上一つ起こることなく、入塾時の定位置のまま入試日を迎えてしまう現実があります。
例えば授業時にわからないところが複数出てくるのは当然です。その複数出てきたわからない箇所を子どもたちはどう処理していくのか?
一番多いのはスルーです。「わからない」とモヤモヤした気持ちのまま家に帰っても、夕食を取り、就寝する頃には「まあ、いいか」で終わってしまう生徒。何がいいのかはわかりませんが(笑)、そのわからない箇所が入試に出るかもしれない。だけど、「出ない」と思い込むことで、目の前の煩わしい現実から逃避しようとする子ども、問題の先送りが習慣化されている生徒はずっと下位生のままで終わってしまいます。総じてこういう生徒は本気で受かりたいという気力が薄いようです。当事者意識のない、たぶん親が主導するタイプの受験生なのでしょう。
もう少し気骨のある生徒は「講師に質問する」という方法を選択するでしょう。しかし、休み時間という限られた時間内でしか質問できず、また、先生を煩わせるのではないかという「優しい気遣い」も伴ってか、「納得できるまでトコトン訊く」ということができません。中途半端にしか理解していないのに、講師に「どう?わかった?」などと言われれば「はい、わかりました」と答えるしかない。そして悶々としたまま帰宅し、結局「まあ、いいか」で終わってしまうのです。
また、生徒の中には「こんなことを質問して怒られないだろうか?バカにされないだろうか?」という恐怖心から、なかなか質問できない子もいます。叱られたりあきれられたりするくらいなら無理解のままでいい、と、そのままスルーしてしまうのです。
このように「自分から進んで無理解のまま過ごしてしまう生徒→いつまで経っても下位生」は論外ですが、無理解を克服したい意思はあるのにそうできない生徒はかわいそうです。これは明らかに受け入れる側(大人・講師)の責任です。説明の下手な講師、不快感をすぐ表面に出してしまうような講師など「相手の立場に立って物事を考えようとしない感受性の鈍い講師」というのはどの塾にも一定数います。不幸にもそういう講師に当たった場合、生徒はどうすることもできません。
子どもの無理解はただ怠惰であるという原因だけでなく、それを作り出しているのは大人であるという一面もあります。その点をよくよく考え、私も含めこの業界に携わる人間は日々自らを戒め、精進することを己に課さなければなりません。
次回に続きます。