勉強を苦痛に思わない、思わせない。
2024年4月29日
勉強のことで親子ゲンカをする家庭があります。怒りながら教える親と泣きながら反抗しながら教わる子ですね。
だけど、人は明日死ねかもしれないのに、人生最後の日の思い出がこんな感じだと悲しくなりますよね。
私は今まで「楽しいことしかしない、嫌なことはしない」をできる限り貫くような生き方をしてきたような気がします。要するに納得できないことしたくないことはしない、という生き方ですね。ですからこの仕事も趣味の一環なので苦痛に感じたことはない。親子ゲンカもしたことはなく、塾生に対してももちろん叱りつけるようなことはしません。それは私が人格者だからではありません。「楽しくないことはしたくないだけ」だからです。つまり「楽しくない1日」を過ごすことほど人生の無駄はないと考えているからです。「人生は一回きり」を心底自覚するなら尚更そういう考えになると思います。
そして勉強ですが、「知的好奇心を満たす」という本来の目的だけならそれは苦痛どころ楽しみであるはずなのです。しかし「勉強しないと・・になっちゃうよ」というフレーズが付加され、多くの場合この「・・」は自分にとって不利な立場になることです。それを避けるために勉強するというのであれば、本末転倒と言うか強迫観念に駆られての勉強ですから楽しいはずはありません。またこの強迫観念が家庭に充満すれば、心配性な親はリスクを避けるために鬼の形相よろしく、子どもに更なるプレッシャーをかけることになるのです。こうなると「叱る親、泣く子ども」の構図は簡単に作れてしまい、双方にとって「どんよりした1日」を過ごすことになるのです。
これって家庭にとって望ましいことなのでしょうか?そして嬉しいことなのでしょうか?
次回はこの辺りの話を進めてまいります。