国語力をつけるのに読書は有効なのか?③
2024年4月07日
続きです。
自己流の読み方をしても何の支障もない「趣味の読書」と、中学入試で対峙する「文章題の読解」は似て非なるもの、前者のやり方を後者に当てはめてもほとんど成果はありません。 高得点できたとしても、それはたまたま(物語文との)相性が良かっただけでそれを成果とは呼び難く、安定的な「得点の高値維持」には繋がりません。
「趣味の読書」に興じているお子さんの書棚を見ると「漫画」「ライトノベル」がほとんどです。気分転換にはいいのです。しかし入試に出るのは軽いタッチのラノベではありません。受験生の思考力・ロジカルシンキングを測る文章ばかりなのです。物語文ではそれに似たものもたまに出題されますが、やはり中心は説明文、論説文、随筆文です。これらが読解できないと入試ではお手上げなのです。そもそも読書を趣味にしている子はこのような分野の本を購読したり、図書室で借りたりはしません。子どもが面白みのない分野に食指を動かすことはないからです。もし入試頻出分野を読書に取り入れてこなかったなら、その趣味は成績向上に何の貢献もしていないことになります。
とは言え、永田は読みたくないのに無理して説明文・論説文を購入しなさい、借りなさい、とは言いません。これらの分野を「読書の時間」にするのがアイスクールの授業だ、という説明をしています。どういう意味なのご説明しますと、
永田の授業は「文字ごとの理解を積み重ねて一文の解釈、一文ごとの理解を積み重ねて段落の解釈、段落ごとの理解を積み重ね文章全体の解釈」をしています。生徒さんと一緒に読みながら・・です。つまり授業時に「正しい読書法」をお教えしているのです。ものすごく時間をかけ読解を行いますが、その分ものすごく理解度が高まります。文章を完全に理解できたなら選択問題も5秒程度で正答を得ることができるようになります。そりゃそうです。そのような当たり前の理屈に基づいた読書・授業を行なっているからです。こういう授業のあり方は一人一人に向き合えない集団塾では無理です。故に(他教科はともかく)「集団塾で国語力を伸ばすのは難しい」と申し上げているのです。(集団塾がダメという意味ではなく時間的物理的に難しいという意味)
正しい読書を個別指導の授業を通して行なっているのです。すると「文章の内容がよくわかった」「わかるととっつきにくいと思っていた説明文や論説文って意外と面白いんだね」と生徒さんに思っていただければ、もう勝ったも同然なのです。
わざわざ「小難しい本」を購入したり借りたりしなくても、入試問題で扱う「珠玉の如く内容の質が高い文章」に数多く触れればいいのです。厳選されたそれらを「無料でたくさん読める」のが当塾の国語の授業の旨味。授業時に人生に大きな影響を与えるかもしれない中身の濃い文章に触れる機会を得られること自体に価値があるのです。
今回のテーマの結論は「趣味で行う自己流の読書」では効果は出ないが、「正しい手法での読書」では効果が出る、ということになります。
「質の高い読書法で質の高い文章を正しく読む、そして正しく理解する」。その機会を授業時に体験できるのがアイスクールの強みかな、と思っています。
次回は新テーマです。