国語力をつけるのに読書は有効なのか?
2024年4月03日
国語のできないお子さんを持つ親御さんから「先生、うちの子は本を読まないから国語ができないんだと思うのですが、今からでも読書量を増やしていけば少しは国語ができるようになるんでしょうか?」という質問を受けることが多いです。これ、必ずと言っていいほど聞かれるんですね。そしてこの質問に私はものすごく違和感を覚えてしまうんですね。
この質問って「先生、うちの子は魚が苦手だからお寿司を食べさせたら魚嫌いが解消できるでしょうか?」に似ているんですね。「読書」も「お寿司」も好きでやる「道楽」です。「読むのが好き」「魚が好き」という前提ありきの趣味なんです。「読むのが嫌い」「魚が嫌い」だと元々その趣味に行き着くことはないんですね。
要は本末転倒のご質問なのです。そして読書量を増やしたところで絶対その子は「親から命じられて嫌々」に違いないのです。「嫌々」は拒否でしかありません。拒否からは何も得られないし時間の無駄なのです。だからこういうことを強要して「これで国語力が身につくだろう」という発想に行き着くことがおかしいのです。こういう質問される方には「読書の重要性がわかっているのでしたら、どうして幼児期のうちにその楽しさをお教えしなかったのですか?」と逆に質問したくなります。
とはいえ、私は読書量と国語力が比例するとは考えていません。思い浮かぶ読書のメリットは「語彙が増える」「漢字の知識が増える」「文章慣れする」などでしょうが、知らない語句や漢字は調べるのがめんどくさいからスルー、みたいにされちゃうと意味がないのです。こんな中身の薄い読書を重ねて「文章慣れ」したところで何の役に立つのでしょうか?
なぜスルーするのか?それは読書が趣味であり「自分勝手な読み方」をしてもいいからです。飛ばし読みもOK、主人公の心情の変化について間違った解釈をしてもOK、途中でやーめたでもOK、誰からも指摘・批判されませんから「なんでもあり」なのです。しかしこの「なんでもありの読み方」を国語の入試でもやっちゃっていいんですか?。厄介なことにこういう「適当読み」をしてしまうのが読書好きな子の特徴なのです。さらに厄介なことに、こういうことを長年積み重ねてきたことでその悪い癖からなかなか抜け出せず、本当の国語力が身につかないまま知らないまま終わってしまう子が多いのです。
ですが、だからと言って「趣味の読書」を否定するつもりはありません。しかし「強制的読書」をさせるくらいなら、変な癖がつかないように、最初から変な読書は控えるほうがまだマシなのです。
だから私は冒頭のような質問をいただいたときはこう答えます。「嫌々読書をする暇があるなら算数をやってください」と。
このお話は次回に続きます。