子育てについてのお話。⑩
2024年3月19日
最終章です。
「子どもに暇な時間を与える」これは(前回申し上げた通り)大事なことなのですが、これを積極的になさっている親御さんはあまりいません。一方でそれを意図的に実行されている親御さんもいて、うまくいっているケースが多いようです。水泳、英語、サッカー・・などなど、受験準備期間中にお子さんがそれ以外のことに関わりすぎると「学習する時間がなくなる」「疲れがたまる」「習い事のストレスがたまる」「睡眠が不足する」「イライラし精神が安定しなくなる」「学習に集中できなくなる」「全てが中途半端になり何一つ成就できない」などデメリットが表面化しやすいのです。これは理屈で考えてもわかる話ですよね。サッカーや英語などの習い事を否定しているのではありません。受験後に再開し思う存分楽しめばいいのです。敢えて受験期間中にやるべきことでもないように思うのです。片手間で中学入試に挑み成功するのは困難なのです。
「暇な時間を与える」ことに抵抗のある方は「子どもに暇を与えたらロクな事はしない」「そんな時間があれば有意義なことに使いたい」と考えているからです。しかしその「有意義なことに時間を使う」が子どもを疲弊させてるのではないかと考えてみてもいいと思います。そもそも親御さんの「暇を与えたらロクな事はしない」という考え自体がよくないのです。なぜなら「ロクな事はしない」の根底には「子どもを信じていない」というマイナス思考があり、そのマイナス思考のままだと(先日来申し上げている通り)親の潜在意識通りに「親から信用されていない通りに、ロクでもないことを仕出かす子ども」が顕在化してしまうからです。
「暇な時間」は決して無駄時間ではありません。ぼーっと無為に過ぎていく時間のように傍目には見えても、その間お子さんの頭はフル回転しています。それを信じてあげるのが親の役目なのです。
何をフル回転させているのか?と申し上げれば「人はより良くなろうとしている」、これは全ての生物がそうなのですが「生き残るため自分を進化させようとするのは本能」なので、お子さんの「ぼーっとしている時間」は意識的だろうが無意識的であろうがそういうことについて考える時間に頭を費やしている(フル回転している)のです。そして勉強の必要性に迫られ、より良く生きる為にそれが有効だと判断したなら「自分から勉強するようになる」のです。これも周りの目からは唐突に見えますが、本人の中では「練って練られた結論」なのです。うちの子も高校時は英語は・・・な状態でしたが、今では英文科に籍を置いています。多分どこかのタイミングでその必要性に気づき、一気に仕上げた結果だと思っています。ちなみにその間私は「いつも通りの無干渉」でした。「中卒から企業を立ち上げる」「勉強嫌いだったので進学せずラーメン屋になった」そういう人を知っていますが、こういう方は経営学や味の研究についてはそれぞれのプロです。「親からの強制」などではなく、「必要に迫られ、それを勉強したほうがいい」と自分で判断し自主的に勉強した結果、彼らはその得た知識ノウハウを活用し成功を収めているのです。
睡眠も休日もそうですが、それは無為・無駄な時間ではありません。自分と向き合い思考する時間なのです。
睡眠も休日もぼーっとする時間も与えず、ひたすら「何かやること」に時間を費やす。そして子ども(生物)の本能を信じず、お勉強は全て親がお膳立し無理強いする。この一連の流れは親自身が子どもを「信じていない」ゆえの行動なので、子どもは(一時的にはうまくいくかもしれませんが、長期的には)親の潜在意識通りの結果になる、つまり潰れてしまうのです。
「(子どもを信じずマイナス思考強めの)親が子どもに良かれと思ってやった事はだいたい裏目にでる」のはそういう事なのです。
次回は新テーマです。