国語力とは即ち人間力なのかもしれません。
2023年12月30日
※ 四谷大塚合判テスト(1回〜6回)に参加した当塾生の総合平均偏差値55を超えました。全員50以上でフィニッシュ。特にA 君、偏差値32スタートから最後は58。なかなかお見事でした。どうです?A君。国語って本気出したら、正しい読み方解き方に徹したら、私が言った通り本当に偏差値20くらいは上がるもんでしょ(笑)。
本年最後の投稿となります。
「今年はワークライフバランスの年に」と言いながらも本年も国語の苦手なお子さんからの指導依頼が多数ありギリギリ可能の人数でお受けしました。さて、当方では入塾前に必ず体験授業をいたします。そしてその際に過去に受けたテストの解答用紙も拝見します、するとそこから「国語のできないお子さん」の特徴が浮かび上がってくるのです。
まず「字が雑である」こと。雑であるゆえに失点している箇所も多く見受けられます。特に漢字の止め跳ねですね。しかし国語の得意な生徒は字を雑に書くことはありません。なぜなら「確実に得点しよう」「雑に書いて失点するのは嫌」と思考できるからです。それは自分の得点能力に自信があるからですね、と、同時に「1点の重み」を知っているからです。一方で「字が雑な子」は自信がないのです。「どうせ今回も・・」と考えてしまうのです。自己否定から始まるテストは最初から集中力や執着心が欠けているのです。だから注意散漫になり「余計な失点」をしてしますのです。年中計算ミスをする子も同じ理由だと思います。このようにできる子とできない子は能力云々ではなく「心の有り様」で既にテスト前に差がついてしまっているのです。
前述の集中力や執着心の欠如は「記述問題の空欄」「長文を読みきれない」に繋がります。どちらも「国語のできない子あるある」ですね。しかし塾も意地悪ではありませんから「小学生でも頑張れば読み切れる分量の長文だし、記述可能な文字数だよ」ということでテストに出題しているのです。それなのにできないのだとしたら「非は全て自分にある」と考えたほうがいいのです。厳しい言い方でしたらすみません。
もしかしたら意地悪な意図はないまでも「生徒の人間総合力を図りたい」という意図が塾や中学の側にあるのかもしれません。つまり「長文を見てすぐ諦める子なのかな」「粘り強くついていける子なのかな」、記述なら「分量にびびって逃げ出す子なのかな」「なんとか得点しようという気力のある子なのかな」と言った具合にです。
集中力や執着心に加え、「諦めない心」「乗り越える力」「失敗を糧にする力」などなど人間がより良く生きていくために欠かせないこれらの資質=人間力はそのまま国語力でもあるのです。上位難関校の中学受験成功者は心身共にタフであり、大人になっても世の中で幅を効かせているのは、この人間総合力が高いからであり、一方で人間総合力が弱い子はそれを克服しない限り大人になっても生き方が不本意なものになってしまいます。だって「弱者」だから。そうなる前に(中学受験を機に)小学生のうちから「鉄は熱いうちに打つ」「正すべきものは正す」姿勢と行動が必要なのです。
国語はセンスとか想像力とかそういう小手先のテクニックでどうこうなるものではなく、人間そのものを鍛えないとその本質と根本原理が理解できない科目なのです。
その辺りを知っていただければと思います。