国語は「なんとなくやる科目」ではありません。
2023年11月11日
第5回四谷大塚合板判テストも終了し、当塾生は全員偏差値55以上確保で終了しました。一例として、もともと偏差値40台からスタートした生徒さんが1年弱で63まで取れるようになったことも加えておきます。当方の生徒さんのほとんどは「国語が苦手」で入塾するのですが、(指示されたことに素直に従う、熱意を持って取り組むなどの諸条件付きで)そこからだいたい1年くらいで偏差値10〜15アップした状態にすることは可能なのです。
さて、何事もそうですが物事は理屈で成り立っています。そこを理解することは即ち物事の根本理解に繋がるのですが、それを無視して「ただがむしゃらに頑張る」だけではうまく捗りません。
そもそも「なぜ入試で国語が課せられるのか?」そこから考えなければいけません。そして「国語の入試は我々に一体何を求めているのか?」そこも考えなければいけません。その「国語の本質」「出題者の意図」を無視せず、それに沿った取り組みをしない限り点数化できないのです。
国語の怖いとことは「みんな最低限のことはできる」ということです。日常生活で支障が出るくらい日本語ができない、という人はいません。しかしだからと言ってその「日常生活に支障が出ないほどの最低限の国語」で中学入試に成功することはない。なのに「それでもなんとかなる」と思わせてしまうところに国語の怖さ・罠があるのです。ゆえに点数が取れないのに、ほとんどの人が国語の勉強を真面目に真剣に考えることなくぶっつけ本番で入試に臨み、返り討ちにあってしまいます。
「頑張りなさい」だけでは国語力をアップさせられません、また、上記をきちんと説明することなしに演習だけを繰り返させても全く意味がありません。演習は「正しい向き合い方」を無視して頑張ったり励んだりしても効果はないのです。
本当はお伝えしたいことがたくさんありますが、ここでは紙面の都合上難しいので(あとは手の内をあまり公開したくないこともあり)「本当に国語をなんとかしたい」方はお問い合わせください。
諸々ヒントをお伝えしたいと思います。