苦しみの先には喜びが・・という生き方はしない。②
2023年9月01日
9月に入りました。1月入試まであと4ヶ月、2月本番入試まで残り5ヶ月です。毎日毎日指折り数えつつ「今日は何を達成できたのか?」その達成率を気に留めながらお過ごしください。無駄に過ごす日々はもうありません。
前回の続きです。
南国の島の住民みたいに未来を心配せずその場その場を刹那的に楽しみ過ごす、これは否定されるものではありませし、むしろ憧れではあります。しかし日本人がそのような生き方を夢見たとしてもなかなか実行できるものではありません、書店などでも「自分の人生だから好きに生きましょう」みたいなタイトルの本をよく見かけますが、実際その通りに動ける人は少数、これが現実ではないでしょうか? なぜでしょう?
日本人は古来より農耕民族であり、農業に携わる人間は日々豊作凶作つまり未来を心配して生きてきました。そして農耕とは共同作業で成り立つものですから、自分本位な生き方をすればたちまち村八分にされてきた歴史的経緯があります。それはベクトルを乱すものがいては命に関わる農作業が非効率的なものになってしまうからです。「勤勉さ」「共同作業重視」日本人は根底にあるこのような思考や価値観を携えたまま、時代が変わっても信じられないスピードで文明開化→富国強兵→戦後焼け野原からの復活→高度経済成長をもたらしてきたのです。つまり刹那的享楽に溺れていては日本の成長期は築けなかった。その恩恵を享受しつつこの国で生きている以上は「その国の価値観」に沿ってで生きていくことが人生を花咲かせるうえで効率がいいのです。
さて、文明開化〜高度経済成長の間は個人的な振る舞いに制限があったり同調圧力的なものもあったりしたかもしれません。「進め一億火の玉だ」みたいな感じでしょうか?しかし不自由な生き方ではあっても落伍者をあまり出すことなく突き進めたのは自分や国の未来を明るく描いていたからではないでしょうか?つまり(タイトルにもありますように)「苦しみの先には喜びが・・」ですね。みんなこれを信じてきて、その通りの成功体験を得てきましたから「昼間っから飲んで踊っている人」を日本で見ることは当時皆無に等しかったのです。
しかし高度経済成長期も過ぎると(かつての大英帝国もそうでしたが)国は一旦退行期に入ります。バブル崩壊→平成大不況→東日本大震災→スマホ普及→SNSの発達などかつての価値観とは違ったベクトルで生きることを余儀無くされています。そうなると「今頑張って勉強していればいつか明るい未来が・・」という今までの価値観通りには行かなくなる可能性もあります。かと言って日本で「踊って遊んで暮らせ」も違うような気がします。パラダイムの変化を敏感に感じ取りながら生きていくことが今後求められるのではないでしょうか?
次回はその辺りを詰めてお話しさせていただきます。