成功するにはこのようにお考えください。⑦
2022年11月27日
続きです。
学歴があってもそれを活かし切れず低迷したままの人がいる、一方で学歴はなくても人生を謳歌している人がいる。その明暗を分けているのはひとえに「マインドの差」です。その「マインドの差」とは「どんな状況にあっても自分を信じられるかられないかの差」と言い換えてもいいと思います。
「自分を信じられる人」は前回のように祈ったり願ったりすることはありません。また、不安に思ったり心配したりすることもありません。「祈る・願う・不安になる・心配する」はそもそも自分を信じていない人のやることだからです。では、自分を信じられる人のマインドはどのようになっているのでしょうか?
そういう人は「導かれている」という発想をしているのです。どういうことかと申しますと「良きにつけ悪しきにつけ、現在起こっている現象は全て最終的に訪れるであろう成功の糧である」「神様はそのような仕組みと方法で成功を導いている」を信じるということです。心配や不安で頭がいっぱいになる人は「それを避けたい」と考え祈り願います。しかし、その「心配・不安」は「成功への糧」だから、「避けたい」と思った瞬間、それを失うことになるのです。つまり成功できなくなるのです。ですから大事なことは「目の前で起こっていることは全て素直に受け入れる」ということなのです。
中学受験の話でいいますと、永田は我が子の受験時にこう考えました。
1 受かろうが落ちようがどちらでもいい。落ちたとしても「公立に通う普通の中学生」になるだけだし、経済的にも助かる。落ちたら落ちたらで何かしら別の形で成功できるだろう。
2 ただし、どんな状況下であっても全力を尽くすことの重要性を親は子に伝えるよう心がける。親のすべきことはそのくらいで後は子の判断に任せる。もしそれでも自主的に学習する気配が見られない場合、諭しても改善しない場合は受験を打ち切る。その場合、親側は今まで投資したサンクコスト(時間・費用など)については「今後成功するための寄付金だった」と考える。そして「受験に向かない子だったが、受験以外で成功する道があるなら、むしろそちらが良い。他の分野で全力を尽くせるならそれでいい」と柔軟に考える。
3 志望校に受かったならそれはそれで良し。そうでなくてもそれはそれで良し。合否は「そうなるよう導かれた結果」「その結果が将来の成功を導く」なのだから「結果はどうであれ頑張れたことは良かった」「受かったらおめでとう、落ちたらそれはそれで良い」で終了。
私が子に伝えたことは「学習に全力を尽くす。尽くせないなら受験はしない」だけでしたね。あとは放ったらかし。叱ることも褒めることも心配することも不安に思うこともないまま淡々とした気楽な受験生活を過ごしました。
幸い、自分からやる子だったので中学受験〜大学受験は志望校に合格しました。自主的に動ける子にするには「子を信じる」「子が信じるに値する親になる」ことが大事です。子を信じられない親ほど過干渉になりますが、それは「子を支配したい親のエゴ」であり、それを察した子は「自主性のない子・親の顔色で動く子」になり、親は親で「子から信頼されない親」になります。そういう仕組みになっていることにそろそろ気づいてください。このように双方の信頼関係が崩れた疑心暗鬼の中での受験は大抵うまくいかないものなのです。
肝心なのは幼少期。その時期から「何となく」ではなく「双方の信頼関係を築く」を意識した子育てをすることが大事なのです。
それと親御さんは「自分の人生を子に支配されたり影響されたりする」ことの馬鹿らしさにも気づくべきですね。親の人生は親の人生、子の人生は子の人生。それぞれ「個々の存在」なのだから、どちらかがどちらかに影響を与える関係は不自然なのです。そして中学受験とは所詮「首都圏のガラパゴスイベント」なのです。そんなことにいちいち親が一喜一憂したり心を乱したりしていたら我が身が持ちません。
受験は気楽にワクワクしながら、しかし、全力を尽くすことは忘れずにチャレンジすればいいのです。
どんな結果になろうがそれは「導かれた結果」なのです。導かれた結果には「ありがとうございます」でいいのです。
そして支障なく恙無く受験に参加できたこと自体を感謝すべきなのです。
次回に続きます。