人間力がモロにでるのが国語という科目。②
2022年10月21日
続きです。
当方の国語の授業を継続して受講すれば大体10〜20くらい偏差値を上げることは可能です。現に今回の四谷合判でも2名が偏差値15超えを果たしました。ともに40台から60台への飛躍です。そしてこのような生徒は毎年のように出現します。国語はみなさんが感じている以上に「伸ばしやすい科目」なのですが、ほとんどの方はそれを知ることなく
大人になっていきます。
ですが受講すれば自然に伸びるという「魔法」を期待されても困ります。そのような「魔法」を永田が持ち合わせているわけではないのです。授業を活かし成績を飛躍させるもさせないも「受験当事者」次第なのです。そこは勘違いなさらないようにしてください。塾生全員に平等な指導をしていても伸び代に差があるのは、タイトル通り「人間力に差があるから」なのです。
人間力があるかないかは「顔つき」を見れば大体の察しは付きます。何十年もこの仕事をしていますと、見た目で大体のことがわかるようになるのです。「この子は伸びそうだ」「うーん時間がかかりそうだ」みたいなことが、ですね。「人を顔で判断していいのか?」と言われるかもしれませんが、人の内面は表に出るものです。「目が虚ろな子」「ポカンとしている子」「落ち着きのない子」は内面がグダグダだから、それが顔・態度に出るのです。これは幼少期からから今に至るまでの「家庭でどのように過ごしてきたか?」の蓄積・集大成がそのまま表に現れたと言い換えてもいいかもしれません。
偏差値を10も20も上げてくる子は「いい顔」(美男美女という意味ではありません)をしています。上記の2名も顔つきが良いので、近々結果を出してくるだろうな、と思っていたら、案の定伸びてきました。永田のこういう勘は本当によく当たります。
さて、「授業をきちんと受けている」だけでは成績は伸びません。教わったことを自分で活用し実践しなければ意味がないのですが、(授業を受ける意味自体を)わかっていない受験生が多いように思います。そこがわかっていない受験生は(成績が伸びていないにもかかわらず)自己流のやり方に固執します。伸びない子は例外なくこういうタイプの子ですね。
なぜ自己流なのか?「自分のやり方に拘りがある職人気質」なんてかっこいい話ではないのです。要は「自分をドラスチックに変えることより、とにかくめんどくさいことを避けたい」というだけの話なのです。人間は現状維持が一番楽なので、自分を変えること→新しいことを吸収すること、が「かったるい」のです。塾に何年も通っているのに伸びない子は、そういう理由で授業で教わったことや講師のアドバイスをまるで生かす気がないのです。これでは通う意味が全くありませんね。
中学受験を成功させることより、「めんどくさいことは嫌」=「頭を使うことは嫌」=「受かることよりかったるいことを避ける方を優先する」という生徒は(当たり前ですが)入試で受かるはずはないのですが、前回のように「集中力」「忍耐力」「思考力」など、そういう「人間力」のない子は「生命力」「生存力」も乏しいので、「人生の節目での勝負勘」が鍛えられないまま過ごした結果、入試だけではなく、人生でも負け続ける傾向が強いのです。
次回は「どうすれば国語ができるようになるのか?」
そのヒントを少しお話していきたいと思います。