母親の学歴と子どもの学力との関係。③
2022年9月26日
続きです。
マイナス思考が常態化したまま日々過ごしていては潜在意識を活用させることはできません。かと言ってプラス思考で脳内を無理やり固めても、それは同時にマイナス思考をも呼び起こすことになるのであまり効果はありません。では、どうすればいいか?
それは「叱らない 褒めない」ということです。「叱らない」は言うまでもありません。また「褒めない」とは「根拠のない称賛をしない」という意味です。テストの結果が良くないのに「あなたは本当はできる子」と励ましても、現実は「できない子」なので、その後、親も子どもも白々しい気持ちになるのがオチなのです。だったら「何かを意図したわざとらしい褒め言葉」など使わず、「親子双方が納得できる素晴らしいサプライズ」に出会ったときに限り褒めてあげましょう。
とは言っても基本は「何も言わない」がベストです。決して「無責任」「無関心」「放置」という意味ではなく、「遠くで見守る」という意味です。しかしこれは世のお父さんお母さんにとってははなかなか難しい「技量」なのです。
国語のできないお子さんに共通しているのは「過干渉の親に育てられた」という点です。これは間違いありません。「子どもが何かをする前に転ばぬ先の杖のつもりで口を出す親」「親の過干渉に慣れきってしまい、自分から言葉を発することなく親が察してくれるまで待つ子ども」つまり家庭内における貧困な会話が国語力の低下を招いているのですが、こういう子は国語に限らず「考えない・工夫しない、だって親が手取り足取りやってくれるから」が理由で学力全般を低下させてしまうことになります。
だけどついつい親は口出ししてしまう。それはよくよく考えてみると「子どもが原因で自分に不利益が及ぶのを避けたいから」なのです。例えばふざけながら走っている子に「危ないから歩きなさい」と叱る親は、その後に起こるであろう「転んで子どもが怪我をする・泣きわめく」「事故に遭う」など「自分に降りかかってくるかもしれない厄介で面倒な事」を避けたいからそう言うのです。要は「自分のため」なのです。だから前述の「遠くから見守る」ことができないのです、が、それがお子さんの可能性を奪っていることにも気づいていただきたいのです。
結局「親の度量・胆力」の差だと思います。確かに走って怪我をすることもあるでしょう。しかし、そこで子どもは「どうすればよかったか」を自問自答して結論出します。一つの失敗から「次はどうすべきか」を自分で考え、自分で工夫する機会を与える。手取り足取り「次は〜しなさい」と命じているだけでは子どもは成長しません。そういう「降りかかる災難」をあえて子どもに体験させ、考え工夫させる。これは肝の太い親でないとなかなかできることではありません。しかし優秀な子を持つ親御さんは皆そのような「子どもを放っておく覚悟のできている豪胆な親」なのです。これも多くの生徒さん親御さんを見てきた中での私の印象です。
子どもは失敗して、だけど次はうまくいくようにと自考自調します。そして次は成功する。この時、お子さんは
1 失敗しても親が僕のことをあれこれ言わないのは信頼してもらっているからだ。
2 親から干渉されない分、自分と対峙する時間が十分取れた。自分で考え工夫し上手くできるようになった。
3 そうか、結局人は失敗を経て成長していくんだな。
4 なんかこの先何をやってもうまく行きそうな感じになってきたな。
という段階を経ることになります。そしてこの1〜4を体験することで、お子さんは「揺るぎの無い自信」を積み重ねることになります。
これこそが本当の「プラス思考」なのです。「自分は本当はダメかも」という一点の曇り一つない「プラス思考」を定着させることが大事なのです。
しかし、それは自主的な行動(自分で考え自分で工夫する)からしか生まれません。
親の手取り足取りで成功しても真の自信(プラス思考)は定着しないからです。
私が我が子の受験期間、「ずーっと放置」してきたのは上記になることを知っていたからです。
あとは親御さんがそれを理解した上でご自分の立ち位置を間違えないことが大切です。
特に「タイトルにあるお母さん」は自分の価値基準で子に接するのではなく、「自分より優秀な子を授かっているんだ」くらいの慎重さで子どもの未来を潰さない接し方を心がけていただきたいと思います。
お母さんが余計なことをして足を引っ張らなければ、お子さんの受験成功率はぐっと高まるに違いありません(笑)。
次回は新テーマです。