国語ができない人ほど国語を舐める傾向にある。③
2022年8月14日
続きです。
前回は「想像力を鍛えるための読書は意味がない」というお話をしました。その理由は、そこで身についた想像力は元々国語の入試で問われることはないのでやるだけ無駄だから、というお話しもしましたね。同様に「「速読に慣れるため」「語彙を増やすため」の読書であったとしてもそれは無駄なのです。なぜなら読書はあくまで趣味であり、趣味は自分の裁量で進めていいものなので「速読できたがほとんど飛ばし読み」「知らない言葉に出会ったがそれは無視」など自分本位な読み方をしてしまい、結局肝心なことは何一つ身につかないからです。ですから読書によって真の国語力を定着されることは難しいのです。それ以前に読書という趣味を勉強にしてしまって楽しいですか?という話なのです。
「日本人の老若男女が使いこなせるはずの国語(日本語)がなぜ入試の要になっているのか?そもそもなぜ入試科目に採用されているのか?」を考えてみましょう。物事をうまく処理するには「根本」に立ち返ることが肝要なのです。
それは「国語という科目を通して、受験生に物事を正確にインプットし、正確にアウトプットできる能力が備わっているか、それに向けた努力をしようとしているか、を学校側が判断するため」なのです。それがわかっていれば入試における国語の学習は学校側の意向に沿うことに重きを置き、それに特化した「ピンポイント対策」を進めればいいのです。つまり
1 ゆっくりでも構わないので、文章を終始正確に読み取ることに全神経を集中させる(正確なインプット)
2 正確に読み取って掴んだ情報を正確且つ素早く回答する(正確なアウトプット)
3 1、2両者共に確実に実行する(1、2から外れた学習はしない)
ですね。物事はシンプルに且つ理屈で考えましょう。
前回の生徒さんはこれを徹底して実践していました。試験時間の半分弱は「読み」に費やします。一見「時間が足りなくなる」と心配になりますが、頭の中には正確な情報が満載されていますから、選択問題を解くときは迷いなく選ぶことができるのです。それは「秒」で処理できる世界ですね。こうして先に選択問題を終わらせれば後は抜き出し・記述問題に全力で向かうことが可能になるのです。このリズムで取り組めば、結果的に試験時間は余力を残して終わらせることが可能になるのです。
一方、国語のできない生徒は速読しようとします。ですが読みが雑になりますから、頭の中は「正確な情報」と「不正確な情報」が分類できずごちゃ混ぜになり、選択問題を解くときは何分も迷うことになります。挙げ句の果て5分近く考え不正解を回答してしまうことになる。選択問題に時間を費やしすぎると当然のように抜き出し・記述は時間切れで空欄提出となります。この繰り返しでは永遠に国語の成績を伸ばすことはできない。このことにそろそろ気づいていただきたいのです。
なのに「国語なんてどうせ日本語だからそのうちできるようになるわい」と悠長に構えている生徒が多いです。国語ができないくせに、そのように「国語を舐めている生徒」「国語の成績を上げようと試みない生徒」は低迷したまま入試日を迎え、そして失敗した後に気づくのです。「あーなんで国語に対し本気で立ち向かおうとしなかったのか・・」と。
次回は「国語ができない生徒を待ち受ける悲惨な未来」についてお話しします。