国語ができない人ほど国語を舐める傾向にある。②
2022年8月08日
連投です。
入試の国語は受験生の「想像力の有無・優劣」を問うものではありません。例えば「主人公の気持ちを想像しましょう」を求めているわけではないのです。もしそうなら受験生の受け止め方は千差万別ですので答えが複数出ることになります。それでは「明確な正解」が存在しないことになりますから入試自体が不成立になってしまうのです。ですから読書量を増やす目的がそれであるなら、その行為はあまり国語の学習に効果を与えないことになります。
「速読力を身につけるための読書」もあまり効果的とは言えません。読書量が増えれば長文にも慣れ、速読できるようになるかも、という発想ですね。そもそも「速読力を身につけたい」と願うのはなぜでしょう?それは「入試で時間切れになることを恐れて」です。だから時間を節約するには速読しかない、という考えだと思いますが、それが「勘違い」だということに気づかれない方が多いのには驚かされます。
個別指導の良い点は「生徒さんの動きを逐一チェックできる」ことです。その隣にいる生徒さんの解き方をよくよく見ていますと、「文章を読むのが遅い」のではなく、「問題を解くのが遅い」のです。下手すると選択問題一問を解くのに2〜3分もかけています。厄介なことに当の本人はそんなに時間をかけて解いているという感覚がありません。これが改善されないと、いくら時間があっても「結局記述問題は時間切れで空欄にしました」になってしまう。なのに本人も親御さんも「文章を読むのが遅いからだ、だから速読力を」と勘違いする。違うんですね。
国語のできる子は選択問題一問を解くのに1分もかけません。かつて受け持った生徒(その生徒は桜蔭→東大に進学)は15〜30秒で選んでいました。しかもほとんどが正解。なぜそんなに速く解け、なぜ確実に正解にたどり着けるのか?実はこの生徒も私も手法は全く同じ。私の手法をその生徒が素直に吸収した結果なのです。素直に吸収し、素直に実行すればこの生徒さんのように四谷合判偏差値50台前半から65〜70まで持っていけるのです。ですが、それをするもしないも本人の気持ちと行動力次第なのです。
物事に行き詰まったときは「初心に戻り理屈および根本原理に基づき思考する」がセオリーです。ですが、それができない生徒さんが多い(できる子はとっくの昔にそれを自分でやっている)ので、その「理屈・根本原理」を授業時にお教えしています。そしてそれを素直に吸収し実行できる生徒は(上記の生徒のように)びっくりするくらい国語の成績を伸ばしていきます。一方で、同じことを教えていても「自己流を貫く子」は伸びません。ですから成績が伸びないのだとすればそれは「教え手の問題」ではなく「受け手の問題」だとお考えください。
さて、上記の「国語のできる生徒」はいかにしてそのようになったのか?
そのお話の続きは次回とさせていただきます。