受験の成功・失敗は自分の心が決めること。
2022年2月20日
※ 平日は残り1コマで満席とさせていただきます。
※ 受験が終わった後の2月後半は塾講師にとっては唯一骨休みできる期間なのですが、そうも言っていられず当方は毎日何かしらの授業をしていますね。もう来年に向け進んでいます。働き方改革は今年も未達なのかもしれません。
さて、今年も2月早々に中学受験の合否は確定しましたが、その結果についての心の揺れは2月後半まで、いやそれ以上続きます。嬉しさも悔しさも引きずる。感情をコントロールするのはなかなか難しいことですね。
実は受験で「完璧な勝者」はいないのです。「全落ちした生徒」「志望校に入れなかった生徒」「志望校に入れてた生徒」それぞれにモヤモヤを抱き過ごします。「全落ち生はともかく志望校に入れた生徒までもどうして?」と思うかもしれませんが「開成に受かったのは嬉しいけど、どうしてその勢いで筑駒にチャレンジしなかったのだろう」という後悔。嘘のようですが、これはかつて本当にあった話です。そして御三家に入ったら入ったらで「将来東大に行けるのか?」「東大に行けなかったら苦労して御三家に進学した意味がなくなるのでは」という不安。東大に行ったら行ったらで「将来一流企業に就職できるのか・・」いやいや人間とは欲ある限り生きている限り現状に満足できず、日々モヤモヤを抱えながら生涯を過ごしていく生物なのかもしれませんね。
「志望校に入れなかった生徒」さんは「置かれた場所で咲きなさい」という名文句?に励まされることで、また、悔しさや悲しさが時間の経過で収まっていくのはよくある話で、少しずつ自分の気持ちと折り合いをつけられるようなります。そして入学、さらに月日が経てば「この学校に入れて良かったな」と思えるようにもなるのです。ここで出会った友人や師の影響で今後の人生が決まるかもしれません、もしかしたら将来の配偶者に出会えるかもしれません(共学なら)。ですが(以前あみだくじの話でお伝えしましたが)「置かれた場所」で日々一生懸命過ごさなければ幸運は巡ってきません。受験の神様がわざわざ「お前にとってベストなシナリオはここで過ごすことなんだよ」とセッティングしてくれたのに、恨み辛みで無為に過ごすなら神様も呆れて支援してくれなくなります。幸運は「全く予想もしなかった方向」からやってくるものなのです。
さて「全落ちした生徒さん」は、まず自分の努力不足・詰めの甘さを素直に認めましょう。圧倒的な弱さには必ず致命的な敗因があるからです。反省すべき点は大いに反省するのです。しかし、その反省が将来活かせるなら失敗も決して無駄とは言えません。無駄どころか「失敗」とは「学習」であり「成功のため糧」なのです。「失敗」は「将来の成功を勝ち取るために前払いした授業料」と思えばいいのです。ただし、これも上記同様「毎日毎日真面目に一生懸命生きる」ことをしないと次も再び失敗を呼び込むことになってしまいます。失敗してもその後で成功する人と、失敗を繰り返す人の差は、結局「真面目さ・真摯さ」=「人間力」の有無の差なのです。ちなみに「繰り返す失敗」は自分の人間力の低さや惰性、無気力が呼び込んだものですから「成功への糧」とはなりにくいです(なることもあるが)。こういう失敗は「将来の糧」になりにくく、「本当の失敗」なのだ、と認識してください。
次は親御さんの話ですね。特に「全落ちした子」を持つ親御さんは何にストレスを感じるのかと言えば「過去」と「未来」にです。実は受験失敗をいつまでも引きずるのは子ではなく親の方なのです。
過去を後悔する親は「どうしてもっと頑張らせなかったのか?」「違う塾に行っていれば受かったのでは?」「費用が無駄になってしまった」「もっと費用をかければ良かった」「こんなことになるならもっと好きにさせてあげれば良かった」など。未来を不安がる親は「受験の失敗がトラウマにならなければいいが」「公立中学で本当に大丈夫なのだろうか?」など。
こうして「今日」という貴重な1日を「過去の後悔」と「未来の不安」で満たし、前に進めないまま時を過ごしてしまいます。
では、どうすればいいのでしょう?
その辺りのお話は次回にしたいと思います。