中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

勉強する本当の目的。④

2021年12月03日

 続きです。

 私が中学受験生を羨ましく思うのは「合格してその後一流大学に行き・・」みたいな「皆が考える幸福へのシナリオ」を築けそうだから、ではありません。中学受験の学習内容は質が高いものばかりです。その学習を通して「物事の本質」に触れる機会を子供の頃に得られるからです。たとえ「合格一筋」のための勉強であり、その点についてあまり意識していないにしても、実は知らず知らずのうちにそれを定着させているのです。受験勉強を通じ、年少時からその習慣を手に入れること自体が幸運なのです。中学受験を経験してきた人は、未経験の人と比べ(頭を駆使し物事の本質を追求してきた経緯を経てますので)成熟度が高い印象があります。これは大人になった時に本当に強みになります。ゲーム三昧で毎日を無為に過ごしてきた小学生の何倍も成長できる。私が(合否はともかく)中学受験勉強そのものをお勧めするのはその点にあるのです。

 「物事の本質を知る」ことがなぜ大事で、なぜそれを知ることがその人の強みになるかと言えば、(私見ですが)人生を迷わずに生きることができるからです。普段は意識しませんが人の一生は一度しかありません。迷って時間のロスをしている余裕はないのです。「物事の本質」とは人生の最強の羅針盤です。それに沿って生きることで「筋の通った人生」「納得できる生き方」を進めることができます。そしてブレることなく後悔することなく自分の思うがままに生きることができるようになります。これこそが本当の幸福であると私は考えます。しかし「物事の本質」を理解しようとせず、そこをあやふやにしたりそこから逸脱したりする行為をするなら、それは自分自身への背信行為であり、結果としてその人のアイデンティティーを奪い、幸福を遠ざけてしまうことを経験上知っているからです。

 卑近な例で恐縮ですが、日本のサラリーマンは朝の通勤電車の中で陰鬱な表情の方が多いです。家族を養うために朝から乗りたくもない満員電車に乗り、残業もし、仕事でクタクタになって帰宅し、寝落ちしたらまた次の日の朝を迎える、の繰り返し。確かに働いている間は金銭面では不自由しないかもしれませんし、忍耐強いことは美徳かもしれません、が、「このままで人生終わるのか?これは自分にとって不本意な生き方だ」と感じている部分があるから、それが朝から顔に出てしまうのではないでしょうか?

 その「クタクタになるまでやっている仕事」の中身にも問題があるかもしれません。企業は利益を上げ、その収益の中から法人税を支払い国に貢献する、そして会社を支える社員や株主などステークホルダーに給与、配当という形で売り上げの一部を還元し、差っ引いたものは会社の継続と更なる発展に備え、なるべく厚めに内部留保しておく。これが会社の基本構造であり、企業の「本質」です。しかし、例えば午前は会議、午後は次回の会議に備えるため(パワポなど駆使して)見栄えの良い資料作りに精を出したり見込み客探しの営業に出かけたりする、夜は(自分の仕事は終わったが)上司に付き合い「サービス残業」、そして慰労を兼ねた飲み会で午前様。これで「今日も一日よく頑張ったなー」と思っても、その日は何一つ会社に収益をもたらしていないのです。つまり、会社の本質に沿った働き方をしておらず、ただ自己満足と自己保身の仕事をこなし、結局その日一日の稼ぎは0円。0円の稼ぎなのに給与はもらえるのです。生産性ゼロなのに給与が入る。おそらく自営業の方(私も含め)は信じられないかもしれません。

 「いやいや、回り回って違った形で貢献しているよ」と言われればそれまでですが、日常的に「給与は会社の儲けから還元される」=「会社の本質」から逸脱した行為を重ねていると、(お給料をもらえること自体はいいのだが)「俺の存在意義は?」「一体自分は毎日何をやっているのだろう?」と疑問を感じてしまうかもしれません。こういうことを重ねていくと自分を見失い、定年になった時「俺の人生は何だったのだろう?」と感じてしまうかもしれません。

 また、「物事の本質」に従って生きるという哲学に沿った生き方をしないと「付和雷同の人生」、つまり他者に支配される生き方を余儀なくされてしまいます。他人の意向に自分を乗っ取られ、生殺与奪の権までも相手に与えてしまい、自分の生き方ができなくなってしまう。他者という時間泥棒に支配されてしまうと、もう自分の人生と言えなくなってしまいます。

 先ほどの例で残業の話が出ましたが、自分の仕事が終われば帰宅していいのです。帰宅後好きにすればいいのです。
しかし「付き合いが悪い」とか「みんな残っているのに・・」とか、それに反論しようものなら「人としてどうなんだ」「理屈をこねるな」とか、そういう言葉に左右され、結局不本意ながら居残ってしまいます。そして後々後悔するのです。「(ルールの範囲内で)自分の人生は自分で決めていい」は「人間の本質」で「当たり前のこと」なのです。ですからそれに従い自分らしく生きればいいのですが、ちょっとしたことでも「いちいち他人の顔色を見て自分の振る舞いを決める」のでしたら、よりよく生きるためにその思考は早々に改めたほうがいいのかもしれません。

 さて、物事の本質の理解は数値化されたデーターの理解と同義だと考えます。数字は嘘をつかないからです。今年より早稲田大学の政経学部は入試に数学を取り入れましたが、真実を照らすべき経済指標と数字とは切っても切り離せない関係ですので、必修になるのは当たり前の話なのです。

 ですが、この「冷徹でありながら真実を照らす」数字。数字こそが物事の本質の語り部なのですが、そこから逸脱するような考え方が多く散見され、それが(特に日本人)の生き方を阻害し不自由にしている源ではないか、と感じています。

 このお話の続きは次回とさせていただきます。

 

 

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