勉強する本当の目的。②
2021年11月19日
続きです。
勉強は、特に中学入試〜大学入試に関わる人にとっては「より良い人生を構築するための手段」として認識されています。では「より良い人生」とは何か?それは「経済的に不自由しない人生」と定義づけていいのではないでしょうか。良い人生の解釈は人それぞれですが、老若男女問わず生きていくにはお金が必要、お金が生命維持装置ならこれを得ることを最重視するのは当たり前の話だからです。そして「稼げる環境(職場)を学歴によって得る」ために小学生のような年少者でも「受験という波」に翻弄されるわけです。そこに「勉強しないとロクな人間にならない」という「親からの洗脳」が加われば、子どもは恐怖で仕方なく勉強せざるを得なくなる。これが現実ではないでしょうか?
であるなら、自分に恐怖与える勉強に子どもは愛着を示すことはないのです。「勉強が好きな子」=「ちょっと変わっている子」と言われ続けてきた歴史はそのことを大いに物語っています。つまり「子どもが勉強好きになることはあり得ない」ということなのですが、子どもを勉強嫌いにさせてきたのは大人、特に親御さんに原因があることは間違いありません。当方も勉強が嫌いな子の面倒を見るケースが多いのですが、その生徒の親に接してみると(中学受験業に携わり、自身も中学受験生の父親であった経験を持つ私から見て)「あり得ないほど下手な子育てをしている」と感じることが多いです。簡単に言えば「やるべきことをやらず、やらなくていいことをやっている」ということです。
一方で「勉強が好き」という子もいます。そういう子の親御さんに話を聞いてみると「何も言わなくても勝手に勉強している」「親が子の勉強についてガミガミ言った記憶がない」とお答えになります。当の生徒も「親から勉強のことでうるさく言われたことがない」と答えます。そして嬉々として学習に取り組んでいます。
この差は何なのでしょう?
それは「自分の子の将来を信じているか?否か?」の差です。子どもをダメにする親は子を信じていない→だから何かと先回りして口出しする→子からウザがられる→子は反抗的になり勉強しなくなる→親はますます勉強を強要する→子はますます意固地になり学習しなくなる→親の子に対する不信感が増大する→子も親に対する不信感が増大する・・・というループから抜け出せないことがわかっているはずなのに、ひたすらこの過ちを繰り返す。一旦この流れを止めてみよう、と検証してみる勇気がないんですかね。例えるならブレーキをかけなければならないときに、アクセルを全開させて、壁にぶつけて車を止めようと試みているようなものです。「お父さんお母さん、もう少しクレバーになりましょう」というレベルでの間違ったことをしています。
勉強を進んでやる子は、自身で勉強する本当の目的を発見したからなのです。勉強が強要されたものなら、それに気づくことはありません。上記の親と違い賢い親御さんは「強要された勉強からは何も得られない」ことがわかっていますから「いい意味で放任主義」で学習を強制せず、その面白さだけを伝えているのです。そうなると子は勉強を「趣味」として認識するようになります。心に余裕を持って興味津々に学習(本人にとっては趣味)し、その過程で「知らなかった真実」が埋もれていることに気づきます。これに出会うことが楽しいんですね。この「宝探し」をしているような興奮が更に学習意欲を促進させるのです。だからこういう子は勝手に勉強します。楽しいからするのです。そして知らず知らずのうちにそれなりの学習量をこなした結果、塾内で上のクラスに留まることになるのは必然なのです。別に彼らは「〇〇中学を目指すため」とか「親に尻を叩かれ」とかそんな理由で上位クラスに進級できたわけではないのです。ただただ「好きこそ物の上手なれ」で、気づいたら「そこにいた」というだけの話なのです。
勉強好きな子に育てる親は「勉強すれば〜になれるよ」と、希望前提の言い方をします。
勉強嫌いな子に育てる親は「勉強しないと〜になるよ」と、失望前提の言い方をします。
聞き手である子はどちらの表現に勇気付けられるか、ということですね。
次回は「そういう子どもが気づいた勉強をする本当の目的」についてお話ししてまいります。