勉強する本当の目的。
2021年11月12日
※ 既報通り今年は満席です(来期のご予約は可能・今期は土曜日につきましてはスポット授業に限り調整可能)。
入試まで残り3ヶ月弱です。取り組み次第ではまだまだ伸ばせますね。最後まで粘りましょう。
さて、受験生にとって勉強とは中学受験を成功させるための手段です。そのために辛くて嫌な勉強をしなくてはならない、気を抜けば親や塾講師から叱られるので頑張らなくてはいけない・・そういう悲壮感をもって取り組んでいますから「勉強は楽しいものではない」と感じているのではないでしょうか?
そして今の願いは「早く受かってこの地獄から解放されたい」ではないでしょうか?
人間は義務化されたものを楽しむことができません。例えば趣味でやっているゲームが学校の必修科目になったらどうでしょう?「〜をクリアしないと成績が下がる」なんて言われたら純粋に楽しめなくなるのではないでしょうか?勉強は本来楽しいのです。ですが、「〜しないと・・になってしまうよ」という「脅しっぽい」条件が付くと、たちまちつまらないもの、避けたいものになってしまいます。不思議ですね。
このような事情から、生徒さんの中には「勉強とは嫌々やるもの」と捉えている子は多いです。だから隙あらばそこから逃避しようとします。そしてサボれば親に叱られ、成績も下がり、という悪循環をに陥るのですが、懲りもせずにまた同じことを繰り返すのです。これでは中学入試に成功する道理はありませんよね。
ですが私はこういう生徒さんを責める気にはなれません。責められるべきは「勉強はつまらないもの」と思い込ませた親御さんです。勉強を子を叱る目的・手段・大義名分として捉えている親御さん。暇さえあれば「勉強しろ」と急かす親御さん。四六時中こういう親御さんと一緒にいて、年中勉強のことでガミガミ言われていれば、どんなに精神状態のいいお子さんでも心がおかしくなってしまうのは当然です。精神状態が正常でない子が勉強から遠ざかってしまうのは「極めて自然」なのに、そのあたりの「簡単な理屈」になぜお気づきにならないのか、毎度不思議に思います。
親は子が勉強しない姿を見るのが不安なのです。勉強しないと入試に落ちるかもしれないから不安なのです。入試に落ち人生の落伍者になるのではないか? それが不安なのです。つまり、お子さんの将来がどうのこうのというより「失敗した我が子を見て落ち込んでいる自分になりたくない」という親側の事情(悪くいえば自己都合)で子に勉強させるのです。なのに、カッコつけて(いかにも親らしく)「勉強はあなた自身のためにやるのよ」と子に言うのです。ですが、こんなセリフ「勉強したくない子ども」に響くはずはありません。本当に自分のためだとわかっているなら、子どもはとっくの昔に自主的に勉強しているはずだからです。いっそのこと「あなたが入試で失敗すると私が困る。だから親を安心させるため受かってくれ」と言った方がよほど潔いのです。むしろ親の本音を素直に呟いた方が子どもの心に響き「よし、大事な親を救済するために頑張ろう」となるかもしれません(笑)。
さて、中学入試に成功しても、いい大学に入っても、いい就職ができても、お勤め人なら生涯賃金は頑張っても4〜5億くらいです。そこそこ潤いますが、諸税の支払い、諸々ローン返済に追われたりもしますので、経済的に不幸にならないまでも決して「バラ色の人生」が保障されているわけではないのです。ま、そんなに欣喜雀躍するような人生にはならないのです。(笑)。
ですからそういう「将来困らないため」とか「それなりに順風満帆な人生の青写真を築くため」に勉強するのは、それはそれでいいのですが、そうではなく、「別の目的」で勉強した方がはるかに楽しいと思うのです。現に「勉強することが好き」という生徒は「自分の将来のため」だけでなく、「別の目的」で勉強しているのではないかと思われる節があります。
次回に続きます。