うちの子が受験に向くかどうかを知る方法。③
2021年8月07日
※ 9月以降の授業ですが、(毎年のことですが)平日は基本満席です。土日で空くことはあるかもしれません。
残り半年で奇跡を起こしたい方は早めにご連絡ください。
オリンピックも終盤ですが(8日閉会しました)、受験生にとって参考になることが多かったですね。「確実に金メダルを取れると思っていた〇〇選手が・・」「無名だった〇〇選手がメダル獲得」とかですね。勝てたのは勝てる理由があったから、負けたのは負ける理由があったから。入試も同じです。大会を通して、その辺りを分析し、自分への参考・戒めにしてみてもいいかもしれません。
さて、前回申し上げた通り「素直な子」「好奇心の強い子」は受験に向いています。しかし、この資質は親御さんの子育ての過程でそうなるのです。「頭が良い子」というのは「素直で好奇心の強い子」の最終形態ですね。いきなり「頭が良い子」は望めないのです。ですがその過程を知らず、早めの仕掛けが功を奏するとばかり「やれ早期教育だ習い事だ」と幼児の日々をスケジュールでがんじがらめにする親御さんも多いのですが、それは学ぶことを厭う性格にしてしまう危険を孕んでいることが多いのです。中学受験は4〜5年から始めても十分間に合います。小学校低学年までは「ぼーっとさせる」「好きなことをさせる」「たっぷり愛情を注ぐ」でいいのです。逆に言えば「たった2年間の集中学習」すらできないようではそもそも受験する資格も力もない、ということなのです。
「素直な性格」は「真面目な性格」に通じます。そして「好奇心の強い子」は「行動力のある子」に通じます。
それらが揃えば「受験に向いている子」と判断しても良いのではないでしょうか? しかし、それ以上に大事な資質があります。それは「自己肯定感の強い子」です。
実は、このお話は過去にも飽きるくらいブログ内でも取り上げています。ですが、オリンピック競技を見る過程でそれは確信に近いものになりました。なぜなら「悲壮感を漂わせている選手は本番に弱い」と見て取れるからです。この悲壮感の由来は何でしょう?それは責務の大きさ、その責務は自ら進んで背負っているというより、周りが背負わせているように思われます。ですが、それは期待の裏返しでもあるので、必ずしも否定すべきものではありません。問題はそれに潰されてしまう自分の弱さ。その弱さは「自己肯定感の低さ」に由来しているのではないでしょうか?
「自分は誰よりも有能である」「入試に勝つのはこの私だ」。この「自己肯定感」は確固たる自分への自信を導き、本番でも落ち着いて自分の能力を遺憾無く発揮させてくれるのものです。しかし、その足を引っ張るのが親御さんであることが多いのには驚かされます。そしてそういうご家庭の在り方ではお子さんの入試を失敗に導いてしまうのです。
曰く、「調子に乗るんじゃない」「自惚れるな」「たまたま良かっただけだ」「90点?なぜ満点取れなかったんだ?」「お前は〇〇だから」(〇〇は否定語)などなど。これらは良く言えば「戒め」「奮起の促進」ですが、悪く言えば「暴言」「否定」です。ですが、ほとんどのお子さんは「戒められた」「奮起を促された」とは解釈せず、「怒られた」「否定された」と解釈するのです。これでは自己肯定感は生まれません。「優れた親は子どもを否定するものだ」と言わんばかりに使用されるこの手の文言は「百害あって一利なし」なのです。これで何か良い結果がもたらされましたか? もうそろそろ「おかしいな?」と気づいていただいてもいいのではないでしょうか?(笑)。
特に注意が必要なのは父親です。教育熱心な父親が中学入試に絡む場合は「奇跡的な成果をもたらす」か「あり得ない壊滅をもたらす」か、両極端な結果になることが多いです。本当に諸刃の刃なのです。ですので私は「お父さん先導型の入試」の場合は、慎重な取り扱いをします。父親の「人間的資質」「親としての適性」がお子さんの入試の合否、ひいては人生の明暗を決めると言っても過言ではないからです。
母親は基本的に母性で子に接しますから、厳しい中にも愛情が見え隠れします。ですからどんなに叱られても基本的に子は母親が好きなのです。これはこれで良いのです。ですが、父親は子どもを「自分の部下」のように少し突き放して接する傾向にあります。もしくは「自分の夢を託す継承者」(医者など)として見ることが多いです。つまり入試および子育てに純粋な愛情以外の「自己主張・自己都合」を絡めてくるケースが多いのです。この割合が多くなれば束縛がきつくなったり、また、自分の望む水準に達しない子に対しては「売上棒グラフが伸びない部下」に接するが如く、「精神論と根性論を全面に出した叱咤」をしたりするのです。
まあ、お子さんからすれば溜まったものではありません。否定され続ければ「僕はダメかも」「僕は落ちるかも」「落ちたら叱られるかも」となるのです。そこに自己肯定感は微塵もありません。で、本番に弱い子になるのです。
親御さんは「否定しない」「励ます」「褒める」で良いのです。しかし世の指導者は「そんな甘っちょろいことを言っていると・・」と否定するのです。日本は戦前から常に「教育は厳しく」「甘えは許さない」です。ですが、その教育・指導が本番で能力を出しきれない子どもをどれだけ多く量産し続けてきたか・・を感じ取っていただきたいのです。そして、今までの子育てに疑問を感じたなら柔軟に方法を変えなけなければならないのです。
また「子どもとはいつも本音で接している」という親御さんがいるなら、(オープンマインドで一見フレンドリーな人間関係を築けそうに見えますが)それは褒められた子育てとは言えません。昔「ゴッドファーザー」という映画の中で「他人に軽々しく本音を明かすな」というセリフがありましたが、人が他者と本音で付き合ってよいのは幼い小学生までです。本音と本音をぶつけ合う、みたいな本能丸出しの幼稚な振る舞いを「海千山千のいい大人」がしてはいけないのです(会社の飲み会で無礼講だと言われ、それならばと部長に本音や不満ををぶつける平社員はいませんよね)。家庭を持ち、親になった以上は「子育てに適した親」になることが求められますが、それは自然発生的にそうなるのではなく、努力、つまりそれを巧みに演じる力がなければいけないのです。子どもから煙たがられるのは母親より圧倒的に父親が多いのは、元々「母性本能」を持ち合わせていないことに加え、「演者」としての力量がない、もしくはそうなるべく努力を軽視・怠ってきたことが原因です。そういう方は児童心理を学ぶなどしてその辺りを学習もしていただければと思います。
子育ては何となくするものではありません。頭を使い緻密に計画的に行うべきものなのです。そして
「素直な子」「真面目な子」「好奇心の強い子」「行動力のある子」「自己肯定感が強い子」に育てていく。
それができるもできないも親御さんの努力次第。入試で勝たせるのも親御さん次第ですね。
次回は新テーマです。