うちの子が受験に向くかどうかを知る方法。②
2021年8月01日
8月に入りました。2月入試まで残り半年です。これを「半年しか残っていない」と考えるべきか、「半年も残っている」と考えるべきか。
「半年しか残っていない」。低迷しているのに、従来の伸びない学習法に固執すれば(当たり前ですが)失敗します。「半年も残っている」。低迷していたとしても、「伸びる学習法」を取り入れれば逆転可能です。「伸びる学習法」は確実にあるのですが、それを取り入れるも入れないも自分次第なのです。現状維持は楽なのですが、それに甘んじ抜け出す意欲なく、自分と環境を変える勇気も決意も無いのなら、未来は変わりません。頭がいつまでも旧態依然の江戸時代なら、改革の先にある文明開化は永遠に来ないのです。
さて入試は学力のある生徒が受かります。学力を数値化したのが「点数」です。その「点数の高低」という誰が見ても公平且つ平等な基準で合否が決まる以上、どれだけ数字にこだわるかでその生徒さんの合否は決まります。そしてその数字を高めるには学力をつけるしかないのです。「学力をつける」というシンプルな努力に、これまたどれだけこだわれるかで生徒さんの合否は決まるのです。
当たり前のことを前置きしましたが、「学力をつければ受かる」という単純明快な答えがあるのに、いつまで経ってもそうしようとしない「不思議な受験生」がいます。「本気で受かりたい」ならそうするであろうに、そうしない「不思議な子」は本当に多いです。
例えば「復習しない」「塾でもぼーっとしている」「自分から机に向かわない」「テストの見直しをしない」「苦手分野を放置している」といった子ですね。「入試は誰のため? 自分のため❗️」と、判で押したような模範回答をするくせに、それとは裏腹なことをする子です。要はこういうお子さんは親や講師の前で取り繕っているだけで、実は「受かりたい」より「楽したい」が本音だったりするのです。
だけど、「できるだけサボって楽したい生徒」がいる一方で、「本気で学力をつけて受かりたい生徒」もいるわけで、彼らが徹底的に学習すれば前者との学力差は広がり、必然的に前者が落ち、後者が受かることになるのです。両者とも「受かりたい」という点では同じですが、同じ「受かりたい」でも「受かりたいけどそれ以上に楽したい」のか「楽したいけどそれ以上に受かりたい」のか、この両者間での争いとなれば、言うまでもなく後者が果実を独占する流れになるのです。
受かりたいより楽したいのは、中学受験の意義を心底理解していないからです。では、「中学受験の意義は?」とお子さんから問われたとき「いい大学に入っていい就職先を見つけて・・」みたいな話をするのはお勧めしません。年端も行かない子に夢のない人生の縮図を語ったところで何も響かないからです。将来つまらない大人の世界が待っていることだけがわかり、それなら、わけのわからない算数をやるより、いま遊んじゃえ、と考える子どもがいたとしても不思議ではありません。
「中学受験の意義は?」と問われれば、私でしたら「自分の限界点を知るため、またMAXの努力が限界に達した後、自分の見える世界がどのように変わるかを体感するため」「充実した人生は努力の先にしか存在しない、また、生殺与奪の権を他者に委ねることなく、自分自身の人生を自力で構築するためには、子どものうちから頑張ることに慣れておく必要があるから」と答えます。しかし、これに納得する子はあまりいないでしょう。この答えの反応は「ふーんそれで」と「やってみようかな」に分かれるはずです。ですが、結局後者のように考える子が受かるのです。なぜならそういう子は「人生経験の豊富な大人の言うことだから何かしら意味があるのだろう、少しトライしてみようかな」と考えられる「素直な子」であり、「努力の先に何があるのか体感してみたい見てみたい」と、ワクワクしながら自らを実験台とすることに躊躇しない「好奇心の強い子」でもあるからです。
うちの子が受験に向くかどうかの判断材料の一つは「素直な子」であるかどうか、もう一つは「好奇心の強い子」であるかどうか、です。ですが、これは本人の生まれながらの資質というより、育ってきた家庭環境の影響が大きいので、やはり「子ども有り様は親次第」と言えるのです。上記のように「ふーんそれで」で終わってしまう子がいるのだとすれば、それは子どもにそう感じさせてしまうような子育てをしてきた結果、ということに他なりません。
「親の有り様はそのまま子の有り様になる」ですので中学受験は「(子どもを代理に立てた)親の受験」の側面もあるのです。
次回に続きます。