勉強とはそもそも遊び。
2021年6月20日
「子供の嫌いなもの」=「勉強」という認識は今に始まった訳ではなく、時代や洋の東西を問わず半ば普遍的なものです。ですから「勉強が好き」という子は奇異なものを見るような目で見られたり、「ガリ勉くん」と揶揄されたりする訳です。要するに「子どもらしくない変わった子」扱いされるのです。翻って「子どもの好きなもの」=「遊び」ですね。昔だったら鬼ごっこ、今ならゲームでしょうか。ここで考えなければならないのが「勉強」と「遊び」の差異ですね。どうして前者は子どもから敬遠され、後者は受け入れられるのか、その差ですね。
生徒から勉強を嫌がる理由を直接聞き取れるのが当塾のような個別指導塾の良さなのですが、その多くは「わからないから」「めんどくさいから」「成績によってクラスが上下するのは嫌だから」「勉強しないと叱られるから」「そもそも勉強する意味がわからないから」などです。理由はいろいろですが平たく申し上げれば「勉強は自分にストレスを与える元凶だから」ではないでしょうか? 「遊び」が好まれるのはストレスかないから、勉強のような競争原理が働かないからです。もしリアルに「ゲームで〇〇をクリアしないと親に叱られる」とか「鬼ごっこで鬼に捕まるとクラスが下がる」とか、そういう条件付きでの「遊び」ならほとんどの子はそれを避けると思います。しかし中には「よーしクラスを上げるため鬼に捕まらないようにするぞ」「捕まらなかった。よーしクラス昇格だ」みたいに、ストレスを超越するような「ワクワク感」「達成感」をもって臨む子もいます。
勉強の中に遊びの原理を取り入れ魅力的なものにできないかな、と考えるのです。それには勉強に伴いがちな「競争」「ストレス」「叱咤」を排除し、「遊び」の持つ「ワクワク感」「達成感」を取り入れていく、しかし、たとえストレスがあってもそれを上回る学ぶ楽しさを感じさせることが授業では大事なのかな、と思うのです。
もともと学習は「王様の暇つぶし」「貴族の高級な遊び」からスタートしていますから面白くないはずはないのです。「物事の原理・原則・本質を知ることのできる喜び」「知らなかったことを知ることのできる喜び」、その過程で発生する「脳の活性化」。「遊び」と共通するのは「脳が興奮状態になることで得られる心地よ良さ」です。どちらも脳内中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンを大量に発生させるんですね。ですから学習=遊びと考えてもいいのです。事実、「勉強が好き」という子は「やればやるほど頭が気持ち良くなる」という仕組みを体感できているのです。
できる子、学習を厭わない子に共通しているのは「親からほったらかしにされた子」=「親から勉強しろと言われたことのない子」です。こう言うとほとんどの方は「そりゃ、お勉強のできるお子さんを持てば親は苦労しないから何も言わなくても済むからね。できるお子さんをお持ちで羨ましいですわ」と勘違い発言をしますが、「できる子だから親が何も言わない」のではなく「親が何も言わないからできる子になる」。つまり逆なんです。ですが90%の親御さんはその本質を理解できていません。私も親から勉強しろと強制されたことはありません。また、私も子に勉強しろと強制したことはない。ですが、その方がうまくいくのです。それはその仕組みを理解しているからです(このお話の詳細は以降で)。
「勉強」と「遊び」。この二つは本質が同じです。つまり共通する要素が多いので、「僕にとっての遊びは勉強」「私の趣味は勉強」にもなるのです。
私は授業時に叱ることはありません。授業時間は生徒さんの趣味・遊びの時間だという感覚で行うからです。その間は生徒さんの頭は躁状態が続きますので「いつまでも授業を受けていたい」という気分になり、結果的に「勉強は面白い」→「成績を上げることも面白い」に繋がっていくのです。
講師や親御さんが勉強は「難行苦行」「歯を食いしばって頑張るもの」と認識させている間は、お子さんの成績は伸びないと考えてもいいと思います。