学習から逃げれば逃げるほど人生が辛くなる理由。③
2021年4月30日
※ 明日は5月1日。2月入試まで残り9ヶ月です。まだまだ先の話・・ではありません。毎日を充実させなければいけない時期に入ったのです。
※ GWが始まります。ほとんどの塾で講習が開催されますが「みんなも参加するから安心」「参加することに意義がある」レベルでの参加では実利は得られません。また、「学力をつける」という本来の目標を見失ったまま何気なく参加してきた生徒さんは、そのような自分を見直さない限り、今回も今後もそれ以降も「参加しても伸びずじまい」で終わる可能性が高いです。そろそろ時間とお金の無駄を防ぐことを考えましょう。そして何かしらの利益を得られるような講習にしてください。
続きです。
結局、自分から学習する子は自分を大事にしている子です。そういう子は長期に渡って人生を充実させたいと考えますから、その実現に不可欠な学習に積極的に取り組めるのです。自分を大事にできるのは自己肯定感が強いからです。その自己肯定感の強さは「親の育て方」=「子どもを心から慈しみ信じ認めてきた親御さんの愛情の蓄積」によって形成されます。ちなみに「甘やかす」は似て非なるものです。子力=親力=家庭力がそのまま「受験力」なのです。とてもわかりやすい話だと思います。これが前回までのお話でした。
さて、塾のキャッチフレーズに「やる気にさせます」というのがあります。ですが「それは塾の仕事ではないのでは?」と感じます。塾は「やる気はあるのが前提で、しかしどうしたらいいのかわからないから助けて」という生徒さんを救うために存在すると考えます。「お子さんの精神を鍛える」とか、民間企業がそこまで干渉するのはおこがましい話です。それはむしろ親の仕事・義務です。
私は基本的に学習する気がない、それに意義を感じない子は受験しなくていいと考えます。好きに生きればいいと思います。しかし学習しないままだとどうなるか?その辺りの想像はしておいたほうがいいですね。学習(受験)は身分・貧富・顔の美醜に影響されない、頑張ったら頑張った分だけ報われる、極めて平等且つ公平な世界なのです。この仕組みを利用しない・したくない人は「チャンスを見極める能力」すらないのだと思います。そういう思考の浅い人は何かとうまくいきません。
時代を問わず教育を重視しない先進国はありません。学習によって得られた論理的思考力は技術力・交渉力・語学力などに広がり、それは自分のみならず国を支える基盤となります。それによって国が発展し、基幹産業からの税収も豊かになり、諸々の恩恵を受けた国民は喜ぶことになる。ですからその使い手・担い手は重宝されます。重宝させるが故に厚遇され、それは主に金銭面での充実という形で得られます。技術者・医師、弁護士、外交官などは上記の力を持っています。だからこれら職種には高所得者が多いのです。高所得者は(金銭面という意味で)家庭を平穏に支えることがそれほど難しくありません。そして(親の教育が間違わない限り)子は親の背中を見て良い方向に育ちます。うまく育てば自己肯定感も高まります。「経済力のある家庭から高学歴の子が育つ」は事実ですが、それは塾代を多く払えるからそうなる、という馬鹿な意味ではなく、こういう親のもとで育った子は自己肯定感が強く自分から動くのでそうなる、という意味なのです。また「親がどうしようもないから自分が頑張る、自分ならできる」という反骨精神から生まれた自己肯定感の高さから学習に邁進する子もいます。恵まれていようがいまいが「自己肯定感」が人生の原動力になることは間違いありません。「社会に貢献した分、自分も豊かになる」双方の発展、という健全なwin-winの関係を築くきっかけ、それが学習だと思います。
自営業で成功する人もいますが、自営業の成功=収益力✖️継続力、だと思います。ですがそこに至るためにはものすごく頭を使います。例えば安易に「ケーキ屋さんになりたい」と言っても、勉強することが嫌いな人が立ち上げたそれはすぐにポシャります。つまり、日頃から頭を使うことを億劫がる人は何をやってもうまくいかないのです。
学習を避けると上記のような人生になりづらくなります。「お金よりも心が大事」とか「お金の話をするのは卑しい」とか言いますが、人は霞を食って生きられるものではありません。「衣食足りて礼節を知る」。現実問題として生きていくためにはお金が必要なのです。「ボロは着てても心は錦」という歌がありましたが、ボロを纏っていたら心は錦にならないのです。金銭面で不自由になると人生が辛くなるのは間違いありません。お金を作ることは大切、しかし「誰でもできる楽なこと」に(金銭が)多く払われることはないのです。
「中学受験はしんどいからやめる」「リベンジは高校受験で」もいいでしょう。しかし、公立中から私立難関高合格は、公立小から難関私立中合格の3倍はきついです。それが叶わず公立高(東京なら都立重点7校は除く)から難関大合格(それも一般入試)は5〜10倍きつくなります。つまり「楽なことを選び、辛いことは後回し」では「高学歴→経済的に充実した人生」の道がますます遠ざかる、という現実は知っておかれたほうがいいと思います。ちなみに「高学歴だから経済力がある」でありません。「経済力のある人の多くは高学歴だ」ということです。
「高学歴の人が優遇される」のは、先ほど述べました論理的思考力が高さ、頭の良さ以外に、それを得る過程で伴ったであろう「努力」「集中力」「忍耐力」「体力」「応用力」「克己心」「好奇心」「探究心」など、人間がより良く生きるために必要と思われるこれら項目の水準の高さ=人間力の高さを、その履歴の中身を見れば読み取れるからなのです。
学歴がなくても高収入を得られる、例えば一流芸能人、一流スポーツ選手になる道もありますが、これには他者の何倍もの努力、生まれ持っての才能、奇跡的な運などが伴わないと「叶わぬ夢」となるのです。ハイリターンですが、ハイリスクなのです。その辺りも考えておかなければいけません。その点受験は頑張った分だけ結果が素直に反映され、しかも誰でも参加可能・機会平等の世界です。凡人の私にはこのルートから成功を勝ち取る方法が健全且つ正攻法のように思います。
学習そのものに価値があるのではありません。それが「生きる術」「人生を充実させる」に活用されなければ意味がないのです。
学習したくない・サボりたいは、自分から安定した生き方を放棄する、人生そのものを台無しにするという意味です。それでもいいのですが自己責任です。怠惰な生き方によって将来の困窮を招いたとしても、それは自分のせい。グチを言っても嘆いても「あなたはそうなることを承知でこの道を選んだんですよね?」で終わりです。世の中はそういうものです。
次回は新テーマです。