勝ち方を知らなければ受からない。④
2021年3月24日
続きです。
「年少時から引き継がれている親御さんのお子さんへの接し方」で入試の結果はほぼ決まります。「中学入試では親力が見られている」は大げさでも何でもなく、「親御さんの教育の蓄積が現在のお子さんを作り出した」のは事実であり、そのお子さんの力・有様がストレートに結果に反映されるのが中学入試ですから、本当にその通りなのです。
次に「塾の活用の仕方」。これも違えると合格から遠ざかります。「塾に通っていれば安心」だけで受かるはずもありません。「なぜ通うのか?」「塾をどう活用すべきなのか?」そこを無理解のままでの通塾は時間と労力とお金の無駄で意味がありません。「何となく塾に通っているだけ」「通っているのに成績はいつも低迷」のお子さんに共通しているのは「受験生としての当事者意識のなさ」です。そこをどうするかが大事です。
以上が前回までのお話でした。
今回はその「受験生としての当事者意識のなさ」を生み出す弊害を取り除く方法についてのお話です。それができるかどうかが大事なのですが、ほとんどの方がそれをしません。いや、できないと言った方が正確なのかもしれません。
それは「時間を作る」ということです。勝てるお子さんはそれができている。しかし、それをするもしないも親御さん次第なのです。
かつて当塾生の中に「筑駒・灘・開成」の受験に成功した(その後筑駒→東大)生徒がいましたが、この生徒に限らず上位難関校に受かった生徒さん(受からせた親御さん)は「時間を作る」ことに熱心だったと思います。東大生へのインタビューでも不思議と多いのは「勉強のことで親からは何も言われなかった」「勉強よりも外で遊ぶ方が大事と言われた」などのコメントです。それを聞くとみなさんは「それは綺麗事で本当は違うでしょう」「元々できるお子さんだったんでしょう」と疑ってしまいがちですが、本当にそうなのです。私は塾に通った経験がありません。それは私が賢かったからとかそういう話ではなく(中学受験とは無縁の田舎で育ったという理由に加え)「疲れて学校から帰った後で、また別の場所へ拘束されに行くのが死んでも嫌」だったからです。ちなみに私の子の塾通いもトータル半年足らずでしたので、我が家では中学受験〜大学受験まで「塾代」とはほとんど縁のないまま受験を終了しました(笑)。
私に限らず大抵のお子さんがそうだと思います。親御さんもどうでしょう?例えば定時で会社から帰宅できたのに、くつろいでいる最中に残業要請のTELがかかってきて再び会社に出向かなければならなくなった場合、嬉々として再出勤できるでしょうか?そのモヤモヤ感を家族に理解してもらえず「残業代のために頑張って行くんですよ」とハッパかけられて嬉しいでしょうか?毎日塾に通うお子さんもそれと同じような立場だとご理解いただければと思います。「疲れているのに(それを表に出せず)仕方なく塾に行く→塾で時間を潰すことが目的となる→受験生としての当事者意識をもつ余裕・気力・意欲は失せたままである」その結果、成績は低迷します。その状況を親御さんは叱り、さらに(成績低迷の原因はサボっているからだと考え)土日もオプション授業に参加させる。それで子どもはますます疲弊する→やる気を失う、という繰り返しが延々と続くのです。
このように縛りつければつけるほどお子さんは疲弊し、パフォーマンスが落ち成績は下がります。当たり前の話です。事実、できない生徒ほど授業数が多く休みが少ないです。また「習い事」が多いのもそういう生徒さんの特徴です。それは親御さんが「暇を作らせない、習い事で毎日を埋め尽くすことが最上の教育」「そうしている自分は教育熱心な素晴らしい親」と(勘違しているのですが)そうすることで自分を安心させたい、自己満足したいからなのです。しかし、親の気持ちが平穏になることと引き換えにお子さんが辛くなるようでしたら、それは果たして教育と言えるのでしょうか?
「時間を作る」ことが入試で勝つ最も重要なポイント、と私はそのように考えお勧めしているのですが、「暇を与えると子どもはろくなことをしない」「どうせ勉強しない」と考える親御さんが多いので、その実現はなかなか難しいのです、が、「忙しい」の「忙」は「心が亡ぶ」です。その状態で受験生としての当事者意識がお子さんに芽生える→頑張れる、かといえば、「無理」であることは誰の目にも明らかだと思うのです。
時間を作れない(作らない・作らせない)のは一言でいえば「子どもを信用していない」からです。しかし、それだとまた今回のテーマの初期に逆戻りしてしまい、堂々巡りの話になってしまいます。
では、どうすればいいか?
次回に続きます。