受験を終えて。②
2021年2月17日
続きです。
例えば「御三家」ですが、受かる子はどこの塾に通っていても受かる、一方で有名大手塾に通っていても受からない子は滑り止めすら受かりません。外部環境はあまり関係ないのではないか、というのが長年受験に携わる中で得られた感想です。
その理由は「資質」。天分が備わっているという意味の資質ももちろんありますが、この資質は「心」という意味です。この「心」が受験の合否を決定づけると思います。ですからそれが備わっていない生徒は受験での成功を勝ち取ることは難しいと思いますが、しかし、その「心」をお子さんに植え付けるのは親御さんの役目です。物心ついたときから備えるべき「心」の教育を怠ると、その蓄積が取り返しのつかない状況を生んでしまいます。毎回申し上げていますが、子どもを産んだ以上は計画的に育てなければいけない。勉強とか習い事をさせる以前に「心を育てる」に重きをおくべきだと思います。その「心」は前回申し上げた3つの「受験成功を妨げるもの」を阻止するのです。
その一つである「ハングリー精神がない」ですが、不思議なのがどうしてお金の出どころ、お金の稼ぎ方、みたいなことを親子話の中で出てこないかな、ということです。例えば父親(母親)が自分の給与明細を見せる、時間あたりの賃金を教える、子供が強請るスマホの値段を教え、その値段が時給何時間分に当たるか、そして塾代・受験料、学費なら何時間分に当たるのか、家のローンはどうなのか、という話ですね。ことあるごとにそういう話をし、「お金は天から降ってきてこの生活はいつまでも続く」と勘違いしている子に現実を見せておく、ということですね。なぜこれをやらないのでしょう。
「中学受験の意味を理解していない」という能天気な頭をガツンと覚醒させるのも上記のような「現実社会の話」です。稼がなければ生きていけない、例えば年収1000万円は何の努力も積み重ねてこなかった者が得られる額ではない、という現実。それを得るための大手企業就職には一定水準以上の大学を卒業してることが最低条件である、という現実。選択肢に高学歴→大企業だけしかないわけではありません。学歴に関係なくスポーツ界、芸能界、もしくは実業家の方で高収入を得ている人はもちろんいますが、際立った才能、商才がないのであれば失敗するリスクは高いです。そういう稀有な成功事例を横に置けば、中学受験を「受験したいな」「受かったらいいな」という希望・憧れの対象にするのでなく、平凡な人間がそれなりに満ちた人生を過ごすための必須条件の一つである、とお子さんに伝えるべきなのです。脅すのではなく、現実を教えるのです。入試は身分、家柄、容姿、貧富の差で決まるものではなく、努力した者が勝つという極めてシンプル且つ平等なシステムなのです。これもお伝えいただきたいですね。
「自分に自信がない」お子さんにしたのは間違いなく親御さんです。とにかくダメ出しが多い。「早く」「駄目」「〜しなさい」「〜しないで』と年中金切り声をあげている親御さんは子どもを萎縮させるだけです。しかも上記の4語は全て親御さんの都合によるものです。他に「人に迷惑をかけない」「嘘をつかない」なども道徳教育を施しているように見えますが「人に迷惑をかけている子の代わりに親である自分が責められるのが嫌」「嘘をつかれてショックを受ける自分が嫌」という、これまた自己都合なのです。子どもだって好き好んでそうしているわけではないのです。早くできない理由、他者に迷惑をかけることになった理由、嘘をついた理由、それぞれに事情があるのです。親御さんがその理由を親身になって冷静に聞き取ろうともせず、頭ごなしに責めるのであるならそれは子育てでなく独裁です。独裁を強いる親御さんのいうことを子が聞くはずもありません。「親への信頼度が低い』=「親のいうことを聞かない子」=「勉強しない子」というのはそういう家庭環境がそうさせているのです。
子どもを思いやれる親=受験を成功させる親、であることは間違いありません。お子さんと距離感の近いふわふわとしたお友達のような親でも悪くは無いのですが、時には現実も見せる。ただし、その見せ方があまりにもシビアだとお子さんはその話題を避けてしまいますので、そこは「演者」としての親御さんの伝え方が重要になるのです。真正面から生真面目に理詰めで説得するような親は(たとえ正論を言っていても)子どもから煙たがられます。聞いてもらえないなら何もしていないのと同じなのです。子育てをする上で必要なのは親御さんの「伝える力(プレゼン能力)」と「ユーモア精神」です。事実、受験を成功させた親御さんの話し方は筋道が明確で面白い。
最後に(これが一番大事なのですが)お子さんを最後まで信じられるかどうかです。そして開花するまで忍耐強く待てるかどうかです。子どもは親の分身です。よって子どもを信じることは自分を信じることにつながるのです。逆に言えば自分に自信がない自分を信じていないと、写鏡である子に対してもそういう目線、接し方になるのです。
その点もご理解ください。