中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

2月入試まで残り45日です。

2020年12月18日

 2月入試まで残り45日です。日々の総合復習も大事ですが、過去問の比重を高めていきましょう。過去問はまず「受験者平均」を四教科で均等に上回る、を今年の目標とし、1月半ばまでに「合格者平均超え」に到達することを次の目標としてください、その間の総復習は各目標達成のためと捉えて下さい。
 さて、以下は来期以降に受験生となるお子さんに向けたお話となりますが、勉強嫌い=成績が伸びない=志望校合格が危うい、という図式から抜け出せない方は、まずは「勉強嫌い」になった要因を考えてみたほうがいいかもしれません。
 「勉強好き」な子も一定数います。こういう子は「鼻持ちならぬガリ勉くん」なのでしょうか? また、こういう子を育てた親は「教育ママごん」なのでしょうか? 逆説的な話をすれば親が教育を強いれば強いるほど子は勉強しなくなります。「強いる」は強制ですから、(親御さんご自身がそうであったように)強制を素直に受け入れる子はいません。確かに強制されて優秀になる子もいます。しかし、叩かれながら無理やり詰め込まされた知識ですので、詰め込まれなければそれで終わり。自分から学習することはないので、伸びもそれっきりで終わってしまいます。詰め込んだ知識ゆえに定着も浅く、時間が経てば胡散霧消となります。興味がないことを強制される→詰め込まれる→面白くない→勉強はつまらない→勉強嫌い、になる過程はこのような感じです。
 また、教わっていないことは知らなくてもいい、を平気で言うのも上のような子です。例えば「さつまいもって何県の特産品?」「鹿児島県」「ところで、鹿児島県って昔何藩だった?」「知らない、うちの塾は歴史まだやってないから」 いもの前の「さつま」って何? 疑問持たない? おーい、少しは頭働かせて推測しようよ。冗談のようですが「知識詰め込みっ子」にはおこり得る話なのです(この会話は実際にありました)。ここ最近の入試の社会は「テキストに書いてあることを暗記して吐き出せばそれで済む」というつくりになっていません。論理的に思考させる問題が多いので、「覚えりゃいいんでしょ」タイプの生徒は太刀打ちできないのです。こういう詰め込みタイプでも「秀才」はいますが、悲しいかな視野が狭い。応用力・柔軟性も欠如しているので社会では使えないのです。所謂「知識馬鹿」ですね。
 一方で勉強好きな子は、これまた逆説的な言い方ですが「勉強を強制されなかった子」です。では、勉強を強制されず幼児期をどう過ごしたのかというと「ひたすら一人でぼーっと」です。 ゲームはダメですよ。あれば「ぼーっと」ではありません。
 「一人でぼーっとしている時間」が多い子ほど伸びます。時間と心にゆとりがあり感受性が高くなるからです。頭より感覚(綺麗だなあ、可愛いなあ、美味しいなあ、面白なあ)が優先される日常を過ごしているからです。例えば「カレーは美味しいな」と感じると「美味しいカレーはどうやって作るのかな?」「発祥の地に行けばさらに美味しいカレーが食べられるかも」で、香辛料の取れる場所、インド周辺地域を調べたり、「琵琶湖は南の水質はそうでもないが北は綺麗だな」とテレビか何かで知れば、塾も行かず一人で家で過ごす時間が多いので滋賀県北部の地図をぼーっと眺め、そうかと思えば、あっ、直ぐ北に若狭湾がある、リアス海岸は形が面白いな、どうしてこんな形になるんだろう?同じような場所あったら行きたいな、と、また地図帳とにらめっこしたり。その間、親は「調べなさい」「頑張りなさい」ではなく放っておく。あれこれ派生させ調べるだけで知識は増えますし、ついでに理科の知識も得られる(四教科はつながっている)ようになる、好奇心で「調べている」ので、定着も深くなるし作業そのものが楽しい。「勉強が楽しい」とはこういうことなのです。また、このようにひたすら「調べごと」をしていくことが学習の基本なのです。
 子どもが一人でぼーっとしているときは何も考えていないのではなく、何かしら感じている時間が長いということなのです。感じたことは興味に繋がります。その興味に対して、有り余った時間でとことん追求していく子が「勉強が楽しい子」→「できる子」になっていくのです。
 また、「何かしらの感動体験が学習意欲につながっている」も学習の基本なのです。
 例えば最近流行ってる某アニメの主人公の名字には「竃」という字が使われていますが、このアニメに感動した低学年の子は「竃」を書くことができます。
もし漢字ドリルで「竃」を書け、という宿題が出されても、定着できる生徒は数人しかいないと思います。こういう低学年の子は周りから「すごいね。よくこんな難しい漢字書けるね」と称賛させ、それに気を良くして漢字全般が得意になることもあるのです。

 ぼーっとする時間は無駄ではありません。そもそも人生に無駄なことはありません。何かしらを吸収し、何かしらを消化しているのです。
 思考停止になるくらい忙しくすることは子どもの害になっても益にはなりません。「忙」は「心が亡んでいる」という意味です。ですから私から言わせれば「忙しい」=「世間から必要とされている、俺かっこいい」「充実した人生歩んでいる、私素晴らしい」という価値観は、人生そのものを台無しにしかねない危険な考えだと思うのです。今回のコロナ禍は不幸ではありますが、いろいろなことを気づかせてくれました。これを機に、諸々信じてきたものの価値を再度検証、見直してみてもいいかもしれません。
 親御さんがそれを分かっているか否かで、お子さんがどうなっていくのかが決まっていくのではないでしょうか?

 
 

 
 

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