中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

育て方が下手だと間違いなく子は勉強ぎらいになる。②

2020年10月14日

※ 第4回四谷大塚合判テスト国語で当塾お任せ生のほとんどが100点以上の点数(150点満点で)を確保しました。今回は問題が簡単でしたので、高得点が続出したようですが、国語は「正しい解き方」さえマスターすれば笑ってしまうくらいスムーズに成績が上がります。その仕組みに生徒さんが気づくか、または講師が気づかせられるか。生徒さんが素直で真面目か、そして講師に力量はあるのか。その両輪がともに動いて初めて望む結果は得られるのです。

 前回の続きです。以前から申し上げていますが「叱らない親、勉強を強要しない親」は結果的に子の成績を伸ばします。ひいては志望校合格を勝ち取らせます。私自身も勉強のことで子を叱った記憶はありません。年1回あったかどうか、という程度です。また、生活面でも叱ることはありませんでした。例えば「寝る時間起きる時間」「手伝いするしない」「交友関係」など。そういうことに強要や制限はかけませんでしたね。特に「好きだけ寝る」は本人が至福の時間を過ごしているわけですから、それを妨げる権利は親にはない。「手伝い」などは将来家庭を持てば否応無く身につくものです。基本的に「好きにさせてきた」ということです。その結果、親子喧嘩はなく、その関係は現在進行形で極めて平和です。「子ども及び家庭のために良かれと思って施してきた矯正」が原因で親がヘトヘトになったり、そんな親を子が鬱陶しく思いイライラしたりで関係がギクシャクしてしまった「本末転倒な親子」を横目に、当方はのほのんと穏やかな日々を過ごしてきました。。なぜ、そうなるのか?
 (日本人は特にそうなのかもしれませんが)「苦労のあとに幸せが待っている」というシナリオが大好きです。ドラマで言えば散々悲惨な目にあってきた主人公が後々幸福を勝ち取る、というパターンですね。ですが、苦労したら必ず幸福になれるのですか? 苦労の途中で死んでしまったらどうしますか? を考えた時「予め幸福を先取りしておく」という発想も大事なのかと思います。リアルな人生はドラマのように都合よく進みません。「苦労したから次は幸せが」(サイコロで1が連続したから次は6だ)には何の根拠もないのです。
 「過去の後悔と未来の不安で現在を満たす」ではリアルタイムを生きていないことになります。このリズムが生涯続くと「何が幸福だったか知らずじまいで終わる人生」→「私の人生ってなんだったの?」となります。ですから幸福は体験できるうちに体験しておいたほうがいいのです。
 しかし、「幸福を先取りすると待っているのは悲惨な末路」や「アリとキリギリスの寓話を学べ」を頭から信じ込んでいる人は、簡単に生き方を変えられないかもしれません。ですが、こう考えてみてはいかがでしょう?
 それは「結局人生の最終回はハッピーエンドになる」という発想です。
 人間は生まれてきたこと自体が奇跡で、その奇跡を生んだ運命そのものが幸福なのです。ですから私は「人間は幸福のまま終わる」ことが生まれし全員にプログロミングされていると思うのです。神様も「前世で徳を積んだご褒美に素晴らしい人生を体験させよう」という意図で一人一人にそれを与えたのだと思います。「人生=神からのプレゼント」なら、それを素直に享受することが神への感謝・恩返しになるのです。
 「とは言っても、私の半生は苦労の連続だった」と言う方もいるでしょう。しかし過去は変えられませんが「過去の解釈」をプラスにすれば、なるほどその体験は幸福に繋がっているのだ、と後々気づきます。例えば徳川家康は天下を取りますが、それを誰が予測できたでしょう?弱小大名→人質生活→同盟という名の下での信長の家来→不本意ながらも妻と子を殺害→不本意ながらも秀吉の家来→既に老齢期、など、その過程は天下取りを目指すどころではなく、むしろ悲惨です。おそらくほとんどの人は自分の運命を呪うでしょう。中には絶望のあまり自死する人もいるかもしれません。しかし前述のどれか一つでも欠けていたら家康は成功への道は築けなかったのです。全ては天下取りに欠かせない出来事・材料・道筋だった。要は「悲劇的な過去とは、そういう仮面を被りながら近づいてくる夢の実現への養分だった」に気づけるかどうかで人生は「最終的に幸福になるかどうか」が決まっていくのです。
 不幸なまま終わる人はとにかく焦り、苦しみ、世を恨み、悪足掻きします。人生は幸福のままで終わるシナリオなのに、その神の意図を信じずに抗って(非力なのに)自分で何とかしようとし過ぎて、結果的に幸福からますます離れた人生に向かって行くのです。神様からしたら「せっかく用意周到にいろいろ準備してやったのに、なーにやってるんだ」ということなのでしょう。
 私は何年か前にこの「法則」に気づきました。「思考は現実化する」の実施もそれに沿ったものです。そして私の思考したことはほぼ現実となりました。
 親の力で何とかしよう、と焦れば焦るほど、子を叱れば叱るほど、ますます理想から遠ざかっていくのは、この「法則」を無視するからです。
 まずは「どちらにせよ、うちに子は幸福に包まれた人生を歩んで行くことになるんだ」を信じてください。
 不本意なことが起きても「これで幸福に一歩近づける」「神様も面白い変化球を投げるな」くらいにむしろ楽しんでください。
 しかし、目の前のことには全力を尽くしてください。プラス思考=怠けてよい、ではないのです。神は抗う人間を嫌いますが、努力する者には手を差し伸べます。
 そして日々親子の楽しみを重ねること、自分自身を楽しませることが、神の意図した道であることを信じてください。

 次回は新テーマです。
 
 
 
 

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