中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。⑥
2020年9月08日
※ 既に何件かの来期ご予約のお問い合わせをいただいており、その大半の方が今年のスポット授業を希望されています。ありがたく、しかし心苦しいのですが、ここ数年永田の休みはほとんどなく、毎年念仏のように唱えている「今年こそは働き方改革を」の実現が本当に遠い状況です。「お引き受けした以上は必ず責任を果たしたい」が当塾のモットーでそれは変わらないのですが、そのモットーの継続と同時にそろそろ本気で「体に無理のない仕事の仕方」を構築しなければ、と考えております。退塾者がほとんど出ない塾ですので空きは滅多に出ません。たまにスポットで時間が空くことがあっても、その大半がレギュラー生の補習で埋まってしまい、外部の方が入りづらい環境下にあります。などの諸事情があり、外部の方は大変申し訳ございませんが、来期までお待ちいただければ幸いです。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
さて、この章の最終話です。
中学受験に限らず成功する人ってどんな人? やはり頭の良い人?それだけでなく運も良い人? その通りなのですが、成功者は野心家であること、これが成功するための大前提であり最も大事な要素だと考えます。逆に野心のない人は(頭や運の良さで)そこそこの成功(例えば年収1000万とか)は収められても、人生を満喫できるほどの大成功は収められません。「突き抜けた成功」を目指すのであれば、野心は不可欠ですね。
野心という言葉には何かギラギラした下克上的な雰囲気を醸し出すところがあり、そういう負の印象のためか、このような空気をタブー視する「平和第一主義のご家庭」も多くあります。曰く「ハイリターンであってもハイリスクなことは避けなさい」「安定した生き方を目指しなさい」「大それたことを考えるのではなく、そこそこの幸せを掴みなさい」「人を踏み躙ってまでして上に立とうとするな」「他者のことを第一に考え自分は二の次、常に謙虚でありなさい」を、お子さんに求めたり教育したりするのです。「小さく謙虚に生きていれば杭は出ることなく打たれる心配はない、これが無事に生きるための処世術」ということなのでしょうか?
さて、上記の「謙虚」ですが、これは卑下そのものであり、自分を下に置いて他者を上に置くことで、相手の警戒心を解き、人間関係を平穏に保とうとする日本人独特のコミュニケーション手段ですので、保身であっても美徳ではないのです。しかしそれに洗脳され(たとえ形だけそう振る舞っていたとしても)自分を下に置くという行為を無自覚無警戒に習慣化すると、それはその人の潜在意識に多大な悪影響を与えます。「私なんで大したことはない」とか「うちの子は何をやってもダメで」とか、この世で一番大事な自分と我が子にマイナス思考を刷り込むことを繰り返したとします。その結果はどうなるのでしょう? 前回「思考は現実化する」というお話をしましたが、心に思ったこと、言葉に出したことはそのまま実現されることになるのです。「私なんぞ凡人です」「うちの子はバカなんで〜」と言うのが口癖なら、「この人は大したことができない平凡な自分になることを望んでいるのだな」ということでその通りの人になり、「この親は子がバカである状況が好きなんだな」ということで本当にそんな子になってしまうのです。後で「それは謙遜のつもりだった」と言い訳しても、言霊はそんなことは忖度しません。思ったこと・口に出したことを「これがその人の望んでいることなんだ、だったらその通りにしてあげよう」という「親切心」でそうしてしまうのです。悪意はないのです。怖いですねー(笑)。
野心、つまり「自分が一番だ」「うちの子は素晴らしい」でないと、結果的に自分を大事にできない子ども、子どもを大切にできない親になってしまうのです。長年の洗脳から、自分を大事にできない子→自分の将来を明るく捉えられない子は、目の前のことが楽しければそれでいい、将来のこと?知らん、という刹那的な人生を歩むことになります。生産性ゼロのゲームで1日無為に過ごす、なんていう子はその典型ですね。ですから受験や勉強を「将来の自分の幸せ・自己実現のための手段」とは考えられないのです。自分のためだと思っていませんので、「親が受験しろと言うから』「親に叱られるから」とかそんなショボい理由でしか勉強しないのです。これではたとえ多くの時間を学習・通塾に費やしたとしても、「自分の野心実現のための勉強」という意識がないから、伸びに限界があるのは当たり前なのです。長年塾に通っているのに伸びない子は自分をダメ人間だと思っているか、親が我が子をダメと思っているか、もしくはその両方、ということになります。
「親力」「家庭力」とはそういうことなのです。ただただ子どもに勉強させる習い事をさせるだけがそうではないのです。「僕が一番すごいんだ、だから将来も大成功する運命にある」という野心を日頃よりお子さんに刷り込み、「将来大成功するであろう自分のために中学受験を成功させる。これが栄光への道の一歩だ」という信念に至らせるような接し方を日々重ねる、のが本当の「親力」「家庭力」なのです。そして受かることにより「ほら、やっぱり自分はすごいんだ」を実証させる。これが「勝ちぐせ人生」の契機となります。できないお子さんをお持ちの親御さんは、自分から勉強する子の存在を不思議がり、また羨ましく思ったりするのでしょうが、こういう子どもを育てているご家庭はそのような接し方を日々習慣的に行っているのです。「自分の子を手放しに褒めたりするのは恥ずかしい」などと考えているうちは成功とはほど遠いところを歩くことになります。毎年色々なご家庭に接しますが、中学受験成功者は間違いなく野心家で、そういう野心家を育てているご家庭は一定数存在し、そこはやはり「親力」「家庭力」が優れているのです。このような家庭は非常に計画的で緻密な子育てをします。子は敗者を養分にして育ち、そして自力で実らせた果実(成功)を総取りします。怖い話ですが、世の中というのはそういうものです。そして成功者が築く家庭は次の成功者を生み出し易い、も「あるある」で、ある種の「勝ち遺伝」みたいなものが脈々と受け継がれていきます。それを可能にするくらい「できる親」というのは子ども以上に様々なことを学びます。その学習量は半端ではない。本当にいろいろなことを吸収し、有効と思えることを貪欲に実行しています。それが子にも子孫にも好影響を与えているのでしょうね。この影響力が=「家庭力」です。ですから、偉そうに子に指示する親自身の学ぶ意欲が我が子以下なら「親力」「家庭力」という点では話にならん=成功する家系にならない、のです。
繰り返しますが、謙遜は美しいものでも何でもなく、他者の目を気にする自己保身のための卑しい手段だとお考えください。そして卑下したことはその通りになっていくというというリスクも覚えてください。親が保身のために我が子を利用し卑下すると「お望み通り」子どもは地面を這うような人生を歩むことになります。
自分を幸せにする、が第一です。子どもを幸せにする、が親の務めです。子を幸せにするために親が第一支援者になり自信を持たせる、これが「親力」であり、その密度が「家庭力」です。親からの影響で自分に自信を持てた子が、今度は自分の意志で受験を成功させ、自分の自信を確信へと実証し、その揺るぎない確信の下で、おそらく自分以下であろう他者の戯言・影響を受けない高みの環境下で、誰にも邪魔されず自分らしい生き方を構築し、思う存分幸せを勝ち取っていく。このように「親力」「家庭力」は「お子さんの自分力・人間力」へと繋がっていきます。
次回は新テーマとなります。