中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

ホーム > 最新情報&代表ブログ
国語対策法を伝授

中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。④

2020年8月25日

 ※ 今年はすでに満席です。来期のご予約受付は承ります。 

  続きです。
 「自分に忠実に素直に生きるため」。中学受験を成功させる目的は文頭の、前回申し上げた言葉の通りだと考えています。
  「自分に忠実に素直に生きる」しかしこれは「理想だと思うが、現実は難しい」というのが一般認識ではないでしょうか? 事実、書店の自己啓発コーナーには「他人の目を気にしないで生きる」「自分は自分らしくていい」という類の本が数多く陳列されています。これはつまり自分らしく生きるのは難しいから本を参考にしたい、と考える人が多いことの表れなのでしょう。ですが、そういう本を何冊も読んで見たところで自分自身が変われた、という人は少ないのではないか思います。
 不思議な話です。合法的に行動する、という条件付きで、一度しかない人生を思うがまま生きるのは生まれ出でた者の権利であり、これは基本的人権として憲法でも保障されているはずなのに「自分らしく生きる」という当たり前のことが実現できないのです。もしそれを阻むものがあるとすればそれは「生きるというのはどういうことなのか?」を自分自身で真剣に考える意識の希薄さ、つまり「自分の生き方を他人に決めてもらう生き方をしている」ことが原因ではないかと思います。今はコロナの時期でありますが、今年はそれがきっかけで日本人特有の思考・生き方が露呈されたように思います。戦後75年経つのに戦時中の日本人の意識と何ら変わっていないこともわかりました。「テレビ・新聞で偉い人がこう言っている」から、そうしたり、日頃政治に無関心で投票率も低いのにこんな時だけ「お上がきちんと指示してくれないからどう動いていいか分からない」と政治に頼ったり不満を漏らしたり、逆に「お上がいうなら間違いない、従わない者は非国民だ」みたいに盲目的に信じたり、こういう人たちは身近では「会社が」とか「学校が」とか「先生が」とか「親が」とか「世間様が」とか、とにかく自分とは別の他者に依存し、「同調圧力」の中に自分を埋没させることにむしろ安心感を得、その中で生きようとする傾向にあります。ある学者が「世界中で自ら進んで社会主義者になりたがるのは日本人だけだ」と言っていましたが、わかるような気がします。
 このように同調圧力をむしろ歓迎し、他者からの承認を求めたがる要因は何か?と考えてみると、日本人は「孤立に弱い」「喧嘩(暴力という意味ではない)慣れしていない」からではないかと思います。
 「孤立に弱い」これは学校教育が主な原因だと思いますが、同じ地域から集められた見ず知らずの子供たちが一つの教室に集い、そこで早速「さあ、お友だちをいっぱい作りましょう」(そもそも友達って何なんでしょう?) 「ひとりぼっちの子がいたら声かけしてね」など「友だちが多いことが人として素晴らしく、一人でいる子は可哀想な子」がクラス内で浸透し、無理してでもどこかのグループに所属しておかないと可哀想な子になる、という強迫観念が年少時から同調圧力の基礎を育み、それが孤独を極端に恐れる子にするのです。(学校は勉強だけ教え、他は各自に任せるではダメなんでしょうかね?)
 また「喧嘩慣れしていない」も、友だち同士の争いごとを(クラス内のゴタゴタを避けたい先生による喧嘩両成敗ということで)無理矢理仲直りさせられたり、「お友だちと喧嘩するのは良くありません」(喧嘩され面倒に巻き込まれると担任の私が困る)と忠告されたり、そうこうする中で「喧嘩は思慮の足りない者のする野蛮な行為」「たとえ理不尽なことされてもニコニコ笑ってやり過ごすのが正しいことであり大人の振る舞いなのだ」が浸透した結果、喧嘩慣れしない子=争いが怖くて避けたい子=他者からの承認を受けた範囲で行動し、余計な揉め事を起こしたくない対立を避けたい大人、になるのです。意見の相違からくる議論さえ「喧嘩」=「大人気ない」=「やってはいけない』と考えてしまうのです。逆に喧嘩慣れしていませんから議論中にエキサイトし過ぎ、完膚無きまでに相手を打ち負かそうとしてしまうのも日本人特有のことです。押したり引いたり、折衷案を出したりするという交渉能力にも慣れていないのです。すぐに白か黒かの結論を出したがる。このように極端になりやすいのです。
 日本人は表では礼儀正しく穏やか、ですが、それは他者の目を気にするから、トラブルを避けたいからそうしているのであり、一方裏では、例えば匿名性の高いネット上では同じ人間の所業とは思えないほどの罵詈雑言を呟くこともあり得るのです。日本人は民度が高い、と言った政治家もいますが過大評価ですね。民度が高いのではなく、他者の目を異常に気にするから結果的に行動・主張が抑制されているだけであって、それを「規律正しい国民」「感情的にならない冷静な国民」と評するのは違うかな、と思います。
 このような日本だからこそ「個々の生き方はつまらなくなるが、その分、社会が平和に営まれている」のだと思います。それは否定しません。
 痛し痒しですね。ですが、各自が素直な生き方をする中で、同時に社会秩序・平和が保たれる道もあるなら、そちらを探ることもアリかもしれません。

 話を戻しますが、「自分に忠実に素直に生きる」は同調圧力・承認要求と距離をおかなくては実現できません。そのためにはお子さんを「孤独に強い人間」に育てることが大事です。
 育て方は大事です。しかも幸福にするための育て方です。なぜなら子どもは自分の意志で生まれたのはなく、「産まされた」という背景があるからです。なので、産んだ以上は子どもを幸せにするのは親の責任であり、子どもは堂々とそれを享受すれば良く、親に対しての遠慮・気遣い・恩返し・孝行は不要なのです(したい人はすればいい)。逆に子に遠慮させたり気遣いさせたりする親は自分が未熟だと思わなければいけません。子どもに「せっかく育ててやっているのに、その恩を忘れて・・」が口癖になっている親(こういうのを毒親と言います)も問題です。「子育てする親は偉い」「イクメンパパはすごい」ではありません。きちんと育てないと「保護責任者遺棄罪」に抵触することもありますので、「子育てはそもそも親の義務」=「当たり前のこと』なのです。また、お子さんを幸福から遠ざける「体罰」「暴言」なども論外。それを忘れてはいけません。

 「親力」「家庭力」とは「我が子を幸福にする能力」です。中学受験成功もその一環です。
  次回は「孤独に強い子」=「「自分に忠実に素直に生きる子」と「中学受験の成功」との結びつきについて述べさせていただきます。
 

 
 

記事情報
全て表示
カテゴリー: アーカイブ:
検索
検索:

RSS
第一志望として考えたい厳選主要中学校30案内東京23区
豊洲事務所外観
トップページ 当社の理念 無料体験授業 入会手続き及び
入会金・指導料金
指導スケジュール 人材募集