中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

中受の合否は「親力」「家庭力」で決まると心底実感します。③

2020年8月14日

 続きです。
 中学受験を将来への投資として始め、元本(時間・金銭・労力)をそこに注ぎ、最終的に元本回収、そしてそれ以上の成果を上げることを目的とした場合、仮に中学受験・大学受験に成功しても、回収できるだけの給与を得られる職に就けなければ意味がありません。また、安定した人生を過ごせなければ中学受験で頑張った甲斐がありません、と、考えるのが中学受験への「一般的な何となくのイメージ」です。しかし、そうであるなら生きることは本当に大変。気の休まる間も無く、あくせくしたままで人生終わってしまうかもしれません。それを思うと現在という貴重な時間を未来の不安の解消、過去の後悔の挽回に費やしてしまって本当にいいのか、という疑問が湧くのです。真面目に人生設計を立て、忠実にそれを実行することは素晴らしいのですが、それで雁字搦めになってしまっては「世間体の良いきちんとした人生」は過ごせても「心から楽しめる人生」は過ごせなくなってしまう、それでいいのかと思ってしまうのです。
 私は我が子の受験の際には「安定した人生を過ごすため」という話をしたことがありません。なぜなら私個人が「安定」「無難」「分相応」という言葉に魅力を感じず、一度きりの人生なら「チャレンジ精神」で臨まないとつまらない、と考える立場にあるからです。一種のギャンブラーみたいな生き方を目指す自身が、子に安定を勧めるのは変な話ですからそうしないのですが、「あえてリスクを取る」という選択を優先することが、飛躍的な伸びをもたらすことをここ数年で気づいていますし、逆に安易な安定志向は最終的には先細り・尻すぼみをもたらす=安定が不安定を呼び込む、こともこの何年かの体験で確信しています。「世間様から後ろ指を指されない」「他人に迷惑をかけない」「真面目に生きる」は崇高な理念ですが、これで自分を抑制し過ぎてしまい「自分らしい生き方ができなかった」では、他者評価は確かに「人畜無害の人」「無難で良い人」であっても、結局「せっかくいただいた生を活かせず、自分自身に忠実でなかった人」で終わってしまいます。「自身に忠実でない生き方は、生を授けてくれた神への冒涜」=「良かれと思って選んだ生き方が実は罪深いものであった」とさえ思ってしまうのです。
 私は中学受験をする目的は「自分に素直に忠実に生きる」その実現のためだと思っています。ですが、このことを親御さん・先生・その他大人たちが子どもたちに積極的に話しているのをあまり見たことがありません。

 しかし、本当にそうなのです。
 この話は次回は詳しく説明させていただきます。
 
 

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