「物事の根本原理の理解」 成功の源は全てここにある。
2019年6月26日
続きです。
前回も少し触れましたが、本日は「公式」のお話をします。「公式を当てはめてチャチャッと解くのが算数という科目」と、「算数のできない生徒」に限ってそういう勘違いをしがちです。ドラえもんのポケットに頼るのび太の如く「公式さえ覚えていれば大丈夫」とばかりに。しかし裏を返せば「公式を忘れてしまったら、もう算数の問題は解けない」と早々に匙を投げてしまうのです。しかしそういう生徒さんは、そもそも公式の成り立ちを理解しているのでしょうか?そこを追求したことがあるのでしょうか?何の疑問も抱かず思考停止のまま「覚えろと言われたから覚える」で真の思考力が鍛えられるのでしょうか?
例えば「円の面積は半径✖️半径✖️円周率」「円周は直径✖️円周率」で求められるのですが、どうしてこれで円の面積や円周が求められるのか?「半径✖️半径✖️円周率」と「直径✖️円周率」は一見似ているのに、どうして答えがそれぞれ面積になったり円周になったりするのか?そのあたりの疑問をですね、追求しようと試みるのか、それともスルーしてしまうかが、「算数の根本原理の理解」ができるか否か、ひいては算数の成績が伸びるか否かを決定づける要因になってしまうことを、もう少し真剣に考えてみてもいいのかな?と思うのです。
また、社会にも「公式」があります。例えば「法律案の再可決には衆議院議員の出席人数✖️3分の2以上の賛同が必要」というものがあります。生徒さんは前回の「カンノワノナノコクオウ」のようにひたすらその暗記に努め覚えたとしても「衆議院の定数は( )人です。定足数は( )人ですので、法律案の再可決には最低( )人の賛同が必要になります」みたいな「変化球問題」になると途端に固まってしまいます(笑)。自分が覚えた公式を活用できない。こういう事態に陥る生徒さんは本当に多いです。つまり「自分が覚えた公式は一体何なのか?」その理解を算数でも社会でもできていない生徒が多いのです。だから活用できないし使えない。これでは「柔軟に頭を使うことが求められる中学受験」では太刀打ちできません。
「公式を使ってチャラッと解く」「暗記したことを吐き出す」これで済むような問題を、そもそも優秀な生徒を集めたい中学側が作成するわけがない、という想像力をお持ちください。
中学受験云々に限らず、自分で頭を使おうとしない人は不本意な人生を歩むことになります。考えることを億劫がり、自分の人生を他人任せにしてしまうことが多いからです。自分の無知につけ込む他人の言動やメディアの情報を信じ切って、いいように操られてしまうからなのです。例えば今話題の年金問題にしても、(誰もそんなことは言っていないのに)「年金さえあれば100年安心して暮らせるはずではないのか?政治家は嘘をついているのか❗️」と批判をしている人は、年金の仕組みについてきちんと勉強していないからそのような的外れな発言をしてしまうのです。年金はあくまでセーフティネットの一部としての役割でしかありません。自分で考えられる人は「老後資金はキャッシュとフォローのバランス次第」を意識しつつ、まず自分への年金支給額を明らかにします。そして老後に不安を覚えるなら、貯蓄したり(株式・投信・不動産など)に投資しキャピタルゲインを得たり、自分なりのポートフォリオを計画的に作成していくのです。しかしその程度のことは(諸々の仕組みがわかっている人は)とっくの昔からやっているのです。浪費を控え、貯蓄率を高めようとする日本人の国民性はどこからくるのか?それはこういう国だから、、、だということをよくよくお考えください。人生にも「公式」はあります。ですが、それを鵜呑みにせず「考える・疑う・検証する」と、自分なりに消化していかないと「こんなはずではなかった」ということが起こり得るのです。
「自分で考え自分で工夫し自分で理解し自分でそれを活用する」そして「自分の人生を優位に展開していく」。これが本当に頭のいい人の生き方なのです。東大を出ているから「頭がいい」ではないのです。生き方の上手い人を「頭がいい」というのです。
合格を目指すための中学受験の準備は「賢い生き方を構築するための下地作り」をも兼ねている、そのようにご理解ください。
次回に続きます。