入試総括③ 中学入試で受かるのは奇跡だと思ったほうがいいです。
2019年2月27日
続きです。
今回で総括は終わります。そして、新学期に向け前進してまいります。
皆さん何年もかけて塾通いをし、夏休み冬休みも講習に明け暮れ、親御さんには叱咤され、遊ぶ時間も惜しんで(一部のやる気のない生徒を除き)自分なりにできることを全て行ったうえで入試本番を迎えたことと思います。なのに、同じように努力したつもりで志望校合格に臨みながらも、ある生徒は望み通り第一志望校に受かった、ある生徒は受かるには受かったがそこは第一志望校ではなかった、ある生徒は全落ちした、など思い通りの受験ができた生徒さんがいれば、そうでなかった生徒さんもいたわけです。毎年のことですが全員が全員希望通りになることはないのです。受かった生徒は間違いなく人一倍の努力をしてきた、また運もあった、だけど努力した生徒が必ず受かるということはない、これが中学入試の現実です。中学受験は「頑張った生徒と努力した生徒の間」でのレベルの高い競争です。また、皆が憧れる学校は人気が高い、そこに受験生が集結するから受験倍率も相当高く、10倍を超えることもある狭き門なのです。その過酷な状況、ほとんどの生徒が落ちるという状況の中で「受かる」こと自体が奇跡でありすごいことなのです。志望校かそうでないかに関わらず、受かれば受かった自分を大いに褒めてあげ、親御さんはお子さんの健闘を称えるべきなのです。
今回は落ちた生徒さんの話に絞ります。
落ちたとわかった瞬間「あれだけ努力をしたのに」「あれだけ遊ぶのを我慢したのに」と、走馬灯のように思い出し、それら全てが無駄だった、と気持ちが落ち込むのはよく分かります。「失った時間を返せ」みたいな気持ちにもなるでしょう。親御さんも親御さんで「あれだけ子どもに寄り添ってきたのに」「家族みんなでバックアップしたのに」「不本意ながらも子どもをあれだけ叱ってきたのに」「塾の費用も相当払ってきたのに」それらが全て無駄だった、という気持ちになるでしょう。お子さん同様「失った時間を返せ」と感じることでしょう。そして、両者ともに「受験なんかしなければ、させなければよかった」とか「塾に費用をかけるくらいだったら海外旅行でもしておけば良かった」とか、もし「過去に戻れるならば」みたいなことをずっと考え、ふさぎこんだ気持ちからなかなか脱却できない、ということになろうかと思います。
しかし、中学受験をしなかった場合の「別時間」「別人生」は本当に良かったのでしょうか?
「遊ぶ時間を失った」と言っても、現代の小学生にとっては「テレビ」「ゲーム」「漫画」「チャット」「スマホいじり」「ぼーっとする」が「日常の遊び」であり、それら非生産的なことに費やす時間がそれほど有意義なものなのか、という疑問があります、また、「お金を海外旅行に使う」にしても、本当にそうしていたでしょうか?それはそれで惜しんでいたはずです。人は失ったお金や物について後悔し「失った〜があれば・・・していたはずなのに」と理想を考えてしまいますが、実際は「〜があっても・・・する」ことはあまりないのです。だからその費用を「惜しみなく遊興費に充てていた」かどうかは疑問です。(そもそも私は猫も杓子も中学受験、という風潮に疑問を感じています。お子さんへの教育費のかけ方を見れば親御さんの子育ての熱意・度量がわかるものですが、その教育費を惜しむほど経済的余裕のないご家庭は中学受験をしない方がいいと思っています。塾の費用のみならず、受かった後も中高一貫6年間の私立の教育費は思いの外かかる、そこまで想定・覚悟の上での受験でなくてはいけないからです。「失っても構わない費用」「落ちても経済的に痛くない金額」の範囲内で、気持ちに余裕を持って行うのが中学受験だと考えています)
つまり「受験という道」を選ばなかった「別時間」「別人生」は思ったほど美しくもなく幸福でもない、それどころか「何も進歩しないままダラダラぼーっと過ごす日々」がお子さんにとって本当に幸せだったのかという疑問が残ります。それはそれで見かねた親御さんが「中学受験をさせておけば良かった」になるのです。
(負け惜しみではなく)たとえ受験が不本意であったとしても、そこには「頑張ることを体験できた」「幅広い知識を蓄えられた」「努力しても落ちることはあるのだという現実を知った」「家族が一丸になれた」「公立に進んでも学年の上位生でいられる状況ができている」「そもそも公立はお金がかからない」などメリットも多いのです。そういう客観的事実があれば、まるで落ち込む必要はないのです。現に地方の小学生にとって公立中学に進学するのは(私もそうでしたが)むしろ当たり前のことです。ガラパゴス化した東京の狭い価値観の中から抜け出せない方がむしろおかしいのです。
それから、お子さんの学歴は「親御さんのアクセサリー」ではない、偏差値の高低は「ブランド品のランク順」ではないことも付け加えておきます。当事者であるお子さんが受験失敗のショックから立ち直っているのに、いつまでも落ち込んでいる親御さんがいるなら、それはあたかも「ブランド品が手に入らず、皆に自慢できなくなったショック」のようなレベルでの「自分の立ち位置だけが気になる親御さん」ということになります。お子さんにはお子さんの人生、親御さんには親御さんの人生があります。突き放せ、とまでは言いませんが、それぞれの人生は違いますので、あまり過干渉になりすぎると「子どもの幸福は私の幸福」「子どもの不幸は私の不幸」みたいな「勘違い人生」になりかねません。「悪い意味での一蓮托生感」を持たず、付かず離れずの距離を保つことをお勧めします。お子さんはお子さんの人生を自分で考えていける。そこを信じてあげてください。受験期間を通して一番得たことは「自分で思考する力が身についた」ということを後々知ることになると思います。前回と同じことを繰り返しますが「受かって良し、受からなくてもまた良し」なのが中学受験です。周りの評価などどうでもよい。一度っきりの自分の人生ですから他者からの承認など本来不要なのです。成功不成功は自らが決めればいいのです。成功不成功を決めるのは当事者であるその人の心なのです。
次回に続きます。