「勝つ」という気迫が希薄?
2018年12月04日
2月入試まで残り60日を切りました。既に帰国枠の生徒さんの中から合格の喜びの声をいただいていますので、どうしても迫りくる次の1月受験、その先の2月受験に意識を向けざるを得ません。今は生徒さんにとっても親御さんにとっても、そして講師にとっても最もしんどい時期ですね。しかし、未来を不安がっていても仕方ありません。不安は自信によって緩和されるものです。その自信をつけるべく日々の研鑽が重要になるのです。ですから日々無駄なく過ごして行きましょう。
合格のためには努力が欠かせません。しかし、努力したからといって必ずしも合格するとは限りません。しかし一方で、受かるのは努力してきた生徒であることも間違いありません。人の持ち時間は皆平等です。その平等であり限られた時間の中で同じように努力してきたはずなのに入試の結果で明暗が分れるのはなぜなのでしょう?
まずは「努力の質」、ここに言及せざるを得ません。毎日通塾だけはする、四六時中机にだけは向かう、ことを「努力」と思っているなら、それは「独善的な頑張り」に過ぎず、傍目からも何ら評価できる努力とは見なされません。こういう生徒さんは(本当は努力ではないのですが)頑張っている風な自分を自分で評価したいだけなのです。努力を「自分の自己満足の対象」にしてしまっている。失敗する子は皆このような考え方をします。また、それを見ている親御さんもそれで良しとしてしまう。その勘違いのベクトルが合格をますます遠ざけてしまうのです。学校でも「努力は尊い」「結果よリも過程が大事」と教えますが、物事の本質から外れた教育が子どもを勘違いさせるのです。物事の本質を直視しない人は成功しません。「勝つことが尊い」「負けたらおしまい」が真実。物事の本質なのです。そこから目を背けてはいけない。努力は「勝つため負けないための過程・手段に過ぎず目的ではない」を徹底的に教えるべきなのです。
「努力自体を目的にしてしまっている子は落ちる」ということなのです。本当は努力なしで合格するのが一番いいのです。(私もそうですが)合理的思考を重んじる人は努力とか頑張りとか、そのような過程は本当に「時間の無駄」だと考えています。できるだけそのような時間を短縮させ、その時間をもっと実利が得られることに使いたいと考える傾向にあります。そして手っ取り早く果実を手にすることを最重視します。
ですが、中学入試では努力なしでの成功は考えられません。四教科概ね入試の範囲は決まっていますが、最低でもその習得に1〜2年の時間をかけざるを得ない現実があるからです。ですから「努力するのは時間の無駄だ」と言い切るつもりはありません。
合格の為、その努力を重ねることは必要不可欠ですが、だからと言って(本来避けられるものなら避けたい時間の無駄使いである努力)を目的化することは
本当にお止めいただきたいと思います。再度申し上げますが努力は目的ではなく、あくまで合格の為の手段なのです。その目的と手段の見分けがつかない、ごちゃ混ぜにしていることが「頑張っているのに落ちる」という不思議な現象を引き起こすのです。
それはどういうことなのか?
そのお話は次回とさせていただきます。