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国語対策法を伝授

なぜ本気になれないのか?③

2018年11月01日

 ※ 本日は11月1日、入試まで残り三か月です。風邪が流行るこの季節ですが、体調に気を配りつつ最後の追い込みに励んでください。

 前回の続きですが、塾は「やる気のない子をやる気にさせる道場」ではありません。「やる気はあります、自主的に頑張る気力も十分あります、だけど、合格するために何をどうすればいいのかよくわからないので、経験豊富な第三者にそのあたりの指導を仰ぎたいのです」というのが塾通いの目的でなければおかしいのです。ですので、そもそもやる気のない子は無理して受験しなくてもいいのです。何も突き放すつもりでそう言うのではないですよ。受験に価値を見出せないのであればやる必要はない、という話なのです。当方も「水を飲む気のない馬に無理やり水を飲ませること」に意味があるとは考えていません。そういうのは「虐待」と言うのではないでしょうか?
 遊びたい盛りの子が、将来のことを考え自分から学習する、というのは、余程達観した子でない限りあり得ない発想です。受験動機は要は「親の刷り込み」なのです。親御さんが受験させたい、それをあたかも「子どもが望んでいるのだ」に、すり替えてしまう。当の子どもも親の巧みな誘導で「僕は受験したいんだよね?」→「なんだかわからないけど、僕は受験したい人なんだ」→「そうだ、僕は受験を望んでいるんだ」になってしまうのです。生徒に「何のために受験するの?」と聞くと、判で押したように「自分のため」と答えます。いや、だけど本当に「自分のため」だと思っているなら、もっと自分から学習するよね?と改めて聞くと黙ってしまいます。当たり前です。本当は「自分のため」だなんて思っていないからです。この言葉は「自分のためだと思いなさい」と繰り返す親に、実は何の共感もなく、当事者意識もなく、腑に落ちることもなく、ただ「とりあえず親に忖度し、自分のために、ということにしておこう」という子どのも常套句に過ぎないのです。
 子どもは自分が心底納得しない学習を自主的に行うことはありません。人間は正直です。価値が見い出せないものに対しては本気になれないのです。
毎日のように塾に通っているのに成績が伸びない、家庭学習を促しても自分から動かない子は、はっきり言えば「受験の意味がわかっていない」からそうなるのです。頭の良し悪しが理由ではありません。学習する意味が分かっていないので動かないだけなのです。「自分の望みなのに、あたかも受験は子どもの望みであるかのようにすり替える親」「本当は受験の価値がわかっていないのに、物分かりの良いふりをして親に忖度する一方で、自分を押し殺し仕方なく学習する子」、この双方の「悪意のない騙し合い」の継続が何の生産性のない、百害あって一利無しの受験期間・日常生活にしてしまうのです。
 ここは双方本音で臨むべきなのです。毎度申し上げていますが、「受験は親のためにする」が正解なのです。回り回って最終的には「子ども本人のため」になりますが、それは後々気づくことで当面の動機は「親のため」が正解なのです。

 世の中の動機は全て不安から発生します。早起きするのは遅刻してクビにならないため、歯を磨くのは虫歯にならないため、学校で良い子にしているのは先生に叱られないため、友達とつるむのは一人ぼっちにならないため、など、「そうなったら困るな」を未然に防ぐためにそうするのです。動機の大元は不安解消を目的としたものなのです。

 受験も同じで、夢を叶えるというより、「子どもを路頭に迷わせたくない」「社会の底辺で過ごさせたくない」「経済的に不自由させたくない」などの、不安解消が目的なのです。そしてそれらは結局「そんな子どもの姿を見て自分(親)が辛い思いをしたくない」につながるのです。親自身が悲しみたくないから子どもに頑張らせるなら、受験はまさに「親のためのもの」ということになるのです。違いますか?

 だったら、率直にそう言えばいいのに、「勉強できない子を持つと苦労するのは親」と感じているのに、そんな本音をひた隠し、親御さんは「私のために頑張って」とは言いません。逆に「親のために受験する」と子が言おうものなら、「違うでしょ!自分のためでしょ!」と烈火の如く怒る親がいますが、子どもがそう言うなら「そうなのよ、だから受験に成功して私たち親を安心させてね」と言えばいいのです。なぜ否定するのでしょう?プライドの高さ故なのか、動機が不純だという後ろめたさからなのか、それだと自分のために子を犠牲にしてしてしまうのではないかという親としての申し訳なさなのか、そこはわかりませんが、本当ははっきりそのように本音を言ってしまった方がいいのです。(そもそも親子で忌憚なく本音が話せるかどうかは、日頃の親子関係の絆の濃淡のバロメーターでもあるのです。)

 なぜか?と申しますと、いつまでもグダグダしている生徒に「受験は自分のためではなく、親のためにしなさい。親を泣かせないよう安心させるために親孝行の一環として受験を成功させましょう」と呼びかけることがありますが、実はこれを機に様変わりする子が多いからです。「自分のため」という「自分でも納得していない訳の分からない動機」で動くより、「親のため」という、明確でわかりやすい動機の方が子は動きやすいのです。なぜ?それは子どもは皆親が好きだからです。誰だって親が悲しむ姿は見たくないからです。親を喜ばせたい、その気持ちが子を動かすのです。

 だから、そんな子を親は大事にしなくてはいけません。子は親に感謝の意を、親は子に愛情を。中学受験は「子どもが勝手にやるもの」ではありません。親子二人三脚なのです。
 受験成功は、本人の喜びはもとより、家族で喜びを分かち合うもの、絆を強めるもの、そういう副次的な価値も発生します。本当はこれこそが大事なのです。

 次回に続きます。

 

 
 
 


   

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