なぜ本気になれないのか?➁
2018年10月24日
続きです。
入試まで残り100日です。この先は「真剣に過ごす1日×100回」で乗り切っていきましょう。
とは申しましても、真剣に学習している子はとっくにそのようにしています、反対に動かない子はギリギリまで動きません。この差は一体何なんでしょう?入試は目前に迫っているのに、なかなか本気を出さないお子さんを見て、ついイラッとしてしまう親御さんの姿が目に浮かびそうです。(ちなみに親御さんが心配するのはお子さんが落ちることではありません、落ちた我が子を見て自分が失望することです)
さて、中学入試に向けた学習とは何でしょう?それを「公立小学校の勉強の延長上にある」と考えていませんか?
中学入試を目指すお子さん・ご家庭は「基礎的な教養を身に付けるため」にそうするのではありません。(ステレオタイプな例で恐縮ですが)「いい中学に入り、そこからいい大学に入るため」なのです。なぜ?「いい企業に就職するため」なぜ?「安定した収入・福利厚生・年金を確保するため」、他に「自分の可能性を狭めたくないから」「なりたい自分になるための必要条件だから」「いい学校に入り自慢したいから」「結婚に有利だから」など、まぁ詰まるところ「自分の欲望を実現したいから」なのです。その実現を可能にするための手段が中学受験の本質、その現実から目をそらしてはいけません。中学受験で成功したいという願いは極めて「自己中心的な欲望」なのです。これは「必要最小限の教養を得る」ことを目的とした小学校の勉強とは似て非なるもの、中学受験の勉強とは「欲を満たすめの手段」なのです。
話を戻しますが、未だに本気になれない子の理由は中学受験が自分の欲を満たすツールだと認識していないから、もしくはそもそも上記のような欲自体がないから、だと思います。例えば馬を水飲み場に連れていったとき、水を飲みたいという欲のある馬は勝手に飲みます、しかし、飲みたいという欲のない馬は飲みません。そんな時、馬主が水を飲まない馬に対して「もっと真面目に水を飲む努力をしろ」とか「熱心に水を飲め」とか言うでしょうか?
受験もそうです。入試の目的が分かっている子、受かることを願う子は自分から勝手にやります。「できる子を持つ親は楽」という理由はそこにあります。しかし私はそういう生徒を褒めることはありません。彼らは自分の欲を満たしたい、を気の赴くままにやっているに過ぎないからです。「真面目に自己中しているね」「頑張って自己中しているね」とは言いませんよね。また彼らも褒められたいとは思っていないはずです。褒められることを目的としていません。だって自己中なことを自分の意志でやっているだけなのですから。
学校の「嫌々義務でやる勉強」、本人が、と言うより「親主導の受験」なら「よく耐えている」という意味で、また社会貢献のための勉強なら「世の中の役に立っている」という意味で「真面目にやっている」「努力している」と褒めてあげてもいいかもしれません。しかし、中学受験の勉強は(何度も言いますが)「その本質は自己中」です。受かっても落ちても(自分と親御さん以外の周りに)影響を及ぼすことはない「極めて個人的なイベント」なのです。「極めて個人的なこと」ですので、正直「受かりたいと願う子は受かるようなことをやって受かればいい、受かりたいという欲の薄い子はそれほど熱心に勉強しないと思うから、そのまま受からないことがあっても甘受するしかない」でいいのです。また「あなたが受かろうが受かるまいが世間は関心がない」ということ、そう、中学入試は「コップの中での出来事」に過ぎないということもご認識ください。
では、塾の役割は?やる気のない子をやる気にさせるのが塾なのでは?という「勘違い」について次回お話いたします。