宿題についての考え。
2018年6月25日
※ 余談ですが、今年初めて私の歳が生徒の親御さん全員の年齢を上回るようになりました。私も年をとったものです(笑)ですので、子育てにも一日の長がありますので、適宜適切なアドバイスをさせていただければと思います。
夏期講習が近づくと大手塾では大量の宿題を出します。学校でもそうです。もちろん子どもの学力向上を願ってのことなのでしょうが、「子どもをほったらかしにすると遊んでばかりいて勉強しない」という性悪説的な考えから、また、「宿題を出さないと親から面倒見が悪いとクレームが来る」という経営上の理由からそうしている面も否定できません。一方で、出された側の生徒の反応はどうでしょう?「僕たちのことを想って大量の宿題を出してくれているんだ、先生ありがとう!」ということになるでしょうか?私の知る限りそんな殊勝な生徒はいません。少なくとも私自身、子どもの頃にそう考えたことはありませんでした。宿題は「僕の時間を奪うウザイもの」でしかなかったのです。ですから「やっつけ仕事」として夏休みの最初の3~5日くらいで全部片づけてしまう。後の時間は自分の好きなように使う。イヤイヤ仕上げた宿題なので自分の身になったという実感はありませんでした。事実、大量の宿題をこなした後の二学期以降の成績がメチャクチャ上がったか?、と聞かれれば、毎年そんな経験はしたことはなかったと返答するしかありません。
今、お子さんにガミガミ言っている親御さんの中で子ども時代に「夏休みは宿題があるから楽しかった」という方はいるのでしょうか?いないと思います。以前から申し上げていることですが、私の子育ての基本は「自分が子ども時代にされて嫌だったことは子どもに強要しない」「してほしかったことをやる」であり、これは生徒さんと接するときの基本姿勢でもあります。親だって宿題が嫌だった、子どもだって宿題が嫌、やって得するのか?と言われれば、そうなるとは限らないというのなら、そんなのやらなくてもいいのです。確かに大量の宿題をこなすことは「忍耐力」「大人への恭順」を養うのに有効ですが、受験生が優先して養うべきはそれではなく、「学力の向上」です。宿題が確実にそれに結びつかないのだとすれば、それは徒労に過ぎません。徒労、これは合理的思考・行動を重んじる私にとって最も嫌悪すべき言葉です。
そうなのですが、相変わらず「先生、宿題をたくさん出してください」という親御さんは多いです。それを望むのは「うちの子は言われないと何もやらない」という「お子さん不信」から来ています。年中親に不信感を持たれているお子さんの成績が良いはずはありません。そう要望をしてくる親御さんの子は例外なく「出来が悪い」です。ですが、子の出来の悪さは「この子は勉強しない子」=「ダメな子」と(口に出さないまでも)そういう空気を醸し出し接している親御さんに要因があります。親が子育ての勉強をすることなく、安易にそんな空気を毎日浴びせ続ければどんな子も出来が悪くなってしまうのは当然のことなのです。どのような子にも可能性はあります。それを伸ばしてあげるのが大人の責務です。なのに、その可能性のある子にそういうレッテルを貼り芽を摘む一方で、無理やり大量の宿題を与えさえすれば、一応親の義務を果たしていると言わんばかりの姿勢を大人が取り続けるとするなら、それこそが問題なのです。
ちなみに私は(生徒の利にならないことを行おうとする)親御さんに異を唱え、丁々発止を重ね続けても構わない人間なので、敢えて親御さんの気に入らないこと?を申し上げると、宿題は「最低限」しか与えていません。子どもを疲弊させ、むしろ学力向上の妨げになる大量の宿題であるなら、それは百害あって一利なし、という理由から、というのもありますが、他にも見過ごせない理由があるからなのです。
その話は次回とさせていただきます。