生徒には成績が伸びる瞬間があります。②
2018年4月12日
続きです。
低学年時からの塾通いは確かに「問題を解くテクニック」を先取りできるという点で有効です。そういう子はその時点では誰よりもずば抜けて出来がいいので神童扱いされることもあります。しかし、早期からの学習量と入試実績は必ずしも比例しません。神童と言われた子が高学年になるにつれ平凡になり、そのまま終わっていく姿を大手塾にいたころに嫌というほど見てまいりました。一方、高学年で受験に目覚め、あれよあれよという間に成績を伸ばしていく子もいます。当塾でも1年足らずの受験勉強で偏差値を30台から60台に乗せ1~3志望校全て受かった生徒が今年いました。前の塾では「お手上げ状態の生徒」だったにもかかわらずです。
前回「低学年時にはできるだけ自由にさせる、できるだけ一人の時間を与える」をお勧めしましたが、これは「甘やかす」「放任主義」とは違います。
(私は)人は生まれ落ちた時点で「自分はどう生きようか」を考える本能を有している気がしてなりません。一度しかない人生で「どう生きようか」「より良い人生を過ごすにはどうすればいいか」を決定することは大変重要です。重要なことですから「どうしよう」「こうしよう」を摸索するために、自分自身と見つめ合うために、充分な時間が必要なのです。にもかかわらず、もし、「やれ勉強だやれ習い事だ」とせわしなく過ごすことを強制されると「流れゆく中で作業をこなす」だけの、自分の人生云々は二の次の、「空虚な日々」を過ごすことになりかねません。ですが、1日腕組みをして人生を考えろ、と言っている訳ではありません。
一人でお風呂に入っているとき、夢の中で、入院中に天井を見ているだけの日を過ごしている中で、「世紀の大発見」をした偉人たちがいます。彼らは「世紀の大発見をしろ」と親からお尻を叩かれながら必死に勉強したからそれが出来たわけではありません。日々「あれやこれや」を考えていたからこそ、それを導くことができたのです。木からリンゴが落ちるというありふれた風景でも、万有引力について日々考えていたニュートンにとってはそれを導くきっかけになったように、一人で何かを考える習慣を身に付けていないと、チャンスを見落とすことになりかねないのです。事実、偉人たちの子ども時代は「一人ぽつんと」というタイプが非常に多い。
発明家や偉人だけの話ではありません。 一見、ボーっと一人でいる子も実は頭の中でいろいろ考えているのです。それを温めさせてあげるのが親の役割であり、「そんな暇があったら~しなさい」とつつくことをしてはならないのです。低学年の間はただただ見守ってあげてください。
次回に続きます。