生徒には成績が伸びる瞬間があります。
2018年4月01日
※ 今年のレギュラー授業は3月時点で既に満席となりました。本日より来期の予約を始めさせていただきます。
世の中には中学受験を目指すために小学校1年から塾通いしているお子さんがいます。また、「1日でも空き時間があってはならない」とばかり、水泳だの、英語だの、毎日のように「習い事」をこなしているお子さんもいます。将来英語ぺラぺラの水泳選手でも目指しているのですかね。また、中学受験っていうのは6年間も準備に費やさなければならないほど大層なものなのですかね。
こういう子たちは疲弊してます。学校での肉体的精神的疲労が溜まった後でも、やれ塾だやれ習い事だと、休む間もなくそれらを健気にこなし、大人に一日中ガミガミ言われてもそれに耐えて過ごします。私がもしこのような環境に置かれたなら「発狂」するかもしれません。
しかし、悲しいことですがこういうお子さんで勉強のできる生徒に出会ったことがありません。当たり前です。脳は疲弊しているからです。当塾に入る「できない子」の多くはこのような「やらされ過ぎた子」です。親が良かれと思ってやってきたことが全く子どものためになっていない。時間対且つ費用対効果の無いことこの上ありません。
本当に賢い親御さんは「子どもの脳を疲弊させない」ことに重きを置きます。つまり「ボーっとする時間」「暇な時間」の重要性がわかっていて、それを充分に与えることをしています。人間はロボットではありません。休みなく大量に詰め込みさえすればいいというものではないのです。
さて、本日は4月1日。春と言えば花見です。日本には四季折々の変化があります。脳が疲れているとそのような繊細な変化に気付きません。私は下を向いてスマホをいじっている子より、上を向いて桜色と青空のコントラストの美しさを感じ取れる子の方に脳の豊さを感じます。きれいなものを綺麗と思える感受性、それに感動できる心。それは「脳にゆとり」があるからなせる業なのです。脳にゆとりのある子は勉強を義務と考えず、楽しみとして捉えることができる。「勉強が面白い」という子もいるのですが、そういう子は間違いなく脳にゆとりのある子です。
日本人は「忙しい」を美徳にし過ぎています。「頑張っている私を見て見て。偉いでしょ?」「皆から必要とされているので忙しい私カッコイイ」なのでしょうか?「心が亡ぶ」と書いて「忙しい」と読みます。これは本当に幸せなことなのでしょうか?子どもに中学受験を目指させる親御さんは「子どもの将来の幸せのために」というのですが、忙しく天手古舞の小学生時代の今は幸せですか?将来エリートビジネスマンになり、桜を愛でる時間・桜が散る瞬間を知らないまま、日々忙しくあちこち飛び回り過ごす生活が人間にとって本当の幸福なのでしょうか?
私なら小学校1~4年の低学年の子どもには「暇すぎるくらいの暇」「一人を満喫する時間」を与えます。「ああしろこうしろ」とは言わない、土日は好きなだけ寝させ、日々楽しく過させ、親子そろって暇なときは山や海や川などに出掛ける。そうです。できるだけ脳を休ませ躁状態にさせることが肝要なのです。
そう言うと「一人にさせるのはかわいそう」「ボーっとしている時間がもったいないのでは?」「脳が退化するのでは?」「毎日楽しいことばかりでは忍耐力が育たないのでは?」と心配する方が多いのですが、そんなことはありません。
次回はその根拠と、今回のテーマ「生徒には成績が伸びる瞬間がある」についてお話ししていきたいと思います。