国語のお話。④
2017年9月15日
※ 前回の四谷組み分けテストで当塾5年生全員成績アップ。偏差値で言えば平均6アップです。よく頑張りました。成績は「正しい方向性での学習」を行えば間違いなく上がりますね。それを継続させることが大事です。
※ (入塾希望のお問い合わせが多い中、誠に恐縮なのですが)以前からのお知らせ通り、今年は夏休み前の段階から既に新規の募集を停止しております。本当に空きがないのです。申し訳ございません。来期のご予約のみ承ります。
続きです。
入試科目としての国語に求められるのは「豊かな表現力・感性・多様なものの見方」ではありません。厳正な審査に当たり、このような「人によって感じ方表し方が違うもの」を基準にするわけにはいかないからです。当たり前の話ですね。「算数と同様に国語の答えも一つしかない」これを忘れないでください。
入試において文学的センスが不要なら、国語のできる生徒できない生徒の差はどこで生まれてくるのでしょうか?
入試問題には各科目それぞれに出題の意図があります。算数の場合は「理系的閃き」ではなく、「論理的思考」が求められます。国語とは逆に「多様なものの見方」も求められます(国語の場合は多様なものの見方をすると答えが複数になりますが、算数の場合は一つの答えを導くのにそれが有効となります)
よく「学校でやった勉強なんて大人になったら役に立たないよ」という方もいますが、確かに算数そのものを社会で使う機会はほとんど無いのですが、受験を通して鍛えられた論理的思考・多様なものの見方は大人になっても必要です。必要どころかそれがないと社会で生き残ることができません。淘汰されます。それらの有無で人生が決まってしまうと言っても過言ではないのです。一流中学→高校→大学を経て社会に出た人の成功率が高いのは「頭の鍛え方」が(そうでない方と比べ)まるで違い、柔軟に生きる術や的確な処理能力に長けているからです。(高学歴なのに残念な人もいますが、そういう方は勉強だけができて、その過程で身につけた生き方のノウハウを大人になって応用できなかった人・もしくはその存在自体に気づけなかった人です)
国語を入試科目にする学校サイドの目的は受験生の「論理思考力」(これは算数と同じ)「注意力」「観察力」「正確さ」「慎重さ」を見ることです。そういう分野に優れた生徒・今後社会で活躍できそうな生徒がほしいのです。「文系的センス」を見たいわけではありません。国語を通して上記の能力を見たいのです。これが「国語の正体」の二つ目。ですので、受験者はそのあたりの意図をくみ取り、それに沿った学習をしていかなければならないのです。それができる生徒は成績を伸ばせる。逆に、国語のできない生徒にはその「当たり前の観点」が抜け落ちているので、たとえがむしゃらに文章題を解いたとしても成績が安定しないのです。
次回は具体的な学習法に少し触れていきます。