中学受験を考える。②
2017年4月06日
続きです。
私たちの日常は日々進化していますし、便利になっています。しかし、勝手に自然にそうなったわけではありません。家庭では通信機器・電化製品、外に出れば建物・乗り物など、目にするものどれをとっても人が作り出したものです。では、誰が作ったかと言えば勉強してきた人なんですね。例えばドロドロした原油から化学製品ができるなんて普通は想像できませんよね。しかし、それを発見したのも、その過程を導き出したのも「こういうのがあれば便利だな」という夢を追い求めながら勉強してきた人なのです。その先達たちが未来人に向けそれを伝承し、更なる進化を託していく道筋、それが学問の系譜なのです。 私も含め、生徒もその流れの中で生きています。日頃、そのようなことは意識しないのですが、否応なくそこに組み入れられているのは紛れもない事実です。理系には理系、文系には文系なりの「やるべきこと」はあるはずなのです(理系文系と分けるのは私自身は嫌いです。この二分野は融合しているのですから)。
さて、当塾でお預かりしているお子さんは皆が皆優秀、というわけではありません。学習することを放棄しているのに、中学受験だけは成功させたい、何とも「虫の良い」考えの子もいます。で、「どうして勉強が嫌いなの?」と聞くと、決まって「三点セットの答え」が返ってきます。それは「めんどくさい」「頭を使いたくない」「つまらない」です。「のび太か!」と突っ込みたくなります。
それらをまとめて「疲れる」と表現する子もいます。そういう生徒は勉強だけではなく、遊びも運動もできません。どちらも「疲れる」からです。簡単に言えば「ボーっとしているのが好きな子」「寝っ転がってゲームしているのが好きな子」なんですね。「子どもなのに?」という方は「子どもは元気溌剌で明るいもの」という幻想があるのでしょうね。いえいえ現代っ子に限らず、昔も「大人が望むような子ども」などそうそういなかったはずです。
「子どもは疲れている」。その理由を探り、解決しないと自分から勉強する子は育たない。別に「先達の遺志を受け継げ」という大層な話ではないのですが、勉強に拒否反応を示す子が増えては、決して明るい未来になることはないのです。
次回はその話を続けつつ、中学受験の必要性も述べさせていただきます。