入試は「自主学習力」で決まる。➅
2017年3月21日
※ 3月25日~4月5日で実施予定の春期講習ですが、9:00~17:00はすでにご予約で満席となりました。17:00以降も空きは残り2コマのみとなりました。
さて、前回の「待つ勇気」ですが、親御さんがお子さんの自主学習を待てない理由は「我が子を信用していないから」この一言に尽きます。
お子さんのことを信用できないのは、過去にさまざまな出来事が悉く裏切られてきた経緯があるからです。「部屋の片づけ」「帰宅時間」「ゲームをしている時間」など「きちんとしなさい」「守りなさい」と言ってきたのに、それらの約束が守られたためしがなかった、それどころか反抗されるわ罵詈雑言を浴びせられるわで親の心はズタズタになり、その心労が怒り悲しみを超えたあきらめの境地へと至らしめたからです。しかし、そうは言っても無駄だとわかっていても反射的に「勉強しなさい」と言い続けなければならない親の辛さ。親にとってこのストレスは耐え難いものに違いありません。
そうですね。元々「待つ」という行為自体がストレスなんですね。親があれこれ言うのはストレス発散に近いものがあります。そして、少し強く言い過ぎたと反省し、だけど言うことを聞いてくれないことへの怒りが混ざり合い「ああ、どうしてうちの子は親の言うことを聞かないのかしら・・」と日々お母さんは悩むのですが、親が子に言うことを聞かせるときは気づかないうちに「上から目線」になっていますよね。一度「子は親に従属するもの」というフイルターを外してみてはいかがでしょうか?
子育てに悩む親御さんの共通点は上記のように「親は子より偉い」という思考から抜け出せないこと、それに「想像力」と「察知力」が欠如していること、それにプラス「短気」「過干渉」であること、です。子どもの心の微妙な揺れを感じ取る能力に欠き「子の立場を考えることなく、自分の心の動きに任せるままに衝動的で独善的な接し方をしてしまう」傾向にある親御さんは(幼少期から現在に至るまで)子育てに悩むことになります。例えば「テストで0点を取ってしまったお子さん」。本人はものすごくショック、それに親も相当怒るだろうなという恐怖、で、テストを隠して、それをなかったことにしてしまおうとしたが、親にバレてしまった。そんなとき子育ての下手な親は「どうして勉強しなかったの?そのうえテストまで隠して。ママはそんな卑怯なことをする子に育てた覚えはありません!」と、目の前にある表面的な事象だけで子を叱ってしまいます。確かにテストを隠すのは卑怯で、親の叱咤は正当で間違っていないかもしれません。ですが、そんな伝え方で子どもの心が動くでしょうか?正論を正論のまま伝えても同意してもらえないし心にも響かない、それどころか逆に反抗されてしまうことになりませんか?
一連の行為から読み取れる子供の心理が「テストで0点を取ってしまったことは自分でもダメだとわかっているし恥ずかしいと思っている」「ただでさえ傷ついた心を、親によって更に傷つけられたら立ち直れない」「テストを隠すのは悪いとわかっているがあまり親を刺激したくないし、ショックを与えたくも与えられたくもない」と「想像」できるなら、親はそれを「察知」し、「杓子定規な正論」でまくしたてることなく「一呼吸おいて」子に接するべきなのです。私ならテストを隠していたことにはあえて言及せず「0点だった?では、見直しをして次回頑張ろうー」で終了です。子はあっさりした親の対応に当初面食らうはずですが、自問自答する心のゆとりを得、ここから先は自分で何とかしようと考えていきます。親がむやみに叱らない干渉しないという安心感が、「自分から積極的に思考し行動していこう」になり、ひいては「親から何も言われない」=「親に信頼されている」ことで、殊更に親に反抗する必要もなく、自分から動こうとする→自主学習力のある子に育っていくのです。
親はこの一連の流れを信じることが大事ですし、実際に子どもは(親が余計な干渉をしない限り)植物の如く「勝手に自分から成長」していきます。
しかし我慢できない短気で忍耐に欠ける親はすぐ口出します。が、口を出せば出すほど、関われば関わるほど子はダメになっていく。ひたすら子育てに真面目で熱心過ぎる親であればあるほど、子をダメにしてしまうという皮肉。しかし、そこには「戦略的に子育てする」というビジョンが欠けているんですね。子育ては「生真面目一辺倒」では行き詰るのです。
「柔軟で変化自在な子育て」、その効力に親御さんはお気づきいただきたいですね。
次回もこの話を続けてまいります。