入試は「自主学習力」で決まる。④
2017年3月13日
続きです。
前回お話しした通り、中学受験のレールを敷くかどうかは親御さんの判断でいいと思います。更にお子さんも受験を希望するなら躊躇なくその方向で進めて良いのではないでしょうか?
「方向は決まったが、問題はそれに向けての実行力」つまり、お子さんが自主的に学習してくれるかどうか?それが親御さんの心配事になります。
その場合、親御さんは褒めながら叱りながら、何とかやらせようとします。9割近い方がそのように仕向けるのではないでしょうか?しかし、その意に反して子どもは真逆のことをしてしまう。今度は親は力づくででも軌道修正を図ろうとし、子が本気でそれに抵抗する、そうなると親子ともに次第に肉体的にも精神的にも疲弊し、「子どもを幸福にする」ための受験が「子どもを不幸にし、親子関係を断絶させ、家庭を崩壊させる」と、何とも皮肉な結果を招いてしまうのです。
私はこのような事例を幾多見てまいりました。その度に申し上げるのが「やる気になるまで待てませんか?」ということです。すると「何を呑気な」「先生は甘い」みたいなことを言われます。
私が住まう豊洲は埋立地です。元々自生する植物のいない土地。しかし、アスファルトの間からは名もない草花がひっそり顔を出しているのをよく見かけます。ですが、これらの植物は誰かに励まされたり叱られたりして芽を出したわけではありません。「自分が生きたいから」という理由だけで育っているのです。「生きたい」という気持ちがあればどんなに条件・環境が悪くとも自分から育っていこうとします。しかし、毎日毎日何センチも伸びていくというものではありません。気が付いた時には「おお、何か知らん間に大きくなったなあ」と驚嘆しますが、日々の成長の営みとは本当は地味なものではないでしょうか?
人間を植物に例えて語るのは乱暴だ、とお思いの方もいるかもしれませんが、人の子も植物も同じ生物であるならば、どこかしら共通点があるはずです。 そこに目を向けてみる。両者ともに生物であり、外野がスベコベ言わずとも、生きているものは自分から成長していこうとする。そして、そうしようするお子さんの可能性を信じてみる。
その可能性を信じられず「どうして毎日3㎝ずつ伸びないの!」と植物を叱りつけながら引っ張るような愚かなことはしませんよね。引っ張り過ぎて根っ子ごと引き抜いてしまうことは植物を殺すという意味になるからです。だけど、自分の子には同じようなことを平気でしてしまう親もいます。それが「子を殺す=可能性を殺す=学習意欲のない子にしてしまう」ことになるとお気付きにならないのでしょうか?
お子さんが地味ながらも着実に日々成長していこうとする姿を信じてみませんか?
子どもの学習指導法云々を語る以前の、子育ての原点・基本はそこにある、と思うのは私だけでしょうか?
「子を信じられる親だけが子どもからの信任を得られる」ということです。
次回に続きます。