入試は「自主学習力」で決まる。③
2017年3月09日
続きです。
学習にはお子さんの自主性が求められます。それ故「入試は自主学習力で決まる」というのです。
しかし、中学受験をするしないについては親御さんの意向を強く反映させてもいいと思います。はっきり言えば「中学受験は親が決めていい」のです。なぜなら、お子さんが中学受験を目指す理由が「文化祭が楽しかった」「そこで出会った先輩が優しかった」「制服がかわいい」「公立でなければどこでもいい」など多分に表層的で、入試に備えた学習を継続させる動機としては弱すぎで、いつでも断念可能な状況を生みだしかねないからです。親御さんは少々強引に事を決めてもいいと思います。これが「子を守るために認められた親の特権」であるなら、むしろそれを行使すべきなのです。今どきの中学受験は「受かったらうれしいね」ではなく、「大切なお子さんの将来へのリスクヘッジ」という要素が強い。受験を志す皆さんはそう認識されていて、一世代前の親の感覚とは全く別物なのです。(私個人は「受験は保険」という発想は嫌いですが、親御さんのニーズがそうである以上はそれにお応えするも塾の任務と考えております)
前回述べたように親は「中学受験をやっておいて良かった」「中学受験をやっておけば良かった」だから・・と、この二つの動機で子どもに中学受験をさせることが多いです。自分の「分身」である我が子には自分の過去の体験から得た「こうすれば良い」と思えるレールを敷いてあげたい、という気持ちがお子さんへの適切なアドバイスにつながる。自分の体験から導き出されたアドバイスには真実味があるのです。例えば「将来プロ野球選手を目指せば?」と親が子にアドバイスするとき、野球にズブの素人の親と現役プロ野球選手の親との発言とでは、子の受け止め方がまるで違います。前者に対しては「何も知らないくせに」と、反発しそうですが、TVで見る日頃の親の活躍ぶり・経済力など、言葉に出さなくてもその姿でオーラ―を醸し出している後者の発言なら、子どもは素直に親の勧めに耳を傾けるはずです。ですから、中学受験に関しても同じで、それを基にした成功体験が親御さんにあるならそれを語ればいいし、逆に中学受験を経てこなかったことを後悔しているなら、どのあたりでそう感じるのか?を率直にお話しになればいいのです。お子さんに「フワフワした未来予測に基づいた中学受験」をさせるよりも、親御さんが過去の体験を語る方がよほど強い「動機づけ」となります。
さて、ですが、お子さんの中学受験を目指す動機が確固たるものになった、というのと、「自主学習ができるようになった」は別物です。
目指す方向が定まった、だけど勉強しない、だから「面倒見のいい塾へ」となりそうですが、前回も申しましたが、面倒見の良さに頼り切ってしまうと「自主性の無い腑抜け」「指示されないと何もやらないロボトミー手術を受けたような子」になります。たとえそれで中学受験を乗り切ったとしても、あたかも「中学受験はゴール、残りの人生は晩年」みたいな子に育っていきます。
では、どうすればよいのか?
それは次回のお話しとさせていただきます。