特記 入試が終わりました。
2017年2月13日
2017年度の入試が終了しました。補欠の繰り上げ合格発表もそろそろ終わりますので、当塾の生徒の進学先もほぼ確定したと言っていいでしょう。
ですので「入試終了宣言」とさせていただきます。
発表当日の夜に「合格しました!」とTELで喜びの声をいただく、この時は本当にうれしいですね。悲喜こもごもを共有してきたご家庭と喜びを共感できる瞬間を得られるのは講師にとって喜ばしいことです。また、何日か後にメールで合格の報告をいただくこともあります。少し「あれ?」と思います。「そんなに喜んでいないのかな?」「クールなのかな?」と思ったりもします。更に数日経ってこちらからの連絡でやっと合格の報告をいただくことも(稀にですが)あります。ちょっと悲しくなりますね(笑)。また、ご家庭から「お礼の品」をいただくことがあります。いただかないこともあります。高価なものをもらってうれしいとか、もらえなくて悲しいとかそういう話ではなく、「ご家庭の心」が見えるな、と思うのです。
また、最近の傾向で気になるのは、親御さんからの喜びのお声はいただくのですが、肝心の当事者本人(生徒)からいただけないことが増えていることです。これを「講師の恩着せがましさ」「子ども特有の照れを理解しない講師」と、とらえられては困ります。「お世話になった人には自分から直接お礼を言うべきだ」というのは私の世代では常識で、家庭でもそういう教育を受けてきました。子どもにとって「ありがとうございます」の一言は大人が考える以上に勇気が入り恥ずかしいことなのかもしれません。それは理解できますが、敢えて親がそうさせる家庭教育も必要ではないでしょうか?
最近では「給食費を払っているのに、食事前にいちいち「いただきます」と言わせるのはおかしい」と、小学校の担任に噛みつく親御さん(平たく言うとモンペ)がいるそうですが、このクレーム?の問題点は、お金を払う払わない・金額がどうのこうのということではなく、このような発言をする親が、植物を育ててくれた大地・雨など自然の恵みへの感謝、人間が生きるため、命を犠牲にし食料になってくれた動物たちへの感謝、滞りなく毎日当たり前のように食物をいただけることへの感謝、給食を作ってくれた方への感謝など諸々に対する感謝が「いただきます」という一言の中に凝縮されていることに気付いていないことです。おそらくそのような家庭教育を受けてこなかったのでしょう。ですから私は「この肉マズーい、捨てていい?」などと言っている子ども、それを注意しようとしない親を見ると無性に腹が立ちます。「大食い大会」なども嫌いです。「この牛さんは殺された挙句、不平を言われゴミ箱に捨てられるために生きてきたわけではないのですよ」「魚さんは自己満足したい人に食い散らかされるために死んだわけでも生きてきたわけでもないのですよ」と言いたくなります。
受験もそうですね。確かに自分が努力し頑張ったから受験に成功したのは事実でしょう、しかし、「中学受験の機会に恵まれた都市圏に住んでいられたからこそ」「親御さんの経済力があったからこそ」「良い塾・講師に出会えたからこそ」「自分が五体満足であったからこそ」「健康でいればこそ」など、複合的な幸運に恵まれていたからこそ受かった、と気付いたなら、それらを広い視野を以って受け止め「ありがたいな」と感じたなら、自ずと「自分から感謝の意を示そう伝えよう」という気持ちになるはずです。「相手は仕事でやってるんだからお礼なんか必要ないだろ」「金は十分払ったのだから、お礼なんか言う必要はないだろ」では寂しいですよね。
しかし、(給食の件もそうですが)そういうことを教えるのは学校でではなく、本来は家庭でなんですね。
「才能はあるが、人としての深みもある」「強い人だが、他者への思いやりや慈愛に満ちている」こういう子に育ってもらいたいし育てていただきたい。 勉強ができるようになる・知識量を増やす・名門校に合格する・・だけが教育ではありません。そういうことをきちんと教え育てていくのが教育=家庭の役割だと思うのです。
「中学受験合格おめでとう」のブログで、クドクド辛口めいたことを言ってまいりましたが、
中学入試合格の喜び・興奮はそれが発表された日がピークで、それ以降薄まっていきます。1週間も経てば感激もなくなり、2週間も経てば遠い過去のことのように思え、1ヶ月後には「普通の小学生としての日常」になり、更に1ケ月が過ぎれば、これから通うであろう学校のことに思いをはせるようになります。そして4月からは中学生活の現実がスタートします。
そのころになって気付くのは「中学受験はゴールではなかったのだな」ということです。むしろここからが人生のスタート。
「名門○○校に合格した××でござい」の効力は永遠に続くものでもありません。
この先は「プラス人間力」が求められます。
そのあたりをよくよく考えお過ごしください。
次回に続きます。