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国語対策法を伝授

運を育てる。➅

2017年2月10日

※  入試の結果が出揃いました。今年は第一志望合格率72%、第一~第二志望内合格率100%で終わりました。詳細は近々HPにて公開します(2月下旬)。まずまずの結果だったでしょうか。ですが、まー毎年こんな感じですかね。

  さて、(以下はあくまでも永田の考えですが)人生は無意識のうちに始まり無意識のうちに終わる気がします。「今生まれた」「今死んだ」という明確な記憶を残すことなく、人は生死を迎える気がします。
  なぜ、肝心であるべき生死の始まりの記憶が不明確なのか?これは私たちの日常の睡眠と似ていますね。無意識のうちに寝てしまい(生の始まり)、無意識のうちに目覚める(死の訪れ)。そして途中で見たであろう夢(生の記憶)もいつしか忘れてしまう。その共通点を考えると、もしかしたら私たちが「生の世界」と呼んでいるものは実は「非常に精巧につくられた立体の夢」ではないか?と思えてくるのです。その「立体の夢」の始まりが「生」であり、その終わりが「死」であると。生死が夢であるなら、その始まりと終わりがぼんやり朧気で不明確なものになってしまうのも不思議ではありません。
 (立体)は3次元の世界です。3次元の世界からは2次元の世界(平面)を見ることはできますが、その逆はできません。と、すれば、今の3次元の世界は4次元の世界(想像)がもたらした産物ではないかと考えられるのです。しかし、3次元の世界からは4次元の世界(想像の主)が誰なのか?それを見たり認識したりすることはできません。
 私が「精巧」だと感じるのは「生の世界を夢だと感じさせないため」の整合性が完璧であるという点です。例えば「過去というものが存在していたことにしておく」「人は母親の胎内から生まれることにしておく」「心臓の動き・脳の動きはこうだとしておく」「怪我をしたら血が出て痛いということにしておく」「家族や友人など自分を取り巻く人間がいることにしておく」から「蝉は抜け殻を残して成虫になることにしておく」などの些末に至るまで、本来は幻であるかもしれない細かな事項の一つ一つにまで明確なルールを定め、「ほら、どこにも矛盾点はないでしょう?それは生の世界がリアルなものであり夢でも幻でもないからですよ」と、しておきたいからではないか・・と思ってしまうのです。
 私は(本当のことはよくわからないので)生の世界の半分は本当の現実、半分はフイクションだと思い、一方ではリアルに、もう一方では冷めた眼で生きています。
 もしかしたら4次元の「想像の主」が「3次元立体ゲーム」の中に私を放り込んで旅をさせ、そのゲームの終了時がイコール「死」なのではないかとも思うのです。そして、ゲームを終えた「想像の主」が「ああ、楽しいゲームだったな」「途中で困難があったにせようまくゴールできたな」「途中でリタイアして残念だったな」という感想を残すのでしょうが、そのゲームの一部始終が「人生」であり、「良い人生」「悪い人生」とは、その後のゲーマーの感想自体を指すのではないか、と思うのです。
 例えばスーパーマリオは自分の意志や努力・頑張りで困難をクリアーしているわけではありませんよね。操作する人間によって動かされています。また、今回は技量にバラツキのある人間が操作するという話ではなく、操作しているのはあくまでも「万能の想像の主」であり、その「万能の想像の主」がこのゲームをハッピーエンドで終わらせたければ(想像力は無限、更にそれを広げる裁量が彼に自由に与えられているなら)ゲームを始めからハッピーエンドに設定しておけば、ゲームを勝手にハッピーエンドで終わせることもできる。これを(動かされているマリオ=私たち)が「幸運」「良い巡りあわせ」「何でか知らんがラッキーの連続」と感じながら生きていく(動かされていく)。同様に人生も中学受験もそのようにセッティングしておけば、幸運だけでなく、途中で出くわす不運・紆余曲折までもが「ハッピーエンドにつながる形を変えた糧」となります。(話は逸れますが「勤勉」「努力」というのは「頑張り感無くハッピーエンドを得ることへの後ろめたさを解消し、その結果に整合性・納得感をもたらすためのプラスポイント」だと思うのです。しかし、「勤勉」「努力」もハッピーエンドに設定していないと、その効果を得ることはできません。)
 本当は私たちは「想像の主」に「人生をハッピーエンドに設定してください」と頼めばいいのですが、「想像の主」の実態はわかりません。見えないし認識できないから願うときも疑心暗鬼のままです。その時点でアウト。「見えなくても存在している」「見えないから存在しない」この考え方の差がゴールの差になる。だから、世の中には幸運な人と不運な人が必然的に生じるのです。
 入試を失敗させる親は(不思議なくらい共通しているのですが)怒りっぽく、愚痴が多く、年中子どもを叱っています。それは自分の子どもの未来を信じていないから、自分の人生を悲観視しているから、「想像の主」の存在を疑っているから、つまり、無防備に自分のゴールをアンハッピーエンドに設定しているから性格もそうなってしまうのです。そのような中での「頑張り」「努力」は無意味。彼らは子どもが勉強時間を長く取っておけば、子どもを締めつけておけば入試で成功すると思っている。しかし、それが結局徒労に終わることに気づいていないし、気づこうともしない。そして、最後は初めに設定した(お望み通りの)アンハッピーエンドで終わるのです。しかし、「想像の主」は「目標達成」とばかり、それでOK、良かったね、としてしまうんですね。全く空気を読もうとしない「想像の主」です(笑)。

 「ハッピーエンド」に設定したゴールを信じられる人。
 それを決してブレさせない人。

 そういう人が「人生という夢ゲーム」での勝者となります。
 
 次回からは新テーマです。
 

 

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