運を育てる。
2017年1月06日
今年初めての更新となります。本年も宜しくお願いします。
2月入試まで残り一カ月を切りました。正月気分もなく、ひたすら学習・・という生徒さんも多かったと思います。いや、大半の生徒さんがそうだったでしょう。1月受験もありますし、過去何年かの中学受験に向けた学習の成果・集大成が目の前に控えているのですから。
この時期になっても慌てふためいているのは、間違いなく過去の学習をおざなりにしてきた生徒さんです。当塾生にも幾度となく申し上げてきたのは「逆算して物事を思考する大切さ」でした。それを真摯に受け止めてきたか、馬に念仏の如くスルーしてきたかで今の時期の過ごし方も違っているでしょう。
さて、この時期だから初詣がらみの話題を・・という訳ではないのですが、入試直前に「運頼み」「神頼み」を兼ねて○○天神などにお参りに出向いた方も多いと思います。ま、参拝した全員が「合格させてください」と願うのでしょうが、当然皆が受かることなどなく、ですが、それはわかっていてもついつい祈りたくなりますね。気持ちはわかります。
しかし、「人事を尽くして天命を待つ」とはうまく言ったもので、合格するには神頼み以前に努力してきたという大前提があってのこと・・なのは間違いありません。正当な努力をした受験生に神様が微笑むことはあっても、「努力なしでの神頼みなのですが、それでも私を受からせてください」では救ってもらえません。そういうのを虫がいい話というのです。
ですが、努力すれば必ず受かるわけではない、これも現実です。頑張ってこなかった生徒は確実に落ちると思います、しかし、頑張ったからと言って確実に受かるとも限らない。ですから、受かるにはそれにプラスされた「目に見えない不思議な力」が必要なのかもしれないと思い、それを期待しての詣でなのだと思います。
前置きが長くなりましたが、ここからが本日のテーマである「運の育て方」のお話しです。
私事で恐縮なのですが、私自身かなり運が強い方だと思います。それは大半の願いが実現しているからです。恥ずかしながら努力という点では人並レベルです、しかし、それを超えるような成果をコンスタントに得られているのも事実です。「なぜだか知らないがうまくいく」ことが多い。
私はよく生徒に「受験の神様」の話をし、その度に失笑されるのですが、決してオカルト話に興味があるわけではありません。しかし、こと「運」の話になると本当に「そうだなー、運ってあるなあー」と思わせるような現実に遭遇することが多いのです。
今回は「私の考える運の育て方」をお話ししてまいります。このブログはもともと受験生向きのお話しが多いのですが、それ以外の方にも参考になればと思います。
次回に続きます。