子どもの育て方。⑦
2016年10月16日
このテーマの最終話です。
今までと同じことの繰り返しになりますが、子どもは何も好き好んでこの世に生まれてきたわけではありません。親の都合で生まれてきたのです。都合で産んだ以上、子どもを幸福にするのは親として当然の義務です。ですので、親が子に「育てた恩」「親孝行」を強要したり、逆に子どもが「育ててもらった恩」」「親に尽くす」に縛られたり委縮したりする必要はありません。最近では介護絡みでの親子間の悲劇を見聞きすることが多いのですが、それは親子双方が「世間様が望むような美しい親子関係」に沿おうと無理し過ぎるからです。世間なんて言い出しっぺで無責任なものですよ。そんな根拠・実態のないものに左右されず、親子は共に別人格であることを認め、双方干渉することなく、その関係はドライである方がむしろ健全であると考え、お互い依存することなく自己責任で自立して生きるべきなのです。
さて、中学受験ですが、「何のためにお子さんに受験させるのですか?」という問いに本音を語る方はあまりいません。「校風がいいから」とか「子どもが行きたいと言っているから」とか「制服が気に入っているから」とかおっしゃいますが、本当は「ワンランクでも偏差値の高い学校に行ってもらい、その後はいい大学(世間で優秀と認められている大学)に進学してもらい、将来はこれまた世間に認められている職種に就くか、もしくは世間に認められている企業に入ってもらうかして、それなりの収入を得、円満な家庭を築き・・・簡単に言えば「世間様に認知してもらえるような生き方をしている大人」になってほしい・・といったところではないでしょうか?
「子どもになぜそうなってもらいたいのか?」すると「親として子どもには幸せになってもらいたいから」「そう願うのは親として当然だから」と答えるでしょう。半分は本当だと思います。しかし、半分は嘘です。もう半分の本音は「子どもが世間に認められることで自分が安心したいから」「子育てに成功したことを心の支えにしたいから」「世間の皆さんから認めてもらいたいから」「有能な親だと思われたいから」「自慢したいから」です。要は「自分(親)のために」です。子どものお蔭で幸福になりたい自分、子どものせいで不幸になりたくない自分、ということなのです。中学受験は本来子どもの問題なのに、親が必死になる理由はそこにあるのです(笑)。
だけどそれでもいいんですね。私としては「あなたのために」などと「綺麗ごとっぽく」言うのではなく、「親のために」と「エゴ丸出し」でお子さんに言ってあげた方がお子さんは受け入れやすいだろうと思うんですね。「自分のため」と言われピンとこない子でも、「親のために」と言われれば「よーし、親のためにひと肌脱ごうか」と受け入れる子もいるでしょうから(笑)。まあ、そう思われるよう前もって親子間での信頼関係を築いておくことが最低条件となりますが。
とは言っても、子どもは「親を気持ち良くさせるための道具」として生まれてきたわけではありません。私は中学受験を「幼児期から生まれてきたことを幸福に感じるお子さんに、親元を離れてもこの世界で更なる幸福を自らの手(力)で掴むための第一段階」としてとらえるのがいいのでは、と思うのです。自立後どうなろうがそれは子どもの自らの責任。親の関わることではないのです。「子どもの幸福は親の幸福、子どもの不幸は親の不幸」というような「一蓮托生的な生き方」「運命共同体的な生き方」をすべきではないのです。
次回からは新テーマです。