なぜ国語ができないのか?➄
2016年7月18日
続きです。
前回も述べましたが、国語は「読み」で決まります。全文の内容を正確に理解し、漏らすことなく脳内に吸収することさえできれば、アウトプットの方法を間違えない限り満点を目指すことは可能だということです。当たり前と言えば当たり前の理屈、しかし、大半の生徒はその「当たり前の理屈」を蔑ろにします。成績は摩訶不思議なノウハウ・高度なテクニックで伸びるものと思い込んでいる。しかし、科目を問わず行き詰った時は、「ものごとは理屈で成り立っている」という原点(根本原理)に戻り、そこから模索・工夫することが肝要です。なのに、できない生徒は自分から動くことを億劫がります。そして、手っ取り早くできるようになることばかり考えています(親子揃って)。要は短気な怠け者。故にそういう生徒は何時まで経ってもできるようにならない。
「では、国語に関しては丸暗記しろということか?」はい、その通りです。それを目指した読み方をすることが大切です。しかし、それをやるには時間がかかります、それでもいいのか?はい、いいのです。もちろん「ゆっくり読む」ことを目指せという意味ではありませんよ。丁寧に読むと必然的に「ゆっくり読み」になるというだけで、迅速且つ正確に情報を掴める読み方ができるのであればそれに越したことはありません。ただ、長文に慣れていない子、集中力に欠けた子にはそれが難しいので、小学生には「ゆっくり丁寧に読む」を推めているに過ぎないのです。ですが、それでも速く且つ正確に読みたいのであれば、集中力=根気を維持できるよう努力する、ということになります。しかし、残念ながら国語ができない生徒のほぼ全員、その力が欠けているのですね。それを何とかしていくのが私の役割なのです。
ところで、国語に限らず得点力の低い生徒の問題用紙には特徴があります。それはあまりにもきれい過ぎる、図や線などの書き込みが少ないということです。そこからは何が何でも問題を解きたいという執念・得点したいという意欲みたいなものが伝わってきません。泥臭くていいのです。どんどん書き込みまくっていいのです。「問題用紙が汚いとかっこ悪い」なんて思っていませんか?あのですね、本当にかっこ悪いのはテストで点数が取れないことなんですよ。偏差値が低いことなんですよ。入試に落ちる事なんですよ。そこを忘れないように。
そこで、私のアドバイスを素直に受け入れ「じゃあ、国語の文章にも線をつけまくればいいんだな。わかったそうする。」とばかりに全体を真っ黒に、生徒によっては色とりどりにしてしまう子もいます(特に女の子)。ごめんなさい!国語に関しては必ずしもそれがいいとは限らないのです。「大事なところには線をつけるように、と言われるが、どれもこれも大事に見えて結局全文に線を引いてしまった」という生徒がいますが、そういう子は例外なく国語ができません。何が大事で何が不要か絞り込みができない、その能力に欠けているからなんですね。国語では「つけた線の数が少なければ少ないほど精巧な読み方ができている証拠」になります。まあ、その詳細につきましては近々ご説明します。
話を戻しますが、迅速且つ正確に読むためには工夫が必要です。当塾全生徒に伝えているのは「目と手と心の音読」の「三点セット」、それにプラスする形で、全身を使い全細胞全毛穴から文字を吸収していくイメージでの読み方を推奨しています。
この読み方をマスターすれば国語の成績はグンと伸びます。現に第二回の四谷合判では偏差値60以上の生徒、偏差値15以上アップの生徒が続出しました。
皆さん、塾に通って教わってくるだけではダメなのですよ。しかし、大抵の生徒はそこ止まりです、しかもそこで満足しています、義務を果たしたと思っています、、、、、だから伸びない!
肝心なのは教わったことを素直に吸収し定着させ、忠実に活用すること。そうしなければ成果は表れません。だけどそれができる「真面目な生徒」は残念ながらほんの一握り。大多数の受験生が陥りがちな「授業受講回数と効果が比例しない学習」を自ら選択しない心構えが大切です。
次回はもう少し具体的なお話しをしてまいります。